Charsbar::Note

2005/11/08

Wiki小話Vol.2

著作権がらみということで行ってきました。講演者はWeb Site Expertで……というよりmixiで著作権コミュを管理されているといった方がピンと来やすかったSimon氏。結局のところネットまわりの著作権は法整備も実運用にかかわる法曹関係者も利用者全体の意識も大いに欠けており、グレーゾーンから真っ黒けっけの間をなあなあで泳いでいるというお寒い現状を確認したあたりで時間切れ。Wikiを安心して使うにはどうすればいいか等の実務面についてはこれからみなさんで考えていきましょう、と。

以下適当に感じたことを列挙。

  • いまさらながらに、Wikiというのは基本精神として古き良き?、みんなが学術関係者だったネット時代の遺物なんだよなあと。ビジネスのロジックを持ち込まず、過去の成果はみんなで共有しましょうという雰囲気のもとであれば道義的責任でしばるだけで(編集権は全員に付与しますが人格権は侵害しないようにと言うだけで)さしたる問題にもならんわけで。Wikiを広めようという人にとっては忸怩たることかもしれませんが、リスクを取りたくないなら著作権その他、ビジネスのための権利がからみそうなところにはWikiを置くな、ユーザを限れというのが一番の現実解のような気はします。もちろんライセンスを適切に設定したり、リスクなど無視して大型掲示板式に運用するという手もあるんでしょうが。
  • 著作権というのは確かに自動的に付与されるものではありますが、今回のセッションでは著作権法第一条「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」という著作権の大前提に対する言及がなかった。権利の保護ばかり言っていましたが、そもそもその創作物は権利を付与することが法の目的にかなうのか――という話を安易にするわけにはいかないのもわかるのですが、第二条の「著作物」とは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」という定義における「文芸」や「学術」の意味を拡大解釈しすぎているのではないか、という懸念は感じました。井戸端でかわされる与太話まで著作権で保護する必要はないのです。
  • その意味で、たとえば誰も発表日時を担保できない類の創作物は著作権的にどうなんだろうという疑問もありますね。新聞雑誌その他、権利を主張するためにはいつ発表されたものか、少なくとも確定できないといけない(そうしないと後から「自分の方が先に発表していたのだから自分こそ権利者だ」という輩が出てくる)。もちろんgoogleその他のエンジンやアーカイブがおおまかな担保はしてくれるでしょうが、担保の質として、どうか。流通している多くの書籍は、たとえば発行元のほかに国会図書館が発行年月(や人物)の担保をしてくれているわけですが、そういう担保のないところで動的に生成されているネット関連の創作物って、ある意味声に出している独り言に過ぎないのではないか。もちろんそこに創作性があれば権利付与することに異議はないのですが、システム的な課題として、著作権を考慮するなら、そういう履歴管理についてももっと議論を深める必要があるだろうなあ、と。
  • (追記)もうひとつ。セッション中、あるライセンスでくくられた記事の中にライセンス違反(ないし異なるライセンス)のものがあったらどうするかという話が出て、Wiki業界では以前から問題になっていたそうなのですが、これも記事提供者の権利ばかりが強く主張されていて、場を提供する人の責任や権利については少々軽く見られすぎているのではないかという感じはしました。当日も質問しましたが、たとえばブログに対するコメントなんて、全体を構成する一部、おかずに過ぎない。出版社に持ち込んだ原稿がすべて出版されるかというと、そういうことはありえないわけで、「版元の意に反して公開されてしまったものを撤回するのはページ全体の公開者の権利である」として何の問題があるのか、個人的にはよくわからなかったです。もちろん版元がそれを必要以上に大きく改竄して公開するのは問題あると思いますが。
  • (追記)というか、結局プロバイダ法ってそういうことでしょ? ブログやら何やらも、公衆送信している版元としての立場と、その版元に原稿を提供する一著作者としての立場を分けないと。そこがあいまいだから話が余計ややこしくなるのではないかしら。
  • (さらに追記)三つ上の話の蒸し返しですが、ネット上の著作権を話題にするときには本人の同一性を担保するものについての話も触れる必要がありそうですね。一般にブログツールやWikiツールのコメントにはせいぜい本人のものとおぼしきメールアドレスとIPアドレスくらいしか本人確認のツールがないわけですが、メールアドレスの詐称はいくらでもできますし、IPアドレスも一般的には本人を同定できるものではないことになっている。そんな不特定個人の著作権を認める必要があるのかどうか。商業出版でもゴーストライターの問題などありますが、基本的にはたとえば契約を結ぶとき、支払いを受けるときなどに個人情報を版元に渡しますし、それが著者がその人であるという担保になっている。ひるがえって、ネット上の創作物はどうか。プロバイダを始めとする独自ドメインの持ち主については本人を担保してくれる機関がありますし、プロバイダやドメインと金銭を介する契約関係にある人についても多くの場合本人担保があると言えますが、コメントをつける人や、Wikiの編集子については、担保がとれない。その誰のものでもないとはっきりしているものを自分の著作物と詐称する行為については議論を分けるとして、同定できない個人の創作物をたとえば編集することが本当に同一権の侵害にあたるのかどうか。セッション中では法的にグレーと言っていましたが、職務著作物(最終責任を持つ存在にのみ著作権を認める)との絡みを考えると、本当にこれがグレーなのか、疑問に思います。

