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2012-12-28 コミケ83告知

コミケ83(2012冬コミ)告知

 コミケ出ます はじめてなのでやさしくしてほしい

 一日目(土曜日)

 東2ホール Q-03a ちはやブルーフィルム にいます

 123のド真ん中らへん、通路側(シャッターから遠い方)です。

 この辺多分百合文字創作が固まってるとおもうので、一度で用事が済むと思います。

 

 新刊はありません。

 既刊 品書

 チョコレート・コレクト再版(800円)

 グレイプニル・グレイブ(在庫僅少)(500円)

 

 マーメイド・ドミナント(杏さやふたコピ本)(100円)


 こんな感じです。

 チョココレとグレグレは最近開設した魔法少女創作だけまとめようブログ「tinctura physicorum(ティンクツーラ・フィジコルム)」の方に全文載っている(といいつつ、チョココレはバージョン違う)買わなくても読める。

 マーメイド・ドミナントはぴくしぶの方に載っけてあるので、買わなくても読める。

 結論:おや、来なくてもいいのでは?



 夜仕事なので三時半くらいには帰ります。

2012-05-23 #あしたのきおく 16-9

虚の口(うつろのくち)


 最近万年筆+原稿用紙にハマっているんで、それでざーっと書いて、それをまたPCで打つ方法だとどんな感じになりますかねえ。というお試し系。元は400字詰め原稿用紙10枚程度で、喫茶店で、3時間くらいで書いちまって。こいつは早い! と思ったんだが、持って帰ってワープロに移行しようとするとやっぱりなかなか捗らない。まあ推敲したり、手書きの時はすっとばしたところを補填しているしで、なんだかんだで結局10000字になったから、単純に2.5倍にはなってるんだよないつのまにか。だからどうしたということでもないが。

 内容はスタンダードな百合を書きたくなったので百合です。最近こう、破滅的な百合しか書いてないんで、そこら辺の百合短編的なマンガにいかにもありそうなやつを目指してみた。あと途中で一人称視点から神視点に変わる。なんでそうしたのかはよくわからない。

 @鳥好きな人 すいません、ちはや鳥飼ったことないんで、凄い適当です。

 続きを読むからどうぞ。



 私は、美術部だった。だったというのはもうやめてしまったからだ、わがままを通して親に買わせた油絵の具はそろそろロッカーの中でカビが生えていることだろう。やめたことは親には言っておらず、活動をしていることにして必要経費と言って小遣いをせびるのにも罪悪感は無くなってきた。けれど、文化祭の日を誤魔化すのに苦労したし、来年はこの手はもう使えないだろうから、やめた言い訳を考えておかなければならない。とうすうすは思っているところだ。

 とっくに美術部員ではない私だけれど、ここは美術準備室。夕日が照りつけるものだから、光の加減が調整できなくて、ここはもっぱら準備室――物置として使われている。油彩と粘土の匂いがする。ここにいる生きているものは私と、友人、あとは鳥。

 なぜ美術準備室に鳥が居るのかを説明しなければならないだろうか。去年、生物部が文化祭において増えすぎた動物を苦肉の策で一大イベントクイズ&ビンゴダーツ大会において放出した珍鳥だそうだ。そもそも学校のルートで購入したものをそうして放出してしまうのはいかがなものかと思うし、生き物なんて面倒なだけだと思うのだけれど、彼女はそれをゲットしてしまった。

 彼女は鳥籠の前にいる。その頃まだ美術部に所属していた私は、家で鳥を飼えない彼女の為に、その羽色美しい鳥をモデルに推薦した。義理か本気かはともかく、そのもくろみがうまく行き、期限付きでその鳥は美術部の所属となった。名目上の飼育係となった私は、美術部をやめた今でもここに来ている。世話をしているのは彼女――ヒナカだけれど。 ヒナカは土曜でも日曜でも世話をしにきた。夏は早く来て窓を開け、冬は遅くまで籠をあたためて帰る。生き物であるからしてそうしなければならないのだが、私も名目として義務がありながら、たまに来ないことも多々あった。やめる直前は殆ど来なかった。やめたあとの方がここに来る頻度は高くなっていた。目的は、ヒナカだ。

 彼女は女の私から見ても魅力的だった、いや、いつの間にかそうなっていた。美術部の活動に意義を感じなくなって、準備室に理由をつけて居座りはじめた。彼女はいつのまにかやってきて、鳥の世話をして帰るのだ。いつのまにやら私もそれに合わせて帰るようになった。

「ヒナカ」

「なに」

「おなか空いたよ」

「飴があるわ、食べる?」

「うん」

 本当はおなかなんか空いていない。ヒナカは鳥の世話を一時やめると、手を洗って、鞄の中から小さな巾着を出してくる、小さなお菓子が忍ばされていることを私は知っている。おなかは空いてないけれど、口さみしいのは本当で、私の前ではひとことだって鳴きはしないその鳥のいる中途半端な静寂に耐えられなくなったからだ。

 ヒナカは、小袋に分けられた飴を破いて取り出して、あーんと口を空けた私の口に放り込む。

「すっぱい」「梅の飴よ」「最初に言ってよ」「きらい?」

「きらいじゃないよ」

「ならいいじゃない」

「でもびっくりしたもん」

「前にもあげたでしょう?」

「もらってないよ」

「あげたわ、ユキエはうそつきね」

「えー」

 粉が溶けて、飴が甘くなって来て私の機嫌は穏やかになった。口の中に糖分が沁みると、また少し私の舌が踊る。

「ヒナカ、休んでないんじゃないの」

「なにが?」

「その、鳥の世話」

「鍵、開けてくれるのいや?」

「ううん」

 だって、別に私はもう美術部員じゃないし。鳥の世話をするだけなら、ヒナカの方こそが鍵を借りて、閉める資格があるのだ。私には、それはない。

 ヒナカの背中越しに、鳥を見る。頷くようにカクリカクリ、たまに首を動かす以外に目立った動きをしない変な鳥だ。それに鳴かない。羽だってきれいとはお世辞にもいいがたい。どこのなんという鳥かもわからないし、なによりブサイクだ。だから誰も興味を持たなかったし、持て余したのだろうか。それを、ヒナカが世話している姿はミスマッチだとずっと思っている。

 もしかして、自分とかけ離れた不細工な鳥の世話をすることで、くらい欲求を満たしているんじゃないかしら――とすら思えてくる。そう考えると、もしかして自分もそうなのではないか。ヒナカは、自分みたいなのをそばに置いておくことを許すことでなにか、虫除けとか魔除けみたいなものに使っているんじゃないか。

「無理、しないでね」

「あなたこそ、無理して私に付き合わなくてもいいのよ」

「うん、無理してない」

 ほれみろ、やっぱりヒナカは自分で鍵を閉めることもできるってわかってるんだ。ヒナカのうそつき。

 彼女はきれいで、意地悪で、卑怯で、私もきっと卑怯なんだ。いやになって、それでも溜息をつくとまたヒナカが何か感じてしまうだろうから突っ伏して、木の机を湿らせる。古くなりすぎて準備室につっこまれた机には、油彩油と油粘土、墨の気配が染みついていて噎せそうになる。たまらず横を向くと、ヒナカが尻を向けて檻の中の水を換えていた。「むう……」

 手を伸ばす。私と遊んで頂戴よと手を伸ばす。ぎりぎり手が届きそうで、手が届いたのはスカートの裾にだけ。そこを指で挟んで弄んでも、ヒナカは振り返らない。気付いていないのか。なんだ、鳥ばかりみやがって。

「えい」

 癪なあまり、スカートをめくりあげてやった。こんな男子学生じみた遊び、男子だって小学生でしかやりはしない。めくってしまった途端、私は自分の行動が、子供っぽさが、人間でないものに嫉妬していることが恥ずかしくなる。そして、それを上書きするような衝撃的なものが見えてしまった。

「こら」

「――――わァ」

「こらっ」

「え、あ、はいっ」

 ヒナカは唇をちょっと尖らせて、もう重力に引かれたスカートを直す。籠は丁度、閉められたところだったようだ。

「見たァ?」

 怒ってるような顔を作って、ヒナカが聞いてくる。「そんなに、構って欲しかったの?」と続けてくる。

「うん、すごいの履いてるね」

 すごいやつだった。きっと自分は大学に行ったって、東京に出たって、あんなのを履いたりはしないだろうと思った。それくらい凄かった。

「この前行ったの、モール」

「ふぅん」

 誰と? の代わりに、素っ気ない返事が出た。

「何、恥ずかしがっているのかな、ユキエは」

「だって、高いじゃん」「頑張っちゃった」「そんなのやだ」「だって、かわいかったんだもん」「やだあ」「えっ、ダメなの? なんで?」「なんでって言われても、とにかくやだ」

 いやなものはいやなのだ。センスがどうとかではなくて、なんかいやなのだ。

「じゃあ、脱ごうか?」

「えっ、いいよ。そんなの、ヒナカの勝手じゃんよ……」

「でも、いやなんでしょう、あなたは」

「いじわるっ。もう、ヒナカは騙されてるんだよぅ」

「そんなにダメかなあ、これ」

「わっ」

 ヒナカは、もう一度見られてしまったから良いだろう、みたいにスカートの片方をめくりあげて確認なんかしている。ちらちらとピンク色のレースが見える。

「ざーんねん」

 私の突拍子もないイチャモンにも彼女は怒らない。私が今の提案に乗って「うん、私の為にもう履かないで、そんなの履いちゃいやだ」などと言えば彼女はそれで受け入れてくれそうな予感があった。「いいの?」彼女が聞いてくる「いいの、って何が?」「じゃあ、交換する?」「わかんないよ、ヒナカの言ってること」「そう?」ヒナカはやっと、鳥籠に鍵をかけた。そのまま鞄を手に取りヒナカが言う。鍵を持っているのは私だ。

「じゃあ、私、帰るけど?」

「私も帰るよう」

「じゃあ、一緒ね」

 一緒に。と言っても、ヒナカは手を繋いだりはしてくれない。並んでいるのに。今日はとうとうスカートをめくる仲にまでなったというのに、彼女はなんてことない顔をして、普通じゃ履かないだろうものすごい下着を着けているんだ。今日は体育もないし、部活にも入っていない癖に。誰に見せる為に、そんなものを履いていたんだろう。

 結局答えはひとつしかないんだ。

 溜息。

 鳥だけじゃなくて、きっと顔も知らない別の男がそれを、その奥を見てしまうんだろう。妬ましい。いや、もしかしたら、こうして私と帰るのはカモフラージュなので、駅で私と別れたあとに、学校まで戻って逢瀬を楽しんでいるのではないだろうか。ほら、駅に着いてしまった。

 やだ。

「やだ」

「どうしたの?」

「何が?」「ぜったいやだ」「やだじゃないわ、ユキエ。なに、悲しい事があったの?」「ずるい、私を面倒と思ってるとき、名前で呼ぶの」「なに言ってるの、言ってくれなきゃわからないわ。なにか、あなたにひどいことした? 誰でも名前で呼ぶ訳じゃないもの、ユキエのことが好きな時、名前で呼ぶのよ」とっくに改札を通ろうとパスを用意していたヒナカは、急に駄々をこね始めた私に手を焼いて、背中に手をまわして、改札横の自動販売機が並んでるガード下の手前まで持って行きながら、そう言った。

「うそぉ」

「嘘じゃないわ」

 嘘だ、と思う。そんなやさしそうな顔で言ったって騙されるものか。

「じゃあ私にキスしてよ、できるでしょ」

 バカか、子供か、その論理に脈略などない。沈黙があって、なんだか冷たい視線が刺さる。言ってからこっち顔を俯かせてしまったから目が合わせられない。ほれみろ、ヒナカは好きだと言って私を見ていられたけれど、私は「キスして」って言っただけでぐるぐるして、ヒナカの目さえみれなくなってしまうんだ。だから、ユキエのはうそなんだ。

「良いの?」

 すぅ、と音もなく間合いが詰まった。

「あっ」

 やん。と甘い声を漏らしそうなところを、すんでのところで、書き換える。良かった。良かったのだろうか? 自販機の隣の隙間。高電圧注意の警告テープが貼られた灰色の箱の影に私の体はくるりと押し込められた。

