Hatena::ブログ(Diary)

トランスパラント・フットプリント このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-05-30

硝音

 そろそろ書いてから十年になる短編が出てきたのだ。

 というかとっくにこれは発掘してきていて、それを今書いたらどうなるかみたいな感じで書こうかと思ってたんだけど。なんかたいして今と変わってないように思えて、全く成長なんかしちゃいないんだよきみはって言われている気がしたので、じゃあほぼそのまんまのっけて供養してみたいということ。

 コピペして読みにくいとこを改行しただけ。

 書いてる途中で飽きているのがわかる。

 はやくみとめてしまえばよかったのに。



 ぱつんとのびきってしまって

 つなぎとめるものがなくなってしまって

 びいだま

 ひとつ

 こぼれおちる

 


 ――キュゥ……ゥィー……ィディオモーニングレイディオ。そろそろおわかれの時間です。さてさて、朝もめっきり冷え込んでまいりました、ミナサマお風邪など引かれぬよう、じゅーぶんあったかぁくしてお出かけ下さいっ。ケイエムニイイチハチロクスイグウホウソ……ィィ……ビィ……ン。


 付けっぱなしだったラジオは記号を垂れ流す。

 そこから流れるノイズの混じった高い声は、目覚ましにするには丁度良いが、寝起きに聞きつづけるにはある種の痛さを伴うので、寝惚け眼でラジオのスイッチを切った。

 枕もとのTVには、一世代前の家庭用ハードが接続されていて、画面には血塗れの『GAME OER』の文字が映し出されて、ちかちかと点滅を繰り返していた。目に眩しい画面一杯の死文字を見て、忌々しくゲーム機とTVの電源を落とす。右手はさっきまで枕になっていた為か痺れて使い物にならず、代わりに左手でその動作を行った。

 そしていつもの様に欠伸、延びをすると、付けっぱなしの暖房のせいか、乾いた咳とともにまったく酷い頭痛がした。左胸の奥を両手で押さえ深呼吸、痛みが止まるまでそれを続ける。こめかみを痺れの取れかけた右手でぐいぐいとおさえながら窓を開けると、冬がそこにあった。一つ一つの毛穴の奥から布団での温もりをピンセットで抜かれていくような、そんな寒さ。

 安アパートメントの二階で、一番端の西向きの部屋。俺はようやく時計を見て、予備校への遅刻を知った。

「782、502、399、N58。クマガイトモアキ」

 少々お待ち下さい。と、もう顔も見なれた事務受付のお姉ちゃんは、それでも無愛想に答えると手元のキーボードをカタカタと叩く。MS−DOSアプリケーションっぽい黒地の画面に、生徒を識別する番号と名前がリズム良く表示されて画面が切り替わる、それとほぼ同時に傍らのプリンターがジーガリガリと音を立てて印刷を実行していく。

 782、502、399、N58。クマガイトモアキさまですね。はい。などという慣れ過ぎてしまった応対をして味気の無いさっきの黒画面とは対照的にカラフルな一枚の紙を受け取ると、すかさず後ろにならんでいた奴が、さっきまで俺のいた場所に来て、俺と同じような番号と自分の名前を述べ、予備校証を提示する。かくして、生徒達の手元には先月行われた模試の結果が返却されてくると言った寸法だ。

 全部で七つほど有る受付窓口ながら、いつも稼動しているのは三つくらいなもので、この校舎の生徒はこういった重要な模試結果の返却や、締め切りの近い講習が有る時は常に不便を感じているのでありました。

「そんなにがっついてまで知りたい結果じゃないんだけどね……」

 受付の空気が薄くなるほどの列を友人がいないかと満遍なく見渡して、その列の長さに、またそこに並んだ自分に対する侮蔑も含めて、やや自嘲気味にひとりごちる。だがしかし、これをなくしてご学友殿達とちょっとした話をできるとは到底思えない。なぜなら、今ここにいる大半の人間にとってこの模試の結果はいよいよ三ヶ月後に控えた本番の結果を占うものとされているからで。また、ここにいる半数の人間にとって、この生活を経験するのが二回目であると言う事と、二回目を経験してしまった者達にとって三回目はできるだけ経験なぞしたくは無いからであろう。

 この予備校は都内でも有数の、要はピンからキリまでの生徒を受け入れてピンからキリまでのところに押しこめるような、そんな予備校であるからして、この街の一帯は予備校の建物が嫌味っぽく象牙の塔を気取っている。事務関係のみが入ったメインの建物から出ると、朝よりも寒い首筋を乾いた冷たい風がなぜて行く。身体を両腕で擦って束の間の暖をとり、肩下げから何か暖が取れるものを探すも下宿に越した時からずっと冬物ダンボールからマフラーも手袋もコートも出していやしないから、何かみつかろう筈が無い。灰色の通学路にコート姿の学生が目立つ中、ほぼ夏のままの服でガチガチと歯を鳴らしながら出てきたビルの中に舞い戻ることにした。

「寒……ッ、尋常じゃない!」

 凍えて震える歯を下唇に噛ませて暖めると、震えは少し止まった。もう少ししたらラーメンでも食いにいくかなんて考える。俺は身体が少し暖まるまで去年の合格者なんかがまだ張り出してある入り口近くの壁によっかかって、模試の結果と今後の対策を良く検討する事にした。

「さ、寒……ッ、尋常じゃない……」

 言っている科白はさっきと同じだが、唇が青白く引きつるのも今度のはさっきよりも由々しい事態を示していたからだ。全体的に去年の今頃、要は俺がピッチピチ高校生だった頃から見ても発展が無い。むしろ教科によっては大幅に下がっているものすらあったのだ。言い訳すれば色々言えるかも知れないが、少なくとも俺が他人よりも頑張れていないと言う事だ。はぁ、とため息をついて、寝不足の眼窩をまぶたの上から指でえぐるようにマッサージしてもう一度目をあける。勿論その先にはさっきと同じ数字が羅列されていて、俺はもうひとつため息をついてがっくりと肩を落とした。

「これはまた、ずいぶんとお寒い……」

 不意に後ろから声がして、同時に首筋をひやり冷たい物が触れた。

 後ろを振り向くと、俺より頭ひとつ下のほうに見なれた顔が俺の首で秋風に冷えすぎた両手を暖めているではないか。掴まれた首を難儀に回しながら片手を肩まであげて挨拶をすると、その見慣れた顔はにこりと笑って返して来た。

