今日のうた79(11月)

charis2017-11-30

[今日のうた] 11月ぶん


(写真は西行1118〜1190、『新古今集』には、もっとも多い94首が採られている。)


・ 秋の田の穂の上に霧(き)らふ朝霞いつへの方に我が恋ひやまむ
 (『万葉集』巻2、磐姫の歌とされるが、後世の作、磐姫は5世紀の仁徳天皇の妻とされる伝説の人、「秋の田に立ち込めるこの朝霧は、いずれどこかへ消えるでしょう、でも貴方を恋うる私のこの気持ちは、どこに行けというの」) 11.1


・ 言の葉のなさけ絶えにし折節にあり逢ふ身こそ悲しかりけれ
 (西行山家集』、歌壇のパトロンだった崇徳上皇が、保元の乱に敗れて四国に流され、歌の道が衰えた、と嘆く歌、乱に勝った後白河天皇は今様は大好きだったが、歌にはあまり関心を示さなかったという) 11.2


・ 問へかしな影を並べて昔見し人なき夜半(よは)の月はいかにと
 (藤原良経『家集』、「幼少からいつも机を並べて僕と一緒に勉強したお兄さん、どうして急に亡くなってしまったの、一人で月を見ている僕に声をかけて下さい、「今夜の月はどうだい?」と」、1188年、作者20歳の時、2歳上の兄が急死、明日は満月) 11.3


・ 長噺(ながばなし)とんぼのとまる鑓(やり)の先
 (『誹風柳多留』、「槍持ち[=主人の槍を持って外出に従う下級の家来]たちが、のんびりとおしゃべりしている、あっ、槍の先にトンボがとまっているよ」、戦争もなく、のどかだった江戸) 11.4


・ 髪結所(かみゆいどこ)どふだ息子といふ所
 (『誹風柳多留』、江戸の床屋は、どら息子たちの溜まり場だった、「どうだい君、これから一緒に、遊郭行こうよ」と、先輩から声を掛けられる場所でもあった) 11.5


・ 虚無僧(こもそう)はもらわいでもの姿なり
 (『誹風柳多留』、人を寄せ付けず、あまりにも超然としている虚無僧だったのか、「お布施なんか、もらわなくてもいいんだぜ」と言っているように見える) 11.6


・ 青空にふれし枝先より黄葉
 (岩岡中正、樹木の葉は全部が一度に黄葉するわけではない、高い枝先のある一枚の、その一部から最初に黄葉が始まる、まさに「青空にふれし枝先」から) 11.7


・ 石垣やあめふりそゝぐ蔦明り
 (飯田蛇笏、「蔦明り」という表現がいい、ツタは紅葉すると真っ赤になってとても美しい、石垣に秋雨が降りそそぐ中、その赤い色が冴えて「明り」のように明るい) 11.8


・ かつ散りて御簾(みす)に掃かるる椛(もみじ)かな
 (榎本其角、御簾[=すだれ]が風に揺れているのだろう、散ってきた紅葉がそれに当たり、反射して「掃かれるように」落ちてゆく) 11.9


・ 湯口(ゆぐち)より溢れ出でつつ秋の灯に太束(ふとたば)の湯のかがやきておつ
 (宮柊二『多くの夜の歌』1961、秋の夜に、灯火のともる屋外の温泉だろうか、湯口から、湯が溢れ出て、太束となって輝きながら落ちていく、写実がそのまま詩になる優れた歌) 11.10


・ 母亡くて石臼(いしうす)ひくくうたひをり、とうほろ、ほほう、とうほろ、ほいや
 (高野公彦『水行』、作者が幼少の頃、母は石臼を挽いていたのだろう、その時母が静かに口ずさんでいた歌がなつかしく思い出される、石臼が回る音と母の声が一体となって) 11.11


・ 欲しいものなんにもなくて新宿は意味を忘れるほどに明るい
 (山口文子『その言葉は減価償却されました』2015、「買いたいものもなく、なぜ新宿に来たのか分からないけど、新宿は人が多くて、やけに明るい」、作者は1985年生まれ、思索的な歌を詠む人、歌集のタイトルがいい) 11.12


・ わが歌に瞳のいろをうるませしその君去りて十日たちにけり
 (与謝野晶子『みだれ髪』、「君」は鉄幹だろう、晶子は22歳のとき、それまで歌誌で読んで憧れていた鉄幹に初めて会い、恋は急速に進展する、その頃の歌だろうか) 11.13


・ わすれじなわすれたまはじさはいへど常のさびしき道ゆかむ身か
 (山川登美子「白百合」、「私のことを忘れないでね、忘れないでください、とは言ったものの、ああ私は、これまでと同じ、寂しい道を行くのね」、21歳の登美子は与謝野鉄幹を恋していたが、晶子に敗れた、登美子は29歳で没) 11.14


