わたしが猫に蹴っとばされる理由 〜雑食系中年男子の加齢なる読書日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-05-05

[]高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』読了

 文体が軽くて改行も多いので、あっという間に読了してしまった。前作『悪と戦う』よりテーマを読み取りにくいのだが、小説とはテーマが問題というわけではないからそこにはこだわらない。連作短編だが各作品に流れる現在という時間や自分という存在などを否定したいという悲しい気持ち、そしてそこから生まれる逆説的な、勇気のような感情。デビュー作『さようなら ギャングたち』、そして個人的に気に入っている『ゴーストバスターズ』を超える、不思議な魅力に満ちた作品に仕上がっていると思う。これらの作品が好きな人にはおすすめ。

さよならクリストファー・ロビン

さよならクリストファー・ロビン

高橋源一郎の作品はこちら。

2012-05-04

[]高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン

「星降る夜に」「お伽草紙」「ダウンタウンに繰り出そう」と立てつづけに読んだ。『虹の彼方に』『ゴーストバスターズ』『ペンギン村に陽は落ちて』などで未消化だった部分をこの作品にぶちこんでいる。そんな感じ。ときどき猛烈に胸を締めつけられる。

さよならクリストファー・ロビン

さよならクリストファー・ロビン

高橋源一郎の作品はこちら。

2010-06-02

[]高橋源一郎『「悪」と戦う』読了

 文句なし、二十一世紀の源一郎さんの最高傑作。空想的であること、時代を素直に反映すること、夢や希望に満ちていること、悲しさと正面から向き合うこと、そして自分自身の姿を色濃く反映すること。ともすると文学の範疇から大きく逸脱してしまう要素ばかりだけれど、これらを巧みに取り込む、というよりこれらだけで作品を成立させることで、本作は純文学以上に文学的な作品に仕上がってしまった。いわゆるカッコつきの「文学」ではない、もっと根源的な何かが感じられる。それが何かは、きっと読み手によってまったく違った捉え方をされるのだろうなあ。少なくとも、ぼくには奇跡的な作品と読めた。

 源一郎さん、これを超える作品を書くのは大変かもしれないなあ……。

「悪」と戦う

「悪」と戦う

高橋源一郎の作品はこちら。本作を読んだ人は、絶対に『さようなら、ギャングたち』も読むべし。それから『ゴーストバスターズ』も。

2010-05-26

[]高橋源一郎『「悪」と戦う』

 第一章、第二章ちょびっと。小説家の「わたし」と、利発な長男ランちゃん、そしてまだ言葉を発することのできない次男キイちゃんは、近所の公園の砂場で、顔が奇形の子ども「ミアちゃん」とその母親と出会う。

 ただひたすらに軽い、しかしまじめな、遊びも飾りもほとんどない文体で、ときおりずっしりと重たいことが挟まってゆく。その、ずっしるとした重たいことが、どことなく初期の傑作『さようなら、ギャングたち』に通じるところがある。

「悪」と戦う

「悪」と戦う

高橋源一郎の作品はこちら。個人的に気に入っている作品は、「すばらしい日本の戦争」の恢復の過程を描いた(って言っていいのだろうか?)、とにかくすべてにおいてが衝撃的だった『ジョン・レノン対火星人』、そして「ゴースト」との、あるいはニンゲンが本能的・本質的に抱える何か悲しいものとの闘いを描いた『ゴーストバスターズ』。

2010-05-23

[]高橋源一郎「日本文学盛衰史 戦後文学篇」(9)

 コンテクスト文学論。あるいは、「場」で考える文学論。「場」は、ムーブメント、同時代、流行、そんな言葉で置き換えてもいいかもしれない。電子書籍やiTunesによるコンテンツの流通革命による文学の変質。適応の必要性。細分化の時代。あるいは、時代なき時代。源一郎さんはここに新たな可能性を見出しているみたい。

 いっぱい引用したい部分がある。それくらい今回は内容が濃かった。『ニッポンの小説 百年の孤独』の川崎徹論で違和感を感じてから源一郎さんの作品はすなおに読めなくなってしまっていたのだが、今回は違う! 『さようなら、ギャングたち』や『ゴーストバスターズ』のラストとは別のタイプだけれど、おなじくらい衝撃的な感動、というか感銘を受けた。

 まずは、いきなり源一郎さんの言葉でないものなのだが、作中で引用されていた佐々木俊尚という人の『電子書籍の衝撃』という著作からの引用部分。これもまた別の媒体の引用なのだけれど。ブライアン・イーノのインタビュー。

『もはや音楽に歴史というものはないと思う。つまり、すべてが現在に属している。これはデジタル化がもたらした結果のひとつで、すべての人がすべてを所有できるようになった』

 つづいて、「現代詩文庫」第一次完結の際に源一郎さんが書いたエッセイの引用。現代詩の分野にも、本質的にはイーノが言っていることとおなじことが起きている。ただ、音楽は衰退こそすれども産業的には絶滅はありえないように思えるが、現代詩は産業的にほぼ成り立たなくなっている、という点が大きく異なっているのだが。

 これはとても不思議な風景に見える。ぼくは、ここに収録された視野詩集を、「同時代」の作品として読んだ。そのような読み方しかしなかったのだ。ところが、いま、この文庫を読む若い読者、若い詩人たちは、この百冊を「任意」の巻から読む、歴史や文脈と一切関係なく読むのである。

 かつて、これらの詩集を読んだ時、ぼくは、その「個性」の違いに驚いた。いま、読み返すと、逆に、それらがみな、あまりに似通っていることに驚く。まるで、ひとりの「詩人」が書いた詩であるかのように----。

 まあ、「あまりに似通っている」には異論もあるのだけれど、それはテクニックの問題かもしれない。扱っている主題の底に流れていた何かが、おそらく百冊分、すべておなじものなのだ。

