GID女子が、ミスキャンパスになる日

casa_kyojin2012-06-23


一橋大学の学園祭、一橋祭のミスコンに注目が集まっている。
ここでは、これまで僕のTwitterにアップした内容に、加筆改稿したものをまとめた。

■一橋大の大学祭ミスコンでトラブル 性同一性障害の「男子」の参加拒否

一橋大学の学祭で行われるミスコンを巡って騒動が起きている。性同一性障害の「男子」学生が出場を申請したところ、学祭運営委員会が拒否。ツイッターでやりとりが公開され、ネット上でも話題になっている。
(略)ミスコンに性同一性障害のある学生がエントリーしようとしたところ、「戸籍上の性別が女性である者のみ出場できる」という規約で委員会に拒否された。
その後、学生から議事録を借りた第三者が委員会とのやりとりをツイッターで公開。それを受けて委員会は戸籍性別要件を撤廃した。
しかし委員会は、この学生がツイッターで話題になったことで「知名度・話題性」の平等が保たれなくなったなどとし、最終的にエントリーは認めるが、書類選考が行われた場合「他の要素に関係なく最優先で落とす」と伝えてきたという(J-CASTニュース:2012/6/20 19:31


このニュースで興味深いのは、ミス・コンテストにエントリーしようとしたGID性同一性障害MtF*1の“彼女”を支える学内有志は、おそらくフェミニズム的な立ち位置にあるのだろう、と見られることだ。

ミスコンといえば、フェミの地平から攻撃されることこそあれ、このように肯定的なコミットが行われることは珍しい。
MtFのエントリーを認めよ──と迫った有志一同は、ミスコンを指弾するような硬直したフェミニストとは一線を画した存在だ。

一方、愚直に「戸籍要件」を振り回すばかりの一橋祭実行委員会は、どこまで小人の集まりなのだろう。

一橋大学は「ジェンダー教育に力を入れている」という。
フェミニズムにおいて、そうした当世的アップデートが行われた学生や教官が席を並べているのは、そのひとつの達成なのかもしれない。
それは運営側の頑迷な封建性、差別性と、じつに対称的なコントラストを見せている。

ともあれ、運営側はその後、ミスコンの参加規約から戸籍上の性別が女性であること──戸籍要件を撤廃。
その後も紆余曲折はあるが、ひとまず彼女は一橋祭のミスコンに参加する流れにある。

■ゆいにゃ@中尾杏奈(Twitter
 @Anna_Taso

 わたし、ミス一橋になる。 今日まで女の子として生きてきたみんなを、希望を信じた一橋生たちを、私は泣かせたくない。最後まで、笑顔で盛り上がっていてほしい。 それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる。 これが私の祈り、私の願い。 さあ!出場させてよ、一橋祭運営委員!!

■第43回一橋祭運営委員会(一橋大学)(Twitter
 @ikkyosai43

 ミス一橋コンテスト2012に関するお知らせを掲載しました。http://jfn.josuikai.net/student/ikkyosai/oshirase/misscon_osirase.html

そして、上掲リンク先の「ミスコンの案件に対するお詫び および質問に関する回答・意見状(PDF)」には「戸籍要件は時代にそぐわないから撤廃」「MtFに関しても例外なく出場希望を受理」と、一見“前向き”な言葉が並んでいる。

しかし、それは規約をタテに拒んだものを、その撤廃により受け容れたという、じつに低次元の話でしかない。
これでは、運営側がジェンダーセクシャリティを取り巻くあれこれについて考察を重ねたとは、到底考えにくい。

それは、繰り返される「MtF──出場希望を受理」という表現からもわかる。

もし今後、同じGIDでもFtM*2の学生が参加を希望したら、運営側はどうするのか。

戸籍要件を錦の御旗にしていた段階なら、“彼”のエントリーは無条件で認められねばならない。
また、女性のクロスドレッサー(異性装者)が男装で参加することもまた同様だ。
そしてその金科玉条、戸籍要件が撤廃された今、そうした“女性”たちを、運営側はどう扱うのか。

ジェンダーセクシャリティ、そしてフェミニズムといった問題に対する受容体や定見を持たない運営側にとって、そうした対応はさぞ困難なことだろう。


一方で、牧村朝子レズビアンを公言する元ミス日本ファイナリスト)のように、運営側のそうした対応を「すごくフェア」と評価する向きもある。

しかし、牧村が自身の経験と「ミス日本」誕生の経緯を引いたあたりは、この問題を「合コンにGIDが来たら困る」といった論理で語る向きと同様のフォーシング、藁人形論法であり、本件と対照するには全くそぐわない。

