せすにっき

2008-05-29(Thu)

晩飯

  • 干し海老入り焼きビーフン(半額)
  • 長ねぎとわかめとたまごの中華風スープ
  • きゅうりのぬか漬け
  • ぬくいコーヒー牛乳

最近布団にもぐって本を読み始めると途端に意識を失うので、平日夜は飲まないようにしていた食後のコーヒーを復活させてみた。

今日は朝から雨で、午前のうちは湿気が多くてムシムシするなあと思っていたのだが夕方が近づくにつれてむしろ肌寒さが増し、歩く正面から吹きつける風に首筋あたりがぞぞぞっと粟立つほどだった。こういう時期にうっかり風邪引くと結構大変なんだよな。おのおのがた、ご油断めさるな。

梅雨入りが近いからかここのところ雨によく降られるのだけども、風に首をすくめながら傘をさして歩いているうちに、靴の中にどんどん雨水がしみてくるのがわろし。あし。いとすさまじ。雨の日に足が濡れるととっても悲しい気分になる。ものすごい湿気でただでさえ言うこときかない髪の毛が、風になぶられてボワボワと宙を舞っている。サラサラヘアーが風になびくというのならむしろ爽やかな光景であるのだけれど、この場合そんな美というものはまったくなく、まるで波打ち際に打ち上げられて時折海水に浸されてはゆらゆらとなすすべもなくたゆたうホンダワラのきれっぱしのようなわしゃわしゃした毛髪が、自分の意に反して自分の視界の邪魔さえしてくるのだ。情けなくなってくる。

髪の毛がホンダワラだし、靴の中にはどんどん水がしみて、足が冷たくなってくる。冷えるだけならまだましなのに、一歩踏み出すたびにじゅくじゅくと靴の中の水が鳴いてみせる。ストッキングはとっくに水を吸って、肌にはりつく心地の悪さだ。どうにも悲しく、寂しい気分だ。みじめと言っても大げさではない。

どうやら今、レインブーツが流行っているらしい。昔風に言うと、ゴム長。小学生の頃、履いてわざわざ水たまりに突撃したくなって雨の日が楽しみにさえなった、そんなゴム長。オトナバージョンのおしゃれなゴム長が靴屋の店先を飾っているらしいのだ。確かに見かける。花柄のかわいいやつから、シンプルシックな黒いヤツまで、しかしいわゆるカッパにゴム長という雨の日の作業を想起させるものではなく、あくまでファッショナボーなゴム長、いやレインブーツである。足が濡れなければ、雨の日のみじめさは従来比50%、いや70%カットとなるであろう。びしょびしょの足元を狂わせてスコンとすっころんだり自分の足にけっつまづいたりすることもなくなりそうだし、それならひとつ買おうか、とすっかりその気になっていたのだが、スーツ姿におしゃれなレインブーツを履いたおねいちゃんが駅構内のつるつるした床の上で豪快にすっ転ぶさまを今朝目撃してしまい、ああゴム長履いてもコケるときはコケるのか、いやこういうつるつるしたとこが濡れるとかえってゴム長は危ないような気がする、と根拠はないが感覚的にそう思ってしまい、買う気が満タンから半分ほど流失してしまった。

そんなこんなでレインブーツがお手ごろ価格で並んでいる店の前を素通りした自分であったが、しかしながら帰り道、やっぱりビチョビチョになった靴底を踏みしめて歩きながら、このかんじだけはあしわろしいとすさまじ!やっぱりレインブーツほしし!!と心から思うのだった。

読み終えた

巻頭に「万葉貴族の宴会料理」と称し、再現された古代食の品々の写真が並ぶ。つぎに藤原宮、平城宮から出土した木簡から食品の名前が記されている部分を抜粋してこれも写真で紹介。それから大きく3章に分け、それぞれの著者が万葉時代の食物事情や食文化、食材と調理法、そして世界から見た伝統的な日本料理というものの特質、などについて語っている。文章から見るに、今から20年ほど前、味の素K.Kが川崎市市制60周年の記念行事にあたって開催したイベントでの講演の記録、またはそこで配布された資料か何かに収録されたものなのだろうか。第2章には冒頭写真の料理を(創作をまじえて)作った人の万葉再現レシピがいくつも書かれていて、実際これなら作れるかも、作ってみたいなあと思うものもあった。

ちなみに第1章の人の文章にはどうにもなじめなかった。最初のほうに

証明のないことを発表するのは“文士”の専門で、さかんに嘘をお書きになりますけれども、しかし、それも上手にお書きになりますと、最後は文化勲章までもらえるようです。私のように本当のことばかりやっていますと、あいつは変わり者だといってさっぱりもらえません。

とか書いているので、ああ、確かに変わり者かもしれないなあ、と思ってしまい、しかもただの変わり者ではなく文化勲章までもらえた“文士”になんか恨みでもある人なのかなあと、「さかんに嘘をお書きになります」という言い回しでちょっと怖くなってしまったのだった。でも、この人は確かに「嘘をお書きに」なれない人なのだなあ、と納得もした。講演の記録なのだとしたら、もしかしたらここで聴衆にクスッと笑って欲しかったのかもしれない。素人にもわかりやすいように難しい文献の原文引用などはなく、逆に「え、そうなのか。それってアレ読んだら出てくるのか」と興味も出てきたので、なじめない文章ではあったけれども、それなりに考えさせられて、よかった。

3番目の人の章は、主に海外での日本食事情。といってももう20年くらい前のことなんだけど、日本食ブームの背景。1)現地の日系人が郷愁とともに作り、口にする日本食、2)現地に赴任した働き盛りの日本人が求める日本食、3)現地の人が日本の食文化を知るきっかけであり、その良さを理解できるということが一種のステータスともなりうる日本食、4)現地でも日本国内の一流中の一流店と並び称される「ホンモノ」となっていく日本食(の店)、という段階を説明していて、第四段階に達するのは非常に難しい、と著者は述べる。一流中の一流店の例として吉兆とかが出ているのを見て、リラベルリユースリサイクル船場吉兆がすったもんだの末に廃業したりミシュランが寿司屋につけた三ツ星にブーイングが起きたりとかした昨今の事情を思い出しながら「一流ってったってなんぼのもんじゃー」と一流を知りもしないのにけなしてみたいお年頃の貧乏人の俺は、その「一流店と肩を並べる日本食」という第4段階の妥当性をはなはだ疑問視してしまった。でもまあ、ホンモノを求める心がホンモノを作り出すってことなのかな。っていうかそういうのはやっぱ日本で食べる方がいいんじゃないかと思った。

ヨーロッパだと、青じそが何年も栽培しているうちに赤じそになっちゃうんだって。土が違うんだって。土にカリ分をたくさん補給してやらないといけないらしい。著者は日本で栽培するバジリコも何年も経つとなんか違うものになるって書いてた。俺はホンモノのあっちのバジリコの味がわからんからそうなのかな?と思った。でも、そうなんだろう。土も水も気候も違うんだからしょうがないよなあ。でも、料理もそれと同じだよな。土地や気候や文化や歴史の違うところに何かを持っていったら、元のものとまったく同じまんまでありつづけるのは難しい、というか、そこで新しく生まれたものがそこでの「ホンモノ」なのではないかなあ。

俺の人物識別能力について

NHKのバラエティ番組に出ている草笛光子をずっと中尾ミエだと思って見ていた。