「開けなさい」

 ヒナカは消してきつくない口調でそう言った。言われて私ははじめて気付く、自分が、友人の前なのに、怯えた子リスのように鞄を前に抱いて、歯を噛みしめて居ることに。まるで、怒られているみたいになっていた。

「ほら」

「ふあ」

 ヒナカの右の手が上がった。緊張しすぎて逆に緩んだ私の口めがけて、横向きにヒナカの唇が差し込まれる。挙げられたヒナカの右手は、落ちてくる髪をせき止めるために添えられた。そして、そのまま逃げようとする私の口を固定するために。そんなことしなくたって、もう逃げやしないのに。

 舌が、蹂躙してくる。自棄になったような激しさで、甘い匂いが漏れてくる。ざらざらとした舌先が、私の上あごを奥からなぞり、前歯の先までを痺れさせていく。ゴールに着くと、もうずっと細かく痙攣して、奥で縮こまっている私の舌をからめとって、一緒にダンスを踊る。やがて、やっと緊張を溶かされた私の舌は同じように大胆に、ヒナカの舌の中へ侵入し、さっきしてもらったことの真似をはじめた。あるところから息を止めていたことにお互いに気づき、申し合わせたように息を吐いた。ヒナカは目を瞑っていた。鼻腔から息が漏れ、返しに体に入れた呼気の中にも彼女がいた。

 そこで私はやられた、きゅうと胸が切なくなるほどさみしくなって。今まで腕をスカートの前でぎゅっと握っていたのでは足りなくなって、それをほどいて、ヒナカの背中に回し、この瞬間を永遠にしようともがく。

 けれど、そこでバランスは崩れた。私が体で押したみたいになってたたらをふみ、ヒナカが一歩後ろに下がって、唇は離れた。

「あ」

 糸が引き取られていく、ヒナカはカッターナイフみたいにちょろっと出した舌で唇をぺろりと舐め、糸を切る。

 妖艶な仕草。ヒナカととうとうキスをしてしまったという達成感、背徳感に私の足はがくがくとふるえはじめる。感電注意が貼られた灰色の箱に体を預けた。

 ヒナカは浮かない顔をしていた、ように想う。

「ごめんね」そしてヒナカは、謝った。

「え、なんで」

「あなた、良いって言ってないのに。こんな事して、私。どうかしてた」

「そんな、そんなことない」

「ううん、なんか……その、ごめんね。私。勘違いしてたみたい」

「うそ、私。嬉しかったのに。なんでそんなこと言うの」

「ユキエ、嘘吐いてもわかるよ。あなたの嘘はわかりやすいの」

「ほんとうっ!」

「全然、積極的じゃなかったもん。なんかさ、私ばっかり躍起になっているみたいで……バカみたい」

「やめて、私の話聞いて! ヒナカには、だって、彼氏が」

「は?」

 あ、こんな顔するの。と思った。なんだか、冬の日に被ってた布団を剥いでしまったような罪悪感が襲ってきた。修学旅行で図らずも先生のすっぴんを見てしまって、そうと気づけなかった時の、気まずさ。

「いない……の?」

 へらり。

 口の端っこがゆるんでしまった。ヒナカは凄く怒っていたのはわかっていたのに。

「あなた、私の何をみてたのッ! いないわよっ! いるはずないじゃない!」

「ひっ」

 ヒナカの声はとてもよく通る。それがひとつ言葉をくぎる毎に和音を奏でながら高くなって耳に刺さる。

「なんなのよ……やだもう……」

 ヒナカは俯き、横に流れる髪を何度もなで上げる。そんな様にならない癖があったなんて、知らなかった。

「ねえ、ヒナカ」

「何よ……」

 さっきまでの高い音はどこへやら、一気にテンションが下がっている。

「私、ヒナカのこと好き」「嘘よ」「嘘じゃない」「うそ」「ほんとに好き、ヒナカもなんでしょう」「でも、私があんなに勇気を出してたのに、反応してくれなかったよ、ユキエ」

「違う、ちがうよ。全然違う。だったらさ、私、ヒナカのこと毎日待ったりしない。あの鳥に嫉妬なんかしないもん。べろちゅーされてやじゃないもん。だってさ、ヒナカ、あの鳥ばっかり見て! 全然、私のちょっかいなんて気にしないみたいな顔してたくせに! だから、私、私びっくりしたんだから!」

 気付いたら、興奮していた。肩で息をしている。遠くで遮断機の降りる音がする。

 湿った息の音が行き交う。通行人が視線をくれる。下唇を噛んでいたヒナカは髪をざっとかき上げて、ぴんと背筋を伸ばす。視線はちょっとだけ、私の目からずれている。

「――帰るわ」「え?」「また明日ね」「ちょっと、ヒナカっ!」

 颯爽とヒナカは長い足で改札をパスして、ホームへの階段を上がっていった。私は追いかけようとして、鞄が無いことに気付く。パスは鞄の中だ「ああもう!」と革靴でターンしてさっきの場所に戻っても鞄はない。「ぎゃあ、やられたっ」改札に再び舞い戻り、鍵のかかった通用小口を乗り出し、改札の向こう側の死角に私の鞄はあった。

 そこを乗り越えて自分の鞄を回収する下品な行為で駅員と問答している間に、もちろんヒナカは先の電車に乗っていってしまった。

 

 寒々しいホームで私はひとり、キスの残滓を想う。

           ☆

 ヒナカは準備室にいなかった。ユキエは鳥籠の前でしばし途方にくれる、ここに来れば居ると思っていたのに、休んでいるかどうか確認すれば良かったのに、なんとなくそうしなかった。だったら、来ないかも知れない。餌箱が空になっている鳥籠を覗き込むと、鳥と目が合った。名前はサニー。太陽の名前を付けられておいて、そんなにたいしたことのなさそうな造型と羽の色だ。

「やっぱりブサイクね、あんた」

 それでも、あれだけかいがいしく世話をしていたのだから、ヒナカにとっては大切な鳥なのだ。餌箱か空なのだから、今日はまだ来ていないのだろう。なにせユキエは放課後真っ先にここに来たのだから。ちょっと早すぎたのかも、しれない。

 けれど、ヒナカは来なかった。鳥籠から離れた机でノートを広げて頬をつき落書きをして待っているのに、来ない。美術部は今日休み。

「あんた、おなか空いたでしょう」

 ヒナカは鳥の世話を結局させなかったけれど、やりかたはわかる。窓を閉じれば最悪飛んでいってしまうこともないだろう。敷居の高くなったヒナカが来なくなってしまって、飢えたサニーが死ぬことになったら目覚めが悪い。

「あなた、ライバルなんだからね」

 籠に手をかけても、錠を外しても、籠の中の餌箱と水さしと新聞紙を除いても、サニーは鳴きもしなかった。確かに生きているように首を動かしたり、縁側のおばあちゃんがお茶をすする動作のごとくしみじみと羽を遠慮がちに動かしたりはするのだ。そして、たまに鳴きたがるようにダーウィン・フィンチのような波線の嘴を上に向けて開くのに。音はまるでさせない。

 話しかけてやったのに、無視されたような気分だ。禽獣ごときに人の情なんてわかるはずがないと、溜息をついてやり、さっさとやることを済ませようとする。いつもヒナカが出してくる棚の中には果たして餌袋があった。カラフルな、おもちゃのプラスチック球のようなものがたっぷり詰まっているのだ。それが二つあって、何故か両方開いている。手前の袋を引っ張りだし、中身を小さな木の匙ですくって、小鉢に入れて軽くすりつぶすのだ。「それ、しなきゃいけないの?」「気分よ」「そう」でも、ヒナカがそうしているのは好きだったから、自分もそうした。すりつぶしている時のヒナカはとても楽しそうなのだ。

 新しい紙を敷き、餌箱と水さしをセットして、鍵をかける。やることは終わった。さて、サニーは餌を食べるのだろうか。せめてそこまで確認してから準備室に鍵をかけよう。そう思ったのに、サニーはそのままだった。ヒナカが餌を置けば直ぐにそれをつついていたと思う。そうなると、サニーはユキエが置いた餌だから食べないとでも言いたいのかと穏やかならぬものがこみあげてくる。あんた、餌箱の中を意地汚く空にしておいたくせに、と。

「あんたにバカにされる筋合い、ないからね」

 籠の骨を中指ではじいてやる。こんな鳥どうなったって知るものか。なのだ。鼻で息を吐いて準備室を跡にしようとした。もう、外は暗い。その時。

 

 ピロロロロロ

 鳴いていた。

 

「鳴くんだ」

 現金なもので、ユキエはそれで満足した。

 そのまま意気揚々と準備室に鍵をかけた。

 餌をついばむ音も聞かずに。


            ◇

 

 そして、二日ばかり。ユキエは美術準備室に行かなかった。

「ユキエ」「あ」

 ヒナカが学校に来ていることは知っていた。放課後、先に見つかり、声をかけられてしまったユキエは視線をうろつかせて頭を下げる。

「あの、ごめん」

「なんで謝るの?」

「その……なんとなく?」

「わかるわ、なんとなく久しぶりに会って悪いことをしたような気になるの。あなたが謝らなかったら、私がそうしていたかも」

「ヒナカは、悪いことなんかしないでしょう」

「ユキエは、悪いことを?」

「しないわ」

 ふるふると首を振った。

「ねえ、トイレ行きましょう」

「えっ、なんで?」

「もしかして、用事ある?」

「ううん」

 ヒナカはなにやら上機嫌に見えた。ユキエは手を取られるままトイレの個室に押し込められた。

「準備室じゃ、いけないの」

「恥ずかしいでしょ」

 ドアを背にしたユキエに、ヒナカの体が落ちてくる。改札で浴びた匂いにユキエはやられた。今度こそ、と制服の背中に手を回す。まわしてぎゅっと、体を押しつけると互いの柔らかいところが、金具が触れ合って。もう後戻りはできないのだと囁いていた。

 そして二人は、三日前の、改札の影でやったのよりもものすごいキスを何度もした。コトが済むと、のぼせて浮かれたユキエはタイを直し、下着を履きなおしながらヒナカに尋ねる。日常の続き。

「準備室、寄って帰るんでしょう?」

「なんで?」

「だって、いつも行っているじゃない」

 そう、日課が失われるのは悲しいことではないか。

 これが新しい日課になるのならそれでもいいけれど、とユキエは思う。ヒナカは目をちょっと開いて言う。

「いいけど」

 たまに顔を見せる冷たいヒナカの背中を見ながら、肋骨の下にあったほくろの場所をその上から当てはめて階段を上った。準備室の籠の中は、空だった。

「あれ?」

「どうしたの?」

「鳥……サニーは?」

「死んだわよ?」

 からりと。油と板と夕焼けの匂いが充満する準備室の中で、すっとヒナカの言葉が響いた。

「え、いつ?」

「私、美術部の子に餌やりを頼んだの。あなたとケンカした次の日よ。私、ナイーブだったから」

 私には頼んでくれなかったのに? とユキエはふくれそうになるのを抑える。ヒナカが続ける。

「でも、忘れてたんですって。だから死んでしまったわ」

「えっ」

 声が出てしまった。

 ヒナカは――上げたはずだ、餌を。あの夜。まばたきをいくつかしてヒナカは続ける。なにもない籠を掲げる。絵になっていると思った。夕陽を逆光にしているのに、さっきの情事のあと、唇がまだ濡れているのがわかる。

「でもね、私が悪いの。サニーは丁度鳴く頃だったから」

「鳴くの、あの鳥」

 するりと言葉が滑っていく。

「そう、サニーは季節によって鳴くの。食べ物が変わるのね。集団生活になるから、その時までは鳴かなくていいの。ほら」

 餌袋が入った戸棚をヒナカは開いて見せた。そこにあるのはユキエが取り出した二つの袋がそのままあった。ヒナカは語る。野生のサニーと同じ鳥は、餌にある虫を食べるのだという。その虫は季節によって毒を持つのだと。じわじわと毒を貯め続けるその毒虫を、サニー達は食べ続けるのだと。

「その毒にね、少しずつ耐性をつけるのですって。そうでなければいけない理由が、あるのだそうよ」

「そうしないとどうなるの?」

「冬に病気で死んでしまうのですって。元々この鳥は冬の無い島常夏の島にあったのだけれど、その島にある時期から季節が産まれてしまった」

「そんなことあるの?」

「私は、サニーの先祖が氷河期に季節のある島まで渡ってしまったのではないかと考えてるけれどね、これは想像」

「ふうん」

「不思議でしょう」

「そうなんだ……」

「そんな悲しい顔をしないで、だって、あなたってサニーのこと、キライだったでしょ?」

「そんなことない」

「あら」

 ヒナカはクスクス笑った。そして続ける。

「だって、あなたサニーに嫉妬していたって、自分で言ったのよ。これで私は、サニーから、あのいまいましい自由を奪う鳥から解放されたの。サニーはかわいそうなことをしたかもしれないけれど、私が当てなかったら、もっとかわいそうなことになっていたわ」

「おはか、作ってあげなきゃね」

「ごめんね、昨日済ませてしまったの」

「そう」

「ユキエにも、サニーの声を聴かせて上げられたらよかったのにね、そうしたら二人はもっと仲良くなれたかもしれないわ」

「えー、そうかな? うん、でも、だったらいいよね」

「知ってる? あの体でバイオリンみたいな音を出すのよ」

「えっ」

 ――バイオリン?

