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2010-03-06 ドラマティック・エモーション2010 その1

「きみはじつにばかだな」と言い続けたドラえもんのあたたかい目が、ひややかな目に変わるとき


 このエントリは「映画 ドラえもん のび太の人魚大海戦」がネタバレ三昧です。注意してね!

 

 というわけで一時間くらいで書き殴った。


 このあと色々言ってますがわりと良かったんです。それなりに満足してはいます。でも業深い三十路前のドラファンなんで、ウッダウダいいたくてしかたありません。そういうのべつにみたくねーし。というひとはここでさよならしましょう。あなたとわたしのために。だからドラえもんがすごく好きな人は見ない方がいいエントリです。

 冒頭の釣りっぽいタイトルの内容は半分くらいいったところにあります。

 




 下半身人魚かわいさ八割増!!!

 ということで大期待の人魚大海戦。でした。観てきました。どうか。どうだったか。緑の巨人伝に続くオリジナル二作目の「人魚大海戦」は、ドラ映画三十周年の威信をかけたこの作品は果たして数十年の業を背負ったうるさいドラファンはともかくとして子供たちを満足させられるしろものだったのか。

 まあね、悪くはなかったとおもうの。そんなにはね。水戸黄門みたいなものだから、そんなに期待しちゃなんねえとおもうのよね。でもそんな気分で観に行った緑の巨人伝があんなんでしょ? と言うわけで今回は話にはなってたので、ぼくは笑顔で映画館を後にしたんですよね。声優も別に違和感無かったし、画はキレイだし、冒頭の日常パートはドラ世界が深まるのを感じられたし、しずかとソフィアも過剰に愛されてかわいさ爆発してたし、物語の大筋に破綻というか、ナニを観ているかわからないということはなかったし。

 でも、中盤から後半にかけてずっと苦笑してたんですよねぼく「なにそれ」「なにそれ」ってずっと呟いてた。「まあいいか」を何度も発動して忘れた。そうしたら話の筋がどうも思い出せなくなっちまいました。細かいところはいい、シーンそのものはどうやら感動したり、おもしろがったり、ハラハラドキドキしたりできるらしい。

 でも、それとアレをつなげるものがやっぱり抜け落ちているんだ。

 想像力を使えば「まあこういうことなのかな」なんだけど、これは「行間を読む能力」みたいなものが足りてないとかそういうことじゃない。行そのものがない。章がまるごとない。巨人伝でも感じたことだけど「はりきって三時間作っちゃったから、これとこれ削って100分にしました」「削った中にあるこの情報どうします?」「わかるだろ!」みたいな感じ。わかんねえよ。前作より病状がマシに見えるのは、たまたま広げた風呂敷がそんなにでかくなかっただけなんじゃないか。みたいなきがした。

 結局は情報の取捨選択がおかしいのだ。しずかがただかわいいシーン、ソフィアがただかわいいシーン、ドラミがただかわいいシーン、ドラえもんがただかわいいシーン、お約束の言葉の繰り返し。それはさっき観たので飽き飽きしています。それにいつも観ています。でもそれをまるごと入れてしまうのだ。で、尺の都合で削られたのが重要な情報、かわいさのテンプレートに載らなかった情報は「時間がないのが悪いんだ……」と呟かれて捨てられる。

 ――で、結局あのセイントみたいな鎧はなんだったんだよ。

 ――なに、アレはクシャナとサンみたいなそういうナニなの? そういうのやりたかったの? 金色の海に降りたって浄化するの? なんなの? 黒い海で汚染されたのを浄化するの? 言った? その情報出した?

 みたいなね。

 ところでソフィアのおばあちゃんはなんだったのかな。そうそう、彼女はなんだか怖そうに見えるけどいいおばあちゃんで、ソフィアのことを気にかけていて、最後にはソフィアに丸投げしたあげく「愛しています」とうそぶくんだけど、そこまでの積み重ねはまったくかたられてないんだ。キャラクター全員号泣。そこでぼくらは「どうやらここではないどこかで百万回聞いたこのやりとりがあった、だからソフィアのおばあちゃんはソフィアにいままでつらく教育してきてぎくしゃくしてたけど、ここで信頼関係を取り戻したんだ。だからソフィアはなくんだねかんどうてきー」まあそこまでは百歩譲っていいとしよう。じゃあなんでのび太たちは感動しているの? のびた達は観客であるぼくらと同じものしか観ていないんじゃないの? そんなに感受性が高いの? どういうことなの? 

