五時四十分起床。雨。
早朝から仕事。経理系の仕事や見積を黙々と。某産業用ロボットメーカーの案件を進めるつもりだったが、お金の計算やら振り込みやら銀行への問い合わせやら会計ソフトへの入力やら、あれこれこなしていたら、まったく時間がなくなってしまった。こんなことは珍しい。明日こそは腰を据えて作業するつもり。
小池昌代「魂ぎれ」(「群像」2024年5月号掲載)。50代か60代らしき女性と大学生の若い男の交流を、和歌を交えながら描く連作短編。今回は幻想小説的な雰囲気が強くなっているみたい。
五時四十分起床。今日も朝から忙しい。十二時に昼食を取ることができず、十四時過ぎになってしまった。
十八時、少し落ち着いたのでウォーキングへ。ツツジが鮮やか。桜はほとんどが散り、新緑ばかりの木もある。今年は散る様子をあまり見なかった。
読書は、くどうれいん「背」(「群像」2024年5月号掲載)を少し。ナンパとは少し違う声の掛け方。冷静に考えるとかなりヤバい、ストーカーすれすれという感じなのだが。
五時四十分起床。曇天。休まずひたすら働く日々が続いていたが、ようやく休める程度に状況が落ち着いた。あえて寝坊、という選択肢はないのでいつも通り起床。先日、イチゴをあげたらピュッピュと汁を飛ばしてベタベタになってしまったコジコジの鳥籠をバラして洗った。
朝イチで図書館へ。某企業カレンダーの解説文を書くために借りていた資料十冊を一気に返却。その後、神明通りまで歩いて「あさ市」を覗いてきた。各商店が店先でこの日だけの限定商品や値引きした商品などを売るのだが、竹下通りかよ、と言いたくなるほどの人出。人が多いのは、「ことカフェ」という日貸しのカフェ施設があるのだが、ここでカフェをやりたい人、西荻に店を出してみたい人、などが日替わりで出店するのだが、彼らが自慢のお菓子やパンや飲み物を売るので総じて扱われている商品の質や独自性が高まっているからだと思う。ぼくは桜の花から採れたらしい蜂蜜を一つ購入した。
午後は荻窪で買い物してから義父母宅へ。フキやタケノコなどをいただいた。二人とも元気。今日は録画したという健康番組を見ていた。
OKストアに寄って帰宅。夕食は圧力鍋で牛すね肉のシチューをつくって食べた。
吉岡乾「ゲは言語学のゲ(9) ソシられやすい女たち」(「群像」2024年4月号掲載)。アジアの小さな国のごく一部でしか使われていないマイナーな言語からでも、ジェンダーの問題などが浮かび上がってくるから面白い。これは日本の報道での話だが、被害者は「男性」「女性」だが、加害者は「男」「女」となるのは不思議だが面白い。「本日未明、○○区○○町の路上で00歳・自称○○の男が、同区に住む00歳の女性の首を絞めて殺害しようとしたところ……」みたいな感じ。
五時四十分起床。目覚めの直後に軽くではあるが体のだるさを感じるようになってきた。おそらくここ数週間は多忙で八時には仕事をはじめているというのに、途中に食事休憩や軽いウォーキングの時間を挟んではいるものの、二十二時過ぎまで働くことも度々あり、一般企業ならチェックが入って上司から指導される、という感じなのだろうが、自分は経営者でもあるからそこはお咎めなし。とはいえ体のほうは正直なので、ちょっとケアしとかないと、と思いつつ朝から仕事。
午後は妻がグループ展参加のため外出。僕は残って作業。明日も働かないとダメかな、と思ったが電話やメールがほぼ来ない土曜は集中しやすいせいか予想以上に捗り、なんとか終わらせる目処がたった。
十七時半、ウォーキングへ。ハナミズキ、バラ、そしてツツジ。だが一方でまだツバキも咲いている。空の表情や気温からはすでに冬の気配がすっかり消え、むしろ夏へ勇み足、という感じなのだが、それでもまだなお、残像のようなものは残っている。
妻は外で食べてから帰る、といっていたので、夕食はスーパーでチルドのピザを買い、焼いて食べた。そこそこうまし。
くどうれいん「背」(「群像」2024年5月号掲載)。美術館のスタッフと監視カメラのチェック係の会話。仕事の内容は意外に近い。