スラウェシ地域研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

京都大学東南アジア研究所:スラウェシ科研のサイトへ
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2007-04-02/Monday

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一昨日、3月31日は、イスラーム暦では預言者ナビ・ムハマッドの生誕日、マウリッドでした。

南スラウェシでは、自分が礼拝に行くモスクに、供え物を持って行きます。スプルモンデ諸島では、5リットルから10リットルくらいの大きさのプラスチックのバケツ一杯に、ミニャ・カド(ココナツ・ミルクで炊いたモチ米のごはんの中に、アヤム・カンポン(地鶏)を揚げたものが中に隠されている)や儀礼用菓子、果物などが詰められています。バケツはいわば、おせち料理における重箱のようなもの。これをサロンや風呂敷、ビニールなどで包みます。それらの結び目のところに、このバケツを用意した人の名前を書いた紙が送り状のように留められています。名前の他、「なにかひとこと」が書かれていますが、これはアラビア語あるいはロンタラ文字で書くのが慣例。

モスクに集められたバケツは、モスク運営委員会の人がきちんとリストアップしたのちに、比較的貧しい世帯の人へと分配されます。モスクに集まっているこどもたちにも、それとは別で、一人分ずつに適量に分けたものが配られます。島によっては、各世帯の主婦がバケツをモスクに持って行き、イマームによる読経を受けたあと、そのまま持ち帰るところもあります。その後は、近所の人に配ります。近所の人も持ってくるので、いわば供え物の交換。バランロンポ島では、ムラユ人としては初めてのシャー・バンダール、ダト・パベアン(Dato Pa'beang)の末裔であるムラユ人協会のメンバーが島を訪れ、島のモスク運営委員会の人と一緒に、タンバリンや太鼓、弦楽器などで音楽を奏でながら、バラサンジを謡う年もあります。

マウリッドの前の月、サファル月には、マンディ・サファルがあります。親戚や近所どうしが誘い合って、干潮時にしか顔を出さないような砂地だけの島を目指して船を出します。全員が、七夕の短冊のような紙片に、自分の名前と「なにかひとこと」をアラビア語かロンタラ文字で記したものを用意していて、これを海に流すのです。日頃は海水浴などしない女性たちも、このときは腰のあたりまで海水に浸かって、存外に楽しそうにしているのがおもしろい光景。なにかひとことは、クルアーンから引用してくることもあるし、好きな言葉を書くこともあるとのこと。一年の健康と安寧を祈願するための儀礼とのことです。

2006-03-28/Tuesday

celebes2006-03-28

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昨年の10月、今年の1月と、二段階にわたってBBM(石油燃料)が値上げされたインドネシア。最初の値上げで180%近くも価格が上昇したことにより、離島部の漁村などでは、一日の漁獲による純利益が、燃料費と釣り合わないという事態が続出しました。ちょうど断食月と雨季の始まりが重なっていたこともあり、長期的に無期限休業を決めた船主や漁民が相次ぎました。去年度は、小学校と中学校の学費が全国的に免除となっていたこともあり、こどもたちの生活にはあまり影響はなかったとのことですが、家計にはたいへんな影響が出ました。バランロンポ島では、人口3,700人、約750世帯のうち、3割ほどがプロパンガスを使って毎日の食事を準備するようになっていました。これが、流木などを使った薪燃料の利用にどんどんと切り替わっています。流木は、早朝、桟橋などに打ち寄せられたものを拾い集め、これを屋根の上などで乾かす作業が必要です。しかし全員には行き渡りません。次第に、島の共有地の樹木を、切り倒すということも頻繁におこなわれるようになってきました。政府からは、コンペンサシ(補償)と称して、3ヶ月ごとに貧困世帯に現金を援助するようになっています。生業活動への助成等は、今のところ、まだないようです。厳密には存在しないわけではありませんが、希望する人がすべて助成を受けることはできません。

長期的な展望で、今回の石油燃料の値上げを冷静に受け止める人もいれば、さまざまな不満を抱える人もいます。ただ、たとえ少額であっても、コンペンサシがあるのとないのとでは、人々の不満の有り様にも、多少の影響はあるのかもしれません。

写真は、ウアン・コンペンサシ(uang kompensasi)を受け取るためのチケットです。家族の数にかかわらず、1世帯につき定額が支給されます。

ちなみに、マカッサル市内周辺では、下記のような変化がありました。

  • タクシー初乗り:4,800/4,900ルピア
  • ペテペテ   :2,000ルピア(UNHAS行きは2,500)
  • ベチャ(2ブロック):人によっては、3,000ルピア以下では乗せてくれなくなりました。
  • パンシット・ミー:おいしいところでは、13,000ルピア以上。

