ミリン効果

2008-10-23 親方、これ、言うほどスイーツじゃありません!

お、自分でまだ意外と飽きてないぞ、はてなちゃん。

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YELLOW(初回生産限定盤)(DVD付)

YELLOW(初回生産限定盤)(DVD付)

こないだの土曜日幕張メッセで、GAN−BAN NIGHTっていうイベントに行ってきて、SEBASTIANも出てて、見たいなあ、と思っていたのだけれど、JUSTICEと時間がかぶっていたので、JUSTICEのほうを見て、ケバブを食べて、ビールをぐびぐび飲んでいたら(コロナしか売ってなくて、ちょっと残念だった)、SEBASTIAN終ってしまっていた。なので、非常に残念。でもまあ、イベントは全体的には楽しかったー。疲れたけど。

んで、SEBASTIANのは、リミックストラックなんだけど、どれもがものすげーかっこいい。ああ、まだ全然自分の中で、エレクトロブーム終わんないわー、って感じ。全然飽きないよ。何がどういいのか、ってのは、僕にはうまく言えないんだけどもね。育ちがいいよ、とか、最近ぐっとイイ顔になってきたよね、などとお茶を濁す(濁してすらないわけだけど)こともできず、ただ、聴いて、うわー、やべーなあ、と言うくらいしかできない。とにかく、すんばらしいです。なんか、ときどき、かっこいいエレクトロを聴いてると、浮遊感というか、ふわっとしちゃう感じに襲われるときがあるんだけど、このCDを聴いてると、よりそうなります。そういうトラックだ、ってことじゃなくてね。なんなんだろう。とにかく、まだまだがんがん聴きたい。そして、今度こそ、SEBASTIANのステージ見たい。凄い見たい。

GAN−BAN NIGHTは、SURKINが思った以上に、むっちゃよかったよー。

まあ、GAN−BAN NIGHTに絡めていえば、卓球もDJとして出てたんだけど、ラストだったので、すごい楽しかったんだけど、くたくたで、しんどかったなあ、体が動きたくても動けなかったなあ、という感じだったよ。でも、まあ、関係ないっちゃないけど、電気の今年二枚目になるアルバム。前作のJ−POPが、電気復活! というところでしか楽しめなかった人からしたら、これはかなりいいんじゃないかなあ、と思うんだけど、どうでしょうか。僕も正直、J−POPは、そこまでしっくりこなかったので(聴くほどによくなってきたけど、スルメでもなかったし、何よりも、ほんとに最初に結構、戸惑ってしまった)、このYELLOWはほんとにかっこよくて、延々聴いてられるなー。なんか、逆に、電気らしくないのかもしれないけど。でもでも、むちゃくちゃ楽しい。ほんと気持ちいいよ、特に、アルバム後半はすごすぎる。なんか、これから、飽きちゃうのかどうかはまだわかんないけど、でも、今週は聴きまくってるー。まだまだ飽きてないー。

なんか、瀧が、ジャミロクワーイとか叫んでます。まあ、ジャミロクワーイって叫んでなかったら、電気じゃないんだろう。

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芥川龍之介短篇集

芥川龍之介短篇集

芥川龍之介って、十年以上前に読んだきり、読んでなかった。んでも、いつかまたちゃんとまとめて読み返してみたい、読んだことがないものは新たに読んでみたい、とは思っていた。ので、村上春樹の英訳をしているジェイ・ルービンが選んだ短編集を見つけて、ああ、これはいい機会だ、と思って読んでみた(発売されたのは去年らしい)。

もう、むちゃくちゃ、べらぼうに面白いのね。芥川をいまさら、おもしろいよね、って言うのも、「肉の多い大乃国」って後ろから読んでも、肉の多い芝田山親方だね、みたいなことを言ってる感じで申し訳ないんだけれども、って、あれ! 大乃国いつのまにか引退して、親方になってる! よくわからないけど、年寄株! 年寄株! みたいな感じはあるし、もうわけわかんないよ、今、途中で大乃国が何親方か調べたもんね。なんか、検索候補? ランキング? みたいなので、大乃国スイーツ、って出てきて、いや、わかるけど、わかるけど、なんか、すごい、って思ったりした。

