2009-01-05 にゃ?
げつよったー。
■[文化][メタ]経済学の数式的表記って、いまいち信用できないわ

あの公式的な式の変形というものは、数量という「数」といったものを基本単位とした概念の中だからこそ通じる操作なんじゃないの? それをアルファベットで記号化している基本単位の条件性を付記してない式的操作なんて意味あるんだろうか。
あれってちゃんと論理的記述文として通じるものなの? 数学的表現の様式としての部分だけ援用して論理性があるように演出してるわけじゃないっていえるのか? ていうか、そこに筋が通ってるなら、わざわざ数式的な式として記述せずに淡々と論理のつなげ方だけ説明していけばいいんじゃね? 記号化した基本単位の意味する性質もわかんないのに、式的な操作だけ進めて論理的だとか、そんなもん検証しようがないと思うわさ。
といっても、自分の中で抱かれているイメージとその圧縮が先走ってしまい、つい余人がついていけない記述を行ってしまうような人もいるだろうと思うし、そういった人の得ている内的な認識は現実に関する動向の把握やその将来予測として高度なものかもしれないという可能性はある。だけど、それってその考えの基本的な部分がわからないようじゃ、そうじゃない現実把握と予測として粗悪なものであるかもしれないという可能性も同程度に等しくあるだろうと考えるしかないわけで、式化を指向するなら、そこで基本条件の明示をしないって、どんだけそれ意味あるんだよってチョー首を傾げたくなった。
厳密性の泥沼にはまるのもアレなんだけど、アバウトすぎる基本設定のままルーチン的思考操作を展開していくっていうのもどうかと思う。
■[経済][社会]内向き・外向き・生存戦略

エントリを読んで思いついたことをつらつらとメモる。
・「内向き」で何か問題でも? (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2009/01/05_1110.php
例えば、中国は現在あまり適切な仕方では統治されていない。
だが、この国は人口14億である。55の少数民族を擁し、少数民族だけで人口1億4千万人いる。それだけで日本の人口より多いのである。
それが「日本と同じように法治されていない」ことをあげつらうのはあまり意味のないことである。
中国の統治制度を非とするなら、それに代わるどのような統治制度がありうるのか、せめてその代案について数分間考える程度の努力をしてからでも遅くはないのではないか。
こういう中国観は、上の世代の人に多い気がするけど、現状の中国の統治構造が不安定だとしたなら、それはやっぱリスクとして考慮されないといけないんじゃないかと。代案を考えるより、現状の中国の統治制度の不安定さが日本のどんな影響を及ぼしかねないかと考えることがせいぜい日本としてやれることの限度だろうし、むしろ日本がいくらそんな代案なんて考えたって、中国にそれを実装するなんて日本人としてはやれることじゃないだろうし、あるいはそれをやろうとして失敗したのが大東亜共栄圏ってことなんじゃないかと思える。
「日本と地政学的地位も地理学的位置も人口数も違う国」で採用したソリューションの成功と比較することにはほとんど意味がない。
にもかかわらず、相変わらず識者たちは「アメリカではこうである」「ドイツではこうである」「フィンランドではこうである」というような個別的事例の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因はあるという語り口を放棄しない。
(略)
興味深いのは、この「日本と比較してもしようがない他国の成功事例」を「世界標準」として仰ぎ見、それにキャッチアップすることを絶えず「使命」として感じてしまうという「辺境人マインド」こそが徹底的に「日本人的」なものであり、そのことへの無自覚こそがしばしば「日本の失敗」の原因となっているという事実を彼らが組織的に見落としている点である。
これは…そうかも? でもこれって上の世代的な問題っぽい。ネットで海外の感性に地で親しみやすくなってしまったネット以降の世代は、そんな海外を異界のように特別視したりするような感覚って薄まってそうなんだけど。
だが、わが日本にはせっかく世界でも希なる「内向きでも飯が食えるだけの国内市場」があるのである。
そこでちまちまと「小商い」をしていても飯が食えるなら、それでいいじゃないか。
こういう話については、小室直樹が「日本殺すにゃ刃物は要らぬ。自由貿易やめればよい」といってたっけなぁ。海外からの原料を輸入して加工品を輸出して、そうして得た黒字の分の富によって国内の豊かさがが維持されているという構造がいまだ温存されているそうだから、この国内市場という人口規模も維持できているらしいっぽい。
もうひとつ。
・「内向き」で問題ないのは売文家ぐらい
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51162200.html
そこでちまちまと「小商い」をしていても飯が食えるなら、それでいいじゃないか。
そんな小商いでちまちまと食えるのは、実のところ、1/100もいればいいほうなのではないか。
残りは大商いしている人のおこぼれに預かっているというのが実像に近い。
"None of our business" はおたがいさまなのだから。
「内向き」でいられるのは、外に向かって体を張っている人たちあってのこと。
なんとなく思ったけど、だけど日本がグローバルという波に乗って世界に開放して全部さらしていくという姿もなんかもったいない。閉じていることの長所が消えることで上っていく安全面や文化的価値(独自性)なんかで発生するリスクやコストをいろいろと考えると。適度に閉じているのは悪くないように思えるわけで。
だから、適切に開くことと閉じることがコントロールされているというのがよさそうな形なんだけど、そうなるとトップ(政府・経済界など)がトップダウンで開閉を決定するというやり方でそれをやるとしたら、そのときそのときのトップに立っている人たちの個人能力頼みっぽくなるようで、それはそれで危うさを覚えてしまう。トップ人材が無能という意味じゃなくて、情報処理の過負荷の配分バランスが過剰に集中しすぎて効率悪そうだという意味で。
となると、庶民でレベルで個人がグローバル(国際社会)に対して閉じたり開いたりを判断するような適応能力が育っていくような流れになるとベターそうなイメージになるけど、具体的にそれってどんなものかというと、まだなんともいえない感じだったりする。
「内向き」ということそれ自体について考えるなら、内向きというものは境界線があってこそ生まれる認識なんだろうし、物流やネットという物理的な境界線が溶け始めてきたことで、そのうち言葉や文化の壁も溶け始めるような時代がやってくるかもしれないから、物理的文化的に境界が消えようとしたときに、どういったメカニズムで自我(アイデンティティ)と世界観(カルチャー)のよりよいイメージを保持できるかという問題が浮き上がってきそうだったり、その要求から世界観における核の構築といった話も出てきたりするといった未来もないとはいえないような気がした。
我ながら抽象的なことを書いてるなー。
■[文化][メモ]世界まるみえ!テレビ特捜部

