スラウェシ地域研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

京都大学東南アジア研究所:スラウェシ科研のサイトへ
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2005-04-29/Friday

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  • 現在、スラウェシ科研の調査研究活動で、マカッサルに滞在中の島上宗子さん(いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク)からのお知らせです。

スラウェシ島北スラウェシ州ブイヤット湾では、頭痛・皮膚病・腫瘍など健康障 害をうったえる住民が相次ぎ、付近の金鉱からの排水による環境汚染の疑いが浮 上し、「水俣病ではないか?」とインドネシアの新聞やテレビで頻繁に取り上げ られました。日本政府も原因解明のための専門家を派遣するなど協力してきまし た。

マカッサルを拠点として活動しているNGO「MKS(Media Kajian Sulawesi)」は、水俣で何が起こったのか、水俣の経験から何が学べるのか、を学ぶよい題材として、原田正純さん(熊本学園大学教授)の『水俣病』(岩波書店、1972)をインドネシア語に翻訳、"Tragedi Minamata"として出版しました*1

今回、"Tragedi Minamata"の出版を記念し、著者の原田正純さんをはじめ、松井さん、島上さんがマカッサルに集まり、環境問題と地域社会の取り組みについてディスカッションをおこないます*2

なお、MKSには、スラウェシ科研のメンバー島上宗子さん(いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク)、松井和久さん(日本貿易振興機構アジア経済研究所)、岡本正明さん(京都大学東南アジア研究所)、Agnes Rampiselaさん(ハサヌディン大学教員)などが設立に参画しています。

スラウェシ科研(京都大学東南アジア研究所+ハサヌディン大学)は幅広いスラウェシ地域研究の試みとして、今回の島上さんの活動を支援しています。

以下は、ハサヌディン大学でおこなわれるディスカッションの案内と、MKSによるプレス・リリースです。

なお"Tragedi Minamata"は、こちら(no title)でも紹介されています。

Diskusi Spesial

Pada tgl. 4 Mei, 2005, Pukul 9:00 WITA, diadakan acara peluncuran buku dan diskusi tentang "Tragedi Minamata" di Gedung PKP UNHAS.

Sebagai pembicara, Prof. Dr. Masazumi Harada (penulis buku "Tragedi Minamata") dari Jepang akan hadir di acara tersebut.

Acara kegiatan ini sebagian didukung oleh project "Sulawesi Area Studies".

Prof. Dr. Harada adalah seorang akademisi/medical doctor sangat terkenal di bidang lingkungan hidup di Jepang. Pernah dianugerahi "Global 500" (UNEP) dsb.

This will be a very precious opportunity. I hope many will join this seminar.

Saya lampirkan Press Release dari MKS (Media Kajian Sulawesi) tentang acara ini.

Motoko Shimagami

PRESS RELEASE

Diskusi & Peluncuran Buku

Tragedi Minamata

Karya Prof. Dr. Harada Masazumi

Kasus Buyat, Sulawesi Utara, membuka mata kita: betapa berbahaya pencemaran lingkungan. Korban jiwa dan kecacatan permanen yang diakibatkannya sudah muncul ke ruang publik. Berbagai pihak pun mulai angkat bicara, menembak berbagai pihak yang dianggap sebagai kambing hitam, berdasar fakta dan dugaan. Sontak, Indonesia diramaikan dengan pembicaraan tentang Penyakit Minamata.

Tak pelak, kasus ini mencuatkan nama sebuah kota di selatan Jepang, Minamata. Di kota inilah, beberapa dasawarsa silam, terjadi bencana mengerikan akibat polusi merkuri dari pabrik kimia. Malapetaka polusi merkuri di kota itu menimpa beberapa generasi di beberapa pemukiman di seputar Teluk Minamata, bahkan hingga mencapai kota-kota di sekitar Laut Shiranui.

