スラウェシ地域研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

京都大学東南アジア研究所:スラウェシ科研のサイトへ
2005040506070809101112
2006010203040607081011
20070405
20080510
20090406

2006-06-22/Thursday

[]

各地でさまざまな催しが企画されています。いろいろな形の支援がありますね。ジャワ島の豊かな文化や歴史、社会を伝えることで、震災被災地という印象以上の理解が深まるのでしょう。

下記の情報はすべてこちら(exblog ガドガド)からです。


ジャワ文化の夕べ 美しのジョクジャカルタ  : exblog ガドガド

ジャワ文化の夕べ 美しのジョクジャカルタ



日時2006/7/1(土)16:00-18:00(開場15:30)

場所:南山大学名古屋キャンパスM1教室 

プログラム

1.ガムラン【演奏指導・解説 風間純子(中京女子大学助教授)】

2.ジョクジャカルタの歴史と文化(スライド上映)【小林寧子(南山大学教授)】

3.ジャワ宮廷舞踊ジョクジャカルタ式【采女直子(舞踊家)】

4.スンダ(西ジャワ)伝統舞踊【Rike Edyana Supit(舞踊家)】

5.ジャワ歌謡【インドネシア留学生協会中部支部】

展示:バティック、バティック工具、ワヤン人形など (ガムランを試してみることもできます)

「ジャワ文化の夕べ〜美しのジョクジャカルタ〜」について

5月下旬に地震被災に見舞われたインドネシアジャワ島のジョクジャカルタは「ジャワの心臓」とも言われるジャワ伝統文化の中心地です。この地域は人類の遺産ともいうべき質の高い豊かな文化があります。このジャワ文化を紹介するべくこのイベントを企画しました。

多数の来場をお待ちします。

南山大学外国語学部 アジア学科ホームページ

http://www.nanzan-u.ac.jp/GAIKOKUGO/Asia/

http://gadogado.exblog.jp/3786074/

ジャワ島地震報道写真展★緊急開催のお知らせ

JJN(ジャパン・ジャワ・ネット)とインドネシア文化宮(GBI)から届いたお知らせです。

★ジャワ島地震報道写真展★緊急開催のお知らせ

JJN(ジャパン・ジャワ・ネット)とインドネシア文化宮(GBI)は、インドネシアのアンタラ(ANTARA)国営通信社と共催でジャワ島中部地震の被災状況を伝える報道写真展を実施します。

 2006年5月27日に発生した、古都ジョグジャカルタの南方を震源とする大災害も、日本を含めたインドネシア国内外の迅速な緊急支援の結果、徐々にではありますが、復旧・復興への槌音が聞こえてくるようになりました。しかし、先のスマトラ島沖巨大地震・津波被害もそうですが、真の復興までには相当な時間を要します。

 JJNでは、主に、遺跡群の修復など、文化面での支援を継続的に実施していこうと考えています。

【名称】 ジャワ地震報道写真展(Pameran Foto Jurnalistik Bencana Gempa Bumi Jawa )

【主催】 JJN(Japan Jawa Net) & ANTARA国営通信社 & インドネシア文化宮(GBI)

【期間】2006年6月24日(土)〜7月22日(土) 11:00-18:00

(但し、日・祝日並びに6-7月の第1&第3土曜日、雨天時はお休みさせていただきます)

【場所】 インドネシア文化宮(JR高田馬場駅より徒歩約6分)

【展示作品】 約60

【備考1】開催中の『アロール島児童絵画展』は規模を縮小して実施中です

【備考2】東京以外の地域で、写真展の開催を希望する団体・個人に対しては、GBIが写真を実費で貸し出しますので

ご希望の方はメールでお問い合わせください。

【問い合わせ先】okawa@mxg.mesh.ne.jp

インドネシア文化宮(GBI)

http://www.harapan.co.jp/Indonesia/GBI/GBI_index.htm

http://gadogado.exblog.jp/3783636/

コンサート:J4J (Jazz 4 Jogja&Jateng): A Charity Concert"