2006-03-27/Monday

celebes2006-03-27

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以前にこちら(id:celebes:20050615)で、田中耕司が紹介していますが、南スラウェシのブギス−マカッサルの高床式住居は、家ごと別の場所へ引っ越しをすることがあります。

今日の写真は、3月のトラジャワークショップに向かうために、パンカジェネおよび島嶼部県(パンケップ県)の街道を走っていたときに遭遇した引っ越しです。

おじいさんも若者も、おそらく近所の男性が総動員されて、家を運んでいた模様。カメラを構えていたとき、まだまだ距離があるから大丈夫だと思っていたら、短い距離をかなりのスピードで一気に走っては、休憩するという、インターバル方式での引っ越しだということがわかりました。そのスピードたるや、あっという間に家が自分の目の前に迫っていて、たいへん怖い思いをしました。運んでいた人たちは、全員、笑っていましたが。

家の中には誰もいませんし、主な家具は別便ですでに搬送したとのこと。家を解体するのは、もっとも年長の家族が亡くなったときだけですから、みんなが元気で使えるうちは、いつまでも、家を大事にするのでしょう。

2006-02-12/Sunday

celebes2006-02-12

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マカッサルを拠点として、周辺の地方都市に向かう場合、いろいろな交通手段が考えられます。スラウェシ科研では、まとまった人数がみんなで一緒に調査へ出かける際には、船や車を借り上げることがよくあります。船の場合は、遅沢の「チンタラウト」号を使うこともありますが、バランロンポ島の漁師さんの木造ボート、ジョロロを借り上げたりもします。ジョロロの場合は、一日の移動距離は、100勸焚爾任垢、短時間で効率よく、島から島への移動することが可能です。車を借り上げる場合、自家用車としても人気の高い四輪駆動車のキジャンがよく使われます。ただし、乗車人数が6人を超えると、少々、窮屈。その場合には、観光用小型バスのコルトがもっぱら活躍します。さて、調査者一人もしくは調査協力者と二人くらいで移動する場合は、何を移動手段に使うでしょうか。

陸上での移動の場合は、マカッサルと地方都市を結ぶ大型バスがなんといっても快適で安全でしょう。目的地に最寄りのターミナルまで、途中に1〜2回程度の食事休憩などを含めて、7−10時間程度の距離を移動します。料金は5−6万ルピア程度で、バスは最新型のものが導入されるようになっており、ひじょうに快適です。5時間程度の移動であれば、パンテル(Panther)にぎゅうぎゅう詰めになって、運ばれる旅ができます。運転手を入れて、一台に最低でも10人が詰め込まれます。パンテルは、「パンサー」という自動車の固有名詞が、いつのまにやら普通名詞化されたものです。座席列が3列になっている四輪駆動車のこと。驚異的なスピードでもって、競争相手のパンテルに抜きつ抜かれつしながら、街道をひた走ります。そのスピードたるや、初めて乗った人は、とても生きて目的地に到着できないのではないかと思うほど。追い越しの技術は、確かに一級品ではありますが、怖がりの人は、次回も乗ろうとは決して思わないでしょう。まさに心臓が縮む思いをすることができます。

しかしながら、パンテルの旅は、病みつきになる楽しみもまたあります。街道筋の名産売り場には必ず停車して、小休止があるのです。季節の果物や名産物のある宿場町をゆっくりと楽しむことができます。短い時間に、売り子の人から、地方の情報を聞き出すのも、また楽しいものです。

また、猛スピードで走る車の乗客たちも、運命共同体のような思いを共有するからでしょうか、買ったばかりの名物などを分け合ったり、小さい子ども連れの両親を休ませるために、順番に膝の上に子どもを抱いたりと、和気藹々とした雰囲気も生まれてきます。こうなると、如何にして他の車に追い越されずに目的地に速く着くかを信条とするドライバーの気持ちも丸くなり、少しずつ、快適なスピードに落ち着いてきます。

先日の調査で訪れたマンダール地方では、季節のサラック、ドリアン、街道の名産であるダンゲ(ヤシ砂糖とココナツ、モチ米粉の焼き菓子)、ゴラ・カンブ(ヤシ砂糖とココナツの練り菓子)などを食べながら、どこからどこへと人が移動するのかという話に花が咲きました。普段、船の旅ばかりしていると、景色が次々と変わる陸上の風景が、とても楽しいものに思われます。

さて来年度は、スラウェシ科研の最終年度です。パンテルの速度よろしく、あっという間に駆け抜けたような気がしますが、どのような軌跡を残すことができたのでしょうか。今度の松山合宿では、そのあたりの話をじっくりとすることになりそうです。

