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2006-05-22

[]TRON問題と日米通商摩擦について。

まえがき

以下の文章は2002年12月に作成したものです。現在TRONはNTT Docomoiモードに搭載されたことでその名を知られることになりましたし、RFIDユビキタスコンピューティングでもTRONが利用されています。以下はそれ以前にTRONがおかれていた状況を調べてみたレポートです*1

1、テーマ

ネオ・テクノ・ナショナリズム*2の一面は、国益を優先するのみのテクノ・ナショナリズムだけでも、グローバル・インタレストのみに寄与するテクノ・グローバリズムだけでもなく、国際法における効果理論を元にした他国の過剰な市場介入を防ぎつつ、国際協力を図るプロセスにもあると考える。米国は効果理論の考え方を元に、他国に対して内政干渉とも言える介入を行ない、経済的な制裁を加えている*3。効果理論とは、外国人の国外行為であっても、内国の秩序に対しておよそ「直接、実質的で予見可能な効果」を与えるものと認定される限り、これに国内法の域外適用を行なう考え*4で、米国はしばしば経済法令などでこの理論を適用し、他国の市場に介入してきた。

グローバリズムという言葉が一般化しつつある現在にあっても、国境という枠組みはまだ無くならない。そして、一方に各国法の域外適用の問題があり、もう片方に各国間の国際協力がある*5

このレポートでは1989年にUSTR(米通商代表部)と日本政府との間に発生したTRON問題の経緯を追いながら、その当時の日本政府にどのような政策が必要であったかを考え、そのことを通じて先端技術が国家間の対立の可能性にどのような影響を与え得るのかを論じてみたい。

2、TRONとは何か

TRONはThe Real-time Operating system Nucleusの略で、理想的なコンピュータアーキテクチャの構築を目的として、1984年東京大学の坂村健博士の提唱した新しいコンピュータOS仕様であり、その究極のゴールは「どこでもコンピュータ環境」の実現であった*6。その仕様はオープンアーキテクチャを採用し、誰でも自由に製品を開発し市場に参入できるようにした*7。TRONプロジェクトの目標は、全く新しい考えに基づいて新しいコンピュータ体系をゼロからつくるということに相当した*8

TRONにはその用途別に幾種かの仕様がある。組み込みシステム用リアルタイムOS仕様であるITRON(Industrial-TRON)、パソコンワークステーション用のOS仕様とその関連仕様のBTRON(Business-TRON)、TRONを実現するのに最も適したマイクロプロセッサとして設計されたTRONチップネットワークを管理し、分散制御を行なう規格、MTRON(Macro-TRON*9)などがある*10

上記の仕様の中で、1989年の日米通商摩擦の際にTRON問題として米国から貿易障壁の対象項目として挙げられたのがBTRONであった。

3、TRON問題とは何か

1987年、東京大学の坂村健教授が提唱したBTRONと呼ばれるOSを、文部省は1989年から導入予定だった教育用パソコンの標準規格として採用することを決定した*11。翌1988年には試作機が完成*12、BTRONを搭載した教育用パソコンの導入計画は順調に進んでいるかのように見えた。

しかし、1989年4月27日、米国のUSTRが発表したNTE(外国貿易障壁報告書)において、TRONは貿易障壁の対象項目として挙げられた*13。米国にはTRONが将来的に日本市場を席巻し、自国のOSが競争力を弱める可能性があるとの危機感があった。NTEではBTRONの教育用パソコンへの採用に関し、日本政府がTRONの開発に協力することは政府の市場への介入だと批判した*14。結局、スーパー301条の適用対象からは除外されたものの*15、文部省は結局BTRONの教育パソコンへの採用を断念*16、BTRONの開発は頓挫することとなった。

