「香淳皇后と激動の昭和」


久しくここの更新をサボってました!(汗)
いやぁー公私共にいろいろありまして、パソコンの前に座ってもメールを確認するのがやっと…という日が続いておりましたが、なんとかやっと一段落でございます^^;




習っている書道の会の展覧会に「今度こそは何か出品しろ」と先生から言われたものの、それを心静かに制作する暇もなく・・・だったのですが、既に時遅し、今さら辞退することもできず、「えぇーいっ、もぉーどうにでもなれ!」…という開き直りのヤッツケ仕事。筆に墨を含ませるなり、だだだぁぁーと書いたところ、それが今回はたまたま吉と出たのかどうなのか?、先生には「勢いのある良い作品ね〜」などと誉めていただき、ホッと胸なでおろし・・・たのも束の間、今度は職場である問題が発生し、しばらくそれに翻弄されました。
登校拒否が常態化している息子のこともありますし、考えることも、やらなきゃいけないことも多過ぎる毎日なんですけども、「一つ一つ片付けていくしかない」と腹をくくるしかありませんよね。




そうした毎日の通勤の行き帰りに読んだ本は、なぜかとても私を勇気づけてくれるものでした。


香淳皇后と激動の昭和 (中公文庫)』 工藤美代子著


2000年に単行本として出版され、先月9月に文庫本として再登場、新刊発売されたものです。




これを読んでいると、激動の時代を、昭和天皇と共に、皇后という特別な立場で生き抜かれた皇太后さま、香淳皇后のご生涯に、胸をぐっと突かれ、感動することしきりでした。
あのおっとりとした優しい笑顔の向こうに、これだけの苦しみを抱えてお過ごしだったのか…と、非常に客観的で冷静な筆者の文章から改めて知ることも多く、現在の皇室が抱えている諸問題の発端にふれる部分もありましたし、しかしそうした中で、皇后さまが一人の女性として実に気高く御自分を律しておられたことに、何よりも驚きました。


まず香淳皇后が、まだ久邇宮家の良子女王と呼ばれていた頃、皇太子との婚約も決まり公に発表され、お妃教育も何年も受けていながら、当時の薩長の確執による政治的駆け引きの中で、危うく破談にされる危機に直面された件などは、これまでも何冊かの本で読んではきましたが、本当にどんなにか若い姫君の心を傷つけたことだろうか…と、こちらまで涙ぐんでしまうほどです。
このことがモトになるわだかまりから、大正天皇の后であり皇太子の実母である貞明皇后と、長きに渡ってうまくいかず、いわゆる嫁姑関係がこじれてしまうのですが、これにしても、間にいろいろな人やしきたりの壁があったがゆえのご不幸のように感じます。
お子様が生まれても、お手元で育てることもかなわず、まだ幼いうちから引き離される寂しさに耐えねばならず、そればかりか、内親王の御出産が続き、しばらく親王をお産みにならなかったことから、周囲から強く側室を勧められる…など、それは寂しくお辛かったことと思うのです。


香淳皇后と激動の昭和 (中公文庫)ただ本当に素晴らしいのは、どんな困難が立ちはだかろうとも、昭和天皇の愛情が誠意にあふれ、どこまでも皇后さまに寄り添っていらしたことです。
ここまで細やかな夫婦愛で長年結ばれたカップルは、世間を探しても、そうそう見つかるものではないでしょう。




戦争では5月の東京大空襲で、ついに皇居の宮殿すらも全焼。
そして、敗戦。




自ら面会に訪れ、「全責任は私にある」と仰った天皇陛下に、深い感銘を受けたマッカーサーの話は有名ですが、宮殿消失後も疎開されることなく皇居内防空壕に留まり、毎日ご自分の手で外地から引き上げてきた人々のために「何か着るものを」と休みなく縫い物をされていた皇后さまのエピソードにも、ご夫婦のお心は常に「国民のために私達はある」というところで一致していらしたのだと思います。
こうした昭和天皇香淳皇后の姿勢は、今の天皇皇后両陛下にもそのまま受け継がれていると思いますし、それをこれまで維持されてきたお気持ちの強さや、それに伴うご苦労はいかばかりだったろうかと思います。