Media Kajian Sulawesi (MKS) sebuah organisasi yang bekerja mengumpulkan dan menyebarluaskan studi-studi tentang Sulawesi dan diasporanya. Misi MKS adalah turut serta membantu masyarakat lokal menemukan jati dirinya dalam proses pembangunan menuju kemandirian yang lebih tinggi di dalam masyarakat global yang bermartabat. Media Kajian Sulawesi (MKS) bekerja sama dengan Association Medical Doctors of Asia (AMDA) Indonesia dan Center for South-East Asia Studies (CSEAS) Kyoto University akan melakukan sebuah acara yang berkaitan dengan kasus Buyat dan penyakit Minamata. Acara tersebut diberi nama Peluncuran dan Diskusi Buku Tragedi MinamataKarya Prof. Dr. Harada Masazumi. Acara ini akan dilaksanakan di Pusat Kegiatan Penelitian (PKP) Universitas Hasanuddin Makassar, Rabu 04 Mei 2005, Pukul 09.00 WITA. Sebagai pembicara dalam acara itu, akan hadir penulis buku Tragedi Minamata, Prof. Dr. Harada Masazumi, dari Jepang.

Buku Tragedi Minamata karya Prof. Dr. Harada Masazumi (diterjemahkan dari versi Bahasa Inggris Minamata Desease dalam Bahasa Jepang, Minamata Byo) dipenuhi deskripsi mengenaskan tentang korban, tentang kekeraskepalaan pihak pabrik penyebab tragedi, tentang rapuhnya ilmu kedokteran dalam memecahkan misteri penyakit minamata, serta kebebalan dan kelambanan pemerintah dalam menghadapi persoalan masyakat ini. Buku ini diterjemahkan ke dalam Bahasa Indonesia semata-mata dimaksudkan untuk menjadi bahan kajian dan pembelajaran bagi masyarakat luas untuk mencegah kejadian di Minamata muncul di Bumi Indonesia, mengingat banyaknya industri yang berpeluang mencemarkan sungai, danau dan laut kita.

Media Kajian Sulawesi dengan ini mengundang pihak-pihak terkait dalam bencana pencemaran lingkungan, seperti; dokter, Lembaga Swadaya Masyarakat (LSM), pers, organisasi masyarakat, pengacara, akademisi, mahasiswa, dan para pemilik industri untuk menghadiri acara tersebut.

Informasi lebih lanjut bisa menghubungi Ihsan Nasir (081524001877), Anna (08164383583)

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こちら経由の情報です(no title)。

鶴見良行文庫」開設記念シンポジウム

「鶴見良行文庫」開設記念シンポジウム

アジアと日本と、市民社会のゆくえ」

【日時】2005年5月28日(土)14:30〜18:30(開場14:00)

【会場】さいたま市立生涯学習総合センター(大宮シーノ大宮センタープラザ10F)

プログラム】講演:池澤夏樹(作家)・鶴見俊輔哲学者

パネル討論:内海愛子・熊岡路矢・中村尚司・宮内泰介・吉岡忍・司会=村井吉敬

【申込み】お名前、住所、電話番号をご記入の上、ハガキ、FAX、E-MAILのいずれかでお申し込みください。

先着順で予約を受け付けます。

【申込み先/お問い合せ】

埼玉大学共生社会研究センター

338-8570 さいたま市桜区下大久保255

TEL:048-858-3090 FAX:048-858-3115

E-Mail:kyousei@post.saitama-u.ac.jp

埼玉大学共生社会研究センター

http://www.kyousei.iron.saitama-u.ac.jp/

関連

鶴見良行文庫」

http://www.jca.apc.org/~yyoffice/goannnai146TsurumiYoshiyuki-Bunko.htm

鶴見良行さんの本を読んで、南スラウェシという地名を初めて知った人も多いのではないでしょうか。

ナマコの眼

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スラウェシ、マカッサル…と書いていますが、一体、そこはどこにあるのか、わからない方も多いかもしれません。

東西に長く横たわるインドネシア共和国の真ん中よりも、少し右寄り、バリ島から飛行機で約1時間で、マカッサルというところに着きます。インドネシアの東半分の地域では、マカッサルは最大の商業都市です。今日は、このスラウェシ科研のメンバーが、どのようにして日本からスラウェシ島まで行くのかを紹介してみます。

■かなり多くのメンバーがたどるルート:

1日目:関空(あるいは成田名古屋)−デンパサール(バリ島)

2日目:デンパサール−マカッサル(南スラウェシ)