 脳天気な顔を作れているか不安になる。あの鳥は、サニーは、ピッコロを吹き散らしたような音を鳴らしていたと思う。甲高い笛を長く長く息の続くまで歌い続けるような音だった。どう解釈してもストリングスのようでは、なかったように思う。

「どうしたの、もしかして、サニーの声聞けた?」

「ううん、私、ヒナカの居ないときにサニーといたことなんてないもの。いつもサニーはヒナカといたでしょ」

「そうね」

 準備室に鍵がかかった。鍵を職員室に戻し、焼却炉にもはや用済みになった餌袋を投げ入れ、ユキエとヒナカは家路についた。どちらからともなく手を繋いだ、しばらく言葉はなかった。

 ユキエが先に折れた。

「私、ヒナカ、私ね」

「ユキエ」

 静かに。

「サニーは、いい子だったわ」

「うん、きれいだったね」

「ユキエは、うそつきね」

 ヒナカがひるがえる。

 ここは通学路だ。同級生たちが見ていた、先輩も後輩も、パンやのおばさんも、自転車のベルを遠慮して鳴らさないスーツの男性も、みんな見ていた。嘘ばかりを漏らすユキエの口が唇で蓋をされるのを見ていた。

 きっと、明日には知れ渡る。ユキエは口からもらせなくなった情熱の在処に戸惑い、羞恥に目を瞑り、負けないように唇を吸った。しばらくそうした。長くはないと、思った。

「こんなところで、やだよ」

「ユキエは、ほんとうにうそつき」

 ヒナカはとても難しい顔をしていた。怒っているわけでも、泣いているわけでもない。困っているようで、喜んでいる風でもある。「ちょっとね、砂糖が多すぎたの」と言い訳をせざるを得ない砂糖の過剰飽和な生地で練られたクッキーをかじり、誤魔化しきれなかったザラメの砂のような歯ごたえを楽しんでいるかのような。

 そんな、穏やかな笑顔だった。

 

 ――でも、とユキエは思う。

 この先も、塞がれる度に零れてしまうだろう。

 それとも、零れるから塞がれるのか。

 このうつろなくちが、愛しい。

 

 そう、

 毒を喰らわねば死ぬ鳥なんて、いるはずがない。


「――ほんとうよ、ほんとうなんだから。嘘なんて、吐くはずないわ」


 きっと、お互いにそう思っている

 湿したままのくちびるで

 

 

 

< 虚の口 了 >

2012-05-21 あしたのきおく #15-10

杙の島


第十一回文学フリマで出したやつ。

半年経ったし載っけときます。

続きからどうぞ。


夥しい死の上にいた。


風が金網を揺らす音がする。室外機がやかましく唸っている。それだけ。あとは、私の呼吸の音、私の心臓の音。それすらもどこか遠くからサランラップ越しに聞こえてくる。電子レンジであたためられゆく仔猫のビデオを見ているかのごとし心境。現実感などありはしない。喧騒と埃の匂いに包まれた退屈な学園生活は、至上の静寂に変わった。

しずかなしずかな屋上。

「あー」

声が出る。

屋上には誰もいないのが普通だった。屋上は、入学する前に誰もが憧れる憩いと憧れの場である。だから、ゴールデンウィーク前辺りまでの昼休みには、新入生たちが意気揚々と、または思惟の場を求めて階段を四階から駆け上ってくる。

そして、窓も付いていない重苦しいドアと、そこにご丁寧に後から付けられた南京錠にうちひしがれ、あるものは諦めきれず階段に腰を下ろして、燦々と照る非常誘導灯に見守られながら、当初の目的の半分くらいを果たそうとして、不満そうな顔でチャイムを聞く羽目になるのだ。

教師たちだって暇なガキどもが高いところが好きなのくらいは先刻ご承知だし、同じような目的の生徒達だって多い。だからこんな場所で秘密の会話も会合も、思惟の時間も、持てはしないのだという現実を飲み込んだ挙げ句に、ここにやがて誰もこなくなるのだ。彼らは、音楽の授業がない曜日の音楽準備室や、特別授業棟のトイレ、中庭の用具置き場、ロッカールーム。存在しない部の存在する部室、学外。そんなところに散らばっていった。


四月。諦めのわるい私は、屋上への道を閉ざした無慈悲なデッドエンドの上に設けられた点検口を見上げていた。暗い屋上には腕ぐらい太く、油のにおいがするロープが積み上げられていた。その下には小さな脚立が隠れていて、そこに乗ると、女子の私でもその点検口からぶら下がる透明な糸の存在に気が付き、手を伸ばす事が出来た。引っぱると、点検口を留めているネジが回り、蓋が内向きに開いて空が見えた。そのままひっぱると縄梯子がばらばらと頭の上に落ちてきて、私は悲鳴を上げた。

 すごい音を立てたはずなのに、誰も来なかった。昼休みのチャイムが鳴った。目の前でぶらぶらゆれる縄梯子がうらめしい。脚立から降りて、それを元の場所に隠しても、縄梯子は天井にぽっかり空いた穴から垂れ下がっている。これを登れば屋上に出られるに違いない。が、これは明らかに反社会的な行為に思えた。例えば、電気ノコギリで南京錠を破壊して屋上に出た方が、あとでバレた時にいくぶん言い訳が効くような行為に思えたのだ。

チャイムが鳴って、しばらく経った。私は縄梯子を掴み、懸垂の要領で体を縮めて持上げる。揺れてしなる縄梯子の一番下に、スカートが捲れるのもこの際気にする余裕もなく、右足を思いっきり差し込んだ。一番上まで辿りつくと、縄梯子を巻き上げて、蓋を持上げる。蓋と縄梯子には糸が付いていて、そこを下から引っぱるとさっきのように蓋が開いて梯子が落ちるように細工されていた。降りたあとは、糸に紐を通して引っぱっていけば梯子が巻き上がっていく仕組みなのだと想像できた。

屋上は、広くもなかったし、きれいでもなかったし、静かでもなかった。確かに誰もいなかった。私は銀色と白の配管が張り巡らせられた不埒な隙間をできるだけ通るようにして屋上を一周して満足し、屋上をあとにした。

 スカートもブラウスも、油で汚れてしまっていた。うんざりしながら、苦労して梯子を収納した天井を見上げる。点検口に見せかけた偽の楽園へ続く扉。蓋と縄梯子は何のためかはわからないが、誰かがあとで付けたものなのだろうと思えた。あの些細な屋上を一人のものに独占したがった誰かが。

私は、そのまま家に帰った。

それから、私は屋上によく足を運んでいた。服を汚さないように掃除をして、シートを敷いて弁当を食べて、五時限目は本を読見ながら過ごすのだ。ある雨の次の日に蓋を開けると、どっと雨水が落ちてきて濡れてしまったことがあった。始めて開けた日は空が見えていたのに、どうして降ってこないのか不思議だったけれど、ともかく私は梯子の上の屋上に続く二重の口の上にも蓋をして出ることを忘れないようにした。

きっと、楽しかったのだと思う。

この日も、私は昼休みからこっち屋上でサボりを決めこんでいた。相変わらずドアは施錠されたまま、空への窓は施錠されないままだった。つまり私は、自分以外の誰にも邪魔されずに――そう、この日まで、だれとも出くわさずにいた――本を読んでいたい気分だった。金曜の五限は世界史で、穏やかな講師の教え方はうまくて女子からも人気があった。しかし、私はその教師がひどく嫌いだった。理由をまとめて述べることはとてもむずかしい事だけれど、「あの顔を一時間見るくらいなら、フナの解剖で腹の中から出てきた不吉な虫を眺めていた方がマシ」に思えた。単位ひとつくらい、捨ててしまっても構わない。

 そして今、その講師を嫌いであったことを感謝している。

――嫌いなおかげで、生き延びた。

死体の山をその天井口から眺めながら、そんなことを思う。

屋上に続く重い鉄のドアに向かって彼らは一直線になっていた。主に制服を纏った同校生達はおおよそ背中を向け、ドアに向かって死んでいた。その葬列は階段までぽつぽつと続いている。血の臭いはしない。バスケ部の朝練のあと、人の集まった朝礼の体育館みたいな匂い。その隙間から酸い臭いが混じる。

ドアは結局、彼らの手によって開くことはなく、誰も私のいる天井口には気付かなかったのだろう。持ち込んだビニールベッドに寝転び、優雅に昼寝を決め込んでいた私は、生きていた彼らが悲愴にドアを叩く音と怒号で目を覚ました。だけど、南京錠の鍵を持って居る訳でもない私にはドアを開けることはできなかった。仮に開けられたとして、危機を声高に示し、恐怖を煽るその扉を開けることができたかどうかわからない。

やがて、ドアは響くのをやめた。ドアに耳をあてるとひやりとした。校舎が水の中で呼吸するごとき音が聞こえる。それらの合間に、弱くなった悲鳴が、幽かな怒号が、聞こえた。もうドアを叩くことすら出来なくなったのだろう。

携帯電話を取りだした。メールがいくつか来ていた。前述の世界史の講師が、今日はついに私の不在についてうるさく言っていたと、クラスメイトから送られたちくりと迷惑メール。それだけだ。屋上で見たことの無い『圏外』の表示が薄ら寒かった。電波を探すためドアから離れ、金網の方に走った。しかし、電波が捕まることはなかった。金網越しに見下ろす校庭にはだれもいなかった。いつもは、二年生が校庭で授業を受けている時間のはずだった。校庭に向けたスピーカーが、光化学スモッグ注意報が発動されていると繰り返していた。 

圏外は治らず、校庭の無人は変わらないまま、数十分が過ぎた。ドアに耳を付けても、校舎のどこかで空気と水が流れている音しか聞こえない。そしてそれも、もしかしたら自分の血流と呼吸の音なのかもしれなかった。

天井口の蓋に手をかけて迷って、逡巡の末に開けて――私は、地獄を目にした。悲鳴も何もでなかった。ドアの向こうの尋常ならざる様子と、突然の静寂から、これは予想されうる状態ではあった。それなのに、私の耳は遠くなり、歯がかちかちと鳴り、天井口が歪んで落ちそうになるからアルミの枠をしっかりと掴んで泣こうと思った。なのに、「あっ、あっ」とリズムのあわない嗚咽が漏れるばかりだった。汗や涙が、私より先に降りていった。誰かが笑ってくれるのを待った。

――世界は終わって、自分ひとりだけが生きているのだろうか。咳と嗚咽は自分のものしか聞こえない。天井からひとりだけ見える仰向けの少女の顔は、作り物やドッキリじゃなく、どこまでも本物の死に思えた。ドッキリだとしても、あんな不様な顔していたら生き残っていけやしない。彼女の顔をじっと注視していたら、視界の揺らぎが治まった。落ちた縄梯子が私が降りるのを待っている。