「ずいぶん冷たい手だな」

「ふふ、あたしは心があったかいからね」

「それだったら、傷心の俺の心をえぐるのは止してくれよ。心臓に悪い」

「そんなことよりさ。ほらほら、見てよあたしの」

 嬉々として俺が持っているのと同じような印刷物を俺の眼前に突きつけるように差し出す。同じようで、その意味するとところは全く違う数字のただ、羅列。上のほうに『カスガ チグサ』とさっきから俺の首を締めっぱなしの彼女を示すカタカナの羅列があった。単純に数字だけを比べてもそのほぼ全てが俺のものよりも遥かに大きいことが、俺をひどくガッカリさせた。それでも俺はできるだけ薄笑いでも浮かべようとしながらひとつ学年の下だった彼女を頭をなでていつもそうすうように誉めてやった。

「へへー凄いでしょ、どう、どう? 日々の血の滲むような努力が実を結んだのよね」

 俺の立場が無いけどな、と思ったが口には出さなかった、どうせこいつはそんな些細なことは気にしてもいないのだろう。寒いよー、とようやくぬくくなってきた手でまたきつく首を締めて、お気に入りのラーメンをねだる。気道を締められながら、じゃあ食べに行くかと提案すると、意を得たりとばかりにもっときつく首を締めてきた。

「今日は本当、寒いねぇ」

 そう言って、チグサはショルダーバッグから二組の手袋を取り出した。

  

               ◇

 くまのみぎめはきのうのおめめ

 くまのひだりめあしたのおめめ

  

 くまは、今日は何も見えない。



 この秋に。

 俺の誕生日にくまのぬいぐるみをチグサから貰った。

 目のない、よって表情もない無愛想な、いや、目のないことによるある種の威圧感すら漂わせる妙ちくりんなくまのぬいぐるみ。大事そうに抱いた安っぽいヒノキ材には『合格』と赤文字で彫られている。流石の俺も最初は失笑するしかなかった。こんなものどうするんだよ、と笑ったら。いいじゃない、そのくまが私を買ってー、買ってーって呼んでたんだから。とすこし渋い顔をして怒っていた。

「なんでこいつには目がないんだ?」

「ん? あたし、そんなには熊が好きなわけじゃないよ」

 どうやら、くまに目がないのだと勘違いしたらしく、万年コタツの上に放置されたミカンをむきながら、きょとんと俺を見上げる。

「いや、そうじゃなくてだな。何でこの熊は目玉無しなんだ?」

「ああ、それね。お願いが叶うんだって」

 商品タグから読み取るに。お願いテディ、などと名付けているらしいそのシリーズは『合格』の他にも『恋愛成就』『金運向上』と何やらどこかの生臭そうな神社で売っていそうな余りに胡散臭いラインナップだ。

「何処で買ったんだよ、こんなもの」

「……こんなものって、それはないでしょ。クマガイのくまにかけた今のトモアキにぴったりのマゴコロ一杯の贈り物なのにぃ」

「自分でまごころいっぱい。とか言わないだろ、普通」

 金貸しのコマーシャルみたいだ、とはさすがに言うのをためらった。

「それで、こいつの目玉はどうするんだ?」

「えっとね、お願いをしながら片目をつけてあげて、叶ったらもうひとつつけてあげるの。一種の願掛け。……良いインテリアになるでしょ?」

 最後のほうはちょっと言い訳っぽくなりながら、チグサは、これでトモアキにも友達が出来たね、なんて軽口を叩く。そして、チョコレートを煮詰めてありったけ濃くしたような色のくまに器用にビー玉を紐で結んで目の窪みに嵌めこんだ。片目のいびつなぬいぐるみを見て、ああ、要はダルマなんだなと再認識する。

「しかし、ビー玉なんて、わざわざ買ってきたのか?」

 チグサは違う違うと片手をスライドさせて、貰ったんだよ、と言う。俺はてっきり店がつけてくれたものだと思ってそう訊いたら、まだ違うと言う。確かに仕様書には目には各自ご家庭などのボタン類をつけてあげてください、となっている。

「帰り道にね、小さい女の子がビー玉を道にばらまいちゃってたのよ、ばーっと」

 ばーっと、のところで大きく手を広げる。面白かったので真似をしたら小突かれた。

「ほら、商店街を抜けたところの公園。あの辺りでね」

「なるほど、それでチグサはいたいけな少女からビー玉を一つくすねて来たってわけだ、そんなに欲しかったのなら俺に言えば良いのに」

「コレがまた、小さい時のあたしにそっくりですごい可愛いのー、頭なでてあげたら照れちゃってもう。さいごにお礼ってそのビー玉を貰ったの」

「ああ、『鬼さん鬼さん、ビー玉をあげるから食べないで』ってやつか」

「トモアキ、そんなにビー玉食べたいの?」

 茶化しつづける俺に呆れたのか、話題を変えてくる。

「あ、これねえ『名前をつけて可愛がってあげると、願いはよりいっそう叶い易くなります』だって」

 話題転換のままに、そういってチグサの勝手につけた名前はチアキ。チグサとトモアキでチアキ。単純な命名法だがなんとなく気にいった。娘だったらきっとそんな名前をつけるだろうと思った。

「そうか、じゃあ今年はチアキのおかげで、もう何もしなくてもすんなりと大学に行ける訳だな」

「まっさかぁ、この一年ちゃんとがんばったらでしょ……ほら、説明書にも書いてあるよ。えーと『このお願いテディは、あくまで祈願者の祈願成就を扶けるものであり、確実に願いをかなえる為には祈願者の意思が大切である事は言うまでも有りません、祈願が成就しなかった云々の問い合わせ・クレームに関しましては弊社・製作元・販売元はご返答できかねますとともに一切関知しませんので御了承ください』だって」