天皇制なんかいらないよ」と軽く言ってのける人々は論外ですが、皇室の献身をあたかも「当たり前」のことのように考えて、無神経に不自由を強い、人間として当然与えられるべき個人の領域も侵害する宮内庁やマスコミ、中途半端に右掛かった人々に、私は言いたいです。


天皇家の皆様の、これまでの血のにじむような御努力に、少なくとももっと感謝しませんか?・・・と。
実態とかけ離れたところで憎悪したり排除したりしようとするのではなく、また逆に、自分の都合に合わせて過剰に崇拝するのでもなく、ごく自然に人として敬意を払い、感謝すべきなのではないでしょうか。






ところで・・・・全然関係ありませんが、そもそも私は平安王朝文学のファンなのであります!
(といっても「原文」で読めるわけではありませんが・・)
ただただ源氏物語枕草子なんかの世界観が好きなわけですが、あの時代の姫君のように美しいお手で手紙が書きたいという野望もあり、書道を習い始めたわけですが、そこそこ形の真似はできるようになっても、なかなか難しいものですよね^^
やはり長い歴史が育んだ文化芸術の奥は、どこまでも深いものでございますゎ・・
こうした文化の伝承者とだけ定義付けたとしたって、皇室は実に貴重、実に稀有な存在でいらっしゃいますよ〜〜
ましてやそれだけではないのですから、やはり千代に八千代に続いていってもらいたいではありませんか!
(私としては「男系」にこだわるのは納得いかんけれどもネ!)




ずるい女…?


昨日のココに書いた記事を読んだ夫、セレフィカさんが一言。
「ゆうちゃんは、今までに、男性から特に理不尽な扱いを受けたことがあるの?」


・・・うぅ〜ん・・
よく考えてみると、私はこれまでに、男性からこれといって不当な目に遭わされたことは、無いような気がします・・・ハイ。


父は、娘にはとにかく甘い父でしたし、それは今も同じです。
「やりたい」「学びたい」と私や妹が望んだことは、何でもさせてくれましたし、進路を制限されたこともありません。


さらにセレさんが指摘・・・。
「しかも、ゆうちゃんは大学時代、アッシー&ミツグくん何人かを、けっこう上手に利用してたよねー? 罪悪感もなく。」


うぅ・・・痛いところを・・


おまけに息子までが追い討ちをかけるように言います。
「家で一番威張ってるのは、お母さんだよ。お母さんは、威張り過ぎだ。」


さらにセレさん曰く・・
「そもそもゆうちゃんは、女性としての美味しい部分は、かなり享受してるくせに、“男へのルサンチマン”を持つって、それ矛盾してない?」



あぁ〜〜〜うぅ〜〜〜だからですねぇーーー
私は、具体的な男性…というよりは、この世の底に流れる「男性優位」の価値観に傷つけられてきたわけです!




しかし・・・これって、説得力ないかもしれませんよね〜ヾ(^o^; )


あぁーそのことが、またまた悔しいなぁ・・



男嫌い


以前も書きましたが、私は、とある旧家の生まれです。


母は、男子の跡継ぎを産むことを、結婚当初から期待されていました。
いや、「期待」なんてものではありません。
それは、ほとんど「義務」でした。


ところが、母は娘を二人しか産みませんでした。
私と妹です。


父にはやや歳の離れた兄がいましたが、ここにも生まれたのは娘だけでした。


父の両親、つまり私の祖父母は、ことあるごとに嫁、つまり私の母や伯母を責め続けました。
「女しか産めない嫁」
このフレーズを、私は何度も何度も耳にしました。




私は、自分が女に生まれたことを、ずっと呪いながら思春期を過ごしました。
女に生まれてしまったばかりに、不愉快なことばかりが身に降りかかってくるような気がしていました。