(浜元聡子:京都大学東南アジア研究所)

2005-08-09/Tuesday

celebes2005-08-09

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昨日に続き、南スラウェシ州テンペ湖の風景です。暑いので、せめて水場の写真に涼を求めたいところです。(写真撮影:浜元聡子)

写真の家屋は、以前にも紹介したように、乾季には水位が下がる湖岸から、水深がある湖の中央部へ家屋を引っ張って来ることができるようになっています。筏の上に家が建てられています。

テンペ湖の主要な漁獲は、大型のコイやフナ、ライギョやソウギョ、ウナギ、テナガエビ、もう少し大振りの淡水エビ(名前がわかりません…)などです。もっとも、これらの収量は決して潤沢であるとは言えません。海岸沿いの養魚池(エンパン、タンバックと呼ばれる汽水帯域の干満差を利用)では、ミルクフィッシュ(サバヒイ)を中心に、テラピア、エビ、カニなどが養殖されています。最終的な漁獲から得られる現金収入を見た場合、どちらが多いかは市場からの距離や需要曲線の具合によって異なります。比べても意味はありませんが、初期投資という点を見てみれば、テンペ湖での淡水漁業の方が、どちらかといえば、気楽に始められる分、若干、有利な感じがします。

しかし実際には、湖の中は、どこで漁撈活動をすべきかという区画割りが、細かく定められています。淡水漁業に従事する人はもちろん、漁獲だけを得て売りさばきたいという人は、一定の区画に対して出資します。この区画は、タケを割いたものを使って、湖の一定の区画を囲い込んだものです。出資者自身が出漁してもよいし、誰か別の人と契約を結んで出漁してもらっても構いません。囲い込んだ区画の中に、淡水漁の漁獲対象となるサカナ類を追い込んで、漁をおこないます。

このような漁のあり方が、今、変わりつつあるのは、湖の水位の低下が原因です。流入河川によって運ばれてきた土砂が湖岸などに堆積し、湖の面積が縮小しつつあり、サカナが好んで住むような水草が生えた曖昧な湿地帯が減少しつつあるのです。土壌流出がなぜおきるのかといえば、山間地での森林伐採であったり、土地利用方法がさまざまに転換することによって、山の保水力が変化するからだと考えられています。この問題はすでに地元行政が関心を持ち、さまざまな観点からの研究をおこなってきました。またハサヌディン大学の研究者も、すでに幾度となく大型プロジェクトを組み、テンペ湖水系をめぐる自然環境および社会経済生活の変容に関する研究を重ねてきました。しかし、画期的な観点からの調査結果は、いまだ出されていないのが実情だとのことです。

スラウェシ科研では、テンペ湖水系の自然資源利用に関する調査はおこないませんが、南スラウェシ全体の自然資源利用に関するさまざまな文献資料および住民・行政の活動に関する情報収集を続けてきました。新聞や雑誌のクリッピング、その他の行政資料の収集などです。

トラジャ地域(山)とスプルモンデ諸島地域(海)との比較調査が、スラウェシ科研の中心的課題となっていますが、スラウェシ島で散見されるさまざまな自然資源利用をめぐる社会経済的変容にも、アンテナを張り巡らせています。このことが、また次の活動に繋がることを考えています。

2005-08-08/Monday

celebes2005-08-08

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写真は2000年8月、南スラウェシ州テンペ湖で撮影したものです(写真撮影:浜元聡子)。

テンペ湖は、ソッペン県、ワジョ県、そしてシデンレン・ラッパン県(シドラップ県)の県境に広がる湖です。雨季と乾季では、汀線の位置が異なるため、水域の広さも拡大縮小します。写真に見える樹木は、ロンタルヤシ(パルミラヤシ:オウギヤシ属 Borassus flabellifer)です。以前に紹介した南スラウェシの固有文字ロンタラは、このヤシ葉を編んで作る籠やウルチ米を蒸すための小さく編んだ籠の編み目の形(<・>) から作られたと伝えられています。(参照→id:celebes:20050714

雨季になると、写真に見えているロンタルヤシの木は根元のほうがすっかりと、完全に水没してしまいます。木が生えているあたりは、ちょうど湖と汀線とその向こうの湿地帯の境目のあたりです。小舟に乗った男性の後ろの黄緑のあたりは水草が生い茂っています。そのあたりに小魚やテナガエビが潜んでいます。