しかし、いつものように天井口から降りれば、誰かを踏みつけることになってしまう。スカートの内側が見られないように気にするべきか悩む。だって、そこにあるのは無数の死体だが、大勢の同年代の異性と同性なのだ。恥じらいを含んで悪いことがあろうか――。

「――あ、待って、戻って」

それでも決心して足をかけてすぐ、屋上に続く階段の下からそう声がした。くぐもった響き。ビニール袋を被ったらそんな声が出そうな色合い。私は梯子を半ばまで降り、スカートのひらめきを抑えながらしばし待つことにした。

「歩きにくくなったもんだよ、っと」

「――?」

後頭部が見えた。長い黒髪になにやらものものしいヘアバンドを着けているように見えた。踊り場で振り返る。それはヘアバンドなんかではなかった。ガスマスクを装着し、拳銃をぶら下げた女生徒が、肉をかき分けながら登ってきた。

私は状況をはかりかねていた。

「ちょっと待ってね」

「なに?」

「仕上げが、肝心だから」

ガスマスクを背負い、右手に構えた拳銃を下に向けて膝に当て、空いた左手で撃鉄を起こした。

「――ひッ!」

撃たれる。そう思った私の体は、手で頭を守ろうとした。重力が私を捕らえて肉の海に引きずり込む。銃声が聞こえて、私は後頭部をしたたかにぶつけた。

撃たれたのだと、死ぬのだと思った。

陽射しと埃の匂いがした。少し高い枕だった。

「起きた?」

「あれ」

陽射しが遮られた。これはなんだろう。首を横にする。枕はやたらと熱をもっていて、堅い。唇の端に冷気を感じて口を拭うと、涎が垂れていた。その先を手繰ると、枕だと思ってた布が濡れていた。

「ふぁ、私。ごめん。あの、あれ? どこ?」

「屋上」

彼女はスカートを汚されたことを気にする風でもなく、笑っている。そういえばさっき、私はこの子に殺されかけていたのではなかったっけ? それともあれは、暖かな日がサボリに灸を据えるために見せた白昼夢だとでもいうのだろうか。

「……」

「どうしたの、じろじろ見て」

「なんか、ふらふらする」

「結構強く頭を打ったみたいだからね。脳震盪でも起こしているんじゃないかな」

「そう……かな」

たしかに後頭部はずきずきと痛んでいた。手を当てれば痛む。そして、その痛みとともに、縄梯子から落ちたこと、そこに至るまでの終末的な顛末を思い出した。大量の傷のない死体、拳銃、ガスマスク、黒髪。

「……」

私は彼女を見る、黒髪で、傍らにはガスマスクもある。マスクを取った顔には見覚えがある。名前も知っている。そこまで親しいわけではなかった――ように思う。少なくとも、気絶している間に膝枕をされてしまう程親密な関係ではないハズだ。けど。

「どうしたァ?」

「……撃たなかったの?」

痛いのは頭と、足も打ちつけたようで立とうとすると激痛が走った。しかし、どこからもどくどくと血が流れているような大けがをしてはいなかった。

「撃ったよ」

「コントロールが悪かったの?」

「いや、近くで撃ったし、動かなかったから当たったよ。見てくればいいじゃない」

「うそ、私どこも穴なんてあいてない」

「穴があいているのはきみの目? ぼくが撃ったのはそのドアに付いていた錠前だよ」

膝で立って振り返ると、なるほど、ずっと閉まっていたドアが開いていた。真鍮のガラクタが錠前にへばりついている。ドアが閉まらないようにか、男子生徒の死体のうちひとつがもたれていた。

「軽そうなのを選んだんだけど、引き摺るので精一杯だった」

「……そう」

軽そう、なのは何より彼女そのものだった。真面目そうな風貌や佇まいとは裏腹にだ。

「他に、いるの? 生きてる人」

「さあ、生きていれば誰か来るだろうね」

「電話も通じないみたい、圏外」

「そうだね、固定電話も、主要キャリアのアンテナもキルしておいたからね」

「……あなたが、やったの?」

「そりゃそうだ、きみとぼくだけが生きていて。きみがやったのでないなら……残るのは誰だろう? あ、きみはもしかして、この学校だけじゃなく、この町とか国とかが、全部こうなってしまったと考えてしまった?」

――そりゃ、メルヘンだよ。と彼女は笑った。

「階段の下も? 全部? あなたのクラスも? 保健室も?」

「一階から順番にね、逃げられないように。といっても殆ど同時だけれど――」

彼女は自分の『計画』についての解説をはじめた。その計画は大胆で、緻密だったけれど、どこで何かがずれても上手くいかない類のギャンブルじみた、言わば「メルヘン」的な計画のように思えた。それにその計画はどうやらこの学校を全滅させることが目的のようでいて、彼女自身の動機も、意義もまったく見えて来るようなものではなかった。 

「それじゃなんで、殺さないの? 皆殺しなんでしょ」

「一年の時、きみはぼくに良くしてくれたろ、そのあとはきみはぼくを避けるようになった。でもきみは、たまに干渉してくれたじゃないか。きみは、どうして干渉してくれたのかな? 自分の身を危険にさらすかもしれないのに」

「迷惑だった?」

「とんでもないさ、きみの立場ならしかるべき対応だったんじゃないかな」

「あなた、そんな喋り方じゃなかったと思う」

「わざとだよ、もちろんね」

どちらが? とは聞かなかった。

「どうするの、これ」

「どうもしない。面倒じゃないか。それにそれこそ、あとの人たちに迷惑なんじゃないかな。きみは証拠が欲しい? きみが生き残るための、被害者でいられるための理が要る?」

「いまのあなた、生き生きしているわ。うらやましいくらい」

「本当に? 髪を右半分だけ切られたり、残り半分をロッカーにくくりつけられて、服を脱がされて写真を撮られたり。そこに酸をかけられたり、それを世界中に配信されたり。家に帰って中から解剖されたハムスターが出て来たようなこととか。喜怒哀楽を現しても、他のすべてを隠しても、執拗に、執拗に落とし穴を掘って回るんだ。それはぼくだけじゃなく、やがて家族にも及んだ。先月四十九日が終わった。四十九日が終わったからどうだというのか、ぼくにはわからない。ただ、ぼくはほっとした。そして感謝してもいる。ぼくは、あの人をもう苦しませたくなかったから」

一息。

「――強い男の子が欲しかった、んだって。あの人は」

その声は泣いていただろうか。こんな極限状態で死んでもいなければ、泣いてもいない自分が異常者であるかのようだった。ふと彼女は、その辺に転がっている男子生徒をひっくりかえした。髪の色が薄いその男子の名前も顔も、私は知らなかった。上級生であるかどうかも知らない。赤い血みたいな色をしたTシャツの上にワイシャツを直接着て、ボタンは上から三つばかり開いている。

 彼女は「未来などない」と横文字で高らかに謳う傍らに屈んで、内ポケットから煙草を取り出した。銘柄になんとなく覚えがあった。赤い口紅を付けた女性にこそ似つかわしそうな細い煙草だ。

「ん、愛らしい」

パッケージの中にライターはなかったようだ。彼女は一本をくわえ、ものいわぬ同校生の腹にのしかかり全身をまさぐる。写真機があれば扇情的なシーンを撮っておけたと思った。

 彼女は首尾良くズボンのポケットにジッポライターを見つけた。彼女はジッポの灯をじっと見つめていたかと思えば、蓋を閉めてまた開けて、何かに納得したように笑ってひとつ頷き、ようやく火を点けた。口に咥えられた細いものがうっすらと煙をまとう。いのちを与えられなかった火は燻ったまま、力弱くなっていた。

「吸わないの?」

私はそんなことを聞いていた。彼女はくわえているだけで、吸ってはいなかった。赤く光らないままでいるのだ。

「吸ってる」

「うそ、貸して」

私のどこに、そんな勇気があったのだろう。私は颯爽と彼女に近づくとひったくるように煙草をかすめた。そのまま口にするとひやりとした。メンソールの冷気はあとからやってきた。先端で火が踊り、死んでいく。彼女はそれをじいっと見ていた。久しぶりに肺に入った紫煙が燻りとなって屋上に溶けていく。

「あーあ」

それを見て、彼女はとても切なそうな声を上げた。目を向けると笑っている。私を見て無邪気に手を差し出したので、私は半分以上残っているそれを、すっともうひと吸いしてから、彼女に吸い口を向けて差し出した。でも彼女は、手を差し出して起きながら、口を近づけて、私の手にあるままそれを吸った。

「けんっ」

煙に慣れていないのか、彼女は噎せた。

「はじめて?」

「くは……いいや、たまたまだよ。その、思ったよりも薄荷が強い」

彼女はうらめしそうに、まだ私の手で逆手に持たれて紫煙をたなびかせる煙草を眺めていた。私は、まるでいつもそうしているように自然に、その煙草を口元に持っていって、吸う。造作もなく煙を吐く。メンソールが喉の温度を、ニコチンが現実の温度を吸い取って大気に返す。日常的に吸っているわけではないから、噎せはしないけれど数字が弱くともくらくらと響く。

彼女の言葉は、嘘だと思った。

私は背中を金網に預けて、もう自分のものにした煙草を吸う。そういえば、学校で吸ったのははじめてかもしれない。

「サマになってる」

「そう?」

彼女は煙草を私に譲ったようだった。吸うわけでもないのに、探してまで火を点けたのはなぜだったのか。そんなに飄々として、こんな惨劇をやらかしておいて。返り血ひとつ浴びていないのに、なぜだか全身から死のにおいをさせている。

「みんな、死んでるの?」

「たぶんね、脈を測って片っ端から蘇生を試みてみるかい?」

「私も殺す? みんなを殺したように」

「死にたかった? それとも、平然としてるように見えるけれど吸っちゃった?」

二つの質問に私は一度首を横に振った。

「あなたが、やったのね。ひとりで」

「うん、ぼくが撒いた」

それは、復讐? と聞くかわりに煙草を吸った。長くなっていた灰が落ちる。なにもかもが恨めしい、なんてそんな目をしてるわけじゃない。私だったらどうする? この学校をまるごと、こんな毒の沼にするにはどうする? 今日考えて、明日実行できるだろうか? 機を見て、その日がきたらやり遂げるだけの計画性と覚悟をもって臨むに違いない。

なのに、彼女にはそれがない。きっと、最初にはそんなものがあったはずなのに。煮えたぎる金属のような粘ついた情動があったはずなのに。憑きものが落ちたかのようにすっきりとした顔をしている。

「――あなた、前からそうなの?」

彼女はその問いに答えなかった。

「意外だなあ」

「なにが?」

「もっと、取り乱すものだと思ってた」

「私はどうして、生きてるの?」

「哲学? それに答えるには社会科の教師をひとり生かしておけばよかった」

「違う、知りたいんじゃないの」

吸うと、味気のない空気が入ってきた。指が熱い。熱さにようやく指が驚いて、手を振ると、灯を失ったただの吸殻となって床に落ちていった。

「生かされてるの? あなたに」

「ぼくは、神様じゃないよ。たまたま、死ななかっただけさ。ぼくもね」

「あなたは、何故死ななかったの?」

「死ぬのが、怖くなったんだ」

「死ぬつもりだったの?」

「ねえ、もっと楽しい話をしよう? どうせ、みんな死ぬのだもの」

「でも、死ぬのはいつでもできるでしょ。だからだれも好んで他人を殺したりはしないじゃない、自分から好き好んで死ぬわけじゃない」

「うん」

――それで? と彼女は首を傾げた。

「あなたは、どうしたかったの?」

「ン――」

彼女は階段の方を見た。死体の山。静寂の澱。

「こう、したかったのさ」

「うそ」

――ウソじゃないよ。

 彼女はそう言いかけたのだと思う。でも、私たちの間に電子音が割って入った。それは一つだけではなくなった。死体のいくつかは揺れ動き、いくつかは陽気な電子音をけたたましく鳴り響かせた。あろうことかファンファーレまでが鳴っている。

「――なによ、これ」

「お迎えが来たんだよ。ぼくはもう、行かなきゃ」

びーっ。とポケットで私の携帯電話が揺れた。取り出すと着信とメールが何件も入っている。「圏外」の表示が失われている。彼女はすたすたと校庭の見える所までいって、金網越しに指を指した。その先にはパラボラアンテナを積んだ車がいた。そればかりではない、物々しい装甲車が次々と校庭に入ってきて、その中から緑色の制服とヘルメットを被った人々がぞろぞろと出てきていた。