デンパサールで一泊する経路。この経路の利点は、バリ島で一泊できること(!)、空港からホテルのあるような場所までの移動が、比較的短時間で済むこと、などです。ただし、翌朝、マカッサルへ向かうガルーダ便は朝が早いため、夜は早めに寝なければいけません。

日本からデンパサールまでは、直行便が便利ですが、シンガポール経由にすることもできます。

■わりと多くのメンバーがたどるルート

1日目:関空(あるいは成田・名古屋)−ジャカルタ

2日目:ジャカルタ−マカッサル

インドネシアで調査活動に従事する場合には、インドネシア科学院*3から調査許可を取得する必要があります。その場合、数日間をジャカルタの役所回りにかけることになります。ジャカルタからマカッサルへは、ほぼ毎時一便、飛行機が飛んでいます。現在ではガルーダ・インドネシア航空だけでなく、ライオン・エアーなど、新規参入した比較的安い運賃で乗られる航空便もあります。空港からジャカルタ市中までが、少し遠いのが不便でありますが、ジャカルタのデパートなどで調査地へのおみやげを物色できるという利点もあります。日本からのおみやげが喜ばれるのはもちろんのことですが、地方に住んでいる人にはジャカルタみやげもたいそう喜ばれるのです。

■少し疲れるルート

1日目:関空(あるいは成田・名古屋)−クアラルンプル(マレーシア

2日目:クアラルンプル−コタキナバル(マレーシア・サバ州)

n日目:コタキナバル−タワウ(マレーシア・サバ州)

n日目:タワウ−タラカン(インドネシア・東カリマンタン州)

n日目:タラカン−バリクパパン

n日目;バリクパパン−マカッサル

時間的に余裕がある場合には、たいへん楽しいルートとなります。

あらかじめインドネシア入国のための査証を、マレーシア国内で取得しておく必要があること、総じて移動に使われる飛行機が小さいため、多少、怖い思いをすることなどがありますが、周辺から徐々にスラウェシ島に近づいて行く旅は、たいそうスリリングで風情のあるものです。

紹介したルートは、主たる移動手段を飛行機の場合としています。サバ州内の移動や、東カリマンタン州内の移動は、長距離バスやスピードボートなど、予算や時間的余裕に応じて、さまざまな選択肢があります。

■船旅

ジャカルタから、PELNIという大型旅客船で、マカッサルへ行くこともできます。チケットを買うのが多少ややこしいこと、船に一度乗ってしまうと、次の港に着くまで下りられないことを除けば、楽しい旅ができるかもしれません。

no title

*1:英語版底本はこちら→MINAMATA DISEASE, by Masazumi Harada (1971), translated by Sachie Tsushima and Timothy S. George, edited by Timothy S. George. Kumamoto Nichinichi Shinbun Culture & Information Center, 2004, 215 pp., 2,500 yen (cloth).

*2ディスカッションの内容につきましては、後日、島上さんに直接、お問い合わせしていただくことができます

*3:LIPI:Lembaga Ilmu Pengetahuan Indonesia.

2005-04-21/Thursday

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  • 昨日、アチェ関連の講演会やイベントの情報を掲載しましたので、関連する散文です。2004年11月25日から2005年1月24日まで、スラウェシで調査をしていた浜元聡子さんが書いています。

地域とフィールドと私と

地震が起きた日の朝、私は島からマカッサルへ出てきている。その時にいつものように日本の実家に電話をかけている。これがその後、「生きているときにかけた最後の電話」と思われてしまうことになった。地震が起きたのはその数時間後のことである。

その日の夜のテレビニュースでは、確かにアチェで地震が起きたことは報道されていた。しかし「まだなにも詳しいことはわからない」というのに等しいくらいの内容であったように思う。

翌朝、テレビをつけたとき、事態は一変していた。通常番組を放送している局もあったが、ほとんどのテレビ局ではかなり大きな規模の地震が起きたということを繰り返し伝えていた。ニューズスタンドで全国紙と地元紙を買ったが、後者の話題の中心はまだ地震のことではなかった。朝食後、インターネット屋に行き、ニューズサイトをチェックしてはじめて、事態が想像以上な規模であることを知る。津波の被害があったのは、インドネシアだけでなく近隣数カ国にも及ぶものであったとのこと。一通り、ヘッドラインだけを確認して、デンパサールからの朝便でマカッサル入りする田中耕司先生*1とKさんを迎えに空港へ向かった。先生に会って開口一番、「日本にすぐに連絡したほうがよい」と言われる。その割には、昼食を食べに出たままハサヌディン大学での打ち合わせに行ってしまったので、自宅に電話した時はすでに夕方になっていた。