乾季の真っ盛りである8月は、ロンタルヤシの実を売り歩く人をよく見かけます。半透明の乳白色をした果肉は、とてもさわやかそうでついつい買ってしまうのですが、新鮮でおいしいものを選ぶのは、シロウトでは難しいようで、いつも失敗してしまいます。すっかり熟して、甘くなりすぎているものばかりをつかまされてしまいます。小さなポリエチレンの袋に10ヶほど入ったものが、3袋で3,000ルピアほど。つまり全部で25円くらいでしょうか。ロンタルヤシの先端部からは樹液を採集してヤシ酒が作られます。シドラップ県を海岸に抜ける街道には、ヤシ酒とおつまみになるアヒルの甘辛煮を売る屋台が延々と続いています。ヤシ酒はのど越しがさわやかですが、糖度が高く、極めて危険なアルコールです。ついつい盃を重ねてしまうので、注意が必要です。

2005-08-02/Tuesday

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南スラウェシ州では、儀礼の際にかならず準備されるお菓子があります。

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オンバッ・オンバッ

モチ米の粉を水で練って団子にしたものをウズラの卵ふたつ分くらいの大きさにします。色と香り付けには、パンダン(Pandanus tectorius、タコノキ科タコノキ属アダン)の葉を石臼ですり潰したものを絞って取り出した水分を混ぜます。とてもよい香りがつきます。その中に、ココナツの果肉をおろし器でおろしたものとヤシ砂糖のかたまりをカツオ節のように削ったものを合わせたものを入れて、丸めます。このとき、小さくカットしたヤシ砂糖の固まりも入れます。これを沸騰したお湯に入れます。できあったら、お鍋の底から浮かび上がってきます。これをすくい上げて、しっかり水切りをしたら、おろしココナツを全体にまぶしてできあがり。どんなどん底な状況に陥っても、かならずいつか再浮上するように、という意味が込められています。口の中にいれて噛むと、ヤシ砂糖の固まりが歯ごたえを残しながらじわりと溶けるので、おいしさも倍増します。

クエ・ラピス

ラピスとは「層」のことです。バームクーヘンのように、一枚ずつ、剥がして食べることができます。

ウルチ米の粉に新鮮なココナツミルクを混ぜます。そこに上白糖をまぜます。大きなお鍋にお湯を沸かし、四角いバットを浮かせます。少しずつ、米粉とココナツミルクを合わせた溶液を流し込みます。最初の層がある程度に固まったら、第二回目を投入。これをバットの縁に達するまで繰り返します。

できあがったクエ・ラピスは、上品なミルク色をしています。日本のういろうにそっくりです。一枚ずつ、剥がして食べるのがおいしいのですが、あまりお行儀がよろしくないとのこと。

人生は、辛いことも楽しいことも、すべて順番に重なっているのだから、悪いことが起きても絶望せずに、どんどん、新しいページをめくっていくように、という意味が込められています。

そして、なんといってもチュチュール・バヤオ。黄色と緑があります。チュチュールとは「儀礼用のお供え」、バヤオとは「卵」を表すマカッサル語です。

小麦粉にお砂糖をたっぷりと混ぜ合わせ、卵、キャンドルナッツ(インドネシア語ではクミリ:Aleurites moluccana、トウダイグサ科アブラギリ属ククイノキ)をすり潰したものを混ぜます。クミリは、コクのある味を付けるためです。これを、アルミ製の小さなプリン型のようなものに入れて蒸します。

卵は卵黄を多めに使うので、色は黄色になります。できあがったまだ暑いもの(蒸しパン状のもの)を、上白糖を水に溶いて温めたものに一昼夜、浸しておきます。これが黄色のもの。

緑のものは、黄色を作るときに余った卵白を使います。これをあまりしっかりと泡立てず、少量の米粉とお砂糖、パンダンの絞り汁を合わせて正方形のバットに流し込み、蒸します。長方形にカットしてできあがり。

バロンコ

バナナ・プディングです。

よく熟した生食用バナナ*1を適度な適度な暑さの輪切りにいしたものを、さらに軽くすり潰します。そこに、上白糖、ココナツミルクを混ぜ合わせ、最後に溶き卵を入れてざくっと混ぜあわせます。それを、若いバナナの葉を30センチ角ほどに四角く切ったものの四隅を合わせて作った容器に流し入れ、最終的には3枚ほどのバナナの葉をカットしたものに成形します。これを蒸し器で蒸します。

できたてのアツアツもおいしいですが、冷やすとたいへん上品なお菓子になります。バナナの葉を成形するときに、最近ではホチキスを使うことが多くなりましたが、ヤシ葉の葉柄を細く割いたものを使います。

どれも極めつけに甘いものばかりですが、十分に長い期間、鮮度を保つための工夫です。

さて、写真の中では、どれがどのお菓子でしょうか?

*1:バナナには生食用と調理用の種類があります。→参照:http://www.geocities.jp/banana_rnj/