・・・その後、まぁいろいろ歳月は流れ、私は結婚をし、息子を産みました。


あれだけ嫌がらせやプレッシャーを受け、悩みに悩んだ母には息子は生まれなかったけれど、何も考えず、むしろ自分の学業研究の中断を心配し、そっちに気を取られていた私には、いともすんなり簡単に男子が生まれました。


そう、要するに子供は、こっちの意志とは関係なく、この世にやってくるのです。
男か女か、そんなのは確率の問題。
どっちかが生まれて、どっちかは生まれないわけです。




でも、この民主主義の時代に、祖父母を見ていると、まるで「男の子を産める嫁は偉い」「女ばかり産む嫁は役立たず」という思考が、顔の真ん中に書いてあるかのようでした。
どんなに私や妹や従姉妹が頑張っても、もう「女である」時点でアウトなんですよね。


「女は嫁に行ったらしまい。跡継ぎにはならしまへん。」・・・と、ずーーーっと言われました。


私は、別にあんな息苦しい家の「跡継ぎ」なんかになりたいと思ったことなどタダの一度もありませんけど、このように言われることは、実に不愉快でした。
ほんと、不愉快でした。


言ってる本人達は意識していないのかもしれませんが、私の心には、「女は男より下」という強烈なメッセージとなって響き渡りました。


しかし、それをどうやって納得すればいいでしょう?
学校のクラスでは、私より成績の良い男子なんて、ほとんどいませんでした。
人間的にも「男子なんて未熟で子供っぽいヤツばっか」…と、あの頃の私はニガニガしく冷たい視線を送ってましたっけ。


「彼らは、男であるというだけで、私より価値が上なのか?」
・・・そんなバカな、と、思いましたよ。




友人に、そうした私の気持ちを話すと、「へぇ〜、今の時代に、そんなこと言ってる家があるんだねー」「やっぱり金持ちは大変なんだね〜」などと、ズレた反応をされるのがオチでした。
男子からは、「怖いヤツ」と思われ、「そんなルサンチマンかかえてるとモテないぞ!」と言われました。
そうなんですよね。
「男女差別はやめてほしい」とか、「男尊女卑は不愉快だ」とか言おうものなら、周りから「こわーい」とか「モテない女のひがみ?」とか冷やかされることが、なぜかセットになって付いてきます。
だから、私もだんだん賢くなって、今は口に出しません。


「…それって、無意識に言ってるんだろうけど、要するに男女差別でしょ?」
とか・・・
「結局、“男は女より偉い”って、思いたいわけでしょ? なんとしてもそう思いたいから、あとからいろいろ理由くっつけてるんじゃないの?」
・・・な〜んて、口に出しません。
そんなことペラペラ言うほどアオくないし、これまでそれで散々苦労してきましたから。






でもな・・・
最近、やっぱり思います。


私、もしかすると、今でもほとんどの「男」が嫌いなのかも・・・って^^;


成長期の恨みツラミって、けっこう侮れないものかもしれません。


今流行の「嫌韓」をもじって、「嫌男」でも標榜しようかな〜
(冗談ですけどネ^^)



着信音といえども…


みなさんは、ケータイの着信音、どうしてますか?


最近の私のケータイは、セレフィカさんからの電話には、「着うた」サイトでダウンロードしたスピッツの『魔法のコトバ』のイントロが流れます♪
その他一般にかかってきた電話だと、今年はモーツァルト年なので『フィガロの結婚』序曲が鳴るよう設定していますが、でも普段は大抵マナーモードにしているので、折角のお気に入りの曲たちですが、耳にする機会はあまりないんですよね^^;


メールの着信音には、セレフィカさんからのは、この夏ずっと「風鈴の音」を設定してました。
着信があると、涼しげにチリチリーンと鳴って、なかなか良い感じでした。
9月になり、今日はもう秋めいた風の吹く一日でしたが、でももう暫く「風鈴」のままでいようと思います。
他の人からのメールは「小鳥のさえずり」になってますが、これも実にリアルかつ癒される音声で、気に入ってます。




