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2009-11-06 にゃっふ

[][]「集団最適」と「個人(部分)最適」の調整は、目的となる対象によって決められてくる。 「集団最適」と「個人(部分)最適」の調整は、目的となる対象によって決められてくる。を含むブックマーク 「集団最適」と「個人(部分)最適」の調整は、目的となる対象によって決められてくる。のブックマークコメント

下の3つのエントリは似たようなことについて話していると思う。

・ガタがあるからうまくいく

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/566

「個々の部品が完璧な動作をすることで、系としての動作が完璧になる」なんて考えかたは迷信であって、むしろ「個々の部品に最大の自由度を与えつつ、系としての動作を一定に保つような制約をデザインする」ことを目指さないといけない。世の中で成功している多くのプロダクトが、たぶんこうした方針に沿っているのに、それはしばしば、「改良」が好きな人から見れば、「無駄の多い」ものに見えて、「改良」を受けた結果として、いろんなものに不具合が波及する。

個々のその場所を「よく」することそれ自体は、正義どころか悪徳なんだと思う。「全体の良さ」につながる改良は、むしろしばしば、どこかを「悪く」、「いいかげんに」することで達成される。

 

・ガタに頼ってるとガタが来る

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51317599.html

無駄と余裕に、本質的な違いはないのかも知れない。無駄とは単に「帳尻が合わない」ガタで、余裕とは「帳尻が合う」ガタに過ぎないのかも知れない。余裕がなければ壊れやすい。しかし無駄があっては負けやすい。

システムにガタが必要な場合、その費用は最も立場が弱い者に押し付けられる。いかに社員たちがガタとして機能させられ、その結果ガタガタになるのかは「トヨタの闇」に詳しい。

もしガタが必要なのだとしたら、それは機械にやらせなければならない。

 

・「社会工学」の幻想

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51306242.html

彼らの間違いは、意外に根が深い。それはオーギュスト・コントやベンサム以来の「社会は人工的に管理できる」という操作主義にもとづいているからだ。

(略)

このように漸進的に社会を改良して客観的に正しい状態にする手法は、リスクの高い「革命」よりも妥当な考え方のようにみえる。

しかしハイエクは、親友ポパーの社会工学を「計画主義の変種」だと批判した。どちらが正しかったかは、リフレ派の自爆や最近の財政赤字をみれば明らかだろう。社会工学が失敗する原因は、ポパーが信じたように漸進的に近づいてゆく客観的真理などというものは存在しないからだ。

 

最初のエントリが、厳密化と柔軟性。

「パーツを精密にしても、それら精密なパーツで組まれたシステムこそがもっとも目的を達成する能力を備えているかといえば、あまりそうとはいえなくて、システム全体としての使い勝手はむしろ落ちる場合がある」という話だとすれば。

次のエントリは、全体にとっての無駄と個人にとっての余裕。

「システムにかかる負担は弱いところに押しつけられるので、そこを機械化したらいいだろうし、機械化できない負担ならばあまり押しつけてはいけないだろう」という話だといえそうかと。

で、3番目のエントリは、中央からの命令と現場の判断。

「システムとは中央から少数で全体を完璧に動かせるようなものではない」という主張っぽい。

 

これらをまとめるとするなら、つまりシステムにはさまざまな局面で《二重性》が存在している。だからまず考えるべきは、二重性のどちらの極が正しいかではなく、「どのようにシステムを調整するべきなのか」という命題のようで、この命題の解を導き出すための方法のほうにあるのではないかと。

システムを組んでまで実現すべき「目的」があったり、自分たちのシステムで対処すべき「対象」がいるなりした場合、その「目的」「対象」の存在こそが、自分たちの側のシステムをどのような形に調整すべきかを決定付ける。目的や対象によって、自分たちのあるべき姿が自然と浮かび上がってくる。浮かび上がってくるその姿の実現に失敗してしまったら、敗れるなり滅びるなり死ぬなりして、存在の形として退場する。

 

だから、システムデザインの要となるのは目的・対象を正確に把握する能力なんだろう。

いま自分がやるべき目的を正しく理解するには、自分が何をやれるかという能力の自覚と、自分がどのような環境に置かれているのかという状況の把握が重要になる。

いま自分が向きあっている対象を正しく理解するには、その対象の性質や構造を適切に掴み取りながら、対象と自分との関係をできる限り想定していくしかないかと。

システムデザインにおいて取り組まれるべき問題とは、そのシステムの形をどのようにするかではなく、「そのシステムを使って実現させるべき《目的》/対処すべき《対象》」をいかにして認知し、理解し、決定するかという問題だといえそう。

 

(追記)

書き終わったあとに少し考え直してみたら、われながら非現実的なことを書いてしまった気もした。

このエントリで書いたことというのは、いわば完璧なシステムは必要ではなくて、「ほどほどに目的を達するシステム」なり、「対抗者を出し抜けるシステム」なら問題ないという話なんだけど、実際の日本の企業って自分のシステムを完璧に作り上げるというほうにモチベーションを発揮したがる人が多そうな感じもするし、その完璧願望を生かしながらも、他の誰かが現実路線に修正していくという作業で物事を進めていくのが現実的ぽいのかもしれない。だから、本当に好きなことは仕事にするなとよく言われるわけね。いやまあ、もうちょっと好きなことをモチベーションとして取り込みながら生かしやすい土壌が整っていくといいような気もするけど、それって逆説的な話になるけど、その組織なり仕切ってるひとなりがプロジェクトのベースでしっかりシステム的な条件を押さえて運営された上ではじめて実現されるものではないかという気もするわけで、上がダメだとプロジェクトが破綻しやすいといわれるのはそういう理由なのではないかと。

 

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