当然だが、一橋祭のミスコンは、ミス日本のような一国を代表する民間使節を選ぶコンテストではないし、まして彼氏彼女選びの席としての合コンでもない。

牧村朝子
 まきむぅとレズビアンライフ:一橋大学ミスコン、性同一性障害をもつ学生への対応とメディアの報じ方について(ブログ)

レズビアンであることをカムアウトした上でわたしがミス日本に出場していたなら、ファイナリストに選んでいただくことはできなかったでしょう。
けれど、わたしはそれが差別であるとは思いません」

そもそもこの問題は、戸籍要件がファクターになってしまうあたりが、なんとも“みみっちい”

一橋大が「ジェンダー教育に熱心」だというのなら、ここは“当世的フェミニズム”の地平にドーンと立ち、セクシャリティに対してより開かれた、ユニバーサルデザイン的なアプローチが為されたミスコンを開催できないだろうか。
そこでは、GIDはもちろん、いわゆる男の娘や女装子といったクロスドレッサーのエントリーも、なんの問題もなく受け容れられるのだ。

そもそもミスコンという文化自体、参加者の対象となるのは、生物学的女性の全てなのか? という根源的なテーゼがある。
そして、決してそうではないから、ジェンダーフェミニズムの視点から批判されてきたのではなかったか。
そこに求められてきたのは、ある特定のジェンダー──率直に言ってしまえば“美しさを属性に持つ女性”だ。

ジェンダーフェミニズムといった環境が、どうにかこの程度の場所には到達できた今、ミスコンに参加できるのは生物学的女性のみ──とするのは、旧弊としての性差別でしかない。

またそこに、性別適合手術と戸籍変更を経たMtFだけを加えるだけでは、理解を装った教条主義にしかなれないだろう。


この時代、ご時世に“敢えて”開催されるミスコンは、生物学上、戸籍上の性だけではなく、GIDクロスドレッサー等々、あらゆる“女性”に開放されている──という形のジェンダーフリーを志向してもよいと思う。

そこでは、参加者全てが、書類であれ面接であれ、ミスコン的に等しい基準で選考されることになる。
もちろん、セクシャルマイノリティーを優遇する“逆差別”が行われてはならない。


そこでもし、僕が実行委員なら“彼女”の参加は大歓迎だ。

まず、彼女(画像)と去年のミス一橋大(画像)を比べたとき、そこに超えることが出来ない圧倒的な差があるようには思えない。

なにより、周囲の注目が集まれば集まるほど、予算や協賛の獲得など、色々な作業が回しやすくなっていくはずだ。

なので、一橋大のミスコンが当初「注目」というビジネスチャンスを選ばず、彼女の排除に動いたのは、運営側の頑迷な性差別がそれほど根深いか、あるいは、別なビジネス──これまで集めたカネの出どころ、タニマチの意向との兼ね合いに面倒なことでもあるのでは、など考えたりもした。


実際、以下のような指摘も相次いでいる。

■KOMIYA Tomone(Twitter
‏ @frroots

 一橋のミスコンのバックでは企業がカネ出してるわけなので、今回の騒動を問題だと思うなら、単に「一橋の頭が固い」という問題じゃなくて、こういうシステム全体の問題だと考えないと。/ミスコンに特化したポータルサイト | ミスコレ http://www.camcolle.jp/miss/


山口智美(Twitter
 @yamtom
 キャンパス・ミスコン事業を行う企業担当者へのインタビュー(ブログ)
 http://d.hatena.ne.jp/yamtom/20120620/1340205943

「A社の人の話を聞く限り、『ミスキャンパス』には『女性』および『最大限譲歩して』性同一性障害の女性はなれるが、コンテスト全体の出場者からしたらマイノリティである必要があるっぽい。そしてそれ以外は念頭にはないという印象をもった」
(※筆者注:“A社”が運営するWebサイト「キャンパスナビ」に、ミス一橋大に関する掲載は無い)

上掲リンクの前者、ミス一橋大の情報も掲載されているWebサイト「ミスコレ(上画像)」の運営会社は、複数の女子アナが所属している芸能事務所「古舘プロジェクト*3」だ。

また、広告代理店など、もっと大きな企業による投下資金が、ミスコンに直接的な影響を及ぼしている場合もある。

ある有名私大で、学生だったAV女優がミスコンのファイナリストから事実上排除された例のように、ブランディングマーケティングとして、ミスコンにMtFの学生が出場されては困る人たちがいる──のではないか?