Kompas(6/22)に出ていた、ジャワ島中部地震のチャリティーコンサートです。

50人のジャズ音楽家が出演。

J4J (Jazz 4 Jogja&Jateng): A Charity Concert"

会場:Graha Bhakti Budaya, Taman Ismail Marzuki

日時:Kamis (22/6) dan Jumat (23/6) malam

出演者:

Krakatau, Indra Lesmana, Ireng Maulana, Glen Fredly, Margie Segers, Donny Suhendra, Gilang Ramadhan, I Wayan Balawan, dan Rieka Roesla

主催する Dwiki Dharmawan は

Selain untuk mengumpulkan dana, Dwiki juga berharap acara tersebut menjadi ajang interaksi dan dialog antargenerasi jazz di Indonesia. "Mumpung hampir semua musisi jazz berkumpul, saya mengharapkan ada kolaborasi antargenerasi musisi jazz. Supaya tidak terjadi gap yang terlalu lebar antara musisi senior dan yang masih pemula," papar Dwiki di Jakarta hari Senin (19/6) lalu.



Dwiki Gelar Jazz "for" Jogja

http://www.kompas.com/kompas-cetak/0606/22/Sosok/2754305.htm

2006-06-17/Saturday

celebes2006-06-17

[]

Midori Hirota

no title

ジャワ島ジョグジャカルタ南部を震源とする地震が発生してから、3週間になります。どのように震災からの復旧活動が進行しているのか、NGOや国際組織の救援活動がどのようにおこなわれているのかは、今はまだ、インターネットをとおしてなんとかフォローできています。しかしながら、震災からの復興には、まだまだいくつもの長い道のりがあります。ずっと先のことも見据えながら、テレビや新聞で報道されなくなっても、ジャワの震災救援・復興活動が続いていることを忘れないでいきたいと考えています。

京都大学東南アジア研究所・有志一同の震災救援活動は、こちら

2006-06-08/Thursday

[]

Jogja Heritage http://www.jogjaheritage.org./

スラウェシ科研研究分担者の松井和久さんから、教えていただきました。

以下、松井さんから遅られてきたメールの一部を、貼り付けしています。

建築家の黒田正人さん(m-kuro@ta2.so-net.ne.jp)から、ジャワ震災復興支援の要請がありました。

黒田さんの奥様はジョグジャのスルタン家とも関係の深い方です。黒田さんご夫婦はスルタン家とともにロイヤル・シルク財団を立ち上げ、野蚕(クリキュラなど)から採れる金の繭・金の絹糸を使った織物の広報・販売促進やジョグジャの地元手工芸事業者などへの生業支援活動を行っておられます。今回の震災復興支援では、ロイヤル・シルク財団を通じて生業復興支援をおこなうとのことです。本件に関する義援金を下記の郵便振替口座にて受け入れています。ご協力をお願いいたします。

http://www.jogjaheritage.org./

義援金の受付も開始されました。郵便振替口座は以下のとおりです。


1)建築遺産、史跡復旧に関する支援

 *Jogja Heritage Society が中心に活動を行います。

■義援金の送金先:

 郵便振替口座名称:ジャワ震災史跡復旧支援

 口座番号:00160−8−631171

 *義援金は全てJogja Heritage Society に手渡します。



2)ジャワ震災生業復興支援に関する支援

 *Yayasan Royal Silk が中心に活動を行ないます。

■義援金の送金先:

 郵便振替口座名称:ジャワ震災復興支援

 口座番号:00130−8−610726


2006-06-07/Wednesday

[]

東南アジア地域研究研究所

京都大学東南アジア研究所での、震災救援活動のご案内をいたします。

震災による犠牲者数が下方修正されたとはいえ、災害の全貌がまだはっきりとわからない今、日本にいるわたしたちも不安な気持ちをぬぐい去ることができません。

これからの災害復興が、いったいどれくらい長い時間におよぶものとなるのでしょうか。人々の生活が一応の安定を見たとしても、観光文化都市としてのジョグジャカルタの機能が戻るまでには、少し長い時間がかかるのかもしれません。

