今日のうた(91)

charis2018-11-29

[今日のうた] 11月ぶん


(写真は松本たかし1906〜56、能楽師の家に生まれたが病を得て、能楽師は断念、虚子に師事して「ほととぎす」で活躍し、美意識の高い句を詠んだ)


・ パーティーにわれらはわらふ誰とゐても貿易風のやうに笑へる
 (睦月都「十七月の娘たち」2017、「貿易風が吹く」のだからパーティーは広い会場なのだろう、どの場所にも談笑の輪が広がっている、作者は場所を変えながらいろいろな人と話し、そして笑う、「貿易風のやうに」笑いが広がる) 11.1


・ 街路樹の木の葉ふるときソラシドレ鳥刺の笛がきこえませんか
 (杉崎恒夫『食卓の音楽』1987、「街路樹の紅葉した木の葉が散って、なんだかメルヒェンのような感じだ、なんか笛の音のようなものが聞こえる、『魔笛』のパパゲーノのような鳥刺がひょっと現れるかも」) 11.2


・ 毛布かぶればやつぱり兵隊の匂ひがして、この夜もまた単純にねむる
 (前田透「初期歌篇」1941、作者1914〜84は前田夕暮の子、早くから口語短歌を作った、戦時中、主計大尉として海外に駐留、そのときの歌だろうか) 11.3


・ 近よりて茶の花白き日和かな
 (鈴鹿野風呂1887〜1971、「秋晴れの日、茶の花が咲いている、花は小さいけれど、黄色い蕊を囲む花弁の白が美しい、どうしても「近寄って」見てしまう」、作者は虚子門下の「ホトトギス」同人、「京大三高俳句会」でも活躍した) 11.4


・ 落葉かく身はつぶねともならばやな
 (越智越人1656〜?、「鎌倉建長寺に詣でて」と前書、「静かな寺院の庭で男が落ち葉を掃いている、それを見ているうちに、自分もこの寺の「つぶね(=従僕)」になりたくなった」、作者は蕉門の俳人) 11.5


・ 水底(みなそこ)の岩に落つく木の葉かな
 (内藤丈草1662〜1704、澄み切った池だろうか、「浮かんでいた落葉がゆっくりと沈んでゆき、やがて池の底のある岩に貼り付くように止まった」、作者は芭蕉の弟子) 11.6


立冬や柚子熟れてゐる百姓家
 (中村樂天1865〜1939、この時期、農家の庭先にたくさんなった柚子の実は黄色に輝いて、美しい、作者は子規に師事し「ホトトギス」同人だった人、今日は立冬) 11.7


・ 奥山の真木(まき)の板戸をとどと押して我が開かむに入り来て寝(な)さね
 (よみ人しらず『万葉集』巻14、「ねぇねぇ、今晩も早く来てね、貴方が私の家の真木で作った戸を叩くと、私が内側から、ぎいーって押して開けるわ、そしたら貴方が飛び込んできて私を抱くのよ!」、「とどと開かむ」がいい) 11.8


・ 大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとに眺めらるらむ
 (酒井人真『古今集』、「大空は、別れた貴女の形見なのでしょうか、もの思いにおちいるとき、僕はどうして空ばかり見詰めてしまうのでしょう」、「形見」は男女が別れるときに贈り合う品物) 11.9


・ 今はただ心のほかに聞くものを知らずがほなる萩の上風
 (式子内親王『新古今』巻14、「貴方との恋が終った今、貴方を思わせるかのような外の物音も、もう私とは関係ないと思って聞いているのに、そんな私をあざ笑うように、風よ、あなたは萩の葉を揺らして音を立てるのね」) 11.10


・ 恋ひ死なん命をたれに譲りをきてつれなき人のはてを見せまし
(俊恵法師『千載集』巻12、「貴女はついに私の愛を受け入れませんでしたね、つれない人よ、私は貴女に恋い焦がれて死ぬでしょう、でも私のその命を誰かに譲って、貴女も不幸になって死んでゆくのを彼に見届けさせたい」) 11.11


・ うす青き銀杏落葉も置きそめし
 (松本たかし1906〜56、銀杏の落葉は、完全に黄色だけとは限らず、初めの頃は、まだ青い部分が残る葉もある、これは落葉の初期の頃の地面だろう、「置きそめし」がいい) 11.12


・ 銀杏散るまつたゞ中に法科あり
 (山口青邨1892〜1988、東大の本郷キャンパスの銀杏並木は美しい、正門から安田講堂に向って左側が法文1号館、法学部の教室がある建物だ、作者は安田講堂の左側にある東大工学部の教授なので、毎日銀杏並木を通っていた) 11.13


・ 蹴ちらしてまばゆき銀杏落葉かな
 (鈴木花蓑1881〜1942、銀杏の落葉は分量が多い、どんどん地上に溜まって積もる、だから積もった落葉を足で蹴ることもありうる、「蹴散らしてまばゆい」というのがいい) 11.14


・ 藝者家(や)を出て来る人数七五三
 (高濱虚子、ユーモア句だろうか、七五三の日、芸者家から女性がまず七人、次に五人、その次に三人と出てきたのだろうか、子供連れではないだろう、何だか面白い、今日11月15日は七五三) 11.15


