ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫

映画ライフオブパイの超長編ネタバレ/その他映画のレビュー/あと気がむいたときに羽生くんを応援

『ジュラシックワールド』その2

●オープニング・テンプレ●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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このブログは基本 映画のネタバレ レビューです。

作品をまだ観ていない方はご遠慮ください。
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今回は『ジュラシックワールド

すでに作品を鑑賞済みの方は、
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↓スタート
その1:映画comに 投稿済みと同内容
その2:このページ
その3:

とお進みください
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追記

【ホスキンス】

オーウェンの引き立て役であるホスキンスがですが、そのルックスが極端なブサ設定でなかった点が、キャスティングのセンスいいなと思いました。オーウェンと正反対の冷酷なタイプ(ケヴィン・ベーコンとか若い頃のマイケル・ダグラスとか)にしなかった点も。
劇場用パンフのP06〜07に、オーウェンとホスキンスが対比しやすいレイアウトで載ってるんですが、どっちも意外と近いルックスだ。目元チャーミングだし歯並びもきれいで、少なくともワタシ的にはヴィンセント・ドノフリオのあのヴィジュアルはアリだ。キャラ設定がヤなだけで。
オーウェンが年とって劣化して太ったら、ホスキンスとそんなに大差ないヴィジュアルになると思う。
オーウェンの将来がホスキンス? ではなくて、
ホスキンスみたいなのが一昔前のアメリカが掲げていたヒーロータイプって意味ではないかと。




【ザラの最期】
これだよね。一番受け入れ難いシーンは。
劇場内でなんだこりゃと思ったし、観終わった後、何度反芻しても意味がつかめず考え込んでしまったよ。

恐竜の犠牲になるにしても、何であんな見せ物みたいな、おもちゃみたいな酷い最期にしなきゃならなかったのか。


勧善懲悪?
「1」でも、子供達を見捨てて自分だけ助かろうとした金の亡者の弁護士が、便器に腰掛けた情けないシチュで食われましたが、ザラは? 勤務中に子供達から目を離して私用電話してたけど、そんな罰されるような悪役設定じゃないし。
もし勧善懲悪のつもりなら、悪役として印象づける演出が足りない。恐竜の胚を盗もうとしたとか、上司(クレア)を失脚させようと画策して、そのせいで印度美奈子が逃げ出した とか。


死亡フラグ
私用電話で、もうすぐ結婚するみたいな話でしたが、もしかして「死亡フラグ」のつもりなのかしら。だとしたら完全に勘違いだよな。
単純に {結婚する予定の人が死ぬ=死亡フラグ} ではないよね? こいつイイ奴だ死んでほしくないと思わせる設定で、でも死ぬんだろな と先が読める設定でないとな。


モブの一人?
発想の転換。ザラを印象づけるシーンではなくて、翼竜大暴れ&モササの見せ場 のシーンなのかな。
でもそれだったら、犠牲者は名もないモブの一人であるべきだ。なまじ名のある脇役だから、恐竜の方ではなくザラに意識がいってしまう。

なぜザラが犠牲者でなければならなかったのか?

ザラの位置づけは、モブではないが、感情移入できる主要キャラでもない。
観客とは単に「顔見知り」程度。それでもモブキャラの場合とは犠牲の痛みが雲泥の差だ。
「2」で、サンディエゴに上陸したTレックスに襲われて、くわえられて必死にもがき、それでも逃れられなくて食われた市民がいたけど、正直「なんて酷い!」とは思わなかった。主人公達は必ず助かるお約束だし、所詮 記号としてのモブキャラだから。なぜあの人が食われなければならなかったのか? と悶々としたりはしなかった。
モササのショーで餌になった鮫の犠牲に心が痛まなかったのと同様に。

見せ物のために活き餌になるのが動物なら平気で、人間ならNG扱い?