「生きてたの!」と、普段は何事にも動じることのない母が叫んだことが、私をひじょうに驚かせた。すでに、学部時代の友だちや高校時代の部活の友だちが安否確認の連絡をしてきてくれたとのこと。母は、「昨日の朝、電話がかかってきたのが最後で以後、連絡はない」と「事実」を正確に伝えたらしい。。日本ではインドネシアの情報はほとんどなくて、タイやスリランカなど、比較的日本人が多く滞在していた地域の情報ばかりでね、とも言われる。インドネシアにおけるアチェの政治的位置付けは、国内的にこそ知られているとはいえ、インドネシア国外ではそう知られることでもなかったなと、今更ながらに思い出した。アチェには日本人観光客がいるはずがない。「スラウェシとスマトラって、おなじような名前だけどだいじょうぶなの」という母の声を聞きながら、これまで一体何度、インドネシアの地図を出してきて説明してきたことかと苦笑いしてしまった。

とりあえず、夕食までの短い時間に、もう一度だけインターネット屋に行ってみた。大学の事務関係からのメールが多数、幼なじみや親しい友人たちなどからの安否を問うメールが多数。ちなみにスラウェシ科研のメンバーからは一通もなし。スラウェシがどこにあるのかを正しく理解していること、そしてインドネシア語のニュースサイトを読めるということが、どれほど正確な情報を収集したり予測することを可能にするのかということを深く考えた。

島に帰ってから見聞きした、地震をめぐる人びとの考え方−たとえば、それがアチェで起きたことをめぐるあらゆる言説−は、また別の機会に書くことにしよう。地震に関する情報源が、新聞・テレビ(ほぼMetro TVというニュースチャンネル)・インターネットであったことが、私に奇妙な距離感を覚えさせる原因だったのかとも思う。悲惨な情報を現実のものとして頭に詰め込んで島に帰ってきたところ、現実のインドネシアに暮らしている人たちは、遠い場所で起こった出来事について別のとらえ方をしていることに気付いた。そのギャップをなんと説明してよいのか、また解釈したところでなにが言えるのか。おそらく、もう一度インドネシアに行って、私自身が「ポスト地震」を見なければわからないのかもしれない。アチェ地震に関するさまざまな観点からの考察が、学術的な場からもなされている。私が取り組むべき課題があるとすれば、それはおそらく、国内にいながらにして情報から離れたところに居た人びとにとっての「スマトラ沖大地震」なのかもしれないと思った。

*1:スラウェシ科研の研究代表者。

2005-04-20/Wednesday

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下記の講演会が、おこなわれます。

参加費等は無料ですので、お近くのかたはぜひお越しください。

アチェ講演会

日時: 2005年4月22日(金) 17:00-19:00

場所: 京都大学東南アジア研究所・東棟2階・E207 (東南アジア地域研究研究所)

発表者: シャフウィナさん(シアクアラ大学工学部講師、バンダアチェ)

テーマ: 私の故郷アチェ、津波前と津波後

概要:

 バンダアチェ生まれのシャフウィナさんは、現在、京都大学大学院学研究科学生として在日中です。シャフウィナさんは、大学教員であると同時に、詩人、舞踏家でもあり、大学の講師になる前は、アチェ芸術会議のスタッフでした。

 シャフウィナさんは、北スマトラ沖大地震の後、アチェに行き、被災地を訪れて日本からの救援金を渡すと同時に、「立ち上がれアチェ」グループに入って、被災者とともに祈りをささげ、詩を読み、唄を歌う等の方法で、被災者を勇気ずけておられます。

 講演には、写真や詩の朗読を含み、また日本語も交えて話されます。

大学以外からの広く一般よりのご参加も歓迎です。

連絡先: 京都大学東南アジア研究所、水野広祐

電話:075-753-7351

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インドネシアの人気アーティストや芸術家たちが、来日するとのこと。