 このシーンの最後はドラミがスカしたオチをつけてくれた。そこでどうにか「ああ、よくわからないけど、友達が泣いているから泣いたんだよね、あるあるそういうことね」でごまかすことができた様な気がするわけです。

 思い返してもソフィアのおばあちゃんのもてあまされっぷりはおかしかったな。なにしにでてきたのあの人。まあなんだ、ソフィアも両親いないっぽいしね。苦労したんだよね。アホか。

 そんなわけでソフィアさんは救国の英雄の生まれ変わりですよ。名前が同じなだけで。ソフィアの祖母である女王も驚いてましたね、でもその古文書的な文書さあ、代々伝わるティアラに保存されているんですから、若いソフィアがしらないのはいいとしても、大人達が驚くのおかしいですよね。

 ハリボーはどうしてソフィア姫に付き従っているのかとかね。ジャイアンに「おめーがいねーとはじまらねーぜ!」といわしめるだけのエピソードはいったいどこにあったのかとかね。さいしょそんなに頑なな理由はなんなのかとかね。そのジャイアンの一言でそうぞうはできるけど無理な話だよ。

 まあなんかこういうところの「積み重ね」を全部すっ飛ばすツクリにしたがるんだよね。「わかるでしょ?」って。わからんこたないけどよ、でもこれ「ドラえもん」だろ? どうなったって子ども向けのアニメ映画なんだろ? ジャイアンが泣くから泣くところなの? それじゃ、テロップが出たから笑うのと一緒じゃんね。いつまでそれをやるんだ。

 なあ。





 では本題。


 ――結局今回の映画はなんだったのか。

 いつもはのび太の映画だ。これだっていつもとかわらず「のび太の」人魚大海戦なのだ。いつも「のび太」が付いている。だからこそ、大長編は常にのび太くんの成長物語であるべきなのだ。これは根底に流れる変えてはいけない線で、隠すべきではなく、表に出していくべきものだ。

 だが今回はのび太は成長しなかった。なにひとつ成長させてもらえなかった。スネ夫を羨み、ジャイアンに裏切られ、みんなに幼稚さを笑われ、ドラえもんわがままを言い願いを叶えてもらってはしゃいでいた、物語冒頭ののび太から最後まで全く変わらなかった。

 降って沸いたヒロインに手を引かれ、敵に遊ばれヘラヘラしながら踊っていただけだった。活躍すべき場所はドラミとドラえもんに奪われた(ドラミを先に書いたのは意味がある、ドラえもんより目立ってるからだ)。未来の嫁であるしずかを助ける役はおろか、ただ抱きとめる役すらも与えてもらえなかった。

 のび太くんに与えられたのは新しい世界に触れたソフィアに、束の間の見聞を終えて国を守るお姫様に戻らなければならないソフィアにこう言う「お姫様って大変なんだね」そして「ソフィアは快活でステキだ」と保護者の前で愛を語りはじめる。その言葉がお姫様の救いになったのかはわからない。しかし、「お友達でいましょう」とそれとなくフられるのだ。この話の中で何度も強制される「行間(という名のパターン連想)を読む」を発動すればそうだ。のび太はポケットに入れっぱなしの幼稚な剣のおもちゃを、まったくなんだって代わりの効きそうなそれを持っていたことのみをみんなに「お義理のように」そもそも「ていどひくい」から誉められるだけ。

 のび太の言葉は最後まで脳天気だ。あまりにもいつもののび太だ。しずかの不在を嘆き、智慧も絞り出せず、無力を自覚もしないあまりに頼りないテレビアニメののび太だった。クライマックスでラスボスを倒す役も、そのあとヒロインに声をかける役も、もらうことはできなかった。のび太に与えられたのはその直前にソフィアにうすっぺらい言葉をかけ、そしてやはり潮の流れに流されないように手を引かれる役だ。


 のび太は結局、女のケツをうすっぺらく追いかけていただけだった。


 やがて最後、海底鬼岩城そっくりの大団円シーンで「あたしたち、昨日無断外泊したことになるわ!」と言い出すしずか。そこでタイムマシンで戻ることにする一行。

 のび太「きっとまた会えるよね!」

 いつものパターンだ、会えない。いや、会わない。今回の舞台は幻想世界でもなく、道具で作られた場所でもなく、時空のはざまに挟まれて消えた世界でもない。地球の海底なのだ。やがてソフィア達は自分たちのふるさとである星に帰るが、しばらくはまだ地球の海底に留まるはずなのだ。

 だからドラえもんはやさしく「うん! きっとまた会えるよ」そう言うはずだった。実際に会いに行かない方が良かったとしても、そう言うのが子守ロボットだ、のび太くんの親友の言葉の筈だった。

 だが、そうは言わなかった。ドラえもんは言葉を濁す「それはわからないけど……」と続けた。「のび太くんはもう、関わらない方がいいんだよ」という主張だ。ドラえもんは苦々しく思っていたのだろうか、しゃしゃり出てきた妹がのび太くんの成長を奪ってしまったことに憤慨していたのだろうか、それとも、のび太くんの成長を演出してやれなかった自分を憤っているのだろうか。



 なんにせよ、のび太はなにも成長できなかった。考えることを、諦めさせられた。役を与えられなくてもヘラヘラと笑い、うすっぺらい言葉を吐かせられて、くやしさすらも出さなかった。成長どころか、あまりにもつまらない男になっていた。

 そんな男に、ドラえもんは劇中のどこかで、愛想を尽かしたのかも知れない。

 だから、のび太くんに期待しなかったドラえもんは声を荒げて怒ったりしない。

 のび太くんがほんの少しでもいいことをすれば、やさしそうに誉めてやるだけだ。


 今回も冒頭で何度となく使用された新ドラの十八番「あたたかい目」という演出がある。ぼくにはどうしてもその目がつめたいものに見えてしかたない。


 のび太くんの話が消えていく。

 のび太くんは、ぼくらだったはずなのに。

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