これが、日米通商摩擦の狭間で起こったTRON問題の大まかな流れである。同年1989年8月2日、日本電電(NTT)がCTRON*17準拠を交換機や通信用コンピュータなどの国際調達の条件にしたため*18、TRON計画そのものが無くなることはなかったが、USTRの介入によりBTRONの教育パソコンへの採用や、一般のパソコンへの普及の道は閉ざされてしまった。TRONの公式ホームページには、「スーパー301条候補品目、BTRON PC開発断念」とだけ記してある。*19

TRONは、1989年のNTEレポートにおいて、マイクロソフトMS-DOSや、IBMOS/2UNIXといった米国のOSの長期的なシェアに対して多大な影響を及ぼすと指摘されている*20

つまり、USTRは単にB-TRON仕様のパソコンを文部省が調達することが日本政府の市場への介入だとして批判したのみではなく、TRONを米国産OSに対する対抗勢力と見なし、その勢力を押さえつけるために政治的に圧力をかけたのである。日本政府はTRONの技術的な先駆性に気づくことができず、不必要な妥協をしてしまったのである*21

4、国益を重視できるグローバリズムへ:誰のための利益か?

TRONの魅力はそのOSにあるのではなく、坂村教授の提唱する「どこでもコンピュータ」という未来像にある。坂村教授にはコンピュータが自動車と同じようにユーザーにその内部構造を意識させないで使える便利なツールになって欲しいという願いがある*22

コンピュータが今後人びとにとって優しいツールとなるためにも、日本政府は二度と過去の過ちを繰り返すことなく、この日本生まれのTRONを対外圧力から守り、発展させていく義務がある。

グローバリゼーションが進行している現在でも、保護主義政策の重要性は変わっていない。それが、ネオ・テクノ・グローバリズムの世界ではないだろうか。国際電気通信連合ITU)の事務総局長、内海善雄氏は雑誌上のインタビュー*23の中で、「アングロサクソンの世界では、交渉には表と裏があり、いかにも正当性があるようなことを言ってきても、その裏には自分たちの利益がある。にもかかわらず、日本は表の部分だけをとらえてしまう。もっと交渉をうまく進める必要がある。」と述べている。TRON問題に関しても、米国の意図がどこにあったのかを、日本政府は見抜けないまま妥協してしまったのではないだろうか。

TRON問題に関して、日本は米国の効果理論を行使した過剰な干渉行為に対して、GATTに提訴するといった方法で、米国の干渉行為に対抗できたはずである。

米国の政策に追従するのみの外交政策や、技術を軽視し政治的に物事を解決する態度を日本政府が改めない限り、同様の問題は今後も発生していくものと思われる。

効果理論の適用により、米国の日本国内産業への過度な介入が行なわれている。今必要なのは、日本政府が国益として国内産業を守り、その健全な育成を助長していくことにある。それは、グローバリゼーションが進行する現在の国際政治経済の環境下で、いかにして国家としての利益を日本国政府が理解できるかにかかっている。

日本政府の技術への正当な理解とその育成のための政策を求む。

添付資料1

1985年から1991年まで日本経済新聞社の4紙(日本経済新聞、日経産業新聞日経流通新聞MJ、日経金融新聞)に掲載された主なTRON関係の記事の一覧

1985-11-13 ソフトウェア激動期(5)TRONプロジェクト――電算機、日本語母体に

1986-04-02 TRON、90年代の標準機めざす――独自OS相次ぎ登場、来春にはパソコンも

1986-06-17 電子工業振興協会、「TRON協議会」設置――日立など8社が参加

1986-11-20 32ビットへの挑戦・パソコン新時代(上)同床異夢TRON連合

1987-03-27 日の丸OS「BTRON」、天下取れるか――販売状況の混乱に乗じマ社の牙城に挑む

1987-05-09 TRON協、米社加盟拒否――「国産育成」の建前が壁、個人参加も難しい状況

1987-06-07 離陸TRON計画――TRON協議会代表金原和夫氏

1987-08-28 教育用パソコン標準仕様――B−TRON有力

1987-10-06 教育用パソコンTRON規格で決着へ、日電が歩み寄る――標準試作機開発に同意

1987-12-28 追跡87年、情報産業――パソコン

1988-02-02 トロンコンピューター、日本の国際貢献モデルケースに――世界4000言語に対応

1988-03-10 「B―TRON」パソコン、11社が教育用試作機――日電は5月

1988-03-24 出遅れ日電に王者の余裕――教育用パソコン試作機納入延期、TRONに「待った」

1988-05-10 ギャラクシー対トロン――張り合う東大助教授産業界リード

1988-10-24 坂村健氏――夢のトロンで未来を伝道(日本の個性)