すっかり芸能界への登竜門となってしまったミスコンで、資金を回収しようとしているタニマチの事業計画を、“運営側”の学生さんたちがスポイルできるわけもない。

一橋大のミスコンも、そうしたビジネスの影響下にあるとしたら、どれだけ“ジェンダー教育に熱心”な現場であったところで“ユニバーサルなミスコン”で時代をリードする機会は、遠のくだろう。


しかし、それとはまた別のフェイズも考えた。

運営側(あるいはそのタニマチ筋)が彼女の参加を認めるという譲歩を行ったのは、一種の炎上マーケティングというか、この話題性を逆手に取り、彼女をなんらかの形でメディアにデビューさせる目処が付いたから──というシミュレーションはどうだろう。

例えば、椿姫彩菜がコケたことで不在のままになってる“インテリオネエ枠*4”に送り込む絵が描けたのかもしれない。


その後、椿姫彩菜がこんな発言をしているのを見つけて、妙に考えさせられてしまった。

椿姫彩菜Twitter
 @ayanatsubaki

 そいや確かこの仕事始める前に青学のミスコンにしつこい勧誘にエントリーさせられたことあったなwww懐かしいwwwちょーどーでもよかったけどwww


こうした芸能人の発言を目の当たりにして、大学のミスコンは、青田買い、ステマといったビジネスだけではなく、ある種の意図や政治として、色々なものが動いていそうだと再発見させられた。
おそらく、この一橋祭ミスコン問題は、その発端とはまた別に、今後ビジネスとして様々な絵図や思惑の対象になっていくのだろう。



最後に、

「一橋大のミスコンに出場しようとしている男は、単に女装癖のあるバイセクシャル」

──という中傷があったことに触れておきたい。

この問題は、ジェンダーフェミニズム以上に、セクシャリティーとそのマイノリティーについての微妙な領域のものだ。
だから百家争鳴は当然にしても、ものを言うなら、せめてGIDMtF、男の娘、女装子……といった用語に、誤用混同、また思い込みの無い、最低限の理解をともなってほしいと、強く感じる。

まず彼女は、単なる男の娘(クロスドレッサー=異性装者)ではない。
それに、異性装のためだけに、心身への副作用といったリスクもあるホルモン投与を選択することは、そうそうできるものではない(ソースは彼女本人のツイート


そもそも、

MtF、あるいは男の娘は、男性に対して受け身のセックスを指向するもの”

といった“決めつけ”自体、手ひどい性的偏見だ。

例えば、GID MtF性自認を伴う性同一性障害なのに対して、クロスドレッサー、異性装としての男の娘や女装子は、必ずしも女性としての性自認を伴うわけではない。

また、それらとホモセクシャルは、必ずしも重なるわけではない。

いかなるセクシャルマイノリティでも、異性愛、同性愛、両性愛いずれの場合もある。
それは性的多数派の男女と変わらない。

セクシャリティやそのマイノリティの持つ多様性というのは、性自認性的指向になんの疑問を持つこともないヘテロセクシャル*5とは違い、とにかく複雑だ──といったことに、ほんの少しでも想像力を及ばせてもらえたら──と、ただただ願うばかりだ。

最初に書いたように、この記事はTwitterに書いたものをまとめ、大幅な加筆を加えたものだ。

オリジナルのツイートでも「運営側のタニマチがインテリオネエ枠を狙う?」という下馬評を書いたけれど、彼女本人がTwitter“キャバ”の勤務経験を語っていたことには、ちょっと微妙な感触もあった。
オネエ枠とはいえ、あのタレント、あのミュージシャンの場合も、水商売勤務歴が少し足を引っ張ったこともあるからだ。


そして……そんな下馬評に、椿姫彩菜ご本人がひどくご立腹のようで、即座にこんなメンションがつき、そしてブロックされた。

椿姫彩菜Twitter
 @ayanatsubaki

 あなた失礼じゃないですか?モラルを疑います。

椿姫彩菜がコケたことで不在のままになってる“インテリオネエ枠”──という表現が気にいらなかったのだろう。

同じようなことを、かつてメディアがもっと手厳しい調子で繰り返したときも、彼女はこうして脊髄反射的なリアクションをしたのだろうか。


■椿姫彩菜「わたし、男子校出身です。」

*1:心が女性のGIDで、自分の男性の身体に違和感を持っているケース

*2:MtFと対称的になる概念。心が男性のGIDで、自分の女性の身体に違和感を持っているケース

*3:設立者の一人はもちろん、古舘伊知郎その人

*4:例えば、テレビ朝日Qさま!!」のプレッシャーSTUDYのチーム分けに使われるようなカテゴライズとして

*5:異性愛