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2015-06-07 『ビジョナリー・カンパニー2』の「バスのたとえ」の元ネタはとんで このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 日本人が大好きな経営指南書『ビジョナリーカンパニー2』

には、章扉に「バスのたとえ」が登場する。誰を乗せるべきかが重要だ、と。

 しかし組織論を語るさいよく言われるこの「バスのたとえ」。元ネタがなんなのかを、ほとんどの人は知らない。

 1960年代、LSDを喰いまくり、サイケデリック・ペイントがなされたバスをゆらしてアメリカ各地を旅した集団の"酋長"ケンキージーのことばなのである。

     *

 ジェームズ・C・コリンズとジェリー・I・ポラスによる『ビジョナリー・カンパニー』は、設立後50年以上にわたって繁栄している一流企業を多数調査し、「基本理念を維持し、進歩を促す」「社運を賭けた大胆な目標」「カルトのような文化」「大量のものを試して、うまくいったものを残す」といったヴィジョナリー――先見的な、未来志向の――カンパニーがもつ要素を抽出した本だ。

 もっとも、ヴィジョナリー・カンパニーは時の試練に耐える……はずが、つぶれたりした企業も少なくない。世の中に完全なものはない。

 しかしそれが明らかになって以降も、日本でも信奉者は多い。

 たとえばサイバーエージェントの藤田晋は自伝渋谷ではたらく社長の告白』でこの本との出会いを非常に好意的に書いている。

 藤田晋といえば九八年に「さんぴんキャンプ」に参加していたスーツを着たB−BOYだが、『ヴィジョナリー・カンパニー』には「ORの抑圧」をはねのけ、「ANDの才能」を活かすべし、とある(たとえば「利益を超えた目的」と「現実的な利益の追求」をどちらかではなくどちらも同時に追求する)。ECDの曲をもじっていえば「マス対コア」ではなく「マス&コア」スタイルの経営を説く。

 その続篇『ビジョナリー・カンパニー2』では各章の扉にトルーマンやチャーチル、プラトンラッセルやストラビンスキーといった歴史的な人物たちの言葉が引かれている。

 三章扉に掲載されたのは「だれかを待つわけにはいかないときがある。そのとき参加者はバスにのっているか降りているか、どちらかになる」というケン・キージーの(トム・ウルフクール・クール LSD交感テスト』での!)の発言だ。

クール・クールLSD交感テスト

クール・クールLSD交感テスト

 この本で説かれる「バスのたとえ」を引用する日本のビジネスパースンは多い。

 しかし、本来文脈をどれだけ知って言っているのだろうか。

 映画化もされた小説『カッコーの巣の上で』で知られるケン・キージーがいかにろくでもない(良い意味で)人物だったかは、マーティン・A・リーとブルース・シュレインによる『アシッドドリームズ CIA、LSD、ヒッピー革命』などに書いてある。

 1964年にサンフランシスコからニューヨーク万博までをLSDをばらまき、エクスペリエンスを共有しながら旅した人物である。

「偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は、まずはじめにバスの目的地を決め、つぎに目的地までの旅をともにする人びとをバスに乗せる方法をとったわけではない。まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、その後にどこに向かうべきかを決めている」といったように『ビジョナリー・カンパニー2』ではしきりにバスのたとえが出てくるが、それがすべてケン・キージーのサイケデリック・バス旅行念頭においていると考えると……なかなかすごい経営指南書なはずなのだ

 ほかにも「ビジョナリー」と名のつく本を読むと、先見の明をもつとされるビジョナリーのありかた、心のもちようは変性意識状態(アルタード・ステイツ)、一言でいうとドラッグをきめたときの精神状態に関係していることがわかる。

 これ、本当。

 マークアレン『ビジョナリー・ビジネス』ではオルダス・ハクスリー永遠哲学』が参照される。ハクスリーといえばSFファンには試験管ベイビーの誕生幸福管理社会を予言した『すばらしき新世界』の著者として、そしてロック好きには「ハートに火をつけて」のドアーズ名前の由来になった『知覚の扉』――幻視詩人ウィリアム・ブレイクをてがかりに幻覚物質体験について率直かつ哲学的に書いた書物――の作者である。

ウェブ進化論』の梅田望夫もシリコンバレーの成功した起業家たちをビジョナリーとしてとりあげるが、たとえばアップルの創業者スティーヴ・ジョブズが若かりし日にインドを旅し、LSDを服用し、禅に傾倒していたことはよく知られている。

 偉大な企業の経営者の目線マインドは、ハクスリーやキージーといった意識革命の先駆者が体験し、称揚していたものに近い(っぽい)。

 もちろん、ドラッグを摂取しなければヴィジョナリーになれないわけではないし、摂取してもなれるわけではない。

 ただ、常識から解き放たれた「意識の拡大」状態でものごとを視ること、目先のことにとらわれず、ふりまわされないホールアース認識をもつことが「世界を変える」(とジョブズや梅田望夫はよく言うけれど)力をもつ企業を築く前提になっていた(ようだ)。

 60年代に爆発したカウンターカルチャー(たとえばサイケデリックス)の成果が、アメリカではビジネスの世界にも流入している。

 それは矛盾でも転向でもない、きわめてアメリカ的な〈1968年革命〉のありようだった。

 というか『ビジョナリー・カンパニー2』で説かれる相矛盾したものをともに追求せよ(「OR」ではなく「AND」の法則)、というのは、リチャード・バーブルックとアンディ・キャメロンがシリコンバレーの起業家やハッカーたちを「ヒッピーとヤッピー野合」(「カリフォルニア・イデオロギー」)と揶揄した二重性そのものだ。

 カウンターカルチャーが華々しかった時代青春経験した世代(日本で言えば団塊の世代)が社会にでたあと成し遂げたものが大きく、そしてまだまだ若く、異様に元気なのは意図せずしてこの「AND」の法則を実践していたからだと思う。そう、マルクス主義史的唯物論)においても「矛盾」の重要さが説かれていた……。

 既成権力や企業が腐っている、間違っていると思ったら、自分で、自分たちで変えていくしかない。

 ビジョナリーはひとをだましてでも目先の利益をもとめる守銭奴ではない(というか、世の中バカではないから、ひとをだますような会社はいつかかならずしっぺがえしを喰う)。

 ビジョナリーは意識革命を経たマインドで、根幹理念とおおきな目標をもつ。ビジネスで成功することとは、つまるところたくさんのひとに求められること、求めに応じられるということにほかならない。

 反体制的な心性から生まれたものが、単なる反発のための破壊ではなく、オルタナティヴとしてきちんと世の中に広く受け入れられるとき、それが「世界が変わる」ときだ。

 ビジョナリーは起業し、そのプロダクトによって世界を変えてきた。

 こういうことを言うと「意識高い」などとくさされる。

 だが本来の「意識高い」はガチのhigher self、アルタードステイツに覚醒した状態を指していたはずなのだ。

『ビジョナリー・カンパニー』シリーズで説かれる「大きな理念を持て」という話と「バスのたとえ」は、本来、そういう文脈でつながっていた。

 くそまじめなおじさんが「バスのたとえ」を出したら、ググって極彩色したケン・キージーの画像を見せてあげるといい。

(よくもわるくも)とんでもない話だよ。

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