スラウェシ地域研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2008-10-10/Friday トビウオの話

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マカッサル海峡では、毎年、5月から8月一杯までが、トビウオの卵漁の漁期です。漁場は、バランロンポ島からずっと西のほうのカルカルクアン・マサリマ諸島Kepulauan Kalu-kalukuang Masalimaの海域。ランカイ島やランジュカン島の沖合もまた、漁場のひとつ。出漁するのは、タカラール県北ガレソン郡と南ガレソン郡の漁師たちです。ココヤシの葉をたくさん船に積み込み、これを漁場の海に流します。トビウオは、このヤシ葉の陰に卵を産み付けるのです。それを引き上げ、マカッサルへ運びます。卵は日本や韓国、そしてアメリカなどにも輸出され、お寿司などの具や、さまざまな総菜の材料となります。

マカッサル語でトビウオは、トラニtoraniトビウオ漁に従事する漁民のことは、パ・トラニPa'toraniといいます。トビウオにはもうひとつ呼び名があります。トゥイン・トゥインTuing-tuingといいます。この呼び名に関しては、ちょっとしたユニークな説明がありますので紹介してみましょう。

マカッサル語では、星のことをビントゥイン(ビントゥエン)bintoing/bintoengといいます。流れ星が海に落ちて、それが海面をトゥイン、トゥインと跳ねて、トビウオになったのだ、というもの。マカッサル語では、名詞をふたつ重ねることで、より小さな形のもの/若いものの意味になります*1。たとえば、ラヤンという魚の若いものは、ラヤン・ラヤン。チャカラン(カツオ)の場合は、チャカ・チャカラン、というようになります。トゥイン・トゥインは、海に落ちた小さな星という意味になるでしょうか。トビウオの卵は、バランロンポ島でも、よく食されます。ジュルック・ニピス(小さな柑橘類)を絞ったジュースをかけてお酢でしめるようにしばらくおいたあと、ココナツをおろし金ですり下ろしたものと、千切りにしたまだ青いマンゴを混ぜ合わせるだけ。これは島のバジャウの人びとの好んで食べる料理でもあります。トビウオのかわりにイカン・ルーレやイカン・マイロ(カタクチイワシやキビナゴ)などの小さな魚をさっと湯に通したものを混ぜることもあります。マカッサルの田舎の料理は、ただ辛いだけではなく、チャンバインドネシア語ではアサム:タマリンド)や青いマンゴなど酸味を重視した味付けがたくさんあります。魚の煮炊きも、ゴレンも、基本の味付けは、チャンバ。チャンバという地名やその派生語が地名となった場所がたくさんあるのは、マカッサルの人にとってチャンバがとても重要な食材であるからなのかもしれませんね。

さてトビウオが海に落ちた小さな星だとしたら、トビウオの卵は星の卵になるでしょうか。カサール(粗野)な人びとだといわれることの多いマカッサルの海の人びとですが、ロマンチックな言い伝えや民話もまたあるのです。

*1:複数形となる場合もあります。Kalu-kalukuangは、ココヤシの木がたくさんある場所という意味。

2008-10-06/Monday ポッポとナンナとノナ・バンコ

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かれこれ13年近く、バランロンポ島で地域研究の調査を続けてきました。この2年ほどは、長い期間、バランロンポ島を訪れることができず、一年の間に3回ほどは島を訪れるものの、毎回、3日間ほどが精一杯でした。

バランロンポ島には、マカッサルの人、ブギスの人、華人系の人、ムラユの人、マンダールの人、バジャウの人、アラブの末裔の人、ジャワの人などが、住んでいます。どの民族名を名乗るかは、自称と他称では当たり前のように異なります。歴としたムスリムの人であっても、アチ(華人女性に対する呼称)やオンコ、ババ(いずれも華人男性に対する呼称)がムスリム名の前に着く人がいます。わたしの家のibuも、ハッジ・アチ・ママ*1と呼ばれています。

