スラウェシ地域研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

京都大学東南アジア研究所:スラウェシ科研のサイトへ
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2005-06-08/Wednesday

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  • 京都大学東南アジア研究所には、たくさんの大学院生が地域研究を学んでいます。このカテゴリーでは、スラウェシ地域の外の風景を紹介します。大学院アジアアフリカ地域研究研究科東南アジア地域論講座は、協力講座として東南アジア研究所内にあります。そこで研究を続けている大学院生が書いた「フィールドの風景」をとおして、東南アジアの風景をさまざまな経験と角度からながめていこうと考えています。
  • 本日の散文は、加藤眞理子さんにお願いしました。東北タイでのフィールドワークの経験の豊富さには、他の追随をゆるしません。ゆったりとした時間の流れに身を委ねているように見えて、村の風景の隅々にまで深い洞察力を放ってきました*1。「結婚式」には、政治も経済も宗教も資源利用もなにもかもが要素として含まれています。東北タイの風景とスラウェシの風景とでは、なにがおなじでなにがちがうでしょうか。ディテイルは異なりますが、南スラウェシにおける婚約の成立までの段階と、ひじょうによく似ているような気がしました。

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■東北タイ農村の結婚式風景

加藤眞理子

非常に失礼な言い方だとは思うが、千手観音になりたいときがある。

例えば、東北タイの農村に滞在しているとき。時期によって結婚式が集中する。そもそも近隣村や同じ村で相手を見つけることが多いので、新郎新婦、両方の家で儀礼が行われる。そんなとき、私はいつも式場カメラマンを頼まれてしまう。

私も招待され、ただでごちそうを食べさせてもらえるのだから、よしと思わなければならないのだが、本業は学生である。調査に来たのだ。フィールドノートとカメラとテープレコーダーを持ち、人々の要求に応える。これは非常に難しい。カメラを持つと、ノートが書けない。ノートを書いていると、「マリコ、マリコ、早くとって!」と言われる。そして狭い家の中で、たくさんの親族が膝をつき合わせて座っているので、写真を撮るのにいい場所を確保できない。結局、多くの結婚式に参加したが、まともに儀礼の様子をノートできたことは一度もなかった。写真の方も、やたら人の背中をとっていたり、記念撮影タイプのものが多く、全く自分の美的センスを疑う。

逆にカメラを出すことを遠慮してしまうときもある。例えば、婚資交渉の場。未婚の男性は、好きな相手ができると、両親に頼んで、結婚を乞いに行ってもらわなければならない。男性側の親族たちが、前もって約束した上、女性側の親族の元を訪れ、結婚する際男性の両親が、娘の両親に払う婚資の額を交渉するのだ。東北タイでは、結婚後妻方居住する傾向が強いので、相手の女性を買うという意識はない。結婚相手である女性をこれまで育ててくれた感謝の意味を込め、「母乳代」と呼んでいる。そして現在では新婚夫婦が新生活を始めるための資金として、全額新郎新婦に渡す親もいる。

婚資交渉の場は、婚資の額を巡って、新しく親族関係を結ぼうとする人々の力のせめぎ合いの場でもある。ここで初めて、将来の親族の顔を見るのだ。そして誰がその中心人物なのか、どのような性格の人々なのか、これから先、親族となったとき、楽しくやっていけるのだろうかといったことを、この場で確かめるのだ。

交渉のやり方にはパターンがある。まず男性側の親族が、額を提示する。そして女性側の親族が、それでは安いと、いろいろな理由を言って額をつり上げようとする。例えば、うちは商売しているから、新郎が来ても仕事はあるよ。または将来年老いた親の面倒をみるはずになっている末娘だから、、、等々。それに対して、男性側の親族は、これまた様々な理由をつけて、額を低く抑えようとする。最終的には、双方が少しずつ折れて、交渉成立となるのだが、成立しないときもある。片方の親族の誰かが、「それならもういい!帰ろう!」と言って帰り、破談となることもある。

交渉が成立すると、食事が振る舞われ、宴会となり、カメラを出してもいい雰囲気となるのだが、交渉がまだどうなるかわからない状態のときは、さすがに緊迫した雰囲気に押され、カメラを出すことができない。私は気が弱いのだ。こういうときは、透明人間になりたいと思う。