「こういうこと、お別れ」

「どうするの?」

どうするもなにもない。彼女は、どうにもならなくなるのだ。どうにかしてしまったのだから。ここから先、彼女をどうにかするのは彼女ではないのだ。

「逃げない、の?」

きれいな屍肉をかき分けて、もう踊り場にまで降りていた彼女に問いかけた。女生徒を無造作に踏みつけながら、答えが返ってくる。

「どうして?」

私は押し黙った。彼女を止める言葉がもうなかった。いや、彼女は自分から止まりに行く事を選ぶ。こんなたいそうなことをしでかしておいて、私を――。

「そうだ」

 ガスマスクを被りかけた彼女は、思い出したように口を開いた。

「今日はありがとう。それで、謝らなきゃいけないことがひとつある。言うとおり、ぼくはウソをひとつついているんだ」

「私も殺されてたんでしょう?」

「いいや、四十九日さ」

私は今、どんな顔をしているのだろう。

「ね、そんな顔をしないで。祝福してよ、だってぼくは――」

彼女はそうして、再びガスマスクを被って行ってしまった。

屋上の金網に両手をかける。その下に彼女が見える。

校庭の真ん中で、そこに乗り込んできていた白い全身防護服の、銀色の盾を備えた集団が待ち構えている。遠い国の惨劇を伝えるVTRのように。彼女が勇ましく一歩進むごとに、その集団から何かを呼びかけられている。それがなんなのかヘリコプターの音がうるさくて聞こえない。

ガスマスクを投げ捨て、リボンを解き、あらぬ方向に両の革靴で天気を卜い、そのまま靴下を解き、スカートを落とし、ブラウスをはだけ、下着を下ろし、拳銃をひとつ残すだけになっても、同じリズムで進軍していく。 

最後に銃を、そっと脱ぎ捨てた。

耳が破れるほどやかましいヘリのローター音の中、ずっと彼女の最後の声が響いていた。


「――これから、生きるのだから」


屋上の鉄扉が、再び閉じていく。

<了>

2012-01-05 ザ・カードショップ

セイブ・ザ・マリーン・カラード・ペパーミント 雀牌風雲編

 これ文フリ11で友人の麻雀本に寄稿したカード屋なんだけど、多分まだ載せて無かったと思うので載せておくなどする。見直しなんてするわけない。




登場人物

店長……カード屋の店長代理

残念……残念な大学生

少年……常連強豪小学生

お嬢……少年の同級生お嬢様


「てェンちょーッ!」

「なんだそうぞうしい」

「麻雀しましょう!」

「ドゥフフ。そういうと思って、全自動卓を買っておいた」

「すごいテンチョー! 抱いてほしいッス!」

「よかろう――しかしタダというわけにはいかん、さあサイを握りたまえ……」



「――っていう夢をみたんスよ! 一昨日」

「気ッ色悪い残念な夢みんな。出禁にするぞこの残念」

「夢スよ! で、正夢じゃないかと思って駆けつけた次第なんスよ! あと残念呼ばわりはそろそろご勘弁ねがいたいッス」

「それが正夢になる可能性を信じた上でここにくる残念くんの神経がさらに残念になっていることに同情と失笑と幾ばくかの恐怖を禁じ得ない。それに残念なことに残念は昨日店に来たじゃねえか。一昨日の残念な夢なんだろそれ残念」

「もうそんな執拗に残念使わなくても……。これを読んだ人の中にほんとに残念って名前の子いたらどうするんスか……」

「おっまたメタっぽい発言ですか残念くん! いやー残念くんはさすが大学生だけあって賢いなァ。で、なんで昨日じゃなかったのその夢の話」

「今思い出したんスよ。いいじゃないスか正夢にしましょうよテンチョー! 買いましょうよ!」

「いくらすると思ってんだ! 大学生ならほら、そこら辺の部室に転がってるだろ」

「ここが俺の部室みたいなもんッスから!」

「……そんな、さりげなく友達いない宣言されてもぼかァどうしていいかわからないな……ジュース、飲む?」

「いらねっス! どーせ一〇〇円取るんでしょ! この商売上手!」

「褒められてるじゃねえか。照れるな。まあこれはサービスだ」

「マジスか! じゃあいただくッス。ちょうどのど乾いてたんスよねー」

「サービス価格で八〇円お買い上げありがとうございまーす」

「まった騙されたァ――ッ! テンチョーろくな死に方しないっスよ! つーか前から八〇円じゃありませんでしたっけ?」

「なんだかんだで払うおまえは律儀だよな。……これがいっぱいたまったら、ぼかぁ、この店に自動雀卓入れるんだぁ……」

「嘘くせーッスね……」

「んー。ま、今日びカードショップだけではやっていけないからな、この辺には流行っているゲームセンターもないしな。入れたら入れたで客引きにはなるかもしれん。最近子供客減ってるし」

「……この店小学生がターゲットじゃなかったんスか。あんまり小学生が和気藹々とゲームプレイしている横でザラザラと牌混ぜるのはどうッスかねえ」

「少子化で近くの小学校がひとつ統合されてな、わるいことに統合された方の片方からここはルートに入らない」

「えっ、それじゃちょっと商売ヤバくないスか、元からッスけど。そうなると中高生ターゲットッスか」

「中高生はもっといないんだよな。そうなると残念大学の学生なんだが――」

「俺の学校まで残念にしないでほしいッス! これでも頑張って入ったんスから! まあそもそもあの学校あんま生徒いないみたいッスからねー。少子化スかねー」

「おまえはそこの大学生じゃなかったのか、残念ながらも」

「学校にいるよりこの店にいるほうが長いッスからね」

「そうだ。そうなると残念の夢は正夢に近くなってくるな。健全な大学生はこんなはやらないカードショップに来たりせずに、紫煙とひりつく空気の中で肺を握って学費を浪費するもんじゃないのか」

「いつの時代ッスか」

「いつの時代でも大学生はそんなもんだろ」

「今はネット麻雀かゲーセンの麻雀で、そうでなければ友達の家で卓囲むくらいッスよ」

「ゲーセンでよくマンガのネタ丸パクリのちっちぇー牌あるじゃん」

「ああ、あったッスね。プライズで。裏が透明なヤツとかッスよね」

「そうそれ。ああいうの取って手持ちぶさたになって、とりあえず遊んだはいいけど結局じゃまでほったらかしたりしてねえの?」

「テンチョーご明察ッスねえ。確かにあれヒドイんすよ」

「小ささが? 裏が一部透明って企画そのものが?」

「いや裏が透明なのはッスね、あれ実際あの小ささだと裏見えないッスよ」

「……企画倒れじゃねえか」

「まあ、それはともかくふつうの牌として使えなくもないんスけど、まあ積めないっスよね。で、ここからが本題なんスけど、あれ、すっげえ臭いんスよ」

「臭いったってアレだろ、アメリカの輸入おもちゃレベルの臭いだろ」

「いやそんなもんじゃないんスよ! 心底体に悪そうなダブル役満級の臭いなんス! 袋に入って単たんスけど、その内側がものっそいヌルヌルしてるんス!」

「斬新な自慰の話なら、まだ日も高いことだし、な?」

「な? じゃねッスよ! つーか痛ェッスよ! ――で、それ洗って水に一晩つけといたんスよ」

「……な、ナニを?」

「牌ッスよッ! ……店長意外とシモ好きッスよね」

「まあ、残念の下家がいいな」

「なんでッスか」

「牌とか絞らなさそうだから」

「確かに、あんま考えないッスね……」

「白と中晒してるのに發ノータイムで切るレベルッスね」

「ちょっと、テンチョー真似しないで! 切らないッスよ!」

「なんだつまんなーい」

「なんで幼児化してるんスか……。ん? その例だとロンだし、下家関係ないじゃないスか!」

「ドゥフフ、よくできましたー。で、一晩漬けたナニがどうしたって?」

「一晩漬けた牌の水がドロッドロに濁ってるんスよ」

「そりゃこわいな」

「で、ザルにあけて拭いて、それでゲームしようとおもったんスよね、ところがそこで世にも恐ろしい出来事がッスね!」

「メンツがいなかったんだろ。友達いないから」

「…………」

「なんて顔してんだ」

「いや、あの。はい。せ、正解でス……」

「わーい、なんかくれ」

「生きる希望とか奪い尽くした上に、この上俺からテンチョーは何を奪う気なんスか……」

「なけなしの有り金とか? あ、ジュースもういっぱいどう? そこの大会優勝プロモカード買わない?」

「買わないッス! ……それで、一人で四人分やろうと思ったんスよね」

「がんばるね」

「まず積めないんスよね」

「そりゃあ、そうだろうね。その上でまだやろうというのがすごいよ、尊敬する」

「怖いのはここからなんスよ……」

「なんだ、もうもったい付けるようなイベント起こり得ようがないだろ」

「透明牌なのに、牌が透けないッスよ……!」

「それ最初に聞いた!」

「今のは、ジョークッス」

「残念の場合残念なのか残念なジョークなのかわからねえんだよ、常に本気で来い」

「なんかカッコイイっぽいッスけど、思いっきりコケにしてるッスよね? ……で牌を掴むと、まだヌルっと……するんスよ……」

「白か」

「いや、七索……じゃなかったッスかね?」

「なんでぼくに聞き返すんだよ、しらねえよ残念の一人遊びの内容なんか!」

「怒っちゃイヤッスよ。継ぎ目から漬けておいた分の水が染み出してくるわ、そもそもどうやらその牌が水にじわじわ溶けるみたいでほかの牌とくっついて同化しはじめるわで、結局その一人麻雀は一局持たずに……」

「そこまで持った根性に天晴れといいたいな。いやあ、時間の無駄になるいい話だった」

「いやテンチョー、まだオチがあるんスよ」

「まだあんのかよ。こんなに広がると思ってなかったんだからさこの話もう切り上げない? そろそろ今日の店舗大会の商品作っちゃいたいんだけど、買い取り表も更新したいしさ」

「もう俺疲れて、そのままほっぽって寝たんスよ」

「ナニを?」

「ナニじゃねッスよ! もうそれはいいッスよ! ……で、夜喉乾いたんで起きたんス、そしたら……! 光ってるんスよ……!!」

「ナニが!?」

「牌が」

「夜光だったんだろ?」

「違うんスよ、あの夜光塗料の緑色っぽいのじゃなくて、もっと真っ青な光だったんスよ……!」

「…………」

「…………」

「……話は変わるけどさあ、最近建材にそれのみでは問題ないレベルの低レベル放射性物質を含むものが見つかって問題だとか、いやこのレベルでは問題ないとか、不毛っぽい争いしてるニュースあったよね」

「壊れた電子レンジみたいなもんスかね」

「――かの国では、劣化ウランで麻雀牌を制作したらしいです」

「……おやお嬢ちゃん、いつから?」

「いらっしゃい」

「こんにちは、店長さん。……と残念さん」

「おう」

「なんスかお嬢ちゃんその間!」

「いえ、他意はありませんが、残念さんもいらっしゃったんだなー……って」

「安心しろ、路傍の石のようなものだ」

「なるほど、しかし無視できぬ他山の石でもありますね」

「なんスか二人して! ターザンがどうしたんスか!」

「すみませんでした残念さん、私見くびってました」

「な、残念だろ?」

「ものすごくバカにされているような気分ッス! それよりお嬢ちゃん、学校は?」

「えっと……創立記念日はこの前やりましたので……光化学スモッグかなにかで休みです!」

「もうそれ今日日曜とかでいいじゃないッスか」

「というか今日は日曜だぞ」

「日曜日にうら若き乙女が、町外れのカードショップでぶらぶらしているなんて、商店街のみなさまに知れたら親御さんが悲しむでしょう?」

「君らあんまりメタっぽい発言していると、本当のことがどこにあるのかわからなくなる病気にかかってしまうからやめたまえ。マンガやアニメばかりみていると、やがて現実と空想がごっちゃになるぞ」