さて、この懐かしい島の家の隣には、おばあさんが3人住んでいました。1920年代から1960年代にかけて、バランロンポ島の交易活動華やかなり頃に、多くの商業船や漁船を所有し、カンポン・チナとカンポン・ムラユのちょうど境目の、島一番の立地に大きな高床式家屋を構えていた華人商人の三人娘です。姉妹の呼称は、長女がノナ・ロンポ、次女がノナ・タンガ・三女がのな・チャッディ、末っ子がノナ・ブンコ(バンコ)となります。ポッポとナンナは、ノナ・ロンポとノナ・タンガが詰まったもの。三姉妹は敬虔なムスリムでありましたが、見た目はどこから見ても、華人のおばあさんでした。プカロンガン柄の色彩が鮮やかで、美しい花の絵がモチーフのバティックは、とくに華人が好んだもの。三姉妹の父親がいつの日か、交易活動の途中で立ち寄ったスラバヤで求めたものだと聞きました。男性用と女性用の対になった動物模様の美しいバティックをみせてもらったこともあります。経年変化と厳しい島の気象条件のため、虫に喰われたり退色した部分もありますが、模様をじっと見ていると、小さな島のダイナミズムが浮かび上がってくるような感覚が沸きあがってきたものでした。

この三姉妹は、わたしを孫のようにかわいがってくれました。わたしもまた、早くに亡くした祖母によく似た、ナンナおばあさんからは、昔の話をたくさん聞かせてもらいました。

昨年1月6日に、ナンナおばあさんの娘さん、ビビ・チェッが亡くなりました。その一年後、今年の1月26日に、ナンナおばあさんが老衰のために亡くなりました。残されたポッポとノナ・ブンコは、それでも足繁く訪れる近所の人や孫たちに囲まれて、ままごとのような台所で、慎ましくも楽しい生活をしていました。そして先月26日、断食月最後の金曜礼拝があった日、ポッポは少し西日が差し込んできた寝床でいつものように昼寝をしていたようですが、そのまま目覚めることはありませんでした。

13年前からおばあさんであった三姉妹は、亡くなったときはもっとおばあさんになっていた筈なのですが、わたしの目にはみな、最初にあったときと同じように、元気でおしゃべりで大きな声のマカッサルのおばあさんでした。カンポン・ムラユのインチェ・マンドゥ、カンポン・バジャウのダエン・アルサ、産婆のサンロ・シッティ、サンロ・ジュムリア、仕立て屋のノナ・スイ、バジャウの儀礼・ティッティリ・バンタンを司る呪術師マ・タッラ。このおばあさん、おじいさんたちのおかげで、たくさんの昔の話を聞くことができました。博士論文までしたものの、その後、今日まで放ったらかしにしてしまっていて、この人びとに御礼をすることがまだできていないことが悔やまれます。

ポッポおばあさんの初七日の儀礼には、たくさんの人が集まりました。島に帰れば、真っ先に挨拶に立ち寄った三姉妹の家も、まもなく取りつぶされると聞きました。経済生活や自然環境の変化だけに目を留めてきたわけですが、人が亡くなるということの変化がそこに加わるようになりました。わずか13年の関わりに過ぎませんが、どれだけ大切な人びとであったことでしょう。ポッポおばあさんの冥福を祈ります。

*1:マ・ラフマが詰まったもの。

2007-05-04/Friday

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4月29日、無事にジョグジャカルタはバントゥル県パンダック郡ウィジレジョ村ゲシアン村で、京都大学東南アジア研究所の震災募金を財源とする「プカランガン計画」の開始式がありました。ガジャマダ大学留学中の日本人学生による寸劇で、これからここでおこなわれる予定の活動などを、こどもたちや女性たちにわかりやすく説明。集まったおよそ120人ほどの住民も、最後まで楽しみながらこのイベントに参加していただけたようでした。