 つづいて、この引用に対する、現在の源一郎さんの考察。時代という前提によって現代詩という分野が、あるいは産業が、成立していたのだと、読者のぼくも再認識。

 ぼくが読んでいたのは、個々の「詩」えはない。「コンテクスト」と「詩」が合成されたなにか、だ。そして、それこそ「詩」にちがいない、とぼくは思い込んできた。

 そして、今回のラスト。小説という芸術形式もまた、他の芸術同様に、作品を通じて行われる他者とのコミュニケーションの一手法なのだ。

 どのような条件の下でも、そこに複数の人間がいて、繋がろうという意思があるなら、小説は生きられる。

 小説とは、共同体のひな型、もっとも小さな共同体であり、やがてやって来る共同体の内実を予見するの力を持っている、とぼくは考える。

 結論を出すのは早すぎる。ぼくたちは、ようやく、自由に読む術を手に入れようとしつつあるのだから。

群像 2010年 06月号 [雑誌]

群像 2010年 06月号 [雑誌]

ニッポンの小説―百年の孤独

ニッポンの小説―百年の孤独

高橋源一郎の作品はこちら。最新作は『「悪」と戦う』

2010-04-20

[]高橋源一郎「日本文学盛衰史 戦後文学篇(8) 「革命」について」

「群像」5月号掲載。文学の、いや芸術の本質である「わからない」ということについてを、武田泰淳の「非革命者」という短篇をベースに語っている。そうなんだよな。文学は、わけがわからない。わけがわからないことを楽しみ、あるいは真剣にそれと対峙することのできるニンゲンが、現代には少ない。あらゆる行動が「消費」すなわち経済行動として位置づけられてしまうと、わからないことは非効率的・非経済的であり、これは資本主義の枠組みの中では自然と淘汰されてしまう。だから芸術は、そして文学は、その大半が淘汰される……。現在売れている小説と呼ばれているものの多くは、物語ではあるが、文学ではないと言えるのかもしれない。

 ……と激しく共感する一方で、そうでもないじゃん、とも感じた。わからないことと真剣に対峙するニンゲンは、少なからず確実に存在している。手前味噌だけれど、ぼくもその一人だと思う。そして現代芸術に携わる多くの人たちもそうだ(彼らは自分たちを決して「アーティスト」とは語らない。でも、表現者という言葉は使うかもしれない)。わからないことをわかろうとし、結局わからないままになる。わからないことを表現しようとし、結局わからないままになる。わかっていることを自分なりに表現しようとし、結局わからないことになる。こんな姿勢をもつ人がいなくならない限り、芸術は、そして文学は、細々とではあるかもしれないが、決して絶えることがない。だから源一郎さん、嘆かないで。

 源一郎さんは、文学のわからなさを解き明かそうとしているようだ。その過程、わからないようでいて、実は案外わかりやすい。答えはないのだが、わかりやすい。さて、果たしてコレは文学なのだろうか。芸術なのだろうか。……むずかしい。わからない。

[rakuten:book:13630031:detail]

ゴーストバスターズ 冒険小説 (講談社文芸文庫)

ゴーストバスターズ 冒険小説 (講談社文芸文庫)

高橋源一郎の作品はこちら。好きな作品のひとつ『ゴーストバスターズ』が文庫化されました。5月には新作も出ます。

武田泰淳の作品はこちら。『富士』と『目まいのする散歩』は必読。

2010-02-13

[]高橋源一郎「日本文学盛衰史 戦後文学篇」第五回 政治家の文章

「群像」二月号掲載。第四回の、内田裕也の流れから武田泰淳へ。確かに泰淳先生の作品は政治的な背景に影響され、というか、そこへの問い掛けが出発点あるいは作品を動かすエンジンになっていることが多いような気がする(そればかりってわけじゃないよね)が、なんで内田裕也シェケナベイベーやねん、という違和感は、読んでいてずーっと感じつづけていた。確かに彼の政治に関する発言は文学的な問い掛けのようで不思議な魅力に満ちているのだけれど、文学文学的なものを同時に語ることの危うさのようなものを、ちょっとだけ感じた。ただ、この方法は源一郎さんが昔から取っているもの、というよりもこの方法こそが創作のエンジンなのだろうな、とは思っていて、これこそが高橋源一郎高橋源一郎であることの所以なのだけれど。他人にはちょっと真似しにくい手法。博学であることと明確な論理性があること、この二点が高いレベルで求められる。

 泰淳論の部分があっさりしちゃったのが残念。まあ、泰淳先生を語ることが目的ではないようだけれど。

群像 2010年 02月号 [雑誌]

群像 2010年 02月号 [雑誌]

群像 2010年 03月号 [雑誌]

群像 2010年 03月号 [雑誌]

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

高橋源一郎の作品はこちら。ぼくが気に入っているのは『ジョン・レノン対火星人』『さようなら、ギャングたち』『ゴーストバスターズ』。

2010-01-02

[]高橋源一郎「さよならクリストファー・ロビン」読了

「新潮」1月号掲載。『さようなら、ギャングたち』や『ゴーストバスターズ』のころに戻ったような作風。これらの作品では創作=虚構の世界で、言葉や文学、そして「書く」ということと徹底的に、本気で、命をかけて戯れていたが、本作では「書く」ことが生きることであり、虚無(絶望ってことかな)に立ち向かう唯一の方法である、と強く訴えている。書くのをやめることは、すなわち死を意味する。ただし、それは虚無との戦いにおける敗北というわけではない。

群像 2010年 1月号 [雑誌]

群像 2010年 1月号 [雑誌]

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

ゴ?ストバスタ?ズ 冒険小説

ゴ?ストバスタ?ズ 冒険小説