・・・と、まぁ、私は一応、ケータイの着信音選定には、それなりのコダワリを発揮しております。
なにしろ毎日「依存症」状態で肌身離さず持ち歩いているケータイですから、わが身の一部と言っても過言ではなく、ということは、自ずとそこには「私」が表現されると思いますので、ストラップに何を付けるかは勿論のこと、「待ち受け画面」をどうするか…等々、それは気を遣ってます!
そして、そうやって「気を遣う」ことが、私にはとても楽しいことでもあります。


ちなみに、ストラップは、今はシンプルな組紐を使ってます。
以前は、金属製のチャームがついたストラップを使ったこともありましたが、昨年くらいから、すっかり「柔らかい素材」が好きになり、冬場は暖色系フェルト製のものを愛用してました。
秋の気配が濃くなってきたら、今の組紐を、またフェルトのものに取り替えるかもしれません^^




しかしですねー
わが夫のセレフィカさんときたら・・・!


彼は常時、ケータイを二つ持ってるんですが(個人用と会社用と)、まぁーその素っ気ないことったらっ。


まず、ストラップなんてものは、どちらのケータイにも付いてません。
あっても「邪魔になるだけ」なようで、たとえ付けてもすぐに「切れ」たり「壊れ」たりするんだな・・これが!


しかも、待ち受け画面は、買ったときの、そのまんま。
着信音も、そのまんま、いわゆる電話の電子音が鳴るだけ。
ヨメサンの私からだろうが、誰からだろうが、同じ電子音だすよー!


でも、なぜか目覚まし時計の設定だけはしてあって、毎朝うるさく「ジュピター」をダンス・ミュージック風に編曲したヤツ(私は個人的にクラシックのこういうアレンジは嫌いだっ!)と、これまた騒がしいカントリー・ミュージック(しかも御丁寧に「馬のいななき」効果音まで入ってる!)…が鳴ります。
なんで毎朝これなのか?…と、問うてみましたが、セレ氏曰く、「別にコダワリがあるわけではない。他の曲でもいいけど、変えるのが面倒臭いだけ」…とのこと。




そうなんです。
一事が万事、セレフィカさんという人は、そうなんですよ。
「自分の身のまわりのモノ」が「自分自身を反映かつ表現する」…などとは、夢にも思わない人なんです。




ところが私ときたら、「自分と一緒に歩いている人」すら「自分の反映」だと考えてしまうクチです。


ましてや「夫」ともなると、限りなく自分とイコールで結ばれてしまい、どうしてもそこに「私」を見たくて仕方なくなってきます。




私は、セレフィカさんのことが、結婚して年月を経た今でも、出会った頃と変わらず大好きです。
(イヒヒ、どうだい、のろけたぞ〜っ^^)



・・・でもでもですねぇ〜、彼と一緒に外出する時、いつも私の中に葛藤があるのは事実なんですよね〜


なぜって、彼の「見かけ」には、「私」は何も反映されていないように感じるからなんです・・・。
だからいちいち心の中で、「私はこの人と歩いているけれど、この人の外面に関しては、当方は一切関知しておりません! 関知したくてもできません! させてくれません! しかもこの外面には、彼の本来の美しさは何も反映されていません! その点よろしく!」・・・と、誰にともなく弁解を繰り返し、なんとかそうして自分自身を納得させて歩いているような具合です。




私が自分に無理矢理納得させなければならない「セレさんの見かけの悪さ」ときたら、数え上げればキリがありません。


まず、いつだって「髪ぼさぼさ」。
でも良く見たら、まさに今私がはまっている朝ドラ『純情きらり』で、あの素敵な西島秀俊さんが演じている「冬吾さん」と、ほとんど同一のヘアースタイルなんですが、あちらはあくまでTV局のヘアメイクさんがきちんとコダワリをもってスタイリングした「ぼさぼさ」でありましてー、セレさんのは、正真正銘ホンモノ、純正「ぼさぼさ」でありますっ!
この違いは大きい・・・


いつも彼が好んで着ている開襟シャツ。
これがまた私には気に入らないんだ・・・
なんとかならないかと思い、いろいろ見てくれの良いシャツを選び買ってきても、ハッと気がつくと、いつのまにか「いつものなんだかビンボー臭いシャツ」に戻ってるんですよね・・


「ねーねー、なんで、いっつもそのシャツを着ちゃうわけ?」と聞いても、「え? 別にコダワリはないよ。近くにあったから着ただけ」と答えるけれども、いやいや、だからそれがコダワリだっちゅーのっ!