「そりゃつまり、お嬢ちゃんがテンチョーを「あなた」とか呼びはじ――あだ――――ッ! お嬢ちゃんちょっとかかとかかと!」

「穴開けます」

「やめてやめて! ほら店長電話出てて聞いてなかったからやめて! そこ爪ないッスから! 骨に直接ヒッ!」

「なにをじゃれてるんだ。で、お嬢ちゃんは今日なにしにきたんだ。今日は大会もなければ新作の発売日でもないぞ」

「店長さ――――ん! 麻雀教えてくださ――――い!」

「……」

「…………」

「あら?」

「いや、小首傾げられても」

「ここはカードショップで雀荘ではない」

「話の流れ的にいいじゃないスか! お嬢ちゃんに麻雀教えて、まだよくわからないうちに小遣いかっぱぐッスよ! なァに、どうせお嬢ちゃんが払えなくても親御さんが……!」

「おまえ最低だな。しかも残念な最低だ」

「うーん、残念さんにかっぱがれるのはなにかと癪ですねえ。店長さんにうまく負けて、たがのはずれた店長さんの行動を映像に納めていいようにしようと思っていただけですのに」

「……ほんと小学生ッスかお嬢ちゃん、駒ならいるじゃないスか、少年が」

「彼はお友達ですから!」

「うわーいい笑顔」

「いい笑顔ッスねー。少年見たら泣くッスね」

「しかし、麻雀教えろつったって、牌とかないぞ。さっき欲しいなあって話をしてはいたが」

「そんなこともあろうかともって参りました!!」

「――」

「――あ、なんかトラック横付けされたッスよ」

「いや、入らないから」

「このあたりのショーケースのければ入りません?」

「いやそれ商売道具だからね、デュエルスペースつぶすならまだしもね?」

「まあ一晩だけですから、いいではありませんの。ね、店長。はいどうもこっちこっちお願いしますわねー」

「あーなにしてくれてるの! ちょっとそこ消火器あるから物置かないで。もうちょいこっちで」

「はーい、みなさんありがとうございました!」

「なんか……うまく収まっちゃったッスね」

「……まったく話が見えないっ!」

「あーテンチョーバックに引きこもっちゃった。ほんとテンチョーお嬢ちゃんには弱いッスね」

「いじめておりませんよ! 失礼な」

「いや……思い当たる節があってな。どうせこれだろ」

「なんスかこれ。町内懇親麻雀大会?」

「……店長さんさすがです。本日お持ちした全自動雀卓はまさにその町内大会の賞品!」

「おおおッ!」

「わー。お金持ちすごいなあ。っていうか、いくらなんでも全自動雀卓をぽーんと出すのはどうなんだ。ふつう、旅行とかじゃないのか」

「いえ、これはまあ、なんというか我が家のプレイルームで」

「プレイルーム! 聞きましたか店長プレイルームッスよ!」

「残念さん! 人の話のコシを折るのやめていただけます?」

「残念が何かいかがわしいことを考えているような気がするが、プレイルームといっても旅館やホテルにあるものちょっとしたやつではないのか」

「うーん……けっこうすごかったけどね……プレイルームっていうか、ゲーセンみたいな感じだよ」

「少年じゃないスか」

「どうしたおまえら。なんでこんな何もない日に集まってくるんだ……今日はゆっくり寝ようと思っていたのに……」

「寝んなよ! 仕事中だろー。何もないとか嘘だろ、オレの勘はけっこう当たるんだぜ」

「……この前の小テスト全部四択なのに正答率15%とかでしたよね、あなた」

「……テストは別だ! オレの勘は物欲に反応するんだからな!」

「微妙にアテにならなさそうな能力ッスね」

「どの自販機に釣り銭が残ってそうとかわかる!」

「それ、軽犯罪ですわよ」

「わかるとしか言ってませぇーん。盗ったとはいってませぇーん。盗ってなくてもけーはんざいになるんですかぁ――?」

「……覚えてらっしゃい」

「で、お嬢のうちのプレイルームはどうすごいって」

「なんかこう――ラスベガス的な感じ」

「それ、言い過ぎじゃありません? ……まあ、それでこの雀卓はそこで使われていたものですの」

「はあ、うちの店は別に粗大ゴミ置き場じゃないんですけどもね……」

「懇親大会は明日ですので、明日までの辛抱ですわ、店長さん!」

「なあ、なんでこれここ持ってきたんだ? その大会やるとこでいいじゃん」

「それが、他の賞品を先に入れてしまったところ、これが入らなくなってしまったそうで……」

「へー大変スね。テンチョー! かわいそうじゃないスか! おいてあげましょうよ!」

「おまえはなんなんだ残念。かわいそうな捨て猫の瞳に絆されたような反応するな女子小学生じゃあるまいし」

「あら、私捨て猫とか拾ったり致しませんよ」

「オレもしねーなあ、なつかれたら困るじゃん?」

「ええええッ! 猫っスよ! かわいそうじゃないスか!」

「自分一人も食わせられないくせに猫の世話とは恐れ入るね。で、話を戻すがその雀卓、ここに持ってきた理由があるんじゃないの。お嬢」

「さすがご明察ですわ、店長さん! 私一度麻雀というものを打ってみたかったんです!」

「聞いたかおい」

「聞いた」

「聞いたッスね」

「なんですみなさん、そんなあからさまなジト目でみないでください」

「まず「やったことない」というのが信じられない」

「……じゃあやってみようじゃありませんか」

「論理展開がおかしい」

「なんか必死だよな」

「アリアリでよろしくて?」

「よろしくて……ってお嬢ちゃん明らかにわかってるじゃないスか……今にもチップ持ってきそうな頃合いじゃないスか……」

「初心者です! やさしくしてください! ね!」

「いいけどさ」

「ちょうど四人居ますしね。明日の大会優勝に向けて練習です! めざせ全員予選突破!」

「え、いつの間にでることになってるッスか?」

「……え、オレ麻雀できねえよ?」

「……懇親大会優勝者には、全自動雀卓をプレゼント」

「……これッスよね」

「なんだかよくわからんが、この雀卓をここに置いておきたいともくろんでいるわけだな、お嬢ちゃんは」

「え、ええ……実はその通りです」

「なんでッスか。だって自分ちのものじゃないスか」

「がめついんだろ」

「そういうわけではありませんっ!」

「……おおかた、家だとあっても打てないとか、相手が居ないとか、友達を呼ぼうにも小学生女子で打てる相手がそうそう居るとも思えないしな。使用人だって仕事があるわけだし暇ではなかろう。そうそう四人メンツを集めて打つなんてできない――そこで」

「――はぁ、ご明察ですわ店長さん」

「店長すげえな、それプロファイリングってやつか」

「プロレスは八百長じゃないッスよ少年」

「おまえは話をややこしくするな残念。まあお嬢ちゃんの気持ちはわからんでもないが、ここはカードショップだからな、いきなり麻雀卓なんて図体のでけえインテリアを置くわけにはいかんのよ」

「いいじゃないですか、利用料取れば」

「利用料つったって、流行っても流行らなくても微妙だぞこれ。それにこんなもの置いたら、本業のカード商売にも影響が出る。なにせこいつにはエキスパンションがない」

「店長のわからずや! いいです! よかろうもんです! では店長。私と勝負して、私が見事サシウマで勝利を収めたら雀卓をここにおいていただきますからね!」

「すげー、マンガみてぇ」

「どうでもいいけどお嬢ちゃん、もうぜんぜん初心者じゃないこと隠す気ないッスね」

「なんでもいいけど、少年はルールわかんないんだろ? サンマにするのか?」

「彼は賢いから、すぐにルールを覚えます!」

「え、オレ?」

「まあ、俺でも覚えたくらいッスからね。点数計算できないッスけど」

「それでやっていけるのか大学生」

「指四本以上折れるのでアガればいいんスよ!」

「ピンフは……?」

「それ入ったら五本折るッスね。まあロンドラ3で十分ッスからねー8000点楽勝ッスわー」

「残念が払うほうな、それ」

「――つー残念と店長の会話もわかんねえんだけど、オレ混ざらずに三人でやったほうが、真剣勝負にはいいんじゃねえの?」

「あら、そんなのは方便です。ゲームなんてものは、楽しむためにあるもの……ひとりでもプレイヤーが多い方が楽しいでしょう? ねえ、店長」

「まあ、そういう向きもあるな。……おまえは勝てれば何でもいいんだもんな」

「は、オレそんなことねーよ」

「そうだっけ、ここに来たばっかりの頃はそうだったよ。勝つことにしか興味がなかった……。その分強かったけどな」

「そうなんですか、意外な印象ですね」

「そッスね。最近なんかハリがないッスよね」

「――ほっとけ。で、どうすりゃいいのこのゲーム。ドローしてディスカードして三つずつそろえていけばいいんでしょ?」

「――ま、そんな感じ」

「左端から順に切っていっていただければよろしいです!」

「ええっ」

「あ、まず私がサイコロをふって2を出します。これが抜けていましたね」

「……え、そういうゲーム?」

「そんな不安そうな目で見るな! そういうゲームではない!」

「要らないと思う方から捨てていくと、誰かに上がられるから。親番が二週するまでに点数がゼロにならなかったから勝ちッス」

「……それ、勝利条件になってなくね?」

「残念さん……」

「残念な財布……」

「やっぱり残念なんだ……」

「ちょっとやめてくださいっス三人してそういう目で見るの! 俺だってたまにはどーんとデカい手上がったりするんスからね! ちょっと聞いてますテンチョー!」

「さて、オチもついたところでおまえらもう帰れ」

「えっ」

「だってやることないだろ、それとも買い物するか?」

「いやお金ないですし」

「残念には聞いてねえ。はやく仕事を見つけてこの店に社会人パワーを見せつけてくれ」

「まだ卒業あきらめてないッスから! 卒業しないと就職できねッスからこのご時世!」

「卒業したら就職できるの? お兄ちゃん」

「キモッ」

「ちょっとお嬢ちゃん! どこで読んだのか知らないッスけどそういうのやめましょう! キズつくッスから!」

「店長さんがちゃんと私と勝負するまでやめません!」

「テンチョー! お嬢ちゃんもこう言ってることだし相手してやってくださいッスよ!」

「いや、だからさ。これから模様替えして置き場所作るから」

「えっ……」

「やだ……店長かっこいいッス……」

「でも、勝たないと貰えないんだろ? 無駄な仕事したくないなー」

「うわ、店長こいつにすっげ甘いなー」

「少年やいてるッスかー。しょうがないんスよ、テンチョーも男なんスからねえ。ねえテンチョー!」

「残念のその西瓜のように開いた口に塩をまいてやりたいよ」

「店長さん! 私、感動してます!」

「おう、礼なら買ってからにしてくれ。これは今ぼくが勝手にやっているだけなんだからねドゥフフ」

「いえ、そうではなくて。私が勝っても、そのうえで雀卓を手に入れるのはやはり、ご近所様の覚えもよろしくないと思われますの」

「……まあ」

「というわけで店長さん、明日よろしくお願いします!」

「ええー? ぼくツバメ返しとかできないよ」

「いや店長、俺ら見られても初心者と、残念だぞ?」

「……がんばってくれるんですよね? 店長さん! では私たちは、模様替えのおじゃまをしてはいけませんから、これでおいとまいたします! さ、残念さん達行きますよ」

「え……」

「いーけどさーどこ行くよ」

「もしかして遊ぶつもりでいらっしゃいます? あなたは明日、店長の優勝のためにきちんとトス役をこなすんですよ?」

「なんだその――トス役って」

「お嬢ちゃんやる気ッスね……ってか、お嬢ちゃんちでは普段どんな麻雀が繰り広げられてるんスか……」

「残念さんも一度いらっしゃいます? 私の知人ということには致しかねますけれども……勝てば学生生活を今まで以上にエンジョイできますよ!」

「――か、考えとくッス……。じゃテンチョー、明日頑張ってくださいッスー」



「おう――あれ、明日店どうすんだよ」

<END>

2011-06-18 あしたのきおく#33-6

シオンナモナの塔

 文フリ乙。

 お陰様で新刊ほぼ完売致しました。正直通販分くらいは残ると思っていたので、その辺のニーズにどうやって応えればいいのか考えるフリをしながら頭空っぽにしてネトゲしている今日この頃です。普男子BLもかかなきゃなのよね!

 というわけで当日30部くらい先着で新刊に付けた8P突発新刊をUPしちゃいます。まあ誰からもマネーいただいてないので誹られることもないでしょう。元ネタは店長ツイートの

>なにもないバス停で降りて、なにもないかと思ったら徒歩5分くらいの場所に鎮守の森っぽいのがあって、古びた神社とかあってですね。別に思い出とかないんですけど。そういうなにごとも起こらないような情景をちはや氏が書いてくれてですね。あーやっぱりなにもないんだなー、みたいなオチで。

 あたりからです。まあなにも起こらない話です。

 続きを読むからどうぞ。





「あれまあ、どうして起こしてくれなかったんよう!」

 そんな声で目が覚めた。

 制服の、少女の後ろ姿が見えた。うなじと運転手に食ってかかる横顔が見えた。怒っているようなのに眉は太い、上で留められた髪のおかげで露出したうなじは世辞抜きに綺麗で、寝起きの俺はその白さにしばしみとれた。白い制服だった。彼女はてとてとと後部座席に戻ってくる。バスは直ぐに止まって、慣性の法則で座席から投げ出されそうになる。彼女はというと、手をばたばたさせて、スカートから生えた二本のダイコンをしっかとひらいて、その三つ折り白ソックスを恥ずかしげもなく晒け出したまま転ばぬように、強くたたらを踏んだ。

「おやあ、おっじさん、この時間にゴルフ場まで?」

「ん?」

「あ」

 少女は俺の後ろにある自分のスポーツバッグを肩に担ぐ。勢いよく引っぱったものだから、慣性に引っぱられてまた小さくたたらを踏んだ。彼女はオレに問いかけた癖をして、オレのことは二度と見ずに運転手に軽口を叩きながらタラップを降りていった。運転手がエンジンをかけ直しながらオレに聞く。ミラー越しにも見ちゃいない。

「――お待たせしました、ゴルフ場まで?」

「――あの、ゴルフ場て」

「ゴルフ場はもうありませんがね」

「あ、そうなの」

 バスから降りた。

 駅からは異様に遠かった。この後、あのバスはゴルフ場に向かうという、一昨年倒産したそのゴルフ場は、再生を目指して土日だけ営業していると、そして運転手は「もういいですか?」とわざわざ言ってドアを閉めた。ならば平日に向かわなくても良さそうな物だが、車庫がその辺りにある関係もあるらしく、運転手は昼下がりの空気を載せて排気ガスを垂れ流していく。海の見えるゴルフ場に。

 右手は海、左手には山。

 いっそのこと、そこまで行っても良かったのではないか。そんな考えが頭をよぎる。ゴルフ場ならば、多少高くとも寝食にはありつけると、なぜ気が付かなかったのだろう。そうしなかったのが、ものすごい惜しいことのように思えてくる。

 機械油の臭いを、夏が揮発させていく。

 深呼吸する前に気道が咽せるほどの熱、バスの中ですらも温く重い空気に満たされていたけれど、それでも文明の力たる冷房の力は働いていたことを知る。どこだってこの不快さは変わらない。ビル群の中に取り残されていたときに満ちていた人の脂と煙草と地下鉄の臭いはしない。微かに香るそれは、俺自身に染みついた記憶とか呪縛によるものだ。ここにはその代わりに別の耐え難い臭いが漂う。

 土と草の臭いだ。

 田舎のいい空気でも吸って来いよ、なんてのたまった課長の顔がちらつく。このあからさまな田舎で、今俺が吸っている臭いの元を辿っていけば牛のクソとか、破裂したカエル、清廉なバスタオルと思いきや虫に食われ果てた哀れな逢瀬の痕跡とか、そんなもんに辿り着くしかないのだ。ノックスとソックスと黄砂の混じった空気と、どのくらい変わりがあるってんだ。

「――はァ」

 ため息がこぼれる。何もないのだ。

 焦げたアスファルトとゴムの焼ける臭いが混ざった都会が既に懐かしかった。砂漠でなくとも蜃気楼の中に居なければ落ち着かない身体になっていた、好きこのんで田舎に来る奴の気が知れない。

 バス停を探しながらオレは考えていた。降りたところはバス停ではなかったからだ。いざ帰るときの道しるべを失ってしまうのは御免だ。

 しかし、歩けどもバス停の看板は見あたらない。数十メートル先まで田んぼだった。いや、それが田んぼかどうかは都会生まれ都会育ちのオレにはさっぱりわからない。が、麦ではなさそうだし、他の穀物が生えている所など見たこともないので、小学校のときに一度見たきりの教育ビデオを思い出せば、ただ青々と天をさしてそよいでいるお行儀良い葉は若い稲のように思えた。少なくともトウモロコシではなさそうだ。

 いまいましい光景だと思った。あぜ道に放り込まれた自転車は部品をいくつかぶんどられて錆びている。知らない虫の鳴く声がする。空がやたら高い。車が通る気配がない。人に道を聞こうにも、なにやら作物の葉はどこまでも戦いでいるのに、民家も麦わら帽子のひとつもみえやしない。土埃で灰色になった白いトラックは開けっぱなしでキーも挿しっぱなしの癖して、あたりには誰もいない。エロ雑誌が助手席の足下に詰まれていた。

 農地は不意に途切れた。バス停が見えた。

「うへえ」

 気の抜けた声が漏れる。

 消えかけの文字が錆びた丸い鉄板に描かれ、シジミの混じった山の中でも磯臭いコンクリートブロックに突き刺さっていれば納得もできるし、それなりの風情もあるというものだ。だのに。

 分煙スペースが完備されたガラス張りの軽いハコものみたいなバス停が、数十メートル過ぎた場所に見えたのだ。

 我が目を疑いつつもバス停に近づく。近づくに連れて据わりの悪さがこのうえない、ひどい線。同時にそして段々と理解する。このバス停はきっと最近出来た物であること。それも三月の終り近くだ。この近辺に住む婆さんかなにかが「ヘェ、ウチらの村サのバス停だば、ナウくこッジャれた感じにしとくれるって、選挙の時あんた申しとりましたけん」と言って村役場の前で腹でもかっさばいたのだろう。それで、使ってしまわなければならないオカネなんてものがそういうとき存在するのだ。

「ま、そんなところだろうな」

 バス停には「神社前」とあった。

「さて……」

 辺りを見回しても何もない。、山は見えるが道は無い。だが、海よりも山の方がそんな社はありそうだ。空を見上げれば日が高い。僅かばかり沸いた興味が、汗になって泥の上に落ちた。

 夏というのはそういった類の化け物のようなもののはずだった。俺が小学校の図書室で読んだ少年冒険物で、面白い物の殆どは夏だった。長い夏休みのどこかで、学校家庭から逸脱した2、3日の冒険に胸を躍らせ「おいおい、家に帰らなくても怒られないなんて、なんてオトクなんだ!」って羨んだ。

「――ノスタルジーって、高くつくよな」

 いうなれば、余興だった。

 乱数生成アプリケーションで適当にはじきだした場所に行ってみようと思ったのだ。出てきた数字がどこかで見たことあるもんだなって思ったのがそもそもの発端だった。いや、俺はどこかに逃げ出したくてその理由を探していた――というのは大いに考えられることだ。その数字はIPアドレスのようにも見えたが、明らかにひな形を外れていた。それでも、どこかで見た気がする、と仮想空間上の住所ではありえない意味のないはずの数字を止せばいいのに検索窓にブチこんでみたいのが先週の終わり。第三ズームまでしかマトモに表示されないエリアネバダのごとき「秘境」。今年入った新入社員に四十七都道府県を聞けば最後まで出てこない県のそのまた僻地。

 現地写真はネットに転がって居なかった、動画なんてなおさらだ。プロフを検索すればそこに住んでいるような名士が出てくるかと思ったが、それすらもでてこない。「現代の秘境」なんて言葉を脳裏に浮かばせて消えていく。駅の近くには役場、郵便局、コンビニ、神社。そんなものが近くにあるように見えた。ここの人たちはどうやって生活をしているのだろうか。

 バスに揺られている途中で「止めときゃ良かった」と思った。シルフもトロールもいるわけがないのだから。いつのまにか寝こけていて、気付けばやっていないゴルフ場の一歩手前で、コンビニも自販機も見あたらない。たまにやたらと場違いな高級車が無造作に停めてあったりするのだ。その異様なミスマッチに対する不安や絶望は、さっきの煌びやかで無駄なバス停を見たときにあきらめとなって、土に帰った。

 バスの中からたまにチェックしてはいたが、とうとう電波は来ない。いつのまにかタイムスリップしていたとしてもそれはそれで楽しかろうが、どうせそんなこと起こるほど、この世は都合良くできていない。電波三本全国カバー! と謳う通信会社のコピーに難癖をつけたところで「電波の届かないところは、この国じゃないんですよ」と言われてしまえば鼻の穴を目いっぱい開けたまま温もりの残る椅子に着席するほかない。世界と繋がれない最先端デバイスの電気力をGPSがモリモリと削っていく。目印のろくにない等高線の中で赤く点滅するポインタが逆に不安にさせるから、やがて電源を切った。

「ん――……?」

 山の斜面に顔を近づけ、見上げるように見てみると、明らかに木々の生えていない場所がある。顔に近づく虫を脅しながら、手で草を払う。払うごとにまた土の匂いがする。そこにははたして、石段が隠れていた。石段と言うにはなかなか厳しい岩の道で、その隙間には草が生い茂り、下から持ち上げる質量の力で、本来は整然としていたのであろう石段を無惨なただの坂道にしてしまっていた。端の石を踏むと持ち上がった分だけ、ずぶりと沈む。

「こりゃ……難儀だな」

 石段だったらしきものを上っていく。雨が降れば泥でボードを滑らせられそうな斜面に、申し訳なさそうに足をかけられそうな凹凸が付いている。当たり前だが手すりなど無く、詣でる地元の民がいるようにも見えなかった。百年の単位で忘れられたかのような、社。この上に本当にそんなものがあるだろうか。

「ん」

 登りきる前に痕跡を見つけた。岩にはどう頑張ってもなれない程度大きめの石がその斜面から転がり落ちたばかりの窪みだった。スプーンで抉り取られたようなその跡にアリより小さな虫が蠢いている。石の裏に隠れ、あからさまに陽の光の下にさらけ出されても、いきおい土の下に潜ったり、四散したりせずいるこの哀れな虫たちを見ていると、今にも踵を返し、あの居心地の悪そうなバス停の中で囚人ごっこでもしていたほうが心身にやさしそうな気すらしてきた。

 足を滑らせそうになりながらどうにか登り切っても、果たしてまだ上に続く道があり、その先に鳥居の姿が見えた。鳥居はもはや赤くもなく大きくもない。だが、この階段の中腹にある広場の祠はあまりにも無惨な状態だった。

