不倫の相手の子供を堕胎した野々宮希和子(永作博美)は、子供を産めない体になる。そんな中相手の妻が子供を出産したと知り、彼女は一目だけ赤ん坊を見ようと家に忍び込んでしまう。泣いている赤ちゃんを抱き上げたとき、赤ん坊は笑顔をみせた。希和子は思わず赤ん坊を抱いて外へ飛び出してしまう。
逃亡生活の中で希和子は子供として赤ん坊を「薫」として育てるが、逃亡生活も4年間で終止符が打たれる…
かつて誘拐された秋山恵理菜(井上真央)は、大学生となり一人暮らしをしていた。
誘拐されて以来、実の両親とは他人のように接し生きてきた彼女。
そんな折、ルポライターの千草(小池栄子)が事件のことを取材しようと恵理菜に接近してくる。当初は事件に対しての関心が薄かったが徐々に関心を抱く恵理菜。そしてある転機が訪れたことで、両親や誘拐犯、そして自分自身を見つめなおす機会を得ることになるのだった。
観賞日
2011年5月13日
【75点】
今年は意図的に「母親」を描いた作品を多く観ている。
(『愛するひと』、『毎日かあさん』、『キッズ・オールライト』など)
それは、今年公開の映画で「母親」を描いた作品が多いからでもあるし、時代が女性を描くことに集中しようとしているように感じたからだ。
そういう流れの中で観ない訳にはいかない。
ちなみに原作とドラマ版はみておりませんのであしからず。
それらの作品と比べると、今作もテーマとしては「愛」が大きいところだと気付く。
しかも報われない、理解されない可能性を孕む「愛」だ。
社会的に許されない誘拐という行為だが、希和子の苦しみや境遇を考えると観ているこちらもあまりにも悲しくなる。
彼女は子供をただ愛したかっただけ。たったそれだけを求めたのだ。
一方で、恵理菜の母恵津子も悲しい。
子供が自分になつかないということで(最も重要な幼少期を共に過ごせなかった)、一種のヒステリックに陥る。
彼女も子供を愛したかった。だが、わだかまりができてしまっている以上もはやそれは叶わない。
母性が引き起こす悲しみ。絡み合った人間の中で生じたたった一回の衝動。
今作は、『悪人』とは全く逆で、悪人が出てこない映画とも言える。
少なくとも観る側にとってはそう見える。登場人物の誰にも共感できる部分がある。
やっぱり男が…みたいなのは相変わらずですが。
なぜ、『悪人』と対比的に見えるかと言えば、『悪人』が突発性の高い一事件の短い期間を切り取ったのに対し、『八日目の蝉』は長い期間を切り取ったからだろう。
『八日目の蝉』に関しても、誘拐したところ”だけ”や母親がヒステリックを起こすシーンだけを切り取ればそこにはエゴが映る。
だが、長い期間の逃亡劇、そして年月の経過という背景があることでグッと人間性への見方が変化し、私たちが感じる印象も大きく異なるのだろう。
物語は、誘拐・逃亡と現在の恵理菜が平行して描かれるスタイルだ。
けっこうポンポン現在と過去が切り替わるので、わかりにくくなるかなと思ったがそんなことはありませんでした。
むしろ、同じ景色を現在と過去で見せられることで何だか郷愁を感じさせられる。
同じ景色でも物語上時間の流れがあるために、本来は意味をもたない同じ景色が画面上では違うようにみえてくる。
微妙に変えているのもそういった狙いがあるのだろうか。
ひとつ難点に感じたのは、物語が若干冗長的だったかなという印象。147分なんでそこまで長くはないはずなんだけれども…もっと長く感じた。
人物の表情を長めにみせる場面が多かったり、風景を見せる場面が多かったのがそういう印象を与えたのかもしれない。
表情の描写が長所でもあるから、一概に長さを問題するわけにもいかないだろう。けっこう要素を詰めに詰めてこの尺になった気もするし。
こういった静かな映画だとより演技が問われるが、今作はその点で非常に優秀だったと思う。
どちらかといえば井上真央が出ている作品は『花より男子』のようないわゆるライトなものが多いというイメージがあったので、今作のキャストを観たときに「このストーリーで井上真央で大丈夫か?」という印象だった。
だが結論としては、「大丈夫だ。問題ない」だろう。
井上真央は、
擬似母の愛を4歳まで受けて、その後はある意味”他人”の家で過ごしてきたような状態の恵理菜をどこか物寂しげな表情で演じきってみせた。
ぼんやりと常に何かを探し求めているような感じが、自分自身を求め続けている恵理菜の心境と重なる。
難しい役どころだろうに…って感じながら観てました(笑)
永作博美はもちろん最高だ。
冒頭裁判所でのシーンでは、”薫”を奪われた彼女の何ともいえない表情が印象的。
撮影が明らかに演者の表情を映すことに注視していることからも、このシーンでの表情の役割が如何に大きいかがわかる。
島で”薫”と過ごした日々の中でみせていた幸せな表情とはあまりにも違う。
この作品を最後まで観終わったときにいかに冒頭のシーンが重要なものであったかが思い知らされる仕組みだ。
冒頭で彼女はまさに抜け殻のようになっていたのかもしれない。
意外や意外、
ルポライター千草役を演じた小池栄子の演技・雰囲気が良かった。
一見の価値のある、一癖のあるキャラクターで面白い。
このキャラクターは千草自身の背景が影響しているのだが、それが発覚したときに思わず納得した。
納得したということは、つまり小池栄子の演技が説得力のあるものだったという証拠になるのだろう。
本来七日しか生きられない蝉が八日目を迎えたときに何をみるのか。
きっと希望も絶望もそこには内包されていて、そこにたどり着いたものにしかわからない。
非常に悲しげな作品だが、
ただこの作品が希望の作品だったと私は信じてやまない。
主題歌:中島美嘉の「Dear」にある、
<あなたにもらった全てのものが 愛だと気付いたから>
<あなたがくれた愛を 永遠に抱き続ける>
という歌詞が
全てをあらわしているだろう。
予告編はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=H0nPFQ54QvM
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