しかも!
セレさんときたら、どんなことがあっても、シャツをズボンの中に入れなければ気がすまないんです。
私がはじめにぎゃーぎゃー言って、ズボンの外に出させて、それなりに格好よくしても、外出先でトイレから出てきたら、もう駄目。
まるで保育園児みたいに、きちんと、ズボンの中に入って、上からしっかりベルトしてます^^;
「ねーねー、ちょっと、それ出してくれない? そのシャツは、出して着るデザインだから、ズボンの中に入ってると、もー超ダサイんですけど!」…と言おうが、「いや、でも、シャツ出してるとお腹が冷えるんだよね〜」ということで却下・・。
あぁ〜もぉ〜なんで? 
「下にちゃんとTシャツも着てるでしょう? そのTシャツだけ入れて、上のシャツは出してよ!」
しかし・・
「そういう難しい着方はできないんだよね〜」
何がいったいどー難しいんだいっ!?


そして最近まで持っていた財布!
私にも我慢の限界がきたので、ついに無理矢理強硬に新しいものに変えてもらいましたが、いやー、よくもこれだけボロボロに朽ち果てるまで持ってたもんです。
支払いのたびにコレを出して、よく恥ずかしくなかったもんですよ・・
ま、恥ずかしい…なんて感覚がないから、ずーっと持ってこられたわけですが。


・・・と、これらはもう氷山の一角の一角みたいなもんで、セレフィカさんの「モノ」への無頓着さは、日々私を苦しめてるわけですね。
そして、そのことを訴えると、彼は決まって、「僕とゆうちゃんは別の人格なんだよ。何で、僕にゆうちゃんの価値観を押し付けるの? 僕がどんなにダサくても、それはゆうちゃんとは無関係でしょ? ほっといてよ。僕がこれまで、ゆうちゃんに対して、あーしろこーしろって持ち物や髪形を指示したことありますか?」・・・と、反論してくるわけで・・・




おそらくセレさんは、極端なことを言うと、自分が持っているもの、身のまわりに置いているものは勿論、自分自身の肉体さえ、自分を表現しているとは考えていないんですよね。


私にすればおよそ信じられない感覚なんですが、どうやらそのようなんです。


そして、私は、そうしたセレフィカさんのモノへの無頓着さを、心の奥底では、けっして否定してはいないんです。
否定しない…どころか、どこかで憧れてさえいます。




でもなぁ・・
こんな私たちは、いつかこの世を去って霊界にいったとき、またそこで一緒に暮らすことができるんだろうか・・と、心配になるんですよね。


モノに一切執着のないセレさんと、どんなモノにも自分自身を反映させなければ気がすまなくて、アクセサリーなどは当然のこと、バッグの中のペンケース一つ、食卓の箸置き一つ、吟味せずにはいられない私とでは、同じ階層の世界には住めないんじゃないかなぁ・・・
なんだかそれは、寂しいなぁ・・・
霊界みたいなところでこそ、セレフィカさんとはずっと一緒にいたいんだけれど・・・^^


書道展に出品せよ?


困りました〜
口先で言っているのではなく、本当に困りました・・・


実は私は、サボリにサボって、月に一度、良くても二度…といった頻度で書道を習ってるんですが、これまで逃げに逃げ、避けに避けてきた展覧会に、とうとうその不真面目さに痺れをきらした先生から、「なんでもいいから出せっ!」と命じられてしまいました…。


あぁ〜
困った・・・


「なんでもいいから」って言ったって、「なんでも」ホイホイすらすら書けるようなら、誰も苦労しやしませんって!


