内田樹『困難な結婚』

charis2016-07-14

[読書] 内田樹 :『困難な結婚』 (7月4日刊)


久しぶりに、内田樹氏の本を読みました。面白かったのですが、結婚についての歴史的、社会学的考察がやや不足しているので、「結婚はした方がいいよ」というたんなるお説教に終わっているのが残念です。下記に簡単な感想を書きました。


 本書は、いかにも内田氏らしい「生き延びる智慧」が随所に光る好著である。人生相談の回答も誠実でいい。だが、考察がまだ足りないと感じる論点もあるので、それを書いてみたい。本書の主旨は、「結婚は私事だが、生活の安全保障だから、<公的という擬制>を必要とする」という一点にある。文化人類学的に言っても、歴史貫通的な一般論としては、確かにこれは真だろう。だが、現代の日本における固有の問題として「困難な結婚」を論じるならば、これでは足りない。つい最近出た、筒井淳也『結婚と家族のこれから』(光文社新書)は本書と同じ問題意識の本であるが、「共働き」が主流になった先進国固有の位相を分析しているので、問題の把握がより深い。たとえば内田氏は、結婚は過去においては「誰でもできるもの」であったし、「難しいものではない」と考えているが(p62)、これは歴史的事実に反する。昭和のある時期には婚姻率が異様に高かったが、これは例外であって、江戸時代など一定の収入がない男子は結婚できなかった。「21世紀は生涯未婚率20%」と聞いて驚く方がおかしいので、過去には「皆結婚社会」など一度も存在しなかった。


 現代において「困難な結婚」が感じられるとすれば、それは先進国では「ケア労働」が家族によるものに限られなくなったので、結婚は唯一のセイフティネットではなくなり、結婚の必要性も減少したことを考慮すべきであろう。筒井氏はそこを中心に考察しており、夫婦の家事分担問題は、内田氏も筒井氏もかなり紙幅を割いているので、好対照になっている。内田氏は、「僕は掃除と、アイロンがけと、野菜料理が大好き」と牧歌的に語っているが、筒井氏は、「家事の分担」は単なる個人的・技術的問題ではなく、有償/無償労働を巡る移民や階級差の利用の問題、あるいはスウェーデンのように国家による「ケア労働」の分担など、マクロな問題に由来していることを解明している。また、内田氏の主張では、「愛」は結婚にとってあまり重要な要素ではないことになるが(p167)、これはヘーゲルが強調した「近代家族」におけるロマンチック・ラブ・イデオロギーを軽視し過ぎている。筒井氏は、「親密圏」という「情緒による他者との結びつき」(つまり「愛」の私的性格)と、「公正さ」「効率性」という公的世界の価値基準との「相性の悪さ」を主軸に、両者の「ずれ方」が歴史や国によって異なることを考察する。内田氏は、「結婚は私事だが、<公的であるという擬制>を必要とする」という一般的真理で押し切っているが、重要なことは、その<公的であるという擬制>の中味がどう変わったか、にあるのではないだろうか。