こちら(no title)と、こちら(404 Not Found4月20日付)経由の情報です。

(個人的には、「カトン来阪」の部分に反応しています。)

情報の源泉は、こちら(Map of Indonesian Pops)とのことです。

インドネシア・フェスティバル・2005in鶴見

インドネシア・フェスティバル・2005in鶴見

インドネシアを代表するアーティスト達の歌、踊り、スピーチ..そして、大阪の伝統を守る舞踊。貴重な文化交流を存分にお楽しみ下さい。

インドネシアからのビッグアーティスト:

人気・実力NO.1のポップス歌手:カトン・バガスカラ 超有名・美人女優特別ゲスト:イラ・ウィボウォ 世界中を駆け回る伝統、創作舞踏家:ディディ・ニニ・トォゥオ インドネシア・アチェの伝統舞踊 “TARI SAMAN” イマジャ・グループ(愛知県在住インドネシア人) 鶴見だんじり囃しと踊り。


 2005年5月7日(土)鶴見区民センター・大ホール

 地下鉄鶴見緑地線「横提駅」徒歩1分 開場15:00 開演:16:00

 前売り\1000/当日\1500 全席自由

 主催:在日インドネシア人フォーラム  

 問い合わせ 関西インドネシア友好協会 Tel:0797-32-5072         e-mail:cinta@pop21.ne.jp

2005-04-15/Friday

楠田さんのサッカー関連の記事は、都合により削除いたしました。

ご了承くださいますよう、お願いいたします。

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Reminder:本日、「第三回いりあい・よりあい勉強会 <シリーズ:森と人、共生のかたちを探る>」が開催されます。

http://d.hatena.ne.jp/celebes/20050409

2005-04-14/Thursday

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f:id:celebes:20050414163948:image 

こちらより→http://www.nelltours.com/main/sula-map.html

白地図上に、どんどんとメンバーの調査地などの情報を書き込めるのがあればよいですねえ。どこかにありそうな気もします。

2005-04-13/Wednesday

celebes2005-04-13

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  • 今日はスラウェシ科研・研究協力者の浜元聡子さんの散文です*1。浜元さんはマカッサル海峡の小さな隆起サンゴ礁の島に住み込み、すっかり陸の生活から遠ざかってしまった経験があります。たまに陸に上がると、なにもかも珍しくて仕方がなかったある日のできごとなのでしょう。

■馬車に乗って

1999年の乾季が始まろうとしていた頃だったと思う。住み込みで調査をしていた島を離れて、スラウェシ島本土の村落部を訪れた。マカッサルに住む友だちの姉が妊娠7ヶ月を迎えたので、パッシリという安産祈願の儀礼がおこなわれるとのこと*2。その儀礼を見るのが好きだと前から話していたのを忘れずに、友だちが招待してくれたのであった。ブギス−マカッサルの儀礼は、大がかりなものが多い中、パッシリは比較的静かに、あっさりと終わるところが気に入っていた。女性中心の儀礼であることも、参加者としても観察者としても居心地がよかった。

私たちはマカッサルから乗り合いバスで北へ約1時間のところにあるマロス県から、ベンディという馬車に乗り換えて、友だちの姉の嫁ぎ先に向かった。マロス県の中心地から西の方、海岸地域一帯は、水田と養魚地が広がる。もともとは、マングローブの林を開拓して田んぼが作られた土地であった。このごろは、より高額の現金収入が得られる養魚地に転換される水田が多くなった。汽水帯の地盤が弱いからなのか、この田園地帯を縦横に走る道は、ほとんどが舗装されていない。雨季には水田や養魚地から溢れた水で冠水し、乾季にはからからに干涸らびた道から土埃が舞い立つ。家屋が集まったところには、小さな屋敷林が木陰を作る。畔道の縁にところどころ木が植えられている以外には、見渡す限り平らな水田と養魚地が続いている風景が広く見える。島暮らしの身には、とても新鮮な感じがした。