…どうも私には、書道にしても、絵画にしても、筆を持って何かする…というワザは向いてないみたいなんですよね〜
ようするに「才能」がないんですよ!
「センス」もない!
人様がお書きになった作品を見て、あーだこーだ批評する「眼」はあると思ってるんですが、自分でそれを作り出す力には、残念ながら恵まれなかったわけです。
そもそも書道に関して言えば、結婚式などで名前を記帳する時に恥ずかしくない程度に…といった目標設定ではじめたものなので、「展覧会に出品」なんて考えの外もいいところで、私のやることではないと思いますし、正直なところ、それに出品するために何百枚も練習するのも面倒臭いわけ・・・


同じことでも、ピアノの発表会は、毎年の楽しみで、わくわくドキドキ、練習も少しも苦になりません。


どうしてなんでしょうね?


そう思って、少し考えたんですけど、思えば子供の頃から、私は書道や図工の時間で何が一番キライだったかと言うと、「後片付け」なんです!
筆やパレット(硯)や水入れや、そういう道具類を、多くの級友と順番に洗って時間内に教室を移動するという、ただそれだけのことなんですけど、それが本当に面倒くさくて、ウンザリしちゃってました。


大人になった今も、書道の先生のお宅で、自分の持ち物を片付けて撤収するのに、どうもモタモタしてしまって、(洗ったものの水気を完全に拭き取ろうとしたりするのがイケナイのかも?)、妙に居心地の悪い思いをするわけです。


その点、音楽の授業は最高でした♪
道具を洗う手間もなく、体育のように着替える必要もなく、楽譜さえあればOKだもんっ^^
ピアノのレッスンに行ったって、洗うのはせいぜい自分の手くらいのものですからねー




・・・と、いろいろグズグズ言って抵抗しているわけですが、どうやら今回こそは、書道の先生も許してくれそうにない気配が濃厚で、10月までに「なんでもいいから」作品を仕上げなければならないようです。
うぅ〜〜〜ホント、いやだよぉ〜〜!




但し、私は、書道そのものは、けっこう好きです。


「作品を仕上げて出品する」ことと「後片付け」は嫌いですが、でも、「紙に筆で字を書くこと」は、相当に好きなんです。
実は書道って、音楽とよく似ていて、その一瞬に集中する無心の境地や、リズムやフレーズを感じて、そこに気持ちをググッと乗せていくところは、びっくりするほど共通した「快感」を伴うんですよね。
不真面目きわまりない弟子で、滅多にお稽古に行ってませんが、でも行けば行ったで、その後とても充実した気持ちになれるので、これはずっと細く長く続けたいと思ってるんですが、でもなぁ・・・展覧会への出品やら、そういうのはできたらやらずに済ませたいんだけどなぁ・・・


向上心がないと叱られそうですが・・・(*/。\*)


頭痛のする街


東京にはいくつもの街がありますが、思えば私が好んで訪れる場所はかなり限られています。


我が家は山手線にぐるっと囲まれたちょうど中心にあって、どこに行くにも便利な立地なんですが、それでも年に何回も行かない街があります。
なぜなら、それらの街に行くと、必ず頭痛に悩まされるからなんですが、その原因を長く私は、「人が多過ぎるから」と思ってきましたけれど、同じように「人の多い街」でも頭痛とは無縁のところもありますし、やはり「イヤだな」と感じる街には、全体に良からぬ気配が濃く漂っているんですよね・・・。




まず一つ目は、渋谷。


渋谷は、学生時代は最も馴染み深い街でした。
ほぼ毎日のように、ここで遊んでいたような気がします。
当時は若かったからさして気にならなかったのですが、(あるいは私の発している波長が、渋谷全体の低ぅーーーい波長と合っていたのか…)、ここ数年、行けば確実に頭痛に悩まされますし、あの雑多な人ごみを見ているだけで、「とっととココから出て行きたい」気持ちが湧きあがり、用が済み次第、早足で駅に向かってるんですよね〜


・・・そんなわけで、なんと私は今年に入ってから、一度も、そう一度も、渋谷に足を踏み入れてません!