勘違いかも、こじつけかも という自覚はあるが、
ちょうど今、映画『ライフ・オブ・パイ』のレビューを書いていて、その関連で、原作小説『パイの物語』も読んでいて、原作は映画と違って、動物と人間はどう違うのかの問題提起がたくさんあるもんで、どうしても関連づけて考えてしまうんですよ。
人間が動物に対して平気でやっていること(主に食関係)を人間が人間に対してやったら…という示唆が。

平均的な日本人にとって魚は速攻食材だし(海で泳いでいる時点でうまそうと思ってしまうわ私なんか)、マグロや大鯛の兜焼きとかごちそうの部類だし、頬肉とかマグロの目玉が大好物という人も少なくない。が、他国の人にとってはグロ趣味だと見なされる場合もある。
魚はともかく、豚の丸焼きの、目鼻の面影を残している頭部に包丁を入れて皿に取り分けられたりすると、私はちょっと引くかも知んないし。

小説『パイの物語』の中では、人食いの描写が詳細にして酸鼻を極め、死者の顔面の皮を剥いで、内臓も細切れに…という箇所もあって、でも、それって人間が他の動物に対して当たり前みたいにやってるんだよな、と考えさせられる。
生き物の命をいただく以上、余すところなくいただくのが供養。死んでいただいた命に対する礼儀 という見解は正論のように思えるけれど、自分の大事なペットや友人や家族などの死体が、骨までしゃぶられて、皮も骨も資源として利用され尽くしたら、供養だと思えるかどうか。人によっては遺体を傷つけないでほしいと思う人もいるだろうから、すべての人が同意する見解にはならない。


で、大きく迂回しましたが、
単なるモブではなく、観客とちょっとだけ顔見知りのザラが犠牲に選ばれたのは、恐竜が暴れ出したときの「取り返しのつかない事態」を強調するためなのかな、というのが辿りついた結論。
ドラマツルギー的には納得のいかない破綻したようなシーンだが、そもそも現実には、事故の犠牲者の死は納得なんかいかないものだし。

だとしたら、酷い!と憤慨してるワシ等は、作り手の狙いどおりのリアクションを提供していることになるわけだ。

「1」の志を受け継いで、恐竜の復活なんか絶対に実現させちゃいかん!! という警告も、作品の主張のひとつなのではないかと思うんですよ。



「1」は楽しかった。夢の世界だった。
ただ、楽しすぎて警告の部分が薄れてしまった。20年前は空想じみた発想の映画だったが、その後、バイオテクノロジーがどんどん進歩して、ニュースで「いよいよジュラシックパークの世界が現実に!」と誇らしげに報道されるようになり、アメリカの実業界がアップを始めました、になっちゃったでしょう?

技術的に可能で採算がとれるなら、……採算がとれるどころか莫大な収益が見込めるなら、「アメリカンドリーム」の美名の元、たやすくGoサインが出されるだろう。
そうなる前のリアルな警告ではないのかな。

ジョン・ハモンドは(原作と違って)夢を追いかけるおじいちゃんで悪者じゃなかったし、クレアもマスラニも特に悪人ではない。
でも営利企業がいったん着手したら、利益の追求のために次々に新機軸を打ち出していかなきゃならなくなって、映画の中のように危険を省みず、新種のキメラに手を出さざるを得なくなる。
軍事への転用も、決して「映画の見すぎw」ではなくて、現実味のある予測だ。

作品の抽象的なテーマ性(支配するのではなく信頼関係を)と、近未来に向けてのリアルな警告 この両方を盛り込もうとして、やや反りが合わなくなってしまったような気がする。翼竜大暴れの中のキスシーンとモササ・ショーの活き餌のザラ。




で、
警告を好まない観客は、作品の欠点ではないことを非難する。

「警告」がムカつく。「警告」が楽しさを損なう、と。


見せ物としての恐竜復活を許したら、恐竜がペット扱い、おもちゃ扱いになっちゃうぞ、という警告の意味で、子供達が草食竜の子供と遊ぶシーンがあるのに、それを「許せない!」と映画の欠点みたいに憤慨するレビューもあったもんな。

私はあのシーン見たとき、まさか園内のレストランで、恐竜の料理とか出してるのかとギクッとしたよ。幸いそんなシーンは流れなかったけど。現実の牧場併設のレストランなんかじゃあるじゃん。子羊や子豚やヒヨコと「ふれあい」を楽しんだ後に…
ベビートリケのカブト煮はコラーゲンたっぷりとか、ステゴザウルスの尾の身のステーキとか、
営利企業が恐竜を扱ったら十中八九そうなるよ。だから断固として恐竜の再生はダメ!絶対!!
! 
そういう警告のシーンは映画の欠点じゃ無いから。