さて例によって、ジャワ語とインドネシア語混じりのPidato(演説)を用意し、Sambutan(挨拶)をおこないました。このときはだれにもなにも指摘されなかったのですが、日本に帰国後、友人によんでもらい、チェックしてもらったところ、「おもしろい。。これはジャワ語みたいなインドネシア語だね」とのコメント。ついでに用意していた計画の活動主旨説明文も読んでもらったところ、そちらもジャワ語的インドネシア語文だとか。書いている本人はまったくの無自覚なので、興味深い指摘でありました。

さて、このプカランガン計画は、地域研究のあたらしいパラダイムを見つけることも念頭において立てられたプログラムです。研究者が積極的に地域にコミットしながら、一緒に新しいことを始めようという試みです。今月末には、ジャワの村の人々を連れて、マカッサルを訪れます。自然災害の被災にあった村を訪問し、社会経済的な復興がいかにおこなわれたかをみてもらおうと考えています。スラウェシとジャワは、どのようにつながっていくことができるのでしょうか。

同じインドネシアでも、ほとんど接点のないままでいたかもしれないふたつの地域。これを日本人が媒介役となって地域と地域の新しい動態を作りだすことを試みようとしています。うまくいくも失敗もなく、なにかおもしろい反応がみられたら、それでOKだと思います。マカッサル育ちのくせに、ジャワ語的インドネシア語を話す立場として、どんなふうにこのプログラムを進めていくことができるのか、とても楽しみにしています。

2007-04-16/Monday

celebes2007-04-16

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Siapa nama kita?

スラウェシでこのように質問されたら、どのように答えるべきでしょう?一般的なインドネシア語の辞書的意味に従って頭の中で翻訳すれば、一瞬、とまどうはずです。この質問の意味は、「わたしたちのお名前はなんですか?」となります。えっ?、誰のことをきかれているのだろう?と、あたりをきょろきょろと見回すことになるでしょう。

スラウェシで聞かれた場合は、素直に、「はい、わたしの名前は、ダエン・ケボです」と答えます。スラウェシではkitaは、「あなた」という意味で使われています。しかも適度に丁寧な意味合いが込められていますので、Andaと同義語といっても差し支えないでしょう。日本で少しインドネシア語を勉強してきた人たちは、大抵、この質問に面食らいます。この人には、自分の背後に別の人影がみえるのだろうか?と思うこともあるでしょう。

スラウェシのほぼ全域、東カリマンタン沿岸部、そしてマレーシアはサバ州のあたりまで、二人称単数としてのkitaの使い方がみられます。

さて、そのような環境でインドネシア語を勉強してきたわたしは、ジョグジャカルタではたいへんな苦労をしました。Kitaはとても便利なことばで、適度な丁寧さが込められているため、初対面の人で名前がよくわからない場合などに重宝できました。またタクシーの運転手、店員さん、郵便局の窓口のひとに、普通に問題なく使える人称代名詞です。しかしこの法則は、ジャワではなりたたない。??なに??、だれのことを聞いているの?と問い返されたときに初めて、ああ、ここはスラウェシではない、そんなことを実感したものです。

2007-04-12/Thursday

celebes2007-04-12

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ジャワ震災緊急支援活動

京都大学東南アジア研究所が昨年おこなった、ジャワ震災緊急支援活動で集められた義援金の使途です。募金していただきましたみなさまには、報告が遅くなりましたことをお詫び申し上げるとともに、あらためて御礼を申し上げます。

大型の地震や津波などの自然災害のみならず、地滑り・洪水・有毒ガスの発生などの自然災害は、インドネシア国内で日常的に発生しています。被災地域の復興には、さまざまな形の活動が関わっています。自然災害からの復興を遂げた地域やその途上にある地域が、なんらかの形でつながるネットワークをつくることができるだろうか、そのようなことを考えています。自然災害を経験していない地域が、防災や減災について考えるようなきっかけを作ることができないだろうか、そのようなことも考えています。スラウェシとジャワを結ぶものは、案外とこのような日常生活の中で起こりうる現象となるのかもしれません。地域研究のひとつの方向性となりうるでしょうか。

