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2006-11-24 文系教授の恐ろしさ

[]文系教授の恐ろしさ

お断り:えっと、100%主観の話をします。


大学に入ったとき、(文系の)教授たちの勉強量というのを

垣間見ることがちょくちょくあったけれど、

それを見て、ああ学問の世界に自分は無理、と

早速挫折した記憶がある。


理系は、他人に話を聞いてほしくばまず英語で書け、という

素晴らしい効率化がなされているけれど、


文系は、興味があるなら俺の母国語を勉強しろよ、

という世界である(わりと)。


で、その国の言葉を勉強すれば理解できるかというと、

んなこたーない。

行間というものがどの国の言葉にもあって、それを理解しないことには始まらない。

国際的に共通した術語の定義がされる理系と違って、

国ごとに概念の集合(たとえば”愛”が何を指すかとか)が違う自然言語

そのまま利用している、もしくはオリジナルに概念を製造しているので、

つまりはその国の文化や時代性を理解しないことには、「専門」として

語るまでにたどり着かない。


たとえばドイツ哲学者の誰かを研究するとしても、

日本人にはない下敷き−キリスト教とかギリシャ悲劇とか−をさらわないと

まず問いの設定からして理解できなかったりするところから始まり、

原語で著書を全部読破するのは当たり前として、

(翻訳はその時点で翻訳者の”思想”が入り込んでいるので1次文献にはならない)

大体その哲学者自身があの世にもめんどくさいラテン語ギリシャ語の文献を

参考にしていた日にはそれらの原書にもあたり、

その哲学者に心酔したフランス人哲学者に興味を持てばその人の原著にもあたり、

もちろん各国の先行論文にも目を通し分析し・・

・・・って何ヶ国語修めりゃいいんじゃおりゃあ!(怒)

みたいなことになる。

(しかも”研究”はそこから始まる)


少なくとも文系の学問を続けるよりは、

就職氷河期で泣きながらさまよったほうがまだ楽だ、

と痛感したのでありました。


もし私が(皆さんより)遠くを見渡せていたのだとしたら、巨人の肩に乗っていたからです。

ニュートンが言ったそうで、理系の人からはよく”巨人の肩”表現を聞く。

謙虚さに満ちた美しい言葉であるが、

追求したいこと、解決したいことがある程度共有されていて、

その研究においてそれぞれ体系がきちんとしてる理系だから言えたともいえる。

(一番手だけが抽出されて後が捨てられるという世知辛い習わしの成果ともいう)


文系は、文系にもよるけど、

「肩ってどこ?」「巨人ってどこまで?」みたいなことになっているので、

「どちら様が最後尾ですか!?」

と聞いても

誰が最後尾かなんて最後尾の人にもわかんないんだから、

誰も答えてくれない。


相当研究して、

「俺こそがメタだ!」

と主張してみても、

「そうゆうメタもあるよね」

になり、

「そのメタ隣の巨人で100年前に既出」

と言われ、

止揚され、アナロジーに組み込まれ、消費され、古びていく。

だから、もう見渡す系はあきらめて、

○○と○○の関係、みたいな、

ニッチでミクロな世界の探求に勤しんだほうが無難ではある。

あ、ここら辺は理系でもそうか。


とにかく、そういった業界で、ふてぶてしく生き残り、

ましてや頂点にいるような文系教授達というのは、

適当なことを言って、楽して暮らしているようでいて、

物凄い知識の蓄積が脳に刻まれているのであって、

私たちが10冊や20冊本を読んで仕入れた知識の受け売りや、

私たちが昨日今日”考え付いた”「新しい概念」なんてのは

ニコニコして聞いてくれていながら、

(ありがちなメタだねぇ。若いねぇ。)と

心の中で軽く瞬殺しまくっている、恐ろしい人種である。


社会に役立ってるか、と言われれば、そういう観点から行くと

評価されないかもしれないけれど、

気の遠くなるような情報収集に昼夜明け暮れながら、

人間を「文化」という長期スパンで捉え、分析し、考え続けてくれる

役割の人たちは、絶対に必要な、稀少人種だと思う。

・・・・怖いから近づきたくないけど(トラウマ)。

ゆうゆう 2006/11/25 09:46 以前、知り合いの大学教員が、「人文系の大学の先生って、頭の中がすでに Google になってるよね。だから、彼らには Google なんていらないのかも」なんて、半分皮肉、半分本気で言ってました。ブラウザを立ち上げて Google にアクセスするよりも、素早く正確な情報を引き出せるという意味なんですけど、確かにそういう人の前で発言するのって勇気いりますよね。(^ ^;)

現役大学院生現役大学院生 2006/11/26 11:33 「主観」と断り書きがありますが、少なくとも旧帝大クラスの教授たちは3〜4年の勉強程度では絶対に勝てない気がします…

理系の印象理系の印象 2006/11/26 21:29 すごい人は同じ人間かと思うほどすごいですが、専門外のことを不勉強なまま語っちゃう人も居ますし。
実は教授さんたちの世界でもパレートの法則が成立していたりするのかも、と思いました。上位20%の人が80%の知識を持っていて、そのスゴい人たちが分野を引っ張っているのではないでしょうか。

chanmchanm 2006/11/26 23:25 ちょっと脱ウェブな環境にいた間にコメントいただいててありがとうございます。

>ゆうさん
ああぁー、わかります。。>頭の中がすでに Google
もちろん全ての情報を網羅してるわけじゃないですけど、
膨大な知識がしかもきちんと自分の中で整理され、リンクし合って、ページランクまで付いているかんじ。
勇気要りますよね、、たまに知らないひとがお気楽に自説開陳しちゃってるのを傍から見ると「ひえぇーやめとけよぉー」とこっちが恐ろしくなります。いや、何されるってわけじゃないんですけど^^;

>現役大学生さん
ああもう全然無理っすよね>は3〜4年の勉強程度では絶対に勝てない
(私は旧帝大じゃないけど、、)
文系の卒業論文が、ある意味”書けば卒業させてくれる”みたいなことになってるのは、本当にやるなら4年で何か書けるものなんて全くなく、語学を修め知識を仕入れるだけで最低10年かかってしまうせいだと思われます。。

>理系の印象さん
そうか、教授さんにもすごいひと普通の人、いろいろ居るかもしれないですね。私にはその判断が出来る能力がなかったけど。。
私が出会った文系教授たちはみんな、その言動の裏に気が遠くなるほどの勉強量、知識の蓄積量が垣間見えてましたけど、あれがもし「普通」だとすると、すごい人ってのはもうほんとに恐ろしいことになってますね。。

元文系院生元文系院生 2006/12/23 20:06 文系教授にもパレートの法則が適用可能であるに一票。
本当に博学なのは、一握り。あとは、専門領域に詳しいだけ。いくつもの専門領域を有機的に(古いなこの言葉)結合して、そいつをうまく他人の前で引き出してみせることができる奴は10人に2人くらいか

chanmchanm 2006/12/24 01:07 >元文系院生さん
どもです。院まで行かれるといろいろ実情がわかるのでしょうか。
私はアホな学部生だったので、全部の教授が雲の上に見えていました(単純)。うーん確かに似非っぽい人もそういえばいなくもなかったような・・。
理系は見てると、陣頭指揮を取る人以外に、手を動かして貢献する系の人も大量にいると思うんですが、文系の先生は基本的に一人でやってこうとしてますね。文系もそうやって、適材適所で(能力に応じて)役割分担するとよいのかなあ。

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