2006-05-21
■[MEMO]デジタルデータの脆弱性
以前、データセンターで働いていたときに、とある無料ホームページのWEBサーバーのハードディスクがクラッシュし、復旧しなければならない事態が発生した。この時に得た教訓をここにいくつか記しておく*1。
無料サービスの限界
この件で、まずはじめに問題となったのはバックアップが無い、ということだった。無料ホームページというのは財政的にもギリギリの路線で経営をしているところが多い。だから設備投資にも当然しわ寄せが来る。バックアップのための契約もしていないし、セカンダリのハードディスクもバックアップ用には使用できなかった。
次に、機材そのものが古いという点が挙げられる。使い古しのサーバーを流用し、ハードディスクも使用期間が長いものが使われていたようで、クラッシュするのも時間の問題だったはずだ。設備そのものに投資できない無料サービスの限界をここで感じた。
デジタルデータの脆弱性
これは推論だけど、現在、紙よりもデジタルのデータの方が保存が利くという考えが一般化している嫌いがある。確かに場合によってはデジタルデータの方が有効である時もあるかもしれない。けれども、デジタルデータ万能主義的考え方は、その根本的な問題点を見落としてしまうという意味でも問題だ。データそのものの交換性の問題も勿論あるし、例えばファイルシステムだって将来のものが現在のそれと交換性があるのかは予測できない。そういった意味での脆弱性がまずある。そして、物理的な脆弱性、つまりクラッシュの可能性というものも存在する。
クラッシュしたサーバーにホスティングされていたWEBサイトの一つを、私はたまたま知っていた。知り合いのWEBサイトが、そこにはあった。だから、そのサーバーのハードディスクがクラッシュしたとの知らせがあったとき、他人事ではないと直感した。そして何より、私はそのWEBサイトが好きだったから、そのサイトがサーバー上から無くなってしまうことが、あたかも誰かがこの世から消えてしまうかの如く感じられた。それはちょっと不思議な感覚でもあった。
インターネットは個々人の内面的な感情を世界中の人に表明できる人類史上初めてのツールだ。その弊害もいろいろと指摘されていて、私自身考えるところはあるけれども、今はそれは割愛する。とにかく、WEBサーバーには人々のそういった内面がぎっしり詰まっている。管理者側の視点からすると、それは一種独特な雰囲気がある。こう言ったら怒られるかもしれないけれど、WEBサーバーという世界を見渡す神様みたいな存在になれる。個々のユーザーは神様の存在を知らないけれど、私からは個々のユーザーが見える。そういう特権的な存在。ただ、自分だって会社にアルバイトとして雇われているだけの人間で、それはあたかもお釈迦様の手のひらの上を世界全部だと勘違いしている孫悟空のような存在なのだけれども。
ということで、ある日そのWEBサーバーのハードディスクがクラッシュした。私はそのハードディスクのデータ復旧を任された。サーバー・ルームから管理室へサーバーを運び、とりあえず起動させてはみたが、ハードディスクを読み込むことができない。ファイルの不整合といったソフト上のエラーであれば復旧は容易なのだけれど、I/Oエラーが続出していたということはハード上の問題で、つまりハードディスクそのものが壊れかけていた。サーバーに別のハードディスクを繋ぎ、壊れかけているハードディスクから新しいハードディスクへのデータを移行を行なった。数時間かけて行なったその作業の間、私は祈るような気持ちでいた。
幸い、全てのデータが消失する最悪の事態は免れたけれど、何人かのユーザーのデータは復旧できず、サルベージも試みたけれども、結局戻ってはこなかった。
WEBサイトというのは便利なシステムで、ユーザーのデータはユーザー自身のコンピューターにも勿論保存してある。だから、私が採った行動は、コンテンツが消失してしまったユーザーに対してお詫びのメールを送信し、再度WEBのコンテンツをアップロードしてもらうことだった。それは簡単な作業に思われるかもしれないけれど、預かったサーバーを完全に復旧できなかった事実は、自分にとってはちょっとした衝撃だった。*2
だから、このトラブル以降、私はデジタルデータに対する信頼を失ってしまった。RAID5だろうが、NASやSANといったネットワーク・ストレージであろうが、確かにそれらによって可用性は増すけれど、それがデジタルデータであり、機材が常に故障の危険に晒されていることを考えると、どうしてもそこに100%の信頼を託すことができなくなってしまう。それに、今後セキュリティの問題も重要になってくるはずだ。