「随分とまた、手前勝手なおことわりだな。第一に夢が無さ過ぎるよ」

「いいんじゃない? 教訓的で」

「しかし、それくらいの事は買う奴は判ってるんじゃないのかねえ」

「世の中にはそれがわかっててクレームつけて楽しむ人と、本気で怒る人も多分いるんだよ」

「もしくは、この商品自体がジョークなんだろうな。なにより、その文章も端から笑いを取るためなんじゃないのか? なにより弊社と製作元って別なのか? なんにしろ、凄く胡散臭い」

 チグサは、俺の言葉にぱんぱんと柏手を打って目を丸くして。何が面白かったのか急に笑い出し、喘息の患者のようにひゅーひゅーと呼気をはきだし、うらめしそうに笑いながら俺を睨んだ。

「な、なんだよ、そんなに笑うなよ」

 だって、おかしかったんだもの。とコタツの上に出しっぱなしの、やりかけだった問題集を片付けて。チアキを冷蔵庫の上にちょこんとおいた。

               ◇ 

『持つべきものは受験票だけで良い、ペンとかはどうにでもなる。ただ、腹だけは壊すな。あとは受かって来い』

 予備校の自称名物教師はそんな意味不明の格言を俺たちに与えて最後の雑談を終えた。    

 ところで今、俺とチグサは本命の試験に臨んでいる。さっきまでは何とも無かったのに、今は、俺の比較的苦手な数学。しかし、目の前に聳える問いはつい先日克服したはずの単元で、ゼロからでも俺の大脳は答えを導き出してくれるはずだったのに。

 俺は奥歯を噛んでキツク目をつぶる。チグサは大講堂の右側の端、それも一番後ろのど真ん中の俺からはその頭がわずかに見えるだけ。ぐらりと視界が揺れて、脂汗が滲む。わき腹を掴んで誤魔化そうとする。

 問題もろくに解けていないのに、ベルが鳴るのを待ち望むなんて思わなかった。

「顔色、悪いよ?」

「ああ……」

「確率出るなんてねー、でもあっちはわりと簡単だったのよ」

「ああ……」

「問題は4のアレ、ほら複素数じゃない? 私やっぱりアレだめで、ドモアブル使った後なんだけど」

「ああ……アレは厄介だ」

 俺の体調の方が厄介だ。

「でしょぉ!? あーあ、もう一個の」

「ああ……過ぎた問題の事は考えない様にしよう……ぅ」

「ん、そだね。お昼どうする? 一応軽いもの作ってきたけど」

「ああ……あ、いや、今日は遠慮しておく……」

 折角作ってきたのに、と、言葉が何処かに行く。空っぽの筈の胃がその日は一日中痛んだ。

『今年の風邪は、腹に来るから気をつけなさいよ!』

 薬屋の婆サンの顔が瞼に浮かんだので、俺は不本意なまま試験場を途中で退出した。

                 ◇

 そして、結果から言えば。

 あくまで、結果だけを述べるのなら。

 女は受かり、男は落ちた。

 もう少し、具体的に言うのならば、チグサは受かり、トモアキは落ちた。ただそれだけのことだ。

 だのに、掲示板は霞んでよく見えなかった、だから、チグサに自分の番号をもう一度探して貰った。補欠の方もまんべんなく探して貰った。心臓のあたりを掴み潰す様にしてもどうにもならず。乾いた笑いを噛み殺すようにかさかさの下唇を噛んだ。

 それでも、枯れた銀杏の樹に囲まれたその掲示板には俺の名前は無かった。

 また来年。などという声が聞こえた気がした、いや、確かにそう聞こえた、チグサがそう言うのだ。もう行こうよ、帰ろうよ。チグサに手を引かれて、多分、そのまま俺は家に帰ったのだろう。

 朝起きたら俺はたったひとりだけだった。しょうがないと言い聞かせて、言い聞かせて漸くフトンから体を起こす。いつ暴れまわったのか部屋の中は滅茶苦茶で、中でも特にクマのぬいぐるみが被害をこうむっていた。名前があったかどうかすらも、もう忘れてしまったそいつを殴って、蹴って、鋏を衝き立てて、その度に硝子の片目が耳障りな音を立てて泣いていた事を思い出した。

                  ◇  

 チグサは春から、あっちで先に待ってるからと言って部屋には余り来なくなった。怠惰な俺の為に時折俺のフトンを引っぺがしに来たりと世話を焼いてくれてはいたのだが、それでも流石に、夏には向こうの足も遠くなりがちになって、夏の終わる頃には丁度俺の僅かな推進力もなくなってきていた。

「これ、借りてた本」

 こんな時に止めを刺しにこなくても、と正直思った。やっぱり唇を噛みながら悔しそうに俺を睨んで。返したくなかったけど。と言って、昨年ここからこまめに持っていっていた推理小説のシリーズ、それをを一杯に三重にされた伊勢丹の紙袋に入れて、『ミクダリ』と書かれた紙を貼りつけてあった、ミクダリって誰だろう。

「ミクダリ……?」

「まだ半分たんない。もう少しでミクダリハン」

「ああ、三行半、ね」

 重かったか? と物理的な事を聞くと、大分ね、とマジで返された。いつものようににこりと笑えば俺もチグサも楽なのに。ここで止まってしまう、俺は止まってしまうから、だから、とその科白もその後の科白もなにも出てこないまま口をパクパクと鳴らない携帯電話のレプリカみたいに開け閉めする。

「後半分はまた今度まで、待つから」

 黙ったまま行けば良いのに、死刑の引き延ばしを宣言したりなんかしてなんて酷い奴だ。こっちを振り向いてまだ睨みつけてやがる、そんなに俺が憎いのだろうか。と、二日ばかりベッドで死んで、五日ばかりテレビだけがお友達で。即席の生けるしかばねはその日の深夜に漸く外に出ることになった。食糧がなくなってしまったんだ。

 外はすっかり秋で、シャツ一枚では既に肌寒い。冷えた空気を白くしながら商店街の薬屋へと急ぐ。

 商店街に入ると薬屋がある。巷で流行りの二四時間チェーンに組みこまれてしまったこの街のクスリ屋さんは、その前よりも軽薄に、そして確実に便利になっていた。俺は羅列される中で二番目に安いドリンク剤とカフェイン錠、ブロック状の栄養食そして切れかけのシャンプーを黄色い蛍光色の籠に放りこんでレジで精算を済ませる。レジにいた前から顔見知りのオバさんは、今日はコレ要らないのかい? などと下卑た笑みを浮かべて笑うものだから、俺は切ないやらなにやらで、はぁ、とか言いながら余計な出費をしてしまった。

