本屋のほんね このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-07-14 4ヶ月たって 2 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

僕たちが連れてこられた橘高校では、体育館と柔道場が避難所として開放されていた。柔道場は部屋も小さく、暖房が効いているということで、お年を召した方や体の不自由な方が使用されたので、僕らは体育館のほうに行くことになった。体育館にはパイプ椅子や体操マットなどが用意されており、照明もついていたので第4小学校のときよりも格段に過ごしやすかったが、やはり寒さが尋常じゃない。ストーブが2台あったのだが、天井高のある体育館のスペースを暖めるのに十分とは言えなかった。

とは言え、電気がついているというのは非常に大きく、数少ない電気のコンセント口は充電が切れかけたケータイを何とかしようとする人たちが殺到して、充電器ですぐに埋まってしまった。たまたま僕ら3人は全員がiphoneを使っていて、僕がiphone用の充電器を持って来ていたので、交代で充電を始めた。

電話はこの時点でもまだ全然つながらなかったが、twitterは正常に動いていることがわかり、僕らは情報収集のためにタイムラインを眺めることにした。

「chakichakiさん、九段会館屋根が落ちたそうですよ。ミューザ川崎崩壊したらしいです。東京も相当揺れたみたいですね」

と同行しているNさんが報告してくれた。僕は自宅の家族にまだ連絡がついていない状態。不安が募る。

「うちの店はどうなってるんだろうなー、今日戻るって言ってたからなー」

自分の店に何とか連絡を取ろうとしているのはM店長。M店長の店舗停電になってしまったので、営業時間を短縮し早めに閉店したのだが、電車も止まってしまったため、帰宅できずに暗闇の店舗に取り残されてしまった自店のスタッフと連絡がつかなくて心配しているのだった。

僕のタイムラインには、津波の情報がRTで流れてきていた。自宅に津波が押し寄せてきて家がめちゃくちゃになっている写真投稿されていて、第一波でこうなってしまって何とか生き延びているが、第二波で今来た以上のが来たらもうダメだと思う、とあった。衝撃的な写真だった。どうやら太平洋岸は大変なことになっているらしかった。実のところ、このツイートを見るまで、津波に関してはまったく意識もしていなかった。たまたま今回僕がいた場所は内陸部の中通りだったので津波は来なかったが、福島でも浜通り側に店があったら、危機感ゼロだった僕はおそらく津波に飲み込まれていたことだろう。

僕らがそれらの情報をお互いのiphoneをまわしながら共有していると

「すみません、iphoneの充電器を貸していただけないですか?実は知人がこの避難所に車で向かってきてくれてるそうなんですが、iphoneの充電が切れてしまって連絡がとれなくなってしまったんです」

と男性から依頼をもらう。我々も充電は十分ではなかったが、困ってらっしゃったようなので、優先的に充電してもらった。先ほどの津波の写真を見せると、

「これは…。海側はこんなひどいことになってるんですか。実は迎えに来てもらってる知人もいわきのほうから来てくれてるんですよ」

と青ざめた表情で心配していた。この方は結局、iphoneの充電が終わらないうちに知人の方が車で迎えに来られ、スタッフの方の呼び出しがあって無事に去っていかれた。

そうこうしていると、ボランティアの方で炊き出しをしていただいたらしく、カレーとけんちん汁の配給があった。ここで温かい食べ物が食べられるとは思っていなかったから、これは本当にありがたく頂いた。炊き出しのスタッフの中には、橘高校のジャージを着た学生さんの姿もちらほら見かけたので、市役所の職員の方以外にも、学校の方も多数の方が手伝いに来られていたのだろうと思われた。頭が下がる思いだ。

けんちん汁の材料になっていた野菜も、近くの八百屋さんから提供をうけたものだという事だった。その八百屋さんは、ちょうど長らく営業していた店舗を閉めたところで、このままだと野菜も捨てるしかなかったからぜひ使って欲しいということで無料で提供していただいたのだと言う。

僕は、ただただこの非常時に発揮されている地元の方の助け合い精神に圧倒されていた。あらためて僕は御礼を申し上げたい。あの日に橘高校で僕らを受け入れ、なおかつ徹夜で働いてくださった皆様、本当にありがとうございました。

外は完全に雪になっていた。市役所からは毛布が支給されたが、全然数が足らず、2〜3人で1枚という感じだった。毛布を入れていた袋がアルミ包装だったので、みんなその外袋も毛布代わりに使っていた。カンパンも一人につき1個支給されたが「生命のパン」と書いてあり、何だか本当に生命の危険を感じるぐらいになるまで開けたらいけないような気がして手を付けることができなかった。

避難所でやることも無いし寝るしかないのだが、寒くて眠れない。僕らの隣のグループは、大学生のグループで夜通ししゃべることで夜を明かすつもりらしかった。よく見たら彼らはスーツを着用していた。なんでも東京から福島まで就職活動に来ていて面接を受けていたら地震になり、電車も止まってしまって帰れなくなってここに来てしまったらしい。結構似たような境遇だ。

そのまた隣のグループは、わりと年配の女性の方々でしきりに寒い寒いとおっしゃるので、同行していたNさんが橘高校の人に何とか柔道場のほうに入れてあげられないかという交渉をしていた(結局ダメだったのだが)。

僕もあまりにも寒くて眠れなかったので、外に出て何か毛布の代わりになるものが無いか探しに行くことにした。

比較的近所に停電もしていない無傷のセブンイレブンを発見したので店内を物色する。まずATMが生きていたので念のためセブン銀行お金をおろしておいた。商品棚は当たり前のようにガラガラだったが、昨日の新聞が売れ残っているのを発見。そう言えば新聞は毛布代わりになる。しかも安いし。

ということで、同じ新聞を3名分買って持って帰ることにした。ついでに土地勘が全然ないのは明日以降も困りそうだったので、福島の地図も購入する。するとレジの店員さんが僕が地図を持ってきたことに目を留められ

「今からどこかに行かれるんですか?止められたほうがいいですよ。あちこちが通れなくなってるみたいですから」

と注意してくれた。福島は優しい人たちばかりだ。ちなみにこの店員さんご自身も、宮古に住んでいる家族の安否の確認がとれていない状態で働いているという。心配だけど行くこともできないしねぇ、と若干疲れの見える顔で微笑んだ。

買ってきた新聞紙は大好評だった。足に新聞紙をぐるぐる巻きにすると、毛布並みとまではいかないものの、かなりの寒さを軽減できる。Nさんは自分の分を減らして隣の年配の方にも新聞紙を分けて配っていた。本当に偉いやつだ、とM店長と一緒に感心する。

これでやっと眠りにつけそうだった。長い一日がようやく終わる。明日はどうなるのだろうか。

つづく

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