1989-01-10 BTRON(産業一語)

1989-04-30 89年度USTR貿易障壁報告、対日分の要旨――政府調達、外国社を差別

1989-04-30 USTR報告・産業界、困惑と反発――東京大学助教授坂村健氏、事実誤認

1989-04-30 日本の「慣行」に挑むブッシュ政権、対日通商政策鮮明に、ハイテク成長けん制も

1989-04-30 日本の貿易障壁34項目、米USTRが報告書――半導体や流通制度

1989-05-05 米の対日制裁リスト、関連企業、当惑と憂慮――スーパーコンなど、一方的措置と反発

1989-05-13 政府、来週以降に制裁回避へ米と大詰め調整――トロン、「外資も協会に参加」

1989-05-15 スーパー301条・沸騰する日米摩擦――米国の本音、ハイテク脅威論(インサイド)

1989-05-15 新局面の日米通商摩擦、スーパー301条の衝撃走る――適用5項目以下か(シナリオ)

1989-05-15 米の対日制裁リスト、関連企業、当惑と憂慮――スーパーコンなど、一方的措置と反発

1989-05-18 政府、トロンで米に説明

1989-05-18 提唱者、「トロン計画、開放的」――USTR代表に抗議文

1989-05-24 日米摩擦ミクロの深層(7)トロン――米、貿易障壁と批判、協会は外資系の参加期待

1989-05-26 スーパー301条、米、日本を名指し――スーパーコンなど3項目

1989-05-26 スーパー301条適用、米、日本たたき鮮明に――対話重視の姿勢、構造調整迫られる

1989-05-27 TRON――期待される国際基準、検索はマニュアルで(技術戦略ガイド

1989-05-27 スーパー301条激化する摩擦――米、成果監視を強化へ、対日市場参入拡大に拍車

1989-05-27 スーパー301条対日適用、味方少な過ぎる日本――記者座談会

1989-05-29 米スーパー301条、「不公正国」名指しは誤算――構造調整焦点に

1989-06-07 デル・コンピューター社長マイケル・デル氏――「トロン」は無視

1989-06-12 教育用パソコン、BTRON採用断念、文部・通産両省――摩擦にも配慮

1989-06-13 教育用パソコンBTRON後退――出発から坐折の芽

1989-07-03 TRON計画の展開――東大助教授坂村健氏

1989-07-30 USTR次席代表会見、光ファイバー・高品位TV――通商交渉で注視

1989-07-30 ウイリアムズUSTR次席代表会見の要旨

1989-08-03 NTT、「CTRON」を採用――通信機器、国際調達でも条件に

1989-08-03 NTT、CTRON採用――ISDN国際調達基準に

1989-08-15 日米ハイテク摩擦の実像(1)トロン――見えない技術に先手、生みの親は世界に開放

1990-03-31 90年版USTR貿易障壁報告、対日分要旨

1990-03-31 米USTR、日本の貿易障壁35項目発表――アモルファス合金、果実など

1990-07-26 第4部なお続く対米依存(3)OSは「欧米文化」の産物(日米産業共存への道)