普段、徒歩で一周20分しかない島で生活をしていたので、街に出てくるときしか乗り物には乗らない。それに、日本でも何処でも、馬車に乗ったことなど一度もなかった。オジェックというバイクの後ろに人を乗せる交通手段もあったのだが、ゆっくりとあたりの風景を見たいと思った。馬を御するおじさんの横に座り、農村の風景をきょろきょろと見ていると、途中から乗り合わせてきたおばあさんが後ろの座席から手を伸ばして、私の肩をとんとんと叩いた。

「あんた、うちの孫のヨメにならんかい?」

まったく初めて会った、どこの馬の骨ともわからない私を、孫のヨメにしたいと思うのは、いったいどのような理由によるものだったのだろうか。内心、それもいいなあと思いつつも、まだ学生なんだとかいって穏やかにお断りしたように記憶する。途中の小さい集落で、おばあさんは手を振って馬車を降りた。馬車は何事もなかったように、凸凹の田舎道をまっすぐに走り続けた。

それから何度も馬車に乗る機会があったが、二度とそのような縁談を持ちかけられることはなかった。何度も何度も、スラウェシに出かけてしまうのは、いつかまたあのおばあさんのような人に出会わないかと、実は期待しているからなのかもしれない。

*1:浜元聡子:地域研究・文化人類学京都大学大学院人間・環境学研究科認定単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員PD京大東南アジア研究所非常勤研究員・国立民族学博物館外来研究員を経て、京都大学東南アジア研究所教務補佐員。京都大学博士(人間・環境学)。

*2:パッシリは、妊娠7〜9ヶ月目のいずれかにおこなわれるブギス−マカッサルの儀礼。いずれ赤ん坊を取り上げる予定の産婆が司る。何種類もの伝統的な儀礼用の甘い菓子をボサラという器に盛りつけて、部屋一杯に並べた空間では、イスラーム宗教的指導者イマームコーランを詠み上げる。その奥の主寝室のベッドでは、お腹を丸出しにした妊婦が横になっている。産婆はコーランに唱和しながら、妊婦のお腹にコメを一掴みまき散らし、用意している若いニワトリにそれをついばませる。ニワトリが逃げず、慌てず、コメを食べたらなら、出産は無事に済むと考えられている。儀礼の内容・段取りには地域差がある。この例は、マカッサル海峡島嶼部南部およびマロス県沿岸部地域のもの。

2005-04-11/Monday

celebes2005-04-11

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  • このカテゴリーでは、「スラウェシ科研」のメンバーによる散文を紹介しています。第一回目は、研究分担者・岡本正明さんから寄せられました*1。岡本さんは、南スラウェシ州の主要な人口を構成するブギス−マカッサルの人びとに混じり、地方行政・地方政治の最先端の現場で活躍された経験を持っています。*2厳しいオフィスワークの合間に、ほっと息抜き?をした風景なのでしょう。

丸刈りになったJICA専門家

人は思いがけず丸刈りになることがあるようである。

2002年、私が南スラウェシ州地域開発企画庁で地域開発政策のJICA専門家をしていた頃のある日曜日、私は散髪屋に行って丸刈りになった。そもそも、インドネシアの散髪屋では日本の散髪屋では味わえないスリルを感じることがしばしばである。例を挙げよう。「ヨピ・サロン」という全国展開している理髪店にはおかま*3が理髪師として働いていることがよくある。ある日、マカッサルにある「ヨピ・サロン」で私を担当したのは男らしいおかまであった。極度に女性らしくふるまうべく、腰を振りつつ鶏が羽を開いて歩くときのように両腕を水平に開いて上下に揺らしながら歩くような気持ちの悪いおかまではなかったので、ほっとしていた。にもかかわらず、やはり女よりも男が好きなようである。私に対して耳元で「今度、貴方の家に行って、全身マッサージをしてあげるわ」と囁いてきたのである。その耳元の誘いを受けてからは、できる限りはやく散髪が終わるのを願うのみであった。あるいは、私のインドネシア人の筋肉質系の知人(♂)に至っては、同じくマカッサルの「ヨピ・サロン」で散髪の間に突然、おかまの理髪師から胸に手を入れられて触られたそうである。マカッサルのおかまというのは、言語的にせよ、肉体的にせよ暴走するときにはかなりラディカルなのかもしれない。