 頼りない財布の中身にためいきをひとつついて、深夜真っ只中の商店街へと戻る。左に行けばアパートへ、右に行けばシャッターの下りきった商店街が続くが、その後には何も無い筈だ。夜の公園があって夜の閑静な住宅街が続く。こんな夜中に俺は散歩でもしたい気分なんだろうか、ああ、俺はとっととコタツに戻りたい。のに、何故か身体は右を向きそのまま歩き始めた。

 商店街の外れには、今にも潰れそうな駄菓子屋、しまい忘れられたガチャガチャの機械が横倒しになっていた。大きめの道路を挟んで向こうは閑静な住宅街、高速道路に続くその道路には時折下品なデコレーションを施されたトラックがラジオの音量全開にしながら何台か疾走していった。全ての税金を半分に! と言う謳い文句の安っぽいポスターを鼻で笑う。何言ってんだ、とひとりごちて頭上に注意を向けると傘持ちの月は、細くて、光が足りないから今にも雲に隠れてしまいそうになっていた。

 ――かぁぁん

 最初は、月が音を立てたのかと思って、天上を見上げた、空に何の異変も無い事を確認する間も無く、またかぁん、かぁぁんと柔らかくて硬くて、透明な音の連続。音の流れてくる地面に目を移すと、小さな大量の涙がアスファルトを伝って次々と転がってきたのだ。流れの進行方向に靴を横にして、その内のいくつかを受けとめる。勢いを殺された硝子玉たちは、路に描かれたモザイク模様の隙間でついさっき逃げ出してきた主人の後を待つ事になった。

 その硝子玉のご主人様はこんな夜中の商店街にはあまりにも不釣合いなものだった。お嬢ちゃんという呼称があまりにも似合い過ぎるようなお子様。とてとてと走りながら、まだ転がるいくつかのビー玉を追いかけて、追い越して、すくい損ねてまた追いかける。下ばかり見て歩いていたから、俺の足に勢いよくぶつかって、背中から丸まるように転んだ。

 あ。と声を上げて俺は、痛みを堪える様に俯いた少女を起こしてやるべく差し出した手を引っ込めざるを得なかった。なぜなら、ちかちかとまたたきを繰り返す電灯の下に映し出された少女の顔は、ちょうどチグサをちいさくしたような感じ、いや、俺が知っている幼い頃のチグサにそっくりだったのだ。チグサの、わたしにそっくりな顔だったのよ、という言葉が途端に思い返された。

 チグサ。と呼んでしまうと少女はきょとんとして、こんばんは、と挨拶を返してくれた。そのとき頭を下げるから、拾って入れておいた手もとの袋から硝子玉がまたこぼれる、だからまたしゃがんでひろう。拾えるだけのビー玉を拾い切ると、一つづつ数えながらゆっくりとクマのプリントが施された巾着袋に入れて行く。全て入れきると、袋の口を今度こそはこぼさないようにとぎゅっと締めてカタ結びにした。

 名前はチアキです。と名乗ったその少女はその他に行き先もこんな時間に何をしていたのかも告げず。そのまままたありがとうございますと元気にぺこりお辞儀をして走り去った。

 だから、俺の足元にひとつ隠れていたビー玉に気付いたのは、少女が行ってしまってしばらくしてからだった。また会った時に返せるだろうと軽く考えて、薬屋の袋に入れておくことにして、夜明け前の家路についた。

 ビー玉は雲の間からゆらめいた月明かりを浴びて光を地面に落とす。これは、透明なガラスの内側に色素が泳いでいるタイプではなく、表面に虹色の皮膜を纏ったタイプで前者のそれよりも幾らかミステリアスな玻璃玉。石英と炭酸ナトリウムの塊が俺の手からコタツの上に落ちると、位置エネルギーを利用してまた転がって行った。俺はそれを眺めていて、あるものを思い出した。チアキ。

 ――そうだ、チアキ。

 春に何処かにうっちゃった片目のクマのぬいぐるみが何処かにいたはずだ、今日会った少女と偶然おなじ名前ののそいつが。そう広く無い部屋を見まわしてはみたが、春からこっち散らかり尽くされ、汚し尽くされたこのおとこやもめの人外魔境から、ただ一つのものを見つけるのは今の俺にとって余りに困難だった。

 その時だ。

 俺は、その鏡の表面を持つ硝子玉が、そこに無いものを映しているのに気付いた。ビー玉はその時もう、コタツ卓の上でバランスを取って静止していたのに、俺はさっきから動かずにそいつを凝視しているし、窓の外にも人影は無く、電球も切れて無い。

 ならば、何故、その映像は動いているのか。

 気が違っていない事を半分、脊髄から脳髄に走るような好奇心を半分右手に込めて硝子玉をテーブルからひったくる、虫を捕まえた少年の様に心臓をドキドキと痛めて、そおっと、指の隙間からそれを覗いた。

 映像は、動いている。

 レンズ越しの太った小人達の寸劇、舞台は恐らく俺の部屋で登場するのは俺とチグサ、二人はなにかごそごそと、見ていればまるでテープの早回しの様にどんどんと部屋をきれいにしていった。その最後にコタツを囲んでチグサがお茶を淹れている様に見えて、映像はそこでブラックアウトした。

「……なんだ、こりゃ」

 何かの冗談にしては手が込み過ぎているし、余りに悪趣味だ。あるいは、俺の気がとうとう以下略な状態なのだろうか。ああ、もう寝よう、寝たほうが良い。しかし俺はそこですくっと立ちあがり、おもむろに部屋を片づけ始めた、何故かわからないが俺はこの時どうしてもそうしたかったし、そうせざるを得なかったのだ、何故かはわからないが、部屋はこんな夜明けに遅々とキレイになっていった。

 朝方になっても、掃除は終わらないまま。呼び鈴が鳴ってドアの鍵が開いた。こんなあけ方をするのは、奴しかいない。入ってきて俺の行動に驚いたのかチアキは、嬉しそうにちょっと涙ぐむと、換気が悪い! といきなり嬉しそうに怒鳴り、ドアと窓を全開にしてよっしゃあと頭にハチマキを締めた。