まあ、素人のこの程度の話なぞどこかで誰かが語っていたであろうと思いますが、備忘録として。

http://wikibana.socoda.net/wiki.cgi?Wiki%BE%AE%CF%C3%2FVol.2

SimonSimon 2005/11/09 00:37 そうですね、疑問は最もだと思います。
法律家(じゃないんですが、解釈する立場)としての意見を完全に別にすれば、メディア(出版社やら掲示板オーナーやら、著作物を広める立場)の管理責任は負わされるんだから、メディアが著作物を管理目的で(公共の福祉とか言ってみてもいいかも)いじろうが何しようが勝手じゃないの?という「感覚」は持っています。その意味ではスタンスは似たようなところにあると思います。
ただ、「現行の日本国著作権法」という枠組みで考える上では、そういった「伝播者(メディア)」の著作物を改変(編集)する権利というのは存在しておらず、メディアは他者の著作物によって「ビジネスをしている」存在として想定されていますから、「ビジネスやるんだったら許諾取るの当たり前だよね」という前提があります。
でもって、ネットワーク時代では「ビジネスやらないけどメディア的存在」というものが存在してしまっていて、それは著作権法の想定外の存在なわけですね。
あと、「文化の発展に〜」の段については、「萌える法律読本 ディジタル時代の法律篇」P246〜248(特に脚注)あたりを参照して頂きたいのですが、確かに法文としては「文化の発展に寄与する」に重点を置きたくなるんですが、現行著作権法の改正審議での政府委員の「この法律の目的が著作者等の権利の保護に重点を置き,あわせて著作物等の公正な利用を確保するための方途を講ずることにあることを明らかにしたのであります.」という答弁からも分かる通り、立法者の意思としては権利の保護を重点に置いているんですね。で、現状もそうなっている。
個人的な立場としては「文化の発展に寄与」してくれないと困るので、ガチガチな知財ファッショ的発想はかなり嫌なんですが、残念ながらそういう緩さを現在の著作権法に求めるのはむずかしい。運用でカバーしろ、みたいなところがあるんですね。
職務著作物に関しては、雇用関係に準ずる指揮命令関係の下で作られた、法人等の名義で発表されるものについての特殊な規定ですから、敷衍してしまうのは危険ですね。そう論理を立てたくなる気持ちはよく分かりますが(笑)
ともかく、現行の著作権法の枠を前提にして語ってしまうと、ああいう話になってしまうのだ、というところだけは理解して頂けると嬉しいです。そこに問題がないと思っているわけでは決してなく、著作権法の全面改正、若しくは非営利的利用における著作権の一部制限(米国著作権法のfair useの法理に近いもの)などを考える必要はあると思っています。

charsbarcharsbar 2005/11/09 03:27 ろくに調べもせずに書き飛ばしたメモにまで丁寧なコメントをつけてくださってありがとうございます。「現行の著作権法の枠を前提にして語ってしまうとああいう話になってしまう」というのはいちおう承知しているつもりですが、引き合いに出した例が不適切だったのでしょう。

ただ、現実問題として、たとえばテレビ局がなんらかのインタビュー番組を撮ったとして、実際のインタビューをそのまま丸ごと放映するということは(生放送の場合を除いて)ほとんどない。暗黙の、あるいは明示的な了解として「適宜」編集している。そのいちいちについて本人許諾を取っているかというと、かなり疑問なわけで。Simonさんが前提とされたのは翻案権にまつわるあたりの話かなと思うのですが、そこで著作権を持ち出す以前の話として、既存のコンテンツ提供者が日常的に行っているのと同じことをネットでコンテンツ提供している人が行うことがどう問題になるのか、よくわからないというのが書きたかったことです。

「文化の発展に〜」の段については、権利保護に重点を置いている現状と、現実的に自分もそれに守られている事実を承知のうえで、なんでもかんでも著作権を持ち出して保護されるべきものだと言うのはどうか、という問題提起をしたかっただけですね。実際、その「文化の発展に」という一言は現実的には著作権の無制限な拡大を防ぐためのものであると認識しています(期限を区切るというのはそのための方策ですよね)。法律は理念を語るところではなく、具体的な誰かを守るためのものですから権利保護が主体になるのは当然だと思いますが、ネット上のテキストについては他の段に書いた理由で権利の主体も権利の対象となるものもきわめてあいまいなことが多いのに、どうしてそうむやみと著作権を持ち出すのか。そこが疑問である、と。

職務著作物については、すみません、あえて無理を承知で引っ張り出しました(笑) 某大型掲示板にまつわる裁判の判例を出してくる方がよほどすっきりするんですが、それを持ち出すと著作権どころではない魑魅魍魎も引っ張り出さないといけなくなって手に負えなくなるので、あえて心情的に理解しやすいところでお茶を濁した次第です。

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