まあ、とにかく、芥川おもしろいよ、って改めて思って、ほんとにすごかった、ってことなんだけど。「鼻」なんて読みながら、声に出して笑ってしまった。ほんとに初期のころは文章がうまいというか、鋭くて切れがあって、テンポとリズムが素晴らしい。これを才能と言わずに何と言おうか、ってくらいに、才気あふれる文章がつづられているし、それがちゃんとグルーヴ感を生みだしているから、言葉が古くても全然読みやすいし、引きつけられる。これが、色褪せない、風化しない、ってことなんだなあ、と感じさせられた。今、グルーヴ感って書いて、初めて気づいたんだけども、とにかく、ほんとに風化しない理由の一つは、そこにあるんじゃないか、と思う。

それでいて、後期の圧倒的に陰鬱で、もう、死ぬ死ぬ詐欺じゃん(結局、詐欺じゃないんだけどさ)、ってくらいの、死を意識した小説ってのも、身につまされる思いがする。痺れるくらいの、苦しい、感じ。身を削って、消耗しながら書いている感じがする(それもまた、芥川の技量を生かして、フィクション的に、消化している部分は当然あるんだろうけれど)。そうした、後期の作品をじっくり読むのは初めてだったので、新鮮だったし、読んでいて、息苦しさも感じた。それもまた、読み物として、ものすごく、おもしろかった。

まあ、春樹大好きっ子(あえて、自称することさえ恥ずかしくすらあるけど)の僕は、春樹が序文として書いた、芥川論みたいなものを読むだけでも、相当おもしろかったのだけれど。

2008-10-18 「やればできる」って何回言われると、レベル上がるんでしたっけ?

[]読んだやつメモ

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)

MURAKAMI―龍と春樹の時代 (幻冬舎新書)

MURAKAMI―龍と春樹の時代 (幻冬舎新書)

読んだやつメモ、とか言いながらも、個々の感想を書くのが面倒なのでまとめてうだうだと。

なんか、すごい偏見なんですけど、新書って、馬鹿みたいだ、という思いがどこかであるのです。

それって多分、きちんとした専門書でもなくて、専門的っぽいところをさらっと要点だけを読める、っていうようなスタンスだからなのだろうけれど、これでわかった気になってるような感じはどこか間抜けだな、という思いがあるからなんじゃないかなあ。それは新書を読んでる人がそうとかじゃなくて、自戒をこめて、というのが強いんだけど、当然。

んでも、中村俊輔の「察知力」とか松井秀喜の「不動心」とか、岡田斗司夫のなんだっけ、レコーディングダイエットのやつとか、そういうのが新書イメージで、それを全部読んでるのもどうかと思うんだけど、そういうものもある中で、何か、一応いろんな分野のことについて、てっとり早く知的好奇心を満たそうとさせるような、各社の新書って、結構好きなんだよなあ。好きだからこそ、これですべてだと思うのは、知的好奇心というイメージの危うさそのものみたいなことなんだと思う。

だからこそ、今回の本で言えば、うわー、東浩紀大塚英志ってどう絡むんだろうー、とか、そういうなんだか本質とは違うような興味とかもありながら、手に取っている自分自身が、恥ずかしくもあり、どうせ全然言ってることわかんねーしなあ、という開き直り的な思いも交じりあってもいる。

まあ、一番最後の春樹と龍についての作品を照らし合わせるような内容の本(MURAKAMI)に関しては、納得いくいかないの問題ではなくて、普通に理解はできるけれども、あとの本については、結構というか、ほとんど内容がわかってないんじゃないか、と思っている。っていうか、僕わかってないぞ! と堂々たる宣言。誰も聞いてないところで、小声での、ささやきながらの宣言。絶対きれいになってやる、そのあと、おもちをたらふく食べる! 的な。

おもちは食べたらいいじゃん、と思うわけだけど、まあ、それでも、僕は社会的な論説みたいなのは、結構好きだったりする。意味がわからないなりに、それぞれの書き手のトーンがあって、味があって、東浩紀のはまだわかりやすいと思う。だけど、大塚英志との対談での齟齬はすさまじかった。これわざとじゃないかしらん、と思うくらいに、立場の違いがあって、そこが際立っている。僕はどっちの立場がおもしろいかなあ、と思いながら読んