チャーリーズ・エンジェル

楽しいカッコいい超絶おしゃれなガールズムービーで私は楽しく見たのですが興行的には失敗だそうで。なんでだ。
アクション映画、スパイ映画のファンは男性ばかりで、そういう男性は女性が主役という時点で不愉快だと思ってる?? まあそういう男性もいるだろうけど、ホモソーシャルの心理なんか推察しても楽しくないし、女性はアクション映画、スパイ映画見ないってのもいまどきそんなことねえだろと思うし、仮にその傾向があったとして男性が見ない映画は興行的に失敗するかといえばそんなわけなくて、おそらく女性にも見られていないということよね。残念ながら。
この映画が現代的フェミニズムの思想を全面に押し出してるのは誰がみても明らか(冒頭のクリステン、かっこよかったねえ)。にも関わらずなぜこの映画は女性からの共感、熱狂を呼ぶことができなかったのか。
もしかしたらと思うのは今回のエンジェルたちの立ち位置がやや中途半端というか、圧倒的な、現実離れしたアイドルでもなく、かといって等身大の、自分を投影できる存在でもないところはあるかもなと。007シリーズもそうだけど、かつてはもっと単純に荒唐無稽、完全無欠だったキャラクターにある種のリアルさ(内部に抱えた弱さとか、生い立ちとか)を加えるのは現代映画の明らかな傾向。しかしそうした人物造形のリアルさと、スパイ映画としてのエンターテイメント性(ある種のバカバカしさ)を両立させるのは難しいってことなんでしょうね。コメディなのか、シリアスドラマなのか、バランスが難しくなっちゃったのかなと。
あとはあの科学者の設定もなあ、とても良いと思いつつ、最終的に彼女もフィジカルエリートを目指していくあたりはもうひと工夫があってもよかったと思います。例えば武器係になって新兵器開発するとか。頭脳で勝負するのもひとつの個性って感じになってればもっと現代的なエンジェル像が出せたのではないかと。
ただねえ、個人的には、見てる間、単純に楽しかったんですよ。おしゃれな女子がきゃっきゃしてる映画はもう基本的にそれだけで好き(笑)。感覚的には岡崎京子の(ライトな)作品を読んでるときの楽しさに近いかも。無駄話が一番楽しいみたいな(笑)。特に新人だというエラ・バリンスカですか!!あの人は良かったなあ!!手足長すぎ!!ダンスうますぎ!!
続編は難しいと言われているようですが、私はスパイ映画とガールズムービーの融合という発想自体、面白くなる可能性満載だと思うし、あの三人がきゃっきゃしてる映画ならまた見たいと思いました。願わくばもう少し無駄話多めで!!

 


「今の時代にこそ 新生エンジェルが必要よ」『チャーリーズ・エンジェル』ガールズ・パワー満載の特別映像解禁

i -新聞記者ドキュメント-

観てきました。ほんとに胸糞悪い。
いつも「取材」対象とは一定の距離を保ち、結論は観客に委ねている森さんがらしくない「締め」のコメントを入れてるのが印象的。コメントの内容は「ぬるい」と思うし、ドキュメンタリー「映画」としての質を下げてしまっているとは思うけど、それでも言わなきゃと思ったんだろうな。。。
去年、参議院選挙に向けて「シリーズ安倍政権」という投稿をfacebookにあげましたが、そのときに自分が達した結論は、この政権は国民のことを舐めくさってるってことでした。映画のなかで前川喜平さんがまったく同じことをおっしゃっていた。この政権は国民のことをバカだと思ってる。ほんとにそうだと、改めて思う。こんな「デタラメ」がまかり通る国でどうやって生きていけばいいのか。ほんとうに胸糞悪い。


『i -新聞記者ドキュメント-』予告編 | i -Documentary of the Journalist- Trailer HD

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

42年かあ。私の世代は最初に映画館でみた映画が「スター・ウォーズ」という人は多いはずで。(記憶が曖昧だけどたぶん)私もそうで。その後ガンダムにはまって。プラモデルつくりまくって。ハヤカワとサンリオを読み漁って。いまでもSFだけは読み続けていて。そんな人はたぶん世界中に膨大にいるわけで。こんなにも影響力が大きく、良くも悪くも「うるさい」ファンが多いシリーズは他にないわけで。完結編を引き受けたJ・J・エイブラムスはほんとにえらいよなと。