渋谷よりもっと嫌いなのが、新宿。


それでも新宿には、月に数回は行く用事があります。
すると毎回のように頭痛に見舞われ、ひどいと吐き気までしてくるから困るんですよね。
とかく新宿で無事に「頭スッキリ」だったことがありません。
被害の度合い(苦笑)は、新宿駅の西口側だろうが東口側だろうが同じですが、西口なら駅構内、東口ならアルタ前から歌舞伎町にかけてが最悪ですね〜
重苦しい空気がずんずん覆いかぶさってくる感じで、息をするのも苦しくなってきます。




その新宿よりも、さらに嫌いなのが、池袋。


でも、その池袋に、日常的に降り立っているという、我が現実・・。
でも、どーしても好きになれないんだ! 池袋!


まず駅が嫌い。


JR、地下鉄丸の内線、地下鉄有楽町線西武池袋線東武東上線が乗り入れるターミナル駅なので、とにかくワケもわからず広くて入り組んでいる上に、そのだだっ広い通路には、朝から晩まで人の群れが絶えず、ホコリっぽくて臭いんだっ!
しかも、歩いている人々の顔つきは一様に不愉快そうで、誰かにぶつかっても、謝る人なんかごく僅かだもんね!
そんなササクレた空気を吸い込まないよう、無意識のうちに呼吸を最小限に押さえ、往来する群集に自分自身を紛れ込ませた途端、いつもいつも襲ってくる鈍い頭痛・・・


さらに、滅多に行くことはないものの、でも息子にせがまれ「トイザラス」目当てで訪れることがある「サンシャインシティー」周辺は、最悪池袋の中でも最強の「頭痛スポット」です!
さすがは「巣鴨プリズン」跡に建てられただけのことはあって、「悪い気が溜まってる」ことにかけては渋谷センター街も新宿歌舞伎町も真っ青…という濁りっぷり。
池袋駅からそこに至る「サンシャイン通り」なる道を、わがもの顔で歩いている若者は、一様に「これ以上に脳味噌破壊できません」という顔つき&信じられないファッション・センスで、半径5メートル以内には絶対に近づきたくありませんが、あまりの人ごみで否応なしに近づくことになっちゃうから気分悪いし・・・


・・・と、そうは言っても、利用頻度が高いもんだから、駅に隣接する東武デパートのカードを持ってる私です。
そこの「デパ地下」で、いつも食料品買ってもいますが、このデパ地下がまた、品数豊富で出店数も多いのはいいんだけれど、いつ行っても混んでるのはどうにかして欲しいもんです。
私が行く時間帯が夕方遅めなのがいけないのかもしれませんが、どこもかしこも行列で、並ばないことにはお惣菜一つ手に入りません。


でも、まぁこのデパートに関しては、品揃えの豊富さ以外に、お店の人の対応が親切な点をけっこう気に入っていて、なにかと嫌いな池袋の中では、唯一好きな場所かもしれません^^




逆に、人ごみがひどいにも関わらず、なぜかあまり頭痛に襲われない街もあって、その一つが、秋葉原


アキバは、確かに雑多な街ですけど、そう悪い気の溜まった場所ではありませんよ〜
いわゆる「アキバ系ファッション」に身を包んだ、実に実に野暮ったく、チェックのシャツにファブリーズを吹きかけたくなるようなお兄さん達が多く歩いていますが、でも大量のアキバ君に囲まれても、私は全然オッケー!
頭痛とも無縁


最大のお気に入りである銀座や日本橋も大丈夫です。
どんなに混んでても、イライラすることすらありません。


なぜでしょうかね〜?
ただの、私と街との単純な相性なんでしょうか?


