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un morceau de la vie ordinaire  日常生活の断片 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-02-19

『キングス&クイーン』(アルノー・デプレシャン)

| 02:30

最近ぶろぐ散歩をよくしておりますが、貧弱ぶろぐばっかりです(わたし様発言お許し願えればこの先読んでください)。99%と言いたい。貧弱の定義は「闘っていない」ということです。わたしはHPやぶろぐで、世界やじぶんと闘ってるつもりなんですけれどね。だからぶろぐにおさまってしまうのがいやでHPをはじめたわけなんです。たらたら綴っているものは、わたしなりの格闘の記録なんざます。だからそれだけは自信があるのです。意味不明だろうがなんだろうが、じぶんじしんと世界の闘いの歴史なんざます。でもみんな人生闘って生きているんだろうなぁ。あ、自己嫌悪。

映画において、ストーリーやキャラクター、国や民族の文化に惑わされたくないです。その先にあるものを観たいから。映画を思考するなんていうほどのものではないけれど、気に入った文学作品をなめまわすように読んだり、好きな音楽を1000回も2000回も聴くのと同様、本来、ゆがんだ筒であるわたしは、終始ゆがんだ筒でありたい。四方八方に拡げることはできないけれど、せめて受け入れてわたしなりに排出したいと常々おもっております。

『キングス&クイーン』ほんとうにほんとうに大好きな映画。前も映画評(?)書いたけれど、また書きます。『魂を救え!』との接点もなんとなく見出しました。イスマエルがかつて血の繋がらない親子だった7歳の息子に言います。「過去は消えるものじゃない。ぼくときみの間に残る。名前はないがぼくらの記憶に存在する。不思議だろう?」

わたしは初見の時、じぶんの見たくない部分や汚い部分を踏みにじって生きている、というようなことをおもいました。それを綴りました。やはりそのことも強烈に感じましたが、それ以上に吸収できたような気がします。ノラは最後、「人生は不思議だ。愛した4人の男のうち、2人を死なせた。だからと言って悔やみはしない。残ったふたりが歩いてくる 2人がわたしより長生きならそれで十分。そこで不幸は終わる」

ああ。そうか。愛と憎悪のものがたりだったんだ。おろかで浅はかなわたしは今の今までわかりませんでした。わたしの心貧しいなぁ。ノラは自分史を不幸の根源だとおもっているわけです(たぶん)。死ねばC'est fini.全部終わるのです。死ぬまで生きる覚悟を持ちたい。そして、できることなら、わたしにかかわった人が皆幸せになってほしい。そんな気持ちにさせてくれる映画でした。

水は喉の渇きが、陸は越えてきた海が、恍惚は苦痛が、平和は戦いの物語が教えてくれる。愛はその記念碑。ノラはもう渇きはない。2本の脚で大地(世界)に立ち、安らぎのなかにいる。

ノラもアリエルもイスマエルもわたしたちも、みんな世界のうえに立っている。死者の上に。過去の世界の延長線上の世界に。未来へ続く希望という危うげなものを抱えた道程に。でも今わたしはここにいる。大地、今、まさに今の世界の上に存在している。その自覚を持つか持たないかを迫られた気がしました。そして、深く感動しました。

キングス&クイーン [DVD]

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