先日、ジョグジャカルタの友だちと連絡が取れました。こちらが予想していたよりもはるかに元気な声が聞こえてきて、ほっと安心しました。

2006-06-03/Saturday

celebes2006-06-03

[]

2004年12月のインド洋沖地震の際に、ちょうどバランロンポ島に滞在中だったこともあり、スマトラから遠く離れた場所で、人々がこの自然災害についてどのように語るか、その渦中にいただけに、否応なしに関心を寄せることになりました。

地震後、数日後には、被災者を慰めたり、テレビやラジオの向こう側から被災地の状況に関心を寄せる人々に向けて、多くの「キャンペーンソング」が早速に、エンドレスで流されるようになりました。ほぼすべての放送局が、なんらかのキャンペーンソングとともに、救援物資や義援金が必要であることを、訴えかけていたと思います。

バランロンポ島は小さな村であり、日中は電力供給がありませんから、テレビを見るのは夜間だけです。短い時間に定例のドラマを見て、ニュースを見て、その間に人々が地震について語っていることばに耳を傾けると、少なくとも日本的な感覚では理解できないような事柄が、交わされていることに気がつきました。またキャンペーンソングの歌詞にも、はっとさせられることがありました。インドネシアの中でも政治的、宗教的に微妙な位置づけにある場所で起きた大きな自然災害。それがなぜ、そこで起きたのか。通常の理性や理解の許容範囲を超える出来事に対峙するとき、人はそれぞれに合理的な納得の仕方、その事実の受け入れ方を見つけることにより、落ち着きを取り戻そうとします。そのような人々の姿をみて、短絡的な評価を与えてはいけない、この出来事全体の中で、人々のこころの持ちようを理解するようにつとめなければと思ったものでした。

ニャイ・ロロ・キドゥルは、南海の女王。彼女の怒りを買ったことが地震の遠因だというのが、ジャワ地震の受け入れ方のひとつだとしたら、不謹慎ですが、スラウェシで地震が起きた場合、どのような解釈がありうるでしょうか。ガリゴ譚の登場人物をあれこれ思い浮かべてみましたが、いつも船に乗ってどこかに行っているような人々ばかりだからだ、となるでしょうか。

いずれにしても、地震をめぐるさまざまな言説もまた、今後の復興を国家の取り組みの中に位置づける際の何らかの材料となるかもしれません。

こちら(Midori Hirota)のこの記事(ジョグジャ長老たちによる地震の理由 : Midori Hirota)を読んで、アチェの地震のときのことを思い出しました。お一人で精力的に活動されているご様子です。Midori Hirotaさまも疲れを溜めすぎないようにできるとよいのですが。

さて、京都大学東南アジア研究所では、週明けからジャワ地震の情報収集をインドネシア班全体で、取り組むことになっています。その様子も、逐次、こちらでお知らせしていこうと思います。

(京都大学東南アジア研究所:浜元聡子)

2006-06-02/Friday

グヌン・キドゥル県の家(島上宗子)

[]

震災に遭う前のジャワの農村に、短い間だけ、滞在したことがありました。スラウェシの島嶼部に比べて、圧倒的な緑の多さが目にまぶしかったことを覚えています。家屋の外観は、マカッサルやスプルモンデ諸島のどこに比べても、はるかに立派に見えました。家の中に一歩入れば、案外にバランロンポ島の家の中に似た、あり合わせの家具があったり、タイルを貼らない白いコンクリを流し込んだだけの土間などが見えました。赤茶けた煉瓦が積み重ね上げられた家屋の壁は、できるだけ少ない量のセメントが接着剤として使われていました。今回の地震では、伝統的なこのような資材による家屋の構造が、一瞬に崩れ落ち、細かい煉瓦の破片や埃が舞い上がり、人が何かの下敷きになることで、辛うじて身動きが出来たり呼吸ができるための空間を作ることがなかったのだと伝えられています。