 さて、こうした恐怖体験を経て、ある日、マドゥラ人の理髪店に行ってみた。ここにはおかまはいない。私を担当したのは、まだ30歳代の青年であった。「どういった髪型がいいのか?」と聞かれたので、「できるだけ短くしてくれ」と答えた。すると、理髪師は冷静に「分かった」と答えて、バリカンを右手に取った。一瞬のことであった。バリカンが右前方の頭部から入り、縦10センチ×横5センチほどの空間にあったはずの髪がほぼ消えた。理髪師は「できるだけ短くしてくれ」という私の言葉を聞いて「丸刈りモード」に入ったのである。私は別に熱烈な阪神ファンでもないし、その時には阪神は弱かったので虎刈りをするわけにもいかない。ここはインドネシア語で言う「パスラ」”Pasrah”しかなかった。「パスラ」とは神に全身全霊を委ねるという意味であり、私の場合はこの若い理髪師に全ての髪を委ねるということになる。

 もちろん、「おい、ちょっと」と言ってみたものの、後の祭りである。私のインドネシア語に問題があったのかと悩みながら、中学生以来、初めて丸刈りになってしまった。「口ひげはどうする?」と聞かれ、「短くしてくれ」と言うと、口ひげがなくなった。私の首から上は眉毛とまつげを残して髪はなくなった。

 全てが終わって抗議しようとも思ったが、その理髪師が私の髪を剃り終えたあと、私を見つめながら、まじめな顔をして「決まっている!」”Bagus!”と親指を立てて言うものだから、出鼻をくじかれほほえんでしまった。私の負けである。

 翌日、地域開発企画庁に出勤した。私のスタッフからは冷ややかな嘲笑や驚きの笑いをもらった。だが、驚いたことに、男女を問わず企画庁のスタッフからは、次々と、似合っているとのお褒めの言葉を預かったので満更でもなくなった。私にとって、インドネシアの理髪店とは、おかまに誘われ、丸刈りにもなれる奇異な空間なのである。

 

*1:岡本正明:インドネシア政治学・地域研究。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程認定単位取得退学、京大東南アジア研究センター(当時)非常勤研究員、JICA専門家、国立民族学博物館外来研究員を経て、京都大学東南アジア研究所助教授

*2:ブギス−マカッサルは、東南アジアの歴史史上、勇猛果敢な海の民として、さまざまの文献に登場してきた人びと。農業や農地開拓にも卓越した技術とパイオニア精神を発揮してきた。なおブギス人はブギス語、マカッサル人はマカッサル語を話す。両者の厳密な違いはさまざまに論議されるところであり、研究者の考え方も多岐に別れる。なお、シンガポールにある大繁華街「ブギス・ジャンクション」は、シンガポール建設以前から交易活動等によって移住していたブギスの人びとに由来してて名付けられている。アラブ・ストリートのあたりには、南スラウェシから移住してきた人の末裔も多く住む。

*3:インドネシア語では、ベンチョン。身体的には男性であるが、所作およびものの感じ方などが女性らしいと、自他共に認められている人のことをさす。南スラウェシには、歴代王国の宮廷に使えた第三の性としてのビッスbissuもいる。ビッスは天啓を受け、宮廷文化の継承を担ってきた男性である。

松井和久松井和久 2005/04/11 16:42 私がマカッサル滞在時に通っていた理髪店は、当時のパラグナ州知事も常連?と言われたMutiaraです。ここは全員がムランタウのマドゥラ人で、いかつい「オトコの世界」でした。マカッサルの理髪店にはマドゥラ人も多いそうで、南スラウェシの地方に行ってもマドゥラ人の理髪店を見かけました。ジャカルタで下宿していたときは毎晩、マドゥラ人が屋台を曳いてサテやらミー・ドクドクやらを売りに来たものでしたが、マカッサルではマドゥラ人の屋台曳きはあまり見かけなかったような気がします。