 ほど無くして部屋は完璧な状態になったが、片目のチアキは見つからなかった。

 チグサの淹れてくれたお茶と小言を久しぶりに味わいながら、これがデジャビュで無い事を確かめる。チグサは荷物からモロゾフかアマンドかのケーキを出して、俺の誕生日と、復活を祝ってくれた。復活してなかったら餞別になったらしいそれは、ちょっと俺には甘過ぎた。チグサは、また泣いていた。

 チグサを早めに帰して俺は例によってコタツでうとうとしながら、そのビー玉をじろじろと観察した。そしてまた、そこに映像が映る。図書館で勉強する自分と、そこによりそうようにチグサの姿があった。


                ◆



 その硝子玉は確かに何度も俺の未来を、それも、俺が選択に迷うようなところでその甘美な映像を俺に与えてくれている様に見えた。

 例えば、寂しい時に携帯の着信がなれば俺はそれを取らざるを得ない。その時、かかってくる前から心臓の辺りに少し響くように、ちくりとした痛みを寄越しながらも硝子玉は俺の予知を続けた。

 何度も、何度もだ。

 繰り返せば繰り返すほどに、俺は高みに向かっているのがわかった、いや、高みに上り詰めさせられているのだ、多少の後ろめたさとともに。その些細な感情がやがて消えうせ、幸運を持つ……未来を識る者として傲慢になりきっても、まだそれはつづいた。そのまま、硝子玉は道を示しつづけてくれていた。三度目の試験は言うに及ばず、その他の人生の岐路においても危うさすら欠片も無い。挙げ句の果てには順風満帆過ぎて詰まらないとこぼし、チグサにたしなめられた。チグサも俺のその状況にまんざらではなかった様だったけども。

 そうして、虹色チョークの上を辿りながら俺は数年を過ごした。

 全ての大きな選択を間違えることなく、瑣末な選択をクリアしていって、スリルを満たしたつもりになった。結婚式は大きなものにしようとチグサは決めて、その時にはもうあんまり親友はいなかっのだけれど、いっぱい人を呼ぼうと言った。

                  ◆

 

 視界がはっきりとしたのは、ほんのつかの間だった。痛みとともに眠った俺は、痛みと共に目が醒ましたようだった。それと、消毒液の匂い。身体の何処が痛いのかすらはっきりとはもうわからない。俺の身体に連なるコードすら引っこ抜けない。枕元にビー玉が無いのがとても寂しかった。

 チグサの足音がして、ドアが開いた。それと同時に白衣の匂い。もう、音はしないから声も聞こえない。白衣の数を数えられなくなったところで、ふと、希薄になる感覚があった。

 テレビのスィッチが切れた時に、ほんの少し余韻が残るだろう? あんな感じで俺はゼロに近づいてこの世界に関われなくなる。世界と自分を繋ぎとめている心臓の痛みがどんどんと和らいで行く。

 砕け散ったビー玉の欠片にチグサの姿が映った、俺はその名前を呼んだ、そしてもう一人その間に小さな女の子の姿が有った。

 

 そして、ゼロになりながらまだ見ぬ娘の名を呟いた。

 

                ○


 白と黒のストライプ、涙、ハンカ臭いアーキテクチュア、花、再生のプログノーシス、まばらな参列者、酒、しとしとと春を待てない冷たい氷雨。

 それはしめやかにしめやかに。

 


 墓前にちょこんとひとりたたずむ少女。

 手を合わせた後、俯いたままポケットをごそごそと探る。

 びいだまをとりだして、ころころと弄んだり太陽に透かしてみたり。

 

「さよなら」

 ささやく様に、誰にも聞かれえぬようにそう呟くと、少女は空気に溶けた。

 摘まれていたびいだまは支えを失って大理石を叩く。

 今年初めての雪の結晶がひとつひやりと触れて、そのまま溶けていった。

 

 

 くまのみぎめはきのうのおめめ

 くまのひだりめあしたのおめめ

 

 くまは、もうなにもみない。




<がらすのおと 了>

2009-09-23 うつつのおと#M-1-5

夢十牌5

 じかんかせぎ


 第五打 魔法

 

「……! 〜〜!」

「!! ……! …………」

 魔術師は土埃の臭いと喧噪で目を覚ます、まどろみの中に侵入してくる怒号と鬨の声、そして悲鳴。魔術師は自分がこの地獄とも言うべき大地の渦の端に未だとどまっているのだと知る。満載された点棒は基本的な魔術を紡ぐ力すら残っていなかった。

 魔術師は、死を悟りまた目を閉じる。とうとう役目を果たせなかった。これが魔術師の最期。役を完成させられなかった魔術師の末路は常に、惨憺たるものだ。それを受け入れた上で、我々は魔術師になったのだ、だから、悔いはない。そう、整理をつけ、最後の意識に別れを告げる。

「このまま、横たわっていれば。すぐに――」

 ――誰かの放った術の波動で、死ねる。戦の終わりすらも、届けられぬのは口惜しいやもしれん。

 そして、魔術師は目を閉じる。

「――おい、おい! 起きないか!」

 魔術師は体が動いているなあと感じた。誰かに襟を引きずられ、無理矢理に移動させられているのを知る。自分の顎が、小さな肩に乗せられている。人の声と温もりを感じる。きっと死に損ねたのだろう、と察した。

「起きないか、魔術師!」

 喧噪の遠くなった場所におろされる、目を開けたくないほど意識は遠い。ぱん。と破裂音がして頬に痛みが走る。驚きで薄く目を開けると、途端に砂埃におそわれる。

「ッ!」

 咄嗟に腕で顔を覆う。そんな元気が残っていることに気付くのが魔術師自身にも驚きであった。

「ああ、良かった。生きているではないか……」

「――」

 砂嵐の隙間から、澄んだ声が聞こえる。見覚えのある衣装。正確な抑揚と発音。いち魔術師もよく知る「さる高貴な方」の姿が視界を覆っていた腕をどかす先から見えた。 

「――あなた――様、は」

「……私がわかるのか? 魔術師」

「いえ、味方。でしょうか」

 魔術師はとっさに嘘をつく。

「もう、この国を守れるのはおぬしだけなのだ。どこを見回しても“点棒”のカケラも残ってないハコ魔術師ばかりなのだ!」

「あなたは、ずいぶんと高貴なお方のようだ。こんな負け戦の場をうろつくものではありません。さっさとお逃げなさい」

「お前が逃げるのなら、私も逃げよう」

「我が腹にあいたうつろな穴をご覧じなされ! この体は、この戦いからずっと逃げてきたのです。逃げて、逃げて、とうとう空っぽになってしまった。貴族の方よ、私にはもう敵を穿つ力は残っておりません」