「ひでえな」

 ここがこれほど無惨なら、その鳥居の上にはきっと何も得るものはないだろう、ただ悲しくなるだけだ。その悲しさに価値を見いだせるほどまだ枯れてはいないつもりだった。

 帰ろうとすると、砕けた階段の一番上に、ちょこんと少女が座っていた。

「――あれ?」

 見覚えのあるうなじだと思った。少女がすうと横を向く。大きなスポーツバッグが傍らに置かれている。

 少女は裸足だった。ワイシャツの襟を立て、胸元まで開襟していた。髪は根本まで真っ黒で、顔は年相応に赤い花を咲かせている。そうだ、バスで先に降りた少女ではないか。

「サボりか」

 びくり。少女の身体が撥ねた。ほどなく両足が振り上げられ、ひょいと下半身から起き上がる。身軽な物だと思うと同時に、その仕草は子供がする仕草に含まれるように思えた。

「……道間違えちゃった」

 少女はオレのことを、さっきバスで会った人物だとすぐに認識したようだった。

「オレもだ」

「――おじさん、誰。人呼ぶよ」

 にやあ、と笑った顔には愛嬌があった。横顔では美人かもと思えたけれど、この寂れた場所に相応の器量だった。

「来ないだろ、こんなとこ、誰も」

「神様がー、見てるんだからね」

「ここ祀られてんの誰?」

「へ?」

「カミサマ。ほら、なんかあるだろアマテラスとかスサノオとかオオクニヌシとかアメノウズメとかスクナビコナとか、神社なんだし」

「えっ、なにそれおじさん宗教のひと? こわッ」

「……ここの関係者じゃねえの、あんた」

「あんたってなによ、若い娘つかまえてさァ」

「田舎娘なんかに興味はねえよ、太い眉してさ。ほら、このへん、なんか伝承とかさ、ないの」

「さー? 変かね、太い眉は変ですかねェ!」

「ほらさ、こう言うとこだとなんか出るもんだろ」

「出るって? あーあーあー、なんかそういう宗教的なやつ? おっさんやっぱりそういうの? こわっ! こわい!」

 キャイキャイ言いながら少女はひとりでウケてのたうっている。そして、自分に理解出来ない物は全部宗教でひっくるめてしまうらしかった。少女は学校に行くことを諦めたのか、旅人然とした流れ者のオレをロバ穴の代用品に仕立てあげたかったのか、次から次へと話を垂れ流す。その話の内容の殆どは夢見がちでそれでいて即物的で、短絡的で、経験の浅い小娘がそれを自覚した上で壊れた蛇口のように垂れ流す他愛も無いヨタ話だった。

 オレは適当に相槌を打ちながら、なんでオレはこんなところに来てしまったのか考え始めた。理由なんてものはないと言えばない。あるといえばある。ないから来たというのは正しいことだ。この場所には縁もゆかりも根も葉もない、死に場所を求めに来たと言えば格好も付きそうなものだが、おっさんと呼ばれるほどに、もはや若くもない。しかし死も近くない。改めて中途半端な場所にいるものだと思う。

 こんな時、煙草の一本でも吸えれば良かっただろうかと思う。オレの視界には、そんなオレを笑うかのように長ッ細い煙突から白いケムリがもくもくと上がっていた。あれは、ゴルフ場の方向というヤツではなかったか。

「……でもねえ、ここではしあわせになれないんだよ」

「なんで」

 なにが「でもねえ」なのかついぞ聞いていなかったが、煙突に気を取られていたオレはそこから彼女の言葉が耳に入った。

「あたしは、ここを出て行かなければならないのですよ」

「なんで」

「そりゃ、宗教にとりつかれてころされてしまうから!」

「なんだそれ」

「おっさん、さっきからなんかさー、疑問ばっかだね。そんなんじゃ先生に嫌われっよ」

「もう学生ってトシじゃねえよ。おまえさんもそんなバカっぽいと先生苦労するだろ」

「そォーれがさーァ!」

 に――――ッ。と横にのびるような笑顔が突き出されていた。

「……なんだよ」

「あ、そうだ。あたしいいこと思いついたんだった」

「何をだ。あと自分からフった話を逸らすんじゃない、さっきからどーでもいいような話ばっかしやがって。あれ、何?」

 オレは彼女の話の腰を折って、煙突について尋ねる。

「えーあれ? うーん、ナモナよ、ナモナ」

「なんだそれ、石鹸か」

「あーわかるわかった! ナボナだ!」

「おやつに入」

「それバナナだ! うっわ、オッサン!」

「ああ、ナモナって、なんでもないってことか」

「そうそう、なんでもないのよ。シオンナモナの塔」

「なんだそれ」

「カッコイイでしょ、あたしが付けたの」

「すごいじゃん。お前しか呼んでないんだろ?」

「……せいかーい」

「なあ、どうやって生きているんだ、ここのひとらは、米?」

 不躾な質問だ。だが、旅の恥は掻き捨てとも言う。旅人というのは、本来、無礼なものなのだ。

「ん――?」

 さっきの横に伸びるような顔をまたする。少女は俺の横に来て座った。女の臭いでもすると思ったが、そんなことはなかった。汗の臭いすらしない。ミルクの臭いすらしない。

 臭いに溢れたこの空間の中で、彼女は無臭のままでいるかのようだった。透明になりかけているガラス、染まることを拒む筆入れの水。それでも、塩素の臭い位しても良いはずだろう。冬の入り口だったとしても、彼女からパラゾールの臭いはしなさそうだった。

「ナモナもねえ、役に立たないわけじゃないんだ」

「ナニモナイなんだろ? なんの役に立つんだ」

「ほらぁ、なんだろう、えっとさあゴム! コンドーム!」

「はァ?」

「あっ、オッサン想像した! えろい! ちょっとやめてよねカミサマよぶからね!」

「呼べばいいじゃねえか……おまえさん多いな、自分で妙なこといって盛り上がるの。田舎の学校っておまえさんみたいなのばかりなのか」

「さ――ァ、どうだかねえ」

「で、ゴムがどうしたんだ。なにもないけどセックスはあるとでも言いたいのか、爛れた青春なのか。オレは青春ってのをそれなりに羨ましいと思うぞ」

「何いってんの? やだーァ宗教?」

「…………」

「ゴムってさーァ、使う時何か入ってたら困るでしょう?」

「お前使ったことないだろ。中に潤滑ゼリーとか入ってるぞ」

「えっ……?」

「なに……その顔」

「うそ!」

「ウソ言ってどうすんだよ。マジ話だよ。なんで俺はこんな中坊でもしねえようなつまんねえエロ話させられてんだよ。ゴムの話とその……ナモナがなんの関係あるんだよ。性に奔放な東南アジアってことか?」

「ん――。 あ――! もしかしてハバナ?」

「ハバナは中央アメリカだけどな。で、なんなんだ」

「正解したんだからなんか頂戴よぅ」

「話聞けよ正解じゃねえってんだ。おまえ、定期試験で点取って親になにか買ってもらうタイプ?」

「そういうのないよ、まあでもさ。ナモナに買ってもらえるものもあるかな」

「なんだそれ」

「この村はねえナモナでできているんだモナ」

「オレ、そういう語尾のキャラクター、隣のプロジェクトで見た気がするわ。ナモナってなんもないってことなんだろ、なにもないのに、カネが生まれるかよ」

「ナモナは、疲れるとショモナモナに進化するんだよ」

「は?」

「だからナモナはいろんなものを買ってくれるよ。ほら、おっさんもみたでしょ、この下のバス停! 笑うよねえ!」

「ああ、あれな。アレだけなんであんなすげえの」

「んふふー、それはトクベツだから!」

「なんで本殿とか、道とか直さなかったの?」

「それにはナモナの力は及ばなかった。それだけ――ねえ、おっさんもさ、ナモナの力。みたい?」

「は?」

 ――じゃあさあ、目つぶってよ。

 オレは鼻で笑ったあと、目をつぶった。本気でつぶった。

 ふと、花火の気配がして、

 目を開けると、誰もいなくなっていた。

 帰ろう、と思った。鳥居の方には上がっていかず、ボロボロの階段を下りていく。なぜだか酷く疲れていた。

 ――あれは。

 それこそ少女の姿をした妖怪の類ではなかっただろうか。なるほど、このヤオヨロズのカミガミがおわしますクニであるからして、ワイシャツの襟元から雫の滲む柔肌を見せつけてくる扇情的なヤツがいても良かろう。そいつは乱数の中に住んでいて、浮き世に疲れたオッサンをからかっておあずけをくれて去っていくのだ。

「つまんねー話だ」

 足が止まる。視線の先にまだもくもくとケムリを上げるなまっちろい、緑と白のツートンカラーの塔が聳えている。

 オレは少女の足音を聞いている。足音のする、影のある、ケータイのメールを確認する妖怪について、しばし考える。

「あー……」

 ため息をつく度に緑色の空気が肺の中に入ってくる感じがする。長くここに居てはいけない気がした。「背筋が寒くなる」という表現が近い。ひとつ呼吸をする度に呪いのようなものを取り込んでいる気がした。やはり古い、守のいなくなった神社なんて呪いの場所に長くいるべきではないのだろうか。

 積もった枝、生い茂る雑草、季節外れの蚊柱、緑の臭い。

 守の居ない聖域なんていくらでもある。忘れられたとしても聖域だった記憶と所以を領域が忘失しない限りは続いていく加護ではないか。

 だが、同時にそれこそが呪いの本質であるような思いも捨てきれない。

「ふむ」

 少女は戻ってくる気配がなかった。それはそうだろう。たとえば唇が湿りでもすれば、財布がなくなっていでもすれば、彼女を慕うムラの若い者の集団に囲まれていたりすれば、まだ話のタネにでもなったというのに。ここにはその、

「ナモナー」

 それしか、ないという。

 名も無きナントカ。なんて単語が浮かんで消える。名前くらい聞いてもよかっただろう、何かが起こることを期待したのであるならば、名前は、名前くらいは聞いてやるべきだったのではないのか。それが、こんなナモナな空間への礼儀でないのか。

「そうだな」

 オレは自分で機会を失ってきたのだろう、と思う。

 ここは彼女やその住人たちがいうほどナモナではないのかもしれない。しかし、俺にとってはナモナである。

「そしてナモナはナモナだから価値はない」

 見返りのない旅だと笑う準備を、今のうちにしておこうと思った。

 バス停に戻っても誰もいなかった。

 バス停からも長ッ細い――緑と白で交互に塗られた細長く威厳のないバベルが見える。かつての「ゴルフ場」のあたりにあるのだと思われた。バスは律儀に閉鎖されたはずのゴルフ場から帰ってくる。朝と夕方にはすこし回数を増やして五回。誰かがそこになにかをしにいくような。駅とこの停留所の間にわざわざシールが貼ってある。社宅と書かれていた。なんの社宅かはわからないが「社宅」とさえ書けば通じるのだろう。ここにはきっとそれしか「会社」はありえないのだ。このバス停もなにもかも、価値があるのだ

 バスは時間通りに来た。

 来る時と同じ運転手だと思った。白髪の具合が似ていると思った。この路線バスの運転手はきっと四人くらいでまわしているのだろう。誰かが風邪を引いたら半分以下になる自転車ラインだ。そりゃ一時間に一本にもなるだろうし、役所前で弁当も食わにゃやってられんだろう。特に観光で誰かが来るわけでもないこんな場所なら、俺のような余所者が来たことなど、こののろいバスよりも早く蔓延する情報に違いない。

 そこに思い当たって、俺は安心した。そんな場所が若い者が余所に行くことなど許すわけがないではないか。俺がわざわざ止めずとて、あの子が逃げ果せるはずはないのだ。学校に行かなくても、部活に行かなくても、家に帰らなくとも、バスより速く知れ渡ったその脱走者の可能性は、この集落の総力を挙げて「引き留め」にかかるだろう。

 駅までに役場の前で停まった後、あと二つの停留所を通り越して駅へ向かう。ここからは長い。駅まで二十分くらいを揺られ続ける。もしかしたらその間に停留所はあるのかも知れない。それでも、この時間に駅を利用する村民はいないとみえてバスは民家のなさそうな山道をすっとばしていく。ここに来るときのように、野菜を背負った老婆の隣で十分ばかりの緊急停車を決め込むこともない。

 あと二回ばかりこのバスを利用したら、地元の中学生手作りの「ココ! 臨時停留所!」的看板を見ることになったかもしれない。その機会を失ったのは惜しかったと思える。

 俺は胸を撫で下ろしていた。第三位キャリアの携帯電話のアンテナが立った。どこかにあるがっかりした気持ちに気付かないフリでいた。

 だから、見逃した。

 失念していた。

 この駅が無人駅だったこと。あの子が自転車に乗っていたこと。華奢な腕に比べて、スカートから覗く太股がかなり鍛えられていたこと。

 利用客はいなかった。

 スポーツバッグとリュックサックと一昨年の流行が、彼女の本気だった。

 ――ショモナモナの塔を見ているね?

 そんな声が、聞こえた気がした。

 なにもかもを失う前に、先に捨ててしまうのか

 捨てられなくなることを、知ってしまったからか――。

「そうだな。ここは、あまりにも――」

「ねー、ナモナだったでしょ」

 少女がにやあと笑う。

 ナニモナイが追いかけてくる。

 横一直線に引き絞った、少女のような笑顔で。


         <シオンナモナの塔 了>