リオのカーニバル
ブラジル人のお祭り好きは半端じゃない。どれだけお金かけてるんだー!! と思ったら優勝チームは4億円、うあ〜。これって何千人参加してるんだろう、みんな楽しそうだ。でもちょっと形式化されすぎているようなきらいも感じて、そこは惜しい。日本をテーマにしたチームもあって「これどこの日本なんだって!(笑)」と吹きそうになった。これはこれでおもしろいw 招き猫にネコ耳ブラジル娘のコラボとかきものをモチーフにしたもはやどこの世界かわからない謎衣装のエキゾチックさとか、圧倒された。
環境をテーマにしたチームやゾクゾク(ホラーやスキーなどゾクゾク感のごった煮?)をテーマにしたチームなどさまざまあったけど、優勝チームの直球なゴージャスさは400満点中399点というのも納得した。紅白の小林幸子が大人数で行進しているようなものだ。
めも。ブラジル風、おにゃのこへのほめ言葉?
「ボニータ(可愛い)
うろおぼえ〜。もうひとつあった美しいという意味のやつは忘れた。ポルトガル語で美しいって何だっけ?
ラクシュミ
8本の手足を持って生まれたために女神ラクシュミーとして崇められたインドの少女。
うあー、つまり、もう一組の下半身についている動かない手足とその胴体部分って、本当なら双子として生まれてくるはずだったもう一人の赤ちゃんというわけか。
村やそのほかインド各地からやってくる人たちに女神と崇められるも、このままでは死んでしまうからと女神の印となっているもう一組の手足を切断手術するように提案した小児科医師という、この世界観の対立はリアルな陰摩羅鬼の瑕の連想させられる。
■[経済][メタ]苦しさや辛さや危機の解消ビジネス

たとえば、肉体労働が辛いとかいうなら、そういう作業を軽減できるような装置やシステムを作ることができれば、それはビジネスチャンスのように思うし、日本国内で「過剰労働で苦しんでいる人たち」と「仕事がなくて苦しんでいる人たち」がいるなら、これもうまく解消できる方法と見つけるとそれが儲け話にもつながっていきそうな気がするんだけど。
暗いニュースっていうのは、だからある意味チャンスでもあるというのは、そういう「苦しみの解消こそが儲けになる」=「価値ある仕事とみなされる」という経済の原理のようなものがあると思っているから。
日本がピンチだ、ということになると、うまくすればそのピンチを解消することや、ピンチの生み出すだろう苦痛を解消するというビジネスを起こすチャンスだとも思えるので、あとはそういう危機や苦痛の発見及び解決を速やかに行える起業や人材が生まれやすいような土壌の整備をメインに据えながら国の運営を考えてくれるとよさそうに思えるんだけど。政府的に。
といっても、基本的にお金はシステムへの従属度に比例して集まるという性質があるっぽいような気がするんで、そういう苦痛や危機の解消がシステム的によいものだと認知されるようなシステムがまず必要なんじゃないかと思えるし、結局、苦痛や危機というものを感じるのは、その生きている現場の人たちということになるだろうし、そういう苦しみとか危機感みたいなものを声として発信できやすい環境というものがあったらいいのに。
■[社会][文化]世代で分かれる、口伝文化とマニュアル文化

上の世代では「仕事は現場で失敗しながら叱られて覚えろ」という口伝のような感性があるように思うし、若い世代では「とりあえず使い勝手のいい仕様書(説明書)をください」というマニュアル的な感性があるように思える。



http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/07/post_9c9f.html
「肉体」で生まれるインサイダーグループの代わりに、対人的に自分の問題意識とであったそのひとの持っている問題意識があうかあわないかといったことがつみあがって、総体的な動きをもたらすようなイメージ。