情報ストックと情報フローの関係
例えば漫画であれば、週刊誌は今度デジタル化し、PDAなどに配信されるようになると思うけど、単行本は相変わらず紙媒体で出版されるのだろう。現在書籍の出版量は膨大な数に上っているけど、情報フローとしての書籍を全てデジタル化すれば、その規模はかなり縮小するはず。けれど、情報ストックは本(紙)として保管する必要がある。フローとしての情報と、ストックとしての情報を振り分け、何を保存していくかということを真剣に考えなければならない時が、近いうちに必ずやってくる。
ただ、そもそも情報フローだけに注目し、情報ストックの重要性を軽視し続けてきた日本が、今後情報ストックの重要性に気付き、本の大切さを再確認するまでには、相当の時間と努力が必要であるのも事実だと思う。
それに、ネット上ではデータを溜めていくことが容易だから、前提条件である「フロー」と「ストック」という境界線そのものが消滅してしまう。これはネットで情報を扱うようになって出現したまたもう一つの難しい問題。
無常な世界。
例えば50年後の世界を考えて欲しい。今目の前にあるWORDのドキュメントは、50年後でも読み出し可能だろうか。確かに5年か10年先であれば、今のWORDでも大丈夫かもしれない。だけど、50年後に今のコンピュータの仕組みがそのまま残っているとは思わない。絶対に。つまり、ソフトの互換性の問題と、ハードの耐久性の問題があって、実はデジタルデータはかなり脆弱なのである。
だから、IT化が叫ばれる今だからこそ尚更、本の重要性を改めて考え直す必要がある。
「あなたのハードディスクを本にします」
というビジネスが今後生まれると思う。今のところ、AdobeのAcrobatは紙をデジタルデータに変換することをメインに使用されているけれど、今後その使用形態が逆にもなる可能性が十分にある。*3
ここまで紙の重要性を強調する人間が、10年後にどのような扱いを受けるのかが楽しみだったりする。
「おじさんは考え方が古いね。」
と自分よりも10歳くらい若い人たちに言われることになるのかもしれない。でも、それでもいいと思う。私はデジタルデータを信用できない。それはそれまで安全だと信じていたデジタルデータが自分の目の前で消失してしまったからだ。そのリスクを常に背負いながら生きていけるほど、私の心臓は強くない。
*1:これは2002年12月24日に書いた文章。blogが一般化する前の様子を残したいから、敢えて修正はあまり入れてません。追加事項は脚注にコメントとして入れてあります。
*2:これはHTMLファイルを個々のユーザーが手元のパソコンで作成し、FTPでアップロードしていた時代の話。今ははてなやmixi、その他さまざまなサービスはサーバー上でコンテンツ管理が完結しているから、このとき書いたこととは別の問題が出てくるのだろうな。
*3:実際、ブログを本にするサービスが始まった。これは単に商品として売るだけでなく、情報の蓄積を紙で行うという意味で重要だと思っている。
http://d.hatena.ne.jp/anhedonia/20060521 で「実は、紙は燃えにくい。」という指摘がありました。id:anhedoniaさん、ご指摘ありがとうございます。
- 125 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=デジタルデータ&lr=
- 108 http://search.yahoo.co.jp/search?p=デジタルデータの意味&tid=top_v2&search_x=1&y=9&ei=UTF-8&pstart=1&fr=top_v2&b=11
- 96 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=DVXA,DVXA:2005-45,DVXA:ja&q=デジタルデータ
- 87 http://b.hatena.ne.jp/hotentry
- 72 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=ディジタルデータ&lr=
- 66 http://www.google.co.jp/search?q=デジタルデータ&hl=ja&lr=lang_ja&start=10&sa=N
- 43 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=ディジタルデータ&lr=&aq=f&oq=
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