1991-04-22 規格変動を追う(1)今なぜ企業を揺るがすのか――新技術が解決する

添付資料2 TRONの概略史*24

1984 東京大学坂村健博士により提唱 TRONプロジェクト発足

オープンアーキテクチャをベース

ITRON、CTRON、BTRON、TRONチップ開発

1986 TRON協議会が産学協同プロジェクトとして発足

1988 社団法人トロン協会発足

1989 BTRONを文部省が教育用OSとして採用

⇒スーパー301条候補品目、BTRON PC機の開発を断念

1990年代 ITRON 日本の組み込みOSの35%以上のシェア

BTRON 17万字の日本語漢字を含むOS、超漢字の発売

CTRON NTT購買国際標準

TRONチップ 国内半導体メーカーマイコンチップとして事業化

2000 独立したスーパーパーツからネットワークソリューションへ

eTRON、T-Engineの実用化、超漢字の地域情報システムへの展開

*1:Spiegelさんが2002年以降のTRONの動向について書いて下さっています。
http://www.baldanders.info/spiegel/log/200605.html#d22_t1

*2山田ネオ・テクノ・ナショナリズム―グローカル時代の技術と国際関係 有斐閣2001年、19-21頁

*3石黒一憲 国際摩擦と法―羅針盤なき日本 信山社、2002年、51-53頁

*4山本草ニ 新版 国際法 有斐閣、1994年、235頁

*5:石黒一憲 国際摩擦と法―羅針盤なき日本 信山社、2002年、102頁

*6:TRONプロジェクトの年次的経緯については添付資料の2を参照

*7:「Overview」、TRON公式ホームページに掲載(http://www.tron.org/tronproject/tp_view.html

*8坂村健 TRONからの発想 岩波書店1987年、64頁

*9:現在は超機能分散システム、HFDSと呼ばれている
坂村健 ユビキタス・コンピュータ革命―次世代社会の世界標準 (角川oneテーマ21) 角川書店、2002年、71頁

*10:坂村健 TRON概論 共立出版1988年、2-25頁

*11日本経済新聞教育用パソコン標準仕様――B−TRON有力。」、1987年8月28日朝刊、11面
日本経済新聞「教育用パソコンTRON規格で決着へ、日電が歩み寄る――標準試作機開発に同意。」、1987年10月6日朝刊、8面

*12:日本経済新聞「「B―TRON」パソコン、11社が教育用試作機――日電は5月。」、1988年3月10日朝刊、9面

*13:日本経済新聞「89年度USTR貿易障壁報告、対日分の要旨――政府調達、外国社を差別。」、1989年4月30日朝刊、3面

*14:United States Trade Representative, “The 1989 National Trade Estimate Report on Foreign Trade Barriers”, 1989.

*15:日本経済新聞「スーパー301条、米、日本を名指し――スーパーコンなど3項目。」、1989年5月26日朝刊、1面

*16:日本経済新聞「教育用パソコン、BTRON採用断念、文部・通産両省――摩擦にも配慮。」1989年6月12日夕刊、1面

*17:「CTRON」。TRON公式ホームページに掲載、(http://www.tron.org/tronproject/tp_ctron.html

*18:日本経済新聞「NTT、「CTRON」を採用――通信機器、国際調達でも条件に。」、1989年8月3日朝刊、10面

*19:「トロンプロジェクトのご紹介 (2002.4.11 改版)」。TRON公式ホームページに掲載
http://www.assoc.tron.org/spec/intro_20020411.pdf

*20:United States Trade Representative, “The 1989 National Trade Estimate Report on Foreign Trade Barriers”, 1989.

*21:石黒一憲「ボーダーレス・エコノミーの法的視座」、『貿易と関税』(財)日本関税協会、2002年3月号、62頁

*22:坂村健 TRONからの発想 岩波書店、1987年、13頁

*23:「国際交渉で負け続ける日本 裏を読むしたたかさを持て」週刊ダイヤモンド、2002年12月7日号、111頁

*24:「トロンプロジェクトのご紹介 (2002.4.11 改版)」。TRON公式ホームページに掲載、2002年12月9日アクセス
http://www.assoc.tron.org/spec/intro_20020411.pdf

kyara-okyara-o 2013/11/19 14:02 いま、また、ガラパゴスなどという揶揄から抜け出て、トロンのシステムが、世界に羽ばたこうとしている。

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