「何を言う! まだお前には残っておる! 逃げ切ればそれは勝ちではないか?」

「はは、半死のわたしなんぞを叩き起こしても、無駄なことですよ。私の”手牌”を見てください”役”を紡ぐ”手牌”なぞどこにもありはしない! 逃げるにせよ”安牌”はありません。何をしても狙い撃たれる……。それもこれ以上なく無様に……。高貴な方よ、その時あなたが先ほど唾棄した”ハコ”になったこの体が、この上なく無様な姿でこの大地に晒されてしまうのです」

「……ッ」

「泣かないでください。こうなる運命だったのです。国を救うことができなくて申し訳ありません」

「……?」

「高貴な方、やはりあなただけでも逃げるべきです。まもなく、”流局”がやってきます。そうすれば、まだ希望はある!」

 気休めだった。そこを逃れたところで”罰符”がこの国土を、魔術師の”点棒”を容赦なく喰らう。もはや、打つ手は無かった。それを知ってしらずか高貴の者も顔を俯かせ、しばらく返事すらしようとしなかった。

「……いや、まだ法はある、おまえもそれを知っているはずだろう!」

 埃風の中、口火が切られた。魔術師はもちろん、それのことは知っている。だが、考えぬ様にしていた。それはあまりにも夢。伝説の魔術”役満”にも似た細い細い糸、その上。

「……それは外法です」

「外法も法なり、ではないのか、魔術師?」

 それはこの魔術師の口癖。『高貴な方』は魔術師を試すように笑みをたたえている。

「はは……なるほど、しかし、これを狙われていてはおしまいです。私も……姫も」

「……!?」

 魔術師は、この戦が始まった時に王よりも先んじて、下々の兵士たちを鼓舞し、労っていたこの若い王族の事を知っていた。いや、この国で戦の先達として働こうとするものは皆、この若い王族のことを誇りに思っていた。多分に漏れずこの魔術師もそのひとり。

 魔術師は「申し訳ありません」と前置きし、王族に対する略式の礼をした上で続ける。

「最初よりわかっておりました、ご無礼をお詫びいたしましょう。その上で不躾なお願いをしとうございます。ひ弱な魔術師のこの震える腕を、すでに折れた足で倒してしまわぬように、握っていてはくださいませんか?」

「ああ、た易い」

 

 空中に魔方陣が唸る円形の紋章をいくつも重ねあわせた”筒子”の紋章の”一”他なる”筒子”よりひときわ大きく描かれたその魔法は、緑吹く大地に強く打ち付けられた。

「……ッ」

 うねるごとくの静寂の後、魔術師は知る。

「フハッ……ハハッ!」

 魔術師が嗤う。祈りは届いた。

 煙る砂塵の中、魔術師が逃げながら懸命に捨ててきた”牌”の道が輝きはじめる。魔術師達の血塗られた”自模”が一つの終わりを迎えるとき、その足跡をもって”役”を形づくる事があるという伝説。

 それが明らかなる力として結実し、存在していた。

「姫よ、目をお瞑りください。清らかなる方は御覧になってはなりませぬ、これは外法なのです」

「いや、しかとみたぞ。外法であろうと、この輝ける道がわれらの救いであることに代わりはない」

「礼には及びません、私は逃げていたのですから」

「だがな、われらは生き残っておるぞ。――さ、ここが我々の国じゃ!」

 もちろん目は醒めている。

2009-07-31 うつつのおと#M-1-4

夢十牌

第四打 昔話


「6だね」

「6ってなんだっけ、ハズバナ?」

「ムカバナ。昔の話」

「昔? ああ、ロングロングアゴー。私のグラーンパパとグラーンママが」

「いやいや」

「いやいや、あんたの話よ」

「でもさあ、はじめといてなんだけどこのルールって、どんな安い手で上がっても良くない?」

「役満上がればなんでも喋ってもらえるよ」

「マジで!」

「そうそう役満なんかでないって、で、出たら何聞くつもり?」

「え、いや、そんなのはさ、ちょっと、人には言いにくいじゃん?」

「まあ、食いついておきながら何も考えてない奴の話はもういいわ。で、あんたの昔の話はどうしたのよ」

「ひどいや」

「私はロングロングアゴー、あの国におりました」

「あの国って?」

「娯楽のない国にございます。でね、私のパパがどこからか持ってきた麻雀牌で、その国は平和になったのでございます」

「……」

「……え?」

「おしまい、さ、次局行こうよ」

「いやいや」

「いやいやいや」

「ホワッマタ? 話は終わり。ハピーエンド、モマンターイ」

「いや、どうして麻雀牌で平和になるのよ、どうして途中がはしょられてるのよ、どこの国よ」

「もうないんじゃないかな」

「作り話ならもう少し考えてやってよね……」

「え、ウソんこなの、今の!」

「……ほら、次やろうぜ。配牌しょ」

「つーもー! ぴんぴんろーく!」

「まだ二巡目よ……あんたね、積んだでしょ」

「みたのかーい」

「おさえられなかった私たちが迂闊ね、サイ振りましょ」

「……またおまえか、じゃもう一回振れよ」

「これはアンフェアでは? ツモられなのですから二度目の私はメンジョされるべき」

「といいつつ振るのな、ヘンなやつ。9、今度こそハズバナだな」

「はっっ……ずかしー話ぃッ!」

「――あの国から逃げるとき、家族は」

「……え、それ恥ずかしくなるの? てか、続きなの?」

「コイバナとかないのー?」

「――散り散りになってしまいました、チャイルドフッドの私はオウフリーな不安のなか、ジャパン行きの船に乗ったのです、ロンリー。ソウフルな私」

「なんかソウフルというか、ソウルフルだね」

「なんだこれ、止めなくていいのか」

「面白いじゃない」

「ジャパン行きの船と思って乗ったのは、他の国へ渡る船でした。家族は違う船に乗っていたのです。私は途方に暮れました。その船はまったくもって悪意に満ちたシットなシップだったからです」

