北欧の旅 オスロ

3日目 オスロ
下船後すぐにオスロの市内観光が始まります。
オペラハウス
オスロ中央駅から歩いてすぐのオスロフィヨルド沿いにある、白い大理石とガラスが印象的な建物は国立オペラ・バレー劇場です。
大きな氷の塊が、海から浮かび上がっているかのように建てられています。
オペラハウスの外側のスロープを進むと、自由に屋上に上がれるというユニークな設計になっています。この屋上からのオスロフィヨルドの眺めは圧巻だそうです。2007年に完成したこのオペラハウスは、素晴らしい現代建築として高い評価を受けています。

今回は美しいフィョルドが広がる景色を眺めながら建物の横を歩いての見学だけでしたが、屋上からの眺めの良さは容易に想像がつきます。 
        
素晴らしいオスロフィョルド
        
再びバスに乗っての市内観光です。
車窓から見えた手の彫刻
ノルウェー王クリスチャン 4 世は 1624 年に火の後で都市を再構築することを決めた時、「新しい町ここにある!」と指さしたことを意味する彫刻です。
オスロは何度か大災害に見舞われました。1624年の大火は被害が大きかったが、クリスチャン4世による復興で、市街地はかつての場所から現在の場所に移転し、碁盤目状の街路が作られました。この時 街はクリスチャニアに改称され、文化と貿易の中心として発展を遂げました。1624年以降に構築された都市はその直角、直交する道路などからKvadraturenと呼ばれることがあります。1814年にデンマークとの連合が解消され、
スウェーデンとの同君連合下での自治を獲得すると、クリスチャニアは再び名実ともに首都となりました。
宮殿、議事堂、オスロ大学、国立劇場オスロ証券取引所などの有名な建物はこの時代に建築されました。

        
国立美術館
1836年にノルウェー国会によって創設された 国内外の美術品を所蔵するノルウェー最大の美術館です。ノルウェーの主要芸術作品を収集し展示することで、一般の人々の美術に関する関心を高めていくことを第一目的としています。収蔵品数は彫刻が約1900点、版画と線描画が約4万点。
『叫び』『マドンナ』など、エドワルド・ムンクの主要な作品が展示された『ムンクの部屋』は必見です。
        
入館するとすぐ階段があります。 階段コンコースに、クローグの作品が3枚飾られています。
        
正面の作品は、ヴァイキングによるアメリカ大陸発見を描いています。
                 クリスチャン・クローグ(1852〜1925年) 作
        
        

ノルウェーの風景画の父」と言われるダールの絵画。
ノルウェーの自然をモチーフとした素晴らしい作品の数々。

この後ドライブするノルウェー政府が指定する景勝道路ハダンゲルヴィッダでこのような景色を見ることが出来ると思うとワクワクしてきます。
    
オスロ国立美術館にはムンクだけでなくゴッホクロード・モネモディリアーニドガルノワールパブロ・ピカソオーギュスト・ロダンなどの近世ヨーロッパの作品も展示されています。
        
        
いよいよムンクの作品の展示してある部屋に。この部屋だけ写真を撮ることが出来ませんでした。
エドヴァルド・ムンク(1863〜1944)は、ノルウェーが生んだ画家です。彼は「ヨーロッパ表現主義の生みの親」として知られています。 表現主義とは、外部の情勢や形態にとらわれず、自分の心の中にある感情をストレートにキャンパス上に表現するというものです。

自身の健康面の問題や、母親と姉の「死」というものを身近に感じていた少年時代の経験、そして父親の死による耐え難いほどの孤独感が、彼の鋭い感受性に影響を及ぼしていたのは想像に難くありません。 ムンクの作品には、「死」や「孤独」、「不安」、「恐怖」をテーマにしたものが多いのもこの為でしょう。
        
「叫び」について
エドヴァルド・ムンクの有名な「叫び」の絵は、1枚だけでなく、何枚もあるということ。
ムンクは同一テーマを何度も繰り返して描き、主要作品を手放す時は必ずもう1枚描いたと言います。それは、コピーではなく、原体験へと帰り沈潜する行為で、いわば、魂の告白を繰り返す行為といえるだろう」。
「叫び」は、叫んでいるのではなく、叫びを聞いた人物が耳を塞いでいるのです。
ムンクは、保養地ニースで、血のような夕日を目にしたことで、故国ノルウェーオスロフィヨルドに太陽が沈む強烈な情景を思い出し、悪戦苦闘の末に、このイメージを画布に結実させたました。
1892年1月22日の日記に、「2人の友人と道を歩いていた。太陽が沈み、ものうい気分におそわれた。突然、空が血のように赤くなった。私は立ち止って手すりにもたれた。とても疲れていた。そして見たのだ、燃えるような雲が群青色をしたフィヨルドと街の上に、血のように剣のようにかかっているのを。友人たちが歩み去ってゆくが、私は恐怖におののいてその場に立ちすくんだ。そして聞いた。大きな、はてしない叫びが自然をつらぬいて行くのを」と記しています。


「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守る暗黒の天使だった」と、ムンク自身が後年に語っていますが、彼は生涯、母からの結核という病と父からの狂気の遺伝を強く意識していたのです。そして、この暗黒の天使は、ムンク芸術に「生涯にわたってつきまとっています。」
ムンク作品の魅力の一つは、病や狂気や死を主題とし、(母や恋人たちとの不幸な関係という)きわめて個人的なモティーフを何度も変奏することで、普遍的な象徴性へと高めていった点にあります。
ムンクの言葉「私は見るものでなく、見たものを描く」と言う事を思い出しながら作品の数々を鑑賞しました。
        
        
        
        
ムンクは長身でハンサム。女性にとてもモテましたが生涯独身でした。81歳で亡くなるまでに油彩画、版画、水彩画、スケッチなど、2万5000点にも及ぶ作品をこの世に残しました。死後その作品のすべてをオスロ市に寄贈しています。

予定にはなかったのですが この後オスロ市庁舎を案内して頂くことに。
オスロ市庁舎
市庁舎はオスロフィヨルド沿いの、多くの市民や観光客が行き交う市の中心地にあります。
毎年、ノーベル平和賞の授与式が行われる所です。長い年月をかけて1950年に完成したオスロ市庁舎は、2つのタワーを持つ煉瓦造りの建物で、北ヨーロッパの典型的なデザインです。内外の装飾には、ノルウェーの文化・歴史・労働をモチーフとした1900〜1950年の芸術がふんだんに使われています。
        
外壁には木彫りがたくさん並んでいますが、これは北欧神話エッダの物語。
        
ヨーロッパ最大の壁画を誇る市庁舎の1階大ホール

この大ホールはノーベル平和賞の授賞式が行われるところです。ノーベルはスウェーデンノルウェー両国の和解と平和を祈って「平和賞」の授与をノルウェーで行うことにしたようです。
巨大な壁画はヨーロッパ最大のものといわれています。
           
         入り口付近に飾られていたパッチワークのノルウェー地図
           

オスロ市庁舎を見学した後は昼食です。
昼食はチキン料理。チキンの味付けは上品な薄味で皮はパリパリ。今回も完食!
         

昼食の後は景勝道路ハダンゲルヴィッダ渓谷を通りフィョルド地区へ7時間のドライブ。
ロフトフースにある今夜の宿泊ホテルウーレンスバングに向かいます。