・ ともすればかろきねたみのきざし来る日かな悲しくものなど縫はん
 (岡本かの子『かろきねたみ』1912、作者1889〜1939は画家の岡本一平と結婚、息子の岡本太郎も画家、夫とあまりうまくいかなかったようで、堀切茂雄という別の男性も一緒に同居する「三人婚」のときもあった) 11.15


・ 大銀杏黄葉に空の退ける
 (原田一郎、「銀杏の大樹の黄葉は本当に美しい、「空が退く」ように全体が輝いている」、私の非常勤先の東京女子大の大銀杏もいまそんな感じです) 11.16


・ 蟹と共に海の入日へ向きて歩む
 (金子兜太、1943年、作者は24歳、徴兵されて、入隊を前に父と千葉県白浜へ行ったときの句、「蟹と共に」に、寂しい気持ちがよく表れている) 11.17


・ 不器用に柿むきをればワルツ終る
 (高柳重信『前略十年』、1940〜42年頃の句、作者は17〜19歳、早稲田大学の学生だった、いかにも若者男子らしい句、当時、「少女」という語が出てくる句が幾つかあるが、遠くから見ている感じで、片想いだったのかもしれない) 11.18


・ 短日の望遠鏡の中の恋
 (寺山修司「山彦俳句会」1952年10月号、作者は高校生で16歳、好きな女の子がいたのだろうか、彼女は望遠鏡の中にいる、まだ片想いなのか、みずみずしい句) 11.19


・ 悲しいと言ってしまえばそれまでの夜なら夜にあやまってくれ
 (鈴木晴香2016、「悲しい」と言ったのは彼氏か作者か、そんな夜じゃないつもりだった作者は不満なのだろう、「言ってしまえばそれまでの夜」が不思議でいい、作者1982〜の歌集タイトルは『夜にあやまってくれ』) 11.20


・ だしぬけに撮らないで待っていた時間が蓄えられたからだだから
 (もりまりこ『ゼロ・ゼロ・ゼロ』1999、作者は広告プロダクション会社に勤めるコピーライター、自分は「写真を撮るように歌を詠む」と書いているが、実際に写真も撮るのかもしれない) 11.21


・ つまるような想いで僕を乗せている助手席の窓ほそくほそくあけ
 (野口あや子『くびすじの欠片』2009、この歌を作ったとき作者は17歳の高校生、自分のことを「僕」と呼んでいるのが面白い、女子高校生には普通のことなのだろうか) 11.22


・ きみの手が私にとどく 何もうみださないけれどやさしい動き
 (笹岡理絵『イミテイト』2002、「何もうみださない」というのは、画家や作家の手が絵や作品をうみだし、料理をする手が料理をうみだす等と比べているのだろう、とてもいい恋の歌、歌集の最初の方だから18歳くらいの時か) 11.23


・ 取り留(と)むる命も細き芒(すすき)かな
 (夏目漱石、1910年の作、その年の夏、43歳の漱石は胃を病んで大吐血をし、生死をさまようが、10月には小康を得た、その少し後の句) 11.24


・ ふと静(しづか)歩き来りて稲架(はさ)のかげ
 (松本たかし1937、今はあまり見なくなったが、刈り取った稲を木枠に架けて乾かすのが稲架(いねかけ、はさ)、明るい日なたの道をを歩いてきて、ふと稲架の「かげ」に入ったら、そこは暗くて「しづか」だった、鋭い把握) 11.25


・ こちら向け我もさびしき秋の暮
 (芭蕉1690、芭蕉の友人の京都のある和尚が描いた絵にはその和尚自身の後ろ向きの姿が描かれている、それに画賛を頼まれて詠んだ句、ユーモラスであると同時に、芭蕉自身も実際に寂しい秋の暮なのだろう) 11.26


肺魚へと進化してゆく一瞬が湯にとじこもるわたしにはある
 (江戸雪『百合オイル』1997、肺魚は、魚だがエラの他に肺を持ち、水の少ない乾季も生きられる、ヒトが「肺魚へと進化する」ことは絶対ないが、お風呂好きの作者は、いつまでも入っていたいので肺魚になりたいのだろう) 11.27


・ 本選びレジへ並んだ君の横 正しい距離がわからず揺らぐ
 (ちゃいろ・女・21歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、初々しい恋の歌、「「君」の存在を強く意識するからこそ、「正しい距離」がわからなくなる。「揺らぐ」が気持ちをうまく表しています」と、穂村弘評) 11.28


・ 七月に君が眼鏡をかけて以後好きです以前は覚えてません
 (鞄・女・17歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、作者は高校生、「それは「君」じゃなくて「眼鏡」が好きだったのでは、と読者に思わせた時点で、この歌は成功しています。「以前は覚えてません」がまたいい」、と穂村弘評) 11.29


・ いつもよりポニーテールを高く結い忍者みたいと言われておりぬ
 (モ花・女・31歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「「ポニーテール」と「忍者」のギャップがいい。ちょっとした位置の違いで世界ががらっと変わってしまった。「忍者みたい」な女子、魅力的だと思います」、と穂村弘評) 11.30