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2017-01-28

NHKBSプレミアム クリエイターたちのDNA〜ニッポンアニメ100年史〜 富野由悠季インタビュー 20:21 NHKBSプレミアム クリエイターたちのDNA〜ニッポンアニメ100年史〜 富野由悠季インタビューを含むブックマーク NHKBSプレミアム クリエイターたちのDNA〜ニッポンアニメ100年史〜 富野由悠季インタビューのブックマークコメント

富野由悠季インタビュー

(アトムについて)その時に「リミテッドアニメ」という言い方は、よくも発明したよなっていうくらい映画的に考えると許し難い発想だった。だけども、週1ペースでまんが映画を作っていくなら、これしかないだろうな、っていうことも本能的に分かったし。それでたまたま就職させてくれたんで、「鉄腕アトム」の制作現場にいきなり入っちゃった。何が起こったかって言うと、やれシナリオが足らない、やれコンテが足らない。それでどういう風にアニメーターに仕事をバラまくか、みたいなことも知っちゃって。これをこなしてかないと要するに3か月後には穴があく、ていうような現場をドドドドドッと見るっていうことが僕の経験でしたんで。アニメの何たらかんたらを考えるようになったのは、それこそ……それこそ……40過ぎてからですね(笑)。

ガンダムの与えた影響について)僕にとっては、まず、あの巨大ロボットっていう寸法を、人物というキャラクターをワンショットで捉えるのはとっても面倒くさいんですよ。メカがでかすぎるから。で、その一体感をもたせて物語を作るっていうそのスケール感とか物語と、人物行動様式と乗り物、つまり兵器の関係性をどういう風に作っていくかみたいなことが制作的な本当に肝になっていて。それを今の後発部隊若い人たちはそこを考えないで結局もうあるものとしてこなしちゃってるっていうところが、正直うらやましいなっていうのは、そういう基礎を確立するっていうところをやってなくて、パーンって来ちゃってるから、ほんとにあいつら楽してるよね、って感じはあります(笑)。

長井龍雪インタビュー

ガンダムについて)話の持っていき方と、あとは全然子供に優しくない作り方をしてるじゃないですか。やっぱりそれが子供心にかっこよく見えたし、ほんとに、全然たとえば「ガンダム」って拒絶される時があるんですよね。なんかもうこの話ほんとに分んない、みたいな気持ちになる時があって。違う価値観をガンガンぶつけられるあの感じとかが気持ち良かったんでしょうね。

荒木哲郎インタビュー

ガンダムについて)メカアクションものである以上に、人間の真実について迫ろうとしている作品としての、富野さんの一連作品にすごく惹かれまして。

(G-レコ10話について)モビルスーツが森で戦っている場面で、自分はその何か芝居の邪魔になるなと思って森の場面だけど程良く木を除けてたんですよね。コンテを描く時に。で、それを富野さんに見透かされて「お前演出の都合で木引っこ抜いたろ」みたいなことを言われて(笑)。確かにそのとおりですね、っつって。(G-レコ10話のG-アルケインの戦闘シーン流れる)何か芝居に都合の悪い木を避けながら闘ったりくぐったりすることで何かが生まれると思わない?みたいなことを言われて、ほんとにその通りだなと思って、それを「甲鉄城のカバネリ」では見直しまして。甲鉄城という蒸気機関車の中は実に芝居に不便なようにできているんですね。近くの人と話そうと思うだけでも階段をちょっと上って顔を出さなくちゃいけないとか。そういうこう、都合の悪いセッティングにしてみたら、実に芝居に幅が生まれて。でもそれと同じぐらい、なんて大変なんだって思いましたけど。でもフィルムは明らかに面白くなってて。分かった、ていう風にひとつ思いましたね。

哀・戦士編 富野由悠季インタビュー

この40年間というのは、気持ちは良くない。

自分のプライドでもあると同時に、これ程酷い目にも遭ったこともない、そういう作品です。本当にプライドなんです。プライドを持てる様な作品だった。ということは、その後も死ねない訳でプロで良い訳。プロフェッショナルってのは、次のものを作らなくちゃいけないのが、それが作れなかったっていう地獄を見ましたから。ガンダムを超える作品を作れなかったという歴史を三十何年、持つことになったという意味ではそれはそれで地獄ではあったというのが僕の体験です。

演出のポイントは?)初めは子供向けの番組なんだからと思いながらやっていたんだけども、ある時からどうしても、映画の技法を徹底的に使わないとやってけない、ということにやっぱり気がついて。ドラマというのは人物がやるものですから、ロボットのやるものじゃないから、モビルスーツがやるものではないから。だけども巨大ロボットもやっぱり主人公らしく映さなきゃいけないためにカメラは、人物のバストサイズとロボットのバストサイズを撮影しなくちゃいけないんですけども。それを対比を絶えずある様に見せていくことができるのは、やっぱりこれ、映画的な性能なんです。この部分を以ってこれ以後もファーストガンダムを観ていただけるとありがたい、という言い方もできますが、今僕、とんでもないミステイクな発言をしました。「ファーストガンダム」って言い方は、ガンダム世代の人は絶対に言っちゃいけないんですってね。「機動戦士ガンダム」だ、ってね。はい、ごめんなさい(頭を下げる)(笑)。

(監督として意識したことは?)おそらく作品の裏っ側に流れている、あるものの考え方みたいなことも賛同してくれる人たちも、当然知ってくれてるんじゃないのかな、って気がします。というのは、ガンダムの時に一番意識したのは、敵が宇宙人でないんだよね、って着想。今までのアニメではやってなかった訳だから。それを思いついたときには「やった!」と思いましたもん。敵が人間であればドラマができる。敵に好きなものがいたらそれは殺せないだろ、殺せない、だけど殺さなくちゃいけないってこれはドラマになるよね。

戦闘シーンを抜いて話を繋げるってことを要するにTV版の時から意識はしてきた。それが結局青春群像というテーマに落ち着いてく。巨大ロボットものでも映画的というものを極めていけば、要するに長生きするんじゃないのかと思えたし(自身を指しつつ)、もう少しマシな作品を作れるんじゃないのかって思えた。その目線を獲得して、その目線を実行してみたのがガンダムだった。アニメってのはこんなもんだ、ロボットものとはこんなもんだ、って思って作ってる人と、いや、何かそれに付加するものがあるんだ、とかってことをちょっと思って作ってるスタッフでは、それは作り方が全然違います。