(浜元聡子:京都大学東南アジア研究所)

2007-04-10/Tuesday

リドワンくんの著書

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こちらより → exblog インドネシア語の中庭ノート

象とその鼻 : exblog インドネシア語の中庭ノート:このエントリーがたいへん興味深かったです。

ジョグジャカルタで、にわかジャワ語学習徒となったわたしは、しばしばジャワ語の先生に、「インドネシア語でもいつもジャワ語の語順で話していますね。なぜに?」と面白がられました。

Gajah berbelalai panjang. :象は長い鼻をしている/Gajah belalainya panjang. :象の鼻は長い。ジャワ語の先生によれば、わたしはいつも後者の語順で話しているのだとか。以前にジャワ語を勉強していたのかとも尋ねられました。ところが、わたしはジャワ語はおろか、インドネシア語すらも独学でしか勉強したことがありません。十年目にして初めて、語学学校で文法を習ったわけです。マカッサル語もまた耳学問ですが、バランロンポ島の中学校で、muatan lokal basa mangkasarak だけ、聴講していた程度です。それでもジャワ語の語順のことで、さほどに苦労しなかったのは、やはり京都弁の影響なのでしょうか。あるいはやはりマカッサル語の影響なのか。いずれにしても、インドネシア語の先生が、わたしが書いたインドネシア語の作文を添削する度に、「ジャワ語の語順で書かれたインドネシア語ですね‥」と苦笑されていたことを思い出しました。

2007-04-09/Monday

celebes2007-04-09

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マカッサルとジョグジャに共通する乗り物、ベチャ。旅行ガイドブックやその他の情報源によれば、ベチャを利用する前にはかならず値段を交渉せよ、とあります。が、ことばに問題がなかったり、行き先のまでの距離や道順をわかっている場合は、このプロセスは省略可能。むしろ、下手に値段を交渉してしまうと、とんでもない金額を請求されることもありますし、値段交渉にうんざりしてしまい、二度と乗りたくなくなってしまうこともあります。マカッサルだと、対抗四車線かつ交差点に信号があるおおきな通りをひとつの単位の目安とできます。これをひとつ、ふたつと数えて、支払う金額を決めます。自分で納得いく金額を計算したら、そこにさらに1,000ルピアほど足す。これでほぼ問題はありません。問題は、「単位」をどのように設定するかです。これがむずかしいのですが、ある程度、失敗を重ねれば、なんとなく相場がわかってくると思います。しかしながら、マカッサルとジョグジャは、どちらも一方通行の道がたくさんあることが特徴。行きたい場所がわかっていても、どの通りをどちらから通るかによっては、自分の思う金額では足りないくらいに遠回りをしてしまうこともあります。ベチャに乗るときは、損得を考えるのではなく、景色を楽しむとか、のんびりと観光気分に浸るといった気持ちで乗る方がよいかもしれません。

さて、スラウェシの海ではどうでしょう。基本的にはどんな漁船にも便乗可能です。何泊もするような場合であっても、場所さえあれば、船に乗せてくれます。問題の料金は、基本的には無料。食事を用意してくれることさえも普通にあります。降りるときには、ちょっとした心付けをわたしたり、たばこのような嗜好品やお菓子をわたします。写真は今年の1月3日、バランロンポ島からマカッサルへ戻るナマコ漁船の上からの写真。西スラウェシでアダム・エアーが行方不明になってから3日目の朝、ようやくスプルモンデ諸島近海は、嵐が去り、霧が晴れました。それでもこの日、バランロンポ島から出航した船はこの一隻だけでした。この空のいろと波の立ち方なので、このあたりの漁船は年末(イドゥル・アドゥハ)以来、6日間、一隻も出航しませんでした。十分に注意するようにとの指示が政府から出されていたからでもあります。