・ 一日がまた暗くなる暗くなりおわってからの時間の長さ
 (相田奈緒『短歌人』2018年8月号、作者は『短歌人』所属の若い人、秋の日はつるべ落しと言われるように、晩秋の日暮れは早い、しかしこの歌は自分の心理の状態とも読める) 11.16


・ 鼻唄は互ひにまぢりあひながらきみとは角度をとつて座りぬ
 (山下翔『九大短歌』第四号 2016、作者は20代の若い人、歌会だろうか、それともコンパか、「きみ」は一応友人なのだろう、互いに親しそうな雰囲気を見せるけれど、あえて「きみ」の真正面には座らないという距離感) 11.17


・ 朗読をかさねやがては天国の話し言葉に至るのだろう
 (佐々木朔「羽根と根」創刊号・2014、朗読しているのは短歌か、それとも詩か、「天国の話し言葉」というのがいい、そもそも言語は、何百万年もパロールだけだったのに、1万年くらい前にエクリチュールが始まった) 11.18


・ 婦人用トイレ表示がきらいきらいあたしはケンカ強い強い
 (飯田有子『林檎貫通式』2001、作者1968〜は歌誌「かばん」所属、「婦人用トイレ表示」とは、男子=青色/女子=赤色のあの絵のことか、そこに女性性=弱さのようなものが読み取れるから「きらいきらい」なのだろうか) 11.19


・ 秋を経て蝶(てふ)もなめるや菊の露
 (芭蕉1688、「菊花の蝶」と前書き、「秋も深まり、弱々しく飛んできた蝶が菊の花に止まった、蝶も老いたのだね、何とか生きようと菊の露をなめているのだね」、「秋を経て」が効いている) 11.20


・ 菊作(づく)り汝は菊の奴(やつこ)かな
 (蕪村「句帳」1774、「いやぁ、見事な菊が咲いていますね、御主人も菊作りに精出して、あくせく動いておられる、まるで菊の奴隷みたいですね、菊作りにはほんと手間暇かかりますよね」) 11.21


・ どちらから寒くなるぞよかゞし殿
 (一茶1810『七番日記』、「まず寒くなるのは、頭の方かい、それとも足の方かい、案山子くん」と呼びかける一茶、案山子はいつも一人で寂しい、一茶もいつも寂しい、でもこうして呼びかける彼の言葉は、何ともいえず優しい) 11.22


・ 潤(うるほ)ひをもちて今夜(こよひ)のひろき空星ことごとく孤独にあらず
 (佐藤佐太郎1947『帰潮』、何日も雨が続いた後、雨上がりの夜空が晴れ上がったのだろうか、今夜の空は「ひろい」と感じる作者、「星ことごとく孤独にあらず」が素晴らしい、星だけでなく自分も孤独でない、と) 11.23


・ 魔のごとく電車すぎたる踏切は闇に鋼(はがね)のにほひがありぬ
 (上田三四二『湧井』1975、最近の電車の車体はアルミ合金だが、以前はすべて鋼鉄だった、踏切で作者の至近距離を「魔のごとく」通過する電車は、重く、そして「鋼のにおい」が暗闇に残る、そう、これが電車というものだ) 11.24


・ 人知れず老いたるかなや夜をこめてわが臀(ゐさらひ)も冷ゆるこのごろ
 (斎藤茂吉『小園』、手帳によれば1944年11月29日、空襲を避けて防空壕でじっとしている茂吉、「人知れず」から、一人で壕にいることが分る、地べたに直接座っているのか、「尻が冷える」と老いを嘆いている) 11.25


・ 秋風やまた雲とゐる人と鳥
 (高屋窓秋1970、作者は戦前の新興俳句運動を担った一人、二十代の初めは秋櫻子に師事し「馬酔木」で活躍した、本句は、戦後20年の中断を経て発表された句集『ひかりの地』所収のもの、「また雲とゐる」がいい) 11.26


三宅坂黄套わが背より降車
 (渡辺白泉1936、三宅坂には陸軍省参謀本部があった、「黄套」とは陸軍将校のカーキ色の外套、陸軍将校が一人、作者のすぐ後で車から降りたのをちらっと見た、作者は当時三省堂に勤務、「通勤景観」と小見出しにあり、通勤の途中だろう) 11.27


・ 灯はちさし生きてゐるわが影はふとし
 (富澤赤黄男1937年11月、徴兵されて中国戦線の戦場での一連の句「蒼い弾痕」の中の一句、塹壕の中かテントの中か、小さなランプの光に自分の影が大きく映る、句集『天の狼』1941戦旗発行所刊に所収) 11.28


・ 詩と愛と光と風と暴力ときょうごめん行けないんだの世界
 (柳本々々(やぎもともともと)2017、初出は歌誌「かばん」400号、自分は、詩の世界でもなく、愛の世界でもなく、光の世界でもなく、・・・の世界でもなく、「きょうごめん行けないんだの世界」にいるのか、とてもいい歌) 11.29


・ 戦場を覆う大きな手はなくて君は小さな手で目を覆う
 (木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』2016、作者は1988年生まれの若い人、戦争をストップさせる大いなる神の手のようなものはなく、我々は、悲惨な戦場を見ないように「小さな手」で目を覆うしかない) 11.30