「――え、ギャグ?」

「――そして、その船で恥ずかしいことをメニメニーさせられた私は、たまたま持っていた父の麻雀牌で一財産を築いて、自力でジャパンへ渡ったのです」

「あれ?」

「いや」

「いやいやおいおい」

「はい。ハッピーエンド」

「すごいね!」

「どう恥ずかしいのかはまったく話に出てこなかったけど」

「メニメニーされました」

「いや、そこんとこ詳しーく聞きたいんだけどなあ」

「いや、なんか聞きたくない感じだし……」

「じゃあ次の局いこか!」

「ろーん! ごんにいっぽーんつけちゃってー!」

「オー、また私フってしまいましたね」

「……麻雀で一財産築いた奴がなんでポンポンフるんだろうな」

「ジャパニーズムズカシイデスネー」


 そんな、夢を見た。

(あれ、なんでこれオチないんだ? まあいいか)

2009-07-20 うつつのおと#M-1-3

夢十牌

 第三打 映像


 三連勝中、絶好調のボクの前に、半裸の女がいる。

 ボクが勝ったら女は脱いでくれる、ボクがまけたら財布が軽くなる。こんなくだらない勝負にどうして乗ってしまったのか。

 ――ええっ、ずっるぅ〜い

 ――うぅ〜ん。ゆ、ゆるしてぇ〜

 ――こ、これが、これが最後だから……だから……、ね?

 ボクは順当に勝っていた。普通にやる麻雀とは違う1対1の勝負。運と、なによりも速さがものを言う。

 扇情的な、幼さの残る甘ったるい声で、許しを請うてくる女。でも、ぼくはその女がたいへんな売女であることを知っている。容赦など必要ない、この女は、こうして負けて強制的に剥がれることを喜んでさえいる、恐るべき淫売なのだから!

 ――あっ

 とうとう最後の一枚になった。心臓が高鳴る。彼女を守るガーディアンは残すところただひとり。彼女のサンクチュアリをこの目で拝むべく。ボクは最後の札をベットする。ボクにはこうなるという勝利の確信があった。いや、勝つまで戦うつもりだった、といった方が正しい。

 ともかく、このときのボクには今ではなくしてしまった執念とかおよそそう言うジョウネツに満ちあふれていたんだと思う。

 ――そ、そんな……む、むり、だ……よ……

 とうとう女の点棒をゼロにしてやった。一時はどうなるかと思ったが。ボクは軽くなった財布を握り、その薄さに苦笑する。だが、この投資はいまこそ報われるのだ。

 ――え……ほんと……に? や、やんなきゃ……ダメ?

 ボクは首を横に振る。

 ――ご、誤解しちゃイヤだよ? こんなことするの……キミにだけなんだから、ね?

 画面からずるりと手が生まれる。リアルじみた映像は、映像じみたリアルへとレベルアップする。細かくなりすぎたポリゴンで出来たセルが本物の真似をしすぎて、ぬるぬるとした質量で出来た生々しい両腕。肌色の二つの大鎌がぼくの首をターゲットしている。

 静電気たっぷりの下敷きを近づけられたときのようなぴりぴりとした空気。それに満たされる。頬の産毛が天井に向かって総バンザイをする。お手上げだった。

 はしたなくあらわになった女の上半身。平面に描かれた膨らみが目の前に迫るにつれ立体となり、グリスの匂いはいつのまにか香料のほどよく効いた石けんの匂いへと変わる。

 ――ね、お願い。やさしくして……

 二つの大鎌がボクの顔を両側から包み込む。二つの大桃がボクをやわらかくはしたなくどうしようもなく窒息による昇天を目論んで両頬にのし掛かってくる――――。

「たっ!」

 鋭い痛みに、ぼくは飛び退いた。冬のセーターコートが産んだ静電気はいつも油断した頃、強かにボクらをおどかすものだ。期待した温もりは、いつまでたってもやってこない。首の後ろが、頬が、触れようとした両手の指先全部が、強い麻酔を打たれた後のようにボクのものではなくなっていた。

 画面はほとんど真っ黒で、ボクのさえない顔を鏡面に映している。ただ一言、無情なさよならの言葉が表示されていた。

  ――GAME OVER


 そんな、夢を見たい。

2009-07-06 うつつのおと#M-1-2

夢十牌

 第二打 飽食


 紫煙が淀んでいる薄汚い雀荘だった。それらは霧のようにその雀荘を充たしていた。誰も「換気扇をまわしてくれ」ともいわず、誰かが気を利かせて窓を開けるということもないようだった。

 そもそも、この空間に窓があるかどうかすらわからない。入店するとき、私は階段を上ったろうか、下りたろうか。それすらも解らない。辺りから牌の音はわずかに聞こえてくるものの、発声が聞こえてこないというのも怪しい。かろうじて、自分の卓の音声が水中に投げ入れたラヂオの音声のように伝わってきた。

 もっと怪しいのは、私自身がこの状況を怪しいと思えないことだ。そんなことよりも私は今、腹が減って仕方ない。

 ふと私は、怪音がすることに気付く。

 ――ばり、がり、がつん

 ――ざり、がり、がりん

 わたしが自分の手牌を食っていた音であった。

「キミ、ハイを食っていルナ」

 紫煙の向こうから声が聞こえる。同じ卓を囲んでいる筈なのに、相手の顔も見えない。声だけが、水中の音の様にくぐもって聞こえる。

「おなかがすいたからだ」と私は答える。

 私は、それでゲームが続かなくなることを懸念する。しかし、すぐに「そもそもわたしの腹を満たしてくれないこの霧が悪いのだ!」と切り替える。また「空腹の客に軽食も振る舞わないサービスの悪い店に二度と来るものかよ」とひとり悪態をつく。