恐竜のテーマパークは映画の中だけの夢にしとくべきだった。これから先は悪夢。続編が早々に決定しているそうだが、大きく方向転換するだろうから「1」の「あの感動をもう一度」というノスタルジー派はまた怒り狂うのかな。

遺伝子操作した新種の恐竜という設定に、恐竜じゃなくて怪獣だと憤慨する人も少なくなかったが、そもそも「1」の段階で、恐竜の血液中のDNAの欠損部分をカエル(両生類)のDNAで補ったため、勝手に性転換して不純異性交遊にタンデキして近頃の恐竜の風紀の乱れは目に余りますわ!という事態だったわけで、最初から恐竜亜種なんですもの。
美奈子ばかりを怪獣呼ばわりするのはひどすぎる。



【美奈子の世界】

で、初めの方にちょこっと書いた、美奈子が食わないのに殺した件ですが、

『パイの物語』
ヤン・マーテル
に、動物のテリトリー意識に関しての記述があって、己のテリトリーへの侵入者と見なした場合、空腹とは無関係に殺す(攻撃する)。というくだりがある。(←要約してますよ。すごく。上巻の最初のほう)

巣に近づく人間を親ガラスが攻撃するとか、子連れの熊に出くわして、小熊を守ろうとする母熊に襲われるとかいうケースですね。



本作においては、ラプターのエリアに落下した飼育員をオーウェンが救う場面。
ラプターが空腹だったら、相手が誰だろうと食われていたはず。
ラプターは、突然降ってきた人間を、自分たちの安全を脅かす侵入者だと思ったからジリジリ前進してきた、
(このシーンに字幕をつけるとしたら、「腹減った」「うまそう」「どっから食おうかな」じゃなくて、「なんなのアンタ」「喧嘩売ってんの」「ココどこだと思ってんの」になるはずだ)
だから制止するオーウェンは、危害を加える意図が無いことを示すために、己の危険を省みず発砲を許さなかった。

で、
美奈子は、草食竜を「目障りな侵入者」と見なしたから殺したんだと思うわけです。

客観的には、自分に割り当てられた囲いを破って、草食竜のテリトリーに侵入したのは美奈子なんですけど、美奈子には「客観」が無い。
人工的に作り出され、親がいない。兄弟(姉妹だっけ)は自分が殺した。同族、同種の仲間がいない。
視界に映るものがすべて自分の世界で、見慣れない不快なものは排除すべき侵入者というわけです。

人間に置き換えると、人混みの中を突進してくる自己中なオバハンみたいなかんじ?「どいてちょうだい! 急いでるのよ! なんでアンタ達 ワタシの邪魔をするの!! 」と、自分が周囲にドカドカぶつかって迷惑かけまくっているのに、被害者はワタシ、みたいな。

美奈子もきっと「なによあなた達! 美奈子のお部屋に入ってこないでよ!」って、怒り狂って、自分のテリトリーで平和に草を食べてた草食竜に襲いかかったんだと思います。

続編で、美奈子がどう描かれるかは監督次第なので予測を試みても無駄だと思うけど、モササに水中に引きずり込まれて素直にくたばるタマとは思えないし、DNAいろいろいじってポテンシャルは未知数。モササと融合して水陸両用のとんでもない怪物に進化してたりしないかな。
DBのラストみたく、「生みの親」のクレアが、モササ美奈子とサシで決着つけたりするのかな。
でもできればクレアにはオーウェンと幸せになってほしい

B型にシリアスは似合わんぞクレア。


【美奈子とフランケンシュタインに続く→こちら


メアリー・シェリー著
フランケンシュタイン



人間の手で作り出された被創造物が、創造者と憎みあう話。
SFの古典のひとつ。



映画『ブレードランナー』やその他、人造人間の物語の元祖。
広い意味では、コミックス版の『風の谷のナウシカ』の中の粘菌 とか、本作の美奈子も、この系譜に属すると思われ。


続く