今日61回目の終戦記念日


NHKの朝ドラから目が離せなくなって久しいのですが、ついに今日の『純情きらり』は、1945年、終戦の年の2月まで時代が進みました。


放送の最後で苦しみ出した戸田恵子扮する「女将さん=かね」の病状が、まずは一番心配ですが、しかし2月…ということは、あの東京大空襲がすぐそこに迫っているわけで、なんだか居ても立っても居らませんよぉ〜
ヒロイン桜子の姉二人も、私の愛する「冬吾さん」も、他沢山の登場人物たちは、はたしてあの3月10日の焼夷弾絨毯爆撃の下、生き延びてくれるんでしょうか!?
うぅ〜〜心配だ・・・
想像しただけで辛くなってしまいますよ〜


私の予想では、たぶん東京大空襲の後、桜子の家族は岡崎に疎開・帰郷するような気がしますが、でもね・・岡崎だって空襲があるんですよね・・
あぁ〜嫌だなぁ・・・


桜子の婚約者の達彦は、出征して戦死したそうですが(…でも私は達彦はまだ生きてるような気がするんですよね〜 生還してくれるといいんだけどなぁ・・)、兵隊として戦場で言うに言えない辛酸をなめ、傷つき亡くなった多くの方々の無念を思うと、必ずいつも胸がいっぱいになって、なぜか勝手に涙があふれてきます。


そういえば今日の放送で、桜子の弟は東京帝国大学を繰上げ卒業になり、海軍に徴兵され出征していきましたが、私の学生時代の教授に、まさにこうした繰上げ卒業で特攻隊員となり、奇跡的に生還した方がいらっしゃいました。
一度大学の近くの赤提灯で、直に体験談を伺ったことがありますが、もう聞いてるだけで身体中がキリキリ揉まれるように痛くて、涙が拭いても拭いても流れて、翌日まで瞼が腫れてました…。
桜子の弟は、あの教授のように、家族の元に帰って来るのでしょうか?
生還したらしたで、多くの戦友の死を見送ったことは、一生背負い続ける重荷となることは必須ですが、それでも生きて帰って来て欲しいですよ。
ドラマの登場人物とはいえ、心からそれを祈らずにいられないです。




私は個人的に、太平洋戦争は、軍部の独走による国家犯罪だったと思っています。
普通に考えたら、あの当時の日本の軍事力とアメリカのそれとでは、比較にならないほど大きな差があるわけです。
それを、軍の上層部は、「超秀才」の集まりであったにもかかわらず、冷静に計算することなく、ほとんど精神論だけで突っ走ってしまいました。
そして、その「大和魂の奇跡」を願っただけのずさんな計画の下、戦争は後戻りすることなく続行され、多くの若者が戦場にかり出されて死に、女性や子供・年寄りであってもアメリカの無差別な空襲によって命を落としました。


アメリカの民間人への焼夷弾による空襲、そして原爆の投下、これだって戦争犯罪でしょう。
アメリカは戦勝国だから裁かれなかったけれども、万が一敗戦国になっていれば、あれらを指揮した人々は確実にA級戦犯ですよ!
それは置いておいても、日本人はもっとアメリカに対して、あの度重なる民家への空襲は何だったのか?…と、モノを言い、記憶を風化させない努力をすべきですよね。
よく原爆を美化して考えるアメリカ人が散見されますけど、これは絶対に許してはならないと思うんです。


今朝は、小泉首相靖国神社に参拝し、予想通り中国や朝鮮半島が過剰に反応していますが、あのネチネチ執拗の10分の1でも見習って、アメリカに文句言っていいんじゃないですかねー
「おまえら、日本人を人間だと思ってなかっただろ〜〜〜! え? どーなんだよー!?」…って感じで^^;




・・・ま、ともあれ、『純情きらり』のみんなが、生きてあの戦争を乗りきってくれることを、ネタバレが乗ってるTV雑誌だのネットの掲示板だのには一切目をくれず、ただただ気をもんで毎朝祈っている私なのです〜〜


達彦さーん、帰ってきてぇ〜!
冬吾さ〜ん、空襲で死んだりしないでね〜!
勇太郎〜、生きて帰ってよぉ〜!