スラウェシの伝統的な家屋は、高床式家屋です。屋根組の天井には、天井板が張られていることの方がすくないため、家屋が倒壊する場面では、恐らく、屋根材として使われているトタン屋根がばたばたと下に折り込まれていくことになることでしょう。地震のたびに、震度に耐えうる家屋の建設とその普及といった問題がつねに浮上してきます。こういう伝統的な木造建築の場合、家具などもそれほど多くはありませんし、台所の火元も薪や灯油コンロであることが多いです。スプルモンデ諸島で最近増えてきたのは、高床式家屋への伝統復古ブームです。それまでは、日干し煉瓦を高床の床下部分の壁材や床材として使い、表面を陶器タイルで覆うのが、中産階層以上の家屋のひとつのスタイルでした。これが数年前から、高床の部分は、物置や昼寝スペースとして残しておきながら、生活スペースの部分の壁や床の木材の上から、きらびやかな陶器製タイルで覆っていくスタイルが流行し始めました。高床式家屋の構造として、どれくらいの重量に耐えられるものであるかは、まさに試してみないとわからない次元の問題です。

そこに住む人の生活世界の中では、申し分のない快適さを備えた家屋や、社会的、宗教的立場にふさわしい家屋に住みたいと思う気持ちは、ごく自然なものです。ジャワの復興に際しては、村の復興、新しい家屋の建築は、どのようなプランでおこなわれるものになるのでしょうか。



[]

地震からまもなく1週間が過ぎようとしています。スラウェシ科研のメンバーの中には、長い間、ジョグジャカルタ近郊の農村地域で村落調査に従事していた人もいます*1。それぞれに親しい友だちや知人の安否を気遣っている状況です。

インドネシアへの電話がたまたま通じにくかったからなのか、昨日、ようやくバランロンポ島の下宿の家族に連絡を取ることができました。もちろん、スラウェシ島とその周辺地域には、地震の余波も津波もありませんでした。ただ歴史的に海産物交易を通じて、ジャワ島とは深い縁があり、社会的経済的なネットワークを形成してきた島の人々にとっては、寄港地の人と結婚してジャワ沿岸部に移住、定住するようになった家族を持つ人々も多くいます。その地域は主として、ジャワ島北海岸のスラバヤとその近辺に限られているとはいえ、アチェで起こった地震のときとは情報の伝わり方や量的な質もまた異なるます。圧倒的な情報の中で、災害に遭遇したかもしれない家族や友人知人たちの安否を知る手がかりに目を凝らしながら、名前を知らない多くの被災者のことを思いやる島の人々たちの気持ちが、受話器の向こうから、ひしひしと伝わってきました。

スラウェシ科研の外国人メンバーの中にも、ジョグジャカルタのガジャマダ大学に籍を置く人、家族が住んでいる人などがいます。今までのところ、無事であることの確認が取れています。

今後、京都大学東南アジア研究所では、これまでの研究活動に、甚大なる協力と理解を惜しみなく与えてくれたインドネシアの人々に、どのような形で震災からの救助・復興支援に関わることができるか、そのための情報収集と現状把握に努めています。スラウェシ科研では、インドネシア国内の人々のボランティア活動や、ジャワ地震への関心の持ち方などもまたお知らせしていきたいと思っています。

アチェでの経験が今回、どのような形でフィードバックされるのでしょうか。ジャワ地震からの復興には、プランバナン遺跡や王宮の修復を中心に据えた観光産業の再建という課題が含まれることになるでしょう。東南アジア地域研究者として、これまでの経験がどの程度に復興支援に貢献できるかまだわかりません。しかしながら、何らかの形で、関わっていくことになるものとして状況把握に努めていこうとしています。

(東南アジア研究所:浜元聡子)

*1:島上宗子さんなど。