はまもとはまもと 2005/04/13 14:09 「ミー・ドクドク」とはどんなものですか?心臓に悪そうな名前ですね。

松井和久松井和久 2005/04/13 14:17 「ドクドク」というのは音です。屋台曳きは移動式屋台につり下げられた板きれ(村などで何かあったときに叩く大きな板きれがありますよね)を叩きながら歩いてきます。これを通称「ミー・ドクドク」と呼んでいます。板きれがない屋台曳きは、持参の中華鍋を叩きながら歩くのですが、こちらはその音から「ミー・テクテク」と呼ばれています。以上、少なくとも東ジャカルタ・ラワマングン付近では、という限定つきです。

2005-04-09/Saturday

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下記のとおり、研究会のご案内をいたします。

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第三回いりあい・よりあい勉強会 <シリーズ:森と人、共生のかたちを探る>

“森を守り、コミュニティを豊かに”

インドネシア・ブトゥン山における社会林業の試みを中心に

話題提供: 島上 宗子 (いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク[あいあいねっと])*1

■日時:2005年4月15日(金)

    19:00〜21:00

■場所:早稲田奉仕園スコットホール

  (2階222号室) [定員30名]

  東京都新宿区西早稲田2−3−1

(tel:03-3205-5411)

   ・高田馬場駅から都バス早大正門行き」2つ目

    「西早稲田」下車徒歩2分

   ・地下鉄東西線「早稲田」駅下車徒歩5分           

    http://www.hoshien.or.jp/map.html

■資料代:500円

■問い合わせ:いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク事務局

  ・Email:pm5m-nght@asahi-net.or.jp(長畑)

 (参加ご希望の方は事前にメールでご一報をお願いします。)

■要旨:

今回の発題者・島上宗子は、昨年夏以降、インドネシアのハリムン山、ブトゥン山などで森林管理に関連した調査に従事してきました*2。調査中、頻繁に耳にしたのが、“森を守り、住民を豊かに(Hutan Lestari, Masyarakat Sejahtera)”というフレーズです。インドネシアにおいても、森林地域から住民を排除し、警備することを森林政策の柱としていた時代は終わり、これからは森林保全と住民福祉の両立をはかる時代だ、との認識が急速に拡がりつつあるようでした。

 スマトラ島南端ランプン州に位置するブトゥン山は、1998年以来、インドネシア大学の人類学者らが住民・地元NGO・地元大学・関係政府機関とともに社会林業を進めるアクション・リサーチを展開し、インドネシアの社会林業の先駆例となった地域です。過去7年間、朝令暮改する社会林業政策、政府役人・職員の交替、住民グループ内の対立、援助機関の撤退などさまざまな困難に直面しながらも、住民グループにより植えられた木々が徐々に成長し、ブトゥン山は緑を回復しつつありました。

 第三回いりあい・よりあい勉強会では、発題者のブトゥン山での見聞を中心に、“森を守り、コミュニティを豊かに”をめざした実践の可能性と課題を考えてみたいと思います。特に、実践のプロセスの中での外部者(研究者、NGO、援助機関など)の役割に注目し、いりあい・よりあい・まなびあいネットワークがめざす「まなびあい」の意味・かたち・可能性について議論を深めたいと思います。

いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク(あいあいネット)

コミュニティを基盤とした資源管理と自治に関心をもち調査研究・経験交流を進める、アジア・日本のNGO/NPO関係者、研究者、住民のネットワークです。2004年から活動を開始しました。トヨタ財団の研究助成をうけ、日本・インドネシア・インドを中心に、自然資源管理(いりあい)と住民自治(よりあい)に関する共同調査・経験交流(まなびあい)の活動を展開中です。

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*1: 島上宗子(しまがみもとこ)「いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク」メンバー、「スラウェシ科研」研究協力者。2005年3月、京都大学大学院アジアアフリカ地域研究研究科を認定単位取得退学。地域の自治とは何かを考え、実践していくことをめざして活動中。主要論文として「地方分権化と村落自治−−タナ・トラジャ県における慣習復興の動きを中心として」(松井和久編『インドネシアの地方分権化』アジア経済研究所、2003年)他。

*2:この調査は2005年2月に、林野庁の「地球環境研究総合推進費」の経費を利用しておこなわれました。http://www.env.go.jp/earth/suishinhi/

2005-04-08/Friday

テスト

実験的に準備してみました。

スラウェシ島/インドネシア/地方分権/地域研究/京都大学