この写真の新郎新婦は、恋愛した後、結婚に至った。双方の両親も、お互い好きあっていることを知っていたため、婚資交渉はスムーズに行われた。入婿となった新郎は、妻の親族に囲まれる中、新しい人間関係を築こうとがんばっている。姑、小姑にいびられながら。

*1:加藤眞理子さんは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)院生。薬剤師を経て東北タイ・コンケーン大学を卒業後、ASAFASに入学。東北タイにおいて仏教徒であり女性である人びととの深い関わりを手がかりに、文化人類学的地域研究に従事しています。

2005-06-07/Tuesday

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写真は1999年10月に撮影したものです。南スラウェシのブギス−マカッサルの結婚式では、マカッサル語でコロンティギと呼ばれる儀礼が前夜におこなわれます*1。二部構成の儀礼のうち、第一部のタマット・ムンガジをおこなっている場面を撮影しました(写真撮影:浜元聡子)。

タマットtamatとは卒業する、修了する、なにかを終えるという意味、ムンガジmengajiとはイスラームの啓典クルアーンコーラン)の読み方を学習することをさすインドネシア語です。コロンティギ儀礼を司るのは、村のイマーム。イマームとはイスラームの宗教的指導者のこと。適齢期を迎えた人が結婚するということは、よきムスリムとして十分にコーランを理解しており、人間的にも成熟していることを意味します。その最期の仕上げとして、イマームと差し向かえで教義問答をおこなうのです。結婚するのは左側の着飾った女性、右側の男の子はちょうど割礼を終えたばかりの弟です。どちらも「大人」になるという時機だったので、ふたりが同時にタマット・ムンガジをおこなっています。

コロンティギ儀礼の第二部は、やはりイマームが司ります。写真には写っていませんが、ベッドの足下のほうにはモスクに管理されている聖なるタンバリンや太鼓を手に持った男性が8人座っています。イマームの読経に合わせて、バラサンジbarazanjiを唱和します。それを聞きながら、新婦の知人や家族が関係が遠い順に並び、ダウン・コロンティギ*2の葉を擂り潰しタマリンドや香料を加えて練り香にしたものを、バナナの葉で作った刷毛を使って、新婦の手の平に練り香をすり付けていきます。すると手の平が赤く染まってきます。儀礼が終わった瞬間、残った練り香を、独身の女性たちが奪い合います。自分も早く結婚できるようにと、練り香を眉間とこめかみに刷り込むのです。インドネシアでは、断食月が明ける七夜前には、爪先を赤く染める習慣が広く見られます。それとおなじように爪先に練り香を乗せて染めると、爪が伸びて色が消えるまでに結婚できる…などという人もいます。

新郎新婦はコロンティギ儀礼を、それぞれの両親の家でおこないます。おもしろいのは、この儀礼は午後7時過ぎの礼拝が終わると、ほぼ同時刻にそれぞれの家で同時におこなわれること。そして、コロンティギの練り香は、第二部の儀礼が始まる直前に、相手方の家族の使者によって運び込まれてきます。自分の家で用意した練り香は、相手方に使われるのです。練り香には、メッカ巡礼に行った家族が持ち帰ってきた香水や上質のヘンナも混ぜられます。練り香を入れる容器もやはりメッカ土産の真鍮製の小さな盃と盆です。この容器を交換することで、家族の中に巡礼経験者がいることが穏やかにアピールされるのです。どこまでがブギス−マカッサルの儀礼で、どこまでがイスラームと関連する儀礼なのか、容易にわからない部分も多いのですが、結婚に関する儀礼の中では、間違いなくもっとも静かにおこなわれるものでしょう。

*1:ブギス語でマ・パッチィと呼ばれますが、コロンティギとまったく同一の内容。

*2:ダウンはインドネシア語で「葉」のこと。ダウン・パチャール(恋人の葉っぱ)とも呼ばれるミソハギ科の木。Lawsonia inermis L.→http://www.nippon-shinyaku.co.jp/ns07/ns07_03/02_09/