「空腹なノハ同ジョウするガ、それデはゲームができなくなるよ、キミ」

「そうそう、あんたはハイ食って腹一パイになろッテのかね」 

「細かいやつだ、わたしはこれで少牌だから今回は上がらない、それで満足だろう?」

 がり、がりと牌を囓る音をさせながら、私は不機嫌に同卓の人々に強く返す。こいつらが喋ると、どうもこの煙い空気のせいか耳に障る。

「ならそれデイい」

 紫煙の向こうの人々は、それで納得したようだった。

 そうこうしているうちに手を完成させたわたしは、牌を倒す。

「ほれ、上がったよ」

 上がりながら、私は何かがおかしいはずだと考えていた。

「きみはさっキマで少牌だと自分でいっていたろう。ほウら、やハリ一牌足りないゾ」

 上家がそう指摘する。全くその通りだ。私は牌をいくつか食ってしまっていたのだから。手牌が完成する筈など、なかったのに。自分が怖ろしい。なぜ、足りない牌を倒したのか。

「きみはいちゃもんをつけるのか」

 だが、私は紫煙の向こうの人々に強く出ることにした。

「だが、やはり足らンぞ。今戻せバ見逃してやロウ」

「そうダソうだ、偶には言うことを聞くのもワルく無い」

「何――! ッ? かッ……ゲッ」

 はき出そうとした言葉が詰まる。きっと、そのいくつかが喉に痞えたのだと感じる。どんな理由であろうが他人の理屈など聞いてやる耳は持っていないことを、断固として主張しなければならない。しかし、それを邪魔するものが喉の中にある。

「うぇええッ!」

 私は喉の奥へ指を入れ、えずきながら取り出そうとしてみる。すると、唾液と胃液に塗れた骨片が卓の河上に零れ出る。

「――!」

 欠片ではあったが、それは確かになにか動物の骨片であった。

「なんだい、きみ、品がないな」

「これはなんだい、まさか牌ではないだろうな」

「やあ、牌だったらきみはずるをしたことになるぞ」

「ち、ちがう、これは今朝がた丸呑みした鳥に相違ない」

 わたしはそう抗弁した。我ながらうまいいいわけだ。近く鳥などを食った覚えはないが、その骨片らしきものは「鶏の骨」と言われればそう納得も出来そうな出来をしていた。

「なに、ではきみがいま河に捨てたものを見たまえ」

「ほうれ、骨クズが牌になった」

「みよ、牌が骨になった」

 たしかに他家の言うとおり、わたしがはき出した骨片は骨へ戻ろうとしているように見えた。

「違う!」

「まあ、そう哮るものじゃあない」

「そうとも、我々はそういう事にはわりと鷹揚なんだ、まあ、いいじゃないか。楽しくやろうではないか」

「そうとも、こんなのはたいしたことのない遊びなのだ」

「そうさな、それ――なあ、きみは本当に鳥を食ったのか」

「まだ言うのかね、ああ、成程」

「ほれ、みたまえ」

 河の上に吐かれた骨片たちは、いつのまにかひとつのそれに変わって、猶、微動を続けていた。

「ずいぶん、騒がしい骨だと思わないか」

「そうだな、まるで何かを伝えたがっているようではないか」

「な、何を莫迦な!」

 莫迦な! しかし私が吐き捨てた骨は明らかに、卓の上で蠢いていた。

「ほれ、河の上の骨はとうとう歩き出したぞ?」

 骨片はまるで生きているかのように、歩くことを覚えてしまったひな鳥のように、卓を跳び出て紫煙の中に駆けて、見えなくなってしまう。

 ――私は違和感を覚える。さっきまで卓を充たしていた紫煙が僅かに晴れている、それが証拠に、いつのまにやら同卓の面子の声が、はっきりと聞こえてきている。

「ほれ、きみの吐いたものが戻っていく。あれは隣の部屋に戻っていったねえ。隣の部屋には、金を用意できなかったやつが置いてあるんだ」

 古株風の男はそう言った。この男は、紫煙にまぎれて見えなくなった骨が「隣の部屋に戻った」などと抜かす。

「隣の部屋に行ったかどうかなど、わからんだろう」

「わかるさ」

「わかるものさ」

 隣の部屋、と男が指し示した方からはなにやら、鈍い音が聞こえてきた。肉が床を叩くような音。ぴちゃぴちゃとしたまるで咀嚼のような水音。隣の卓の音も聞こえないのに、はっきりとわかる。

「何故、あの骨を止めなかったのです」

 私は、臓腑の奥からこみ上げてくる恐ろしいものを振り切るべく、そう言い立てる。

「何故? って、あれはきみの口から垂れたものだよ? きみのものじゃないか。どうしてきみはそれをわれわれに触らせようとするんだ?」

「はは、いじわるだな。かれは骨片にさわれなかったのだ」

「恐ろしいのだな、若いのだな」

「……っ? かっ……」

 また、喉が自動的に異物を排除した、床に、骨になりかけの牌が落ちて音を立てる。みっつ、よっつ、いつつ。こんなに口に入れてもいないのに次から次へとこぼれ、そして床に落ちたはしから骨になっていく。十あまりの牌が固まったそれは見覚えのある形をしていた。学生の頃、理科室の標本で――ひとのそれのように見えた。

 牌だった骨は歩いて、隣の部屋へと向かう。

「ずいぶん、珍しい鳥の骨だ」

「おい、きみ。ずいぶんと不思議そうな顔だ。ちょっとみてきたらどうだ?」

「何をです。……く、かっ……」

「おや、まだ粗相が続いてる。ああ、ところできみは、腹ぺこではなかったかね、どうかね、まだ腹は空いているのかね」

「戻しておるのだから、すぐに腹は減るのではないかねぇ」

「どうですかな、彼はその時、減ったことがわかりますかな」

 私の口からはまだ、ざらざらとひとだったものがこぼれてきている。

「……ああ、こりゃ多牌ですな。満貫払いだ」

 何を言う、きみらは私が、牌を食うのを黙って見ていたじゃないか……。ああ、それがひとのものだと知っていれば、口になどしなかったものを……。

 吐こうとした言葉は、濃くなった紫煙に遮られ、口から流れ続ける砂のような骨に邪魔され、声になることはない。

「どうした、口をまるで金魚のようにぱくぱくさせて」

「おおかた、腹でも減ったのだろう……」

 そんな、夢を見た。