映画としての出来不出来とかはもうどうでもいいや。いまはただ、この長い長いサーガを完結させたエイブラムスに、その旺盛なサービス精神に拍手を送ろう。ザッツ・エンターテイメント。

 

横浜Fマリノス3-0FC東京

2019シーズンが終わりました。まあ最後の三試合が△△●では優勝できないですよね。浦和に引き分けたのは特に悔しかったなあ。なんで勝てないかなあ。

ただね。そんな簡単に優勝できるようなJリーグじゃなくて良かったじゃん!とも思いますよ。ほんとに。死ぬほど悔しかったけど、過去最高の勝ち点をあげたこと、最後の最後まで優勝争いに残れたことは素直に喜びたいと思います。長谷川監督の手腕ですよねえ。万年中位、長いこと鳴かず飛ばずだったこのチームにカツをいれてくれて。サッカーに限らず一般論としてなかなかできることじゃないですよ、停滞している組織にカツをいれるって。この経験を得たことで東京はさらに強くなる!!サポーターとしてはそう強く言いきりたいと思います。はい。

さてはて来年はどうなるかねえ。さらに強くなる!とは言ったものの不安も大きいのも事実。今年やってたサッカー、僕は好きだけど相手にとって研究しやすいサッカーでもあるとは思うんですよね。中村憲剛がブログに全部書いてやがってけど(苦笑)

これだけの成績を残したら当然相手も研究してくるだろうし、ACLに参加できることは嬉しいけど積年の課題である選手層の薄さが余計に響いてきそうだし。あとあれよね、来年もオリパラのせいで夏以降に長期アウェイがありそうなんだよね、たぶん、、、替えのきかない主力(特に高萩!)の高齢化も気になるところ。正直今年以上の成績をあげるのは相当に難しいと思う。

だからこそ大事な大事なオフシーズンになりますね。ここばかりはフロントの仕事。補強ポイントは明確なんだし、せっかくの賞金、強化資金をしっかりした投資に振り向けてほしいと思います。監督、選手、現場スタッフの皆さまはゆっくり休みましょうね。ありがとう。楽しかった。

ジョーカー

鑑賞直後、なぜかティム・バートン版のジョーカーがロバート・デ・ニーロだった気がしてて、それは単純に恥ずかしすぎる勘違いなんだけど(正解はもちろんジャック・ニコルソン)、今回ホアキン・フェニックスが演じたジョーカーって、ヒース・レジャー含む歴代のジョーカー以上にトラビスに似てる気がするよね。蔑まれ、無視され、屈服させられてきたものたちの狂気。偽善者への怒り。映画を観た直後はホアキンの踊りの妖艶さにやられまくって、こんなにも美しいジョーカーに感情移入できないようなやつは全員ぶち殺せばいいんだ!!みたいな気分になったんだけど、さていま現在のこの世界でジョーカーに共振する人ってどんな人なんだろうと思うと暗澹たる気持ちにもなる。おそらくこの映画のなかでジョーカーに心酔する大衆たち(ピエロたち)の鬱屈って、トランプとかボリスとか、ああいうポピュリストを支持してる人たちの鬱屈と重なりあうんだよね。そしてたぶん日本のネトウヨたちとも。もちろんレッドネックやネトウヨの差別的言動、特に恨み辛みのはけ口がカースト上位の奴らじゃなく自分たちより下位(と彼らが勝手に思い込んでるもの)に向かう姿勢には一ミリも共感しないけど、ただなんつうか、ピエロの不満を吸収し、破滅を先導しているのがジョーカーではなく現実の政治のトップだったりする現代はゴッサムシティ以上の地獄だよなあと。。。
ただね。そんなことを考えさせることも含め、映画としては大変な傑作だと思います。「悪」であることになんの理由も一貫性もないことが最大の魅力だったジョーカーに「理由」を与えること自体に賛否はあるはずだし、僕も正直企画としてどうんなんだと思ってたんだけど、あえてそこに踏み込んだトッド・フィリップスの勇気と力量に。そして何より、とびきり美しかったホアキン・フェニックスに。最大の賛辞を。

 


『ジョーカー』心優しき男がなぜ悪のカリスマへ変貌したのか!? 衝撃の予告編解禁

FC東京1-0ベガルタ仙台

秋の連チャンアウェーの日程が発表になりましたね。残り少ないホーム戦。

試合自体はむしろ仙台の戦略通りに進んでいたのではないかと思います。ボールは持たせてオッケー。むしろ持たせたうえでがっつり後ろ、特に中央を固める。奪ったらまずはセンターフォワード(名前なんだっけ)にあてて、キープからサイドへ。一番素直な東京対策で、シマオ・マテと前述のCFの強力なフィジカル、スピードがあるからこそ成り立つぎりぎりの戦略、とはいえばっちり機能していたと思います。バイタルの手前あたりでサイドチェンジを繰り返して中が空くの待つのもチームオーダーよね。きっと。前半も後半もシュート数は仙台の方が多かったんじゃないかしら??

しかしそれでも1点取れるがどちらかといえば東京という。これが強いチームの勝ち方よねという勝ち方でした。

仙台の監督はPKのやりなおしに疑義を呈しているそうですが、どちらかといえば永井がもらったファールが果たしてPKなのk(げふんげふん)。まあでも、永井のこれまでの試合での「走り」がもたらしたPKだということにしときましょう!!審判からの信用ということも含めてね。

いやー、しかし強いな、東京(笑)。勝っているというのは偉大なもので、前半は閉塞感強かったと思うんだけど、ハーフタイムの喫煙所の雰囲気がやたらとポジティブで。選手もサポーターも楽しんでるし、観客もよく入ってるし、この循環が最後まで続けばひょっとしてほんとに、、、(まだこわいから口にはしないww

 


【公式】ハイライト:FC東京vsベガルタ仙台 明治安田生命J1リーグ 第22節 2019/8/10

表現の不自由展・その後、のその後について

こちらもFecebookからの転載です。

 

前回あえてあまり触れないようにしていた津田さんの責任については、説明不足、準備不足により結果として作家の表現機会を奪ったことに重い責任があると思います。津田さんはこれからも継続して、何を意図して、どうのようなプロセスで「表現の不自由展・その後」を企画し、実施し、中止したのか、丁寧に説明していくべきだと思います。一方で、美術の専門じゃない人にやらせるからこんなことになるんだ系の意見については、まあそうかもしれんけどつまんねえ話だなあと思っています。

 

津田さんとは前に一度だけ話したことがあって。その時の印象は見た目よりはるかに真面目な人というもの。炎上を狙っている(と取られても仕方ない)SNSでの振る舞いは僕も好きじゃないし、政治的な指向についても自分とはかなり違いがあると思う。ただ彼が芸術祭で遊んでる、政治的な主張のために利用してるとまでは思わんなあ。そう思われてしまうのもまた彼の普段の言動ゆえとはいえ。大真面目にやってると思うよ。

 

私は表現の不自由展の話が出てくる前、アファーマティブ・アクションの話がでてきたときに、ああ、これは芸術の専門家からはでてこなかった視点だなあと思ったのよね。日本国中に似たような芸術祭が乱立するなかで、はっきりした個性を持った芸術祭がでてきたと思った。

 

もちろんそう感じることの理由のひとつに、自分自身も美術の専門教育を受けて現代アートの仕事をやってるわけじゃないということもあるとは思います。私の意見にもバイアスはあるでしょう。それでも私は芸術祭の新しい可能性を拓くうえで、愛知トリエンナーレが芸術監督の経験がない人に、純粋な芸術の専門家でもない人に芸術監督を託したことには一定の意義があったと思うのです。

 

だいたいですねえ、芸術祭が芸術の専門家だけが仕切る領域であって良いはずがないですよ。そうやって自閉していくのはほんとうにつまんないと思うんですよ。確かに十分な経験(予測能力)がある人が愛知トリエンナーレを仕切ってたらこんな騒動は起きなかったと思いますよ。この騒動が結果として表現の自由を制限する動きを強化していまう恐れがあるというのも(とても残念なことではあるけど現実として)その通りだと思います。でもなんつうか、それって報道の中立を建前に議論すべきことを議論しないテレビ番組みたいじゃないか!!

 

私は芸術祭こそラディカルな実験と対話の場であってほしいと思っています。そのためにもこれからも芸術の専門家以外の人との協働は進めていくべきだと思うし、この騒動に関する議論が芸術のことは芸術の専門家に任せるべき、みたいな閉塞的な結論に陥らないことを強く願っています。

 

あえて補足するのもかえって失礼かもしれんけど、アーティストやキュレーターのみなさまの美術に関する高度な専門性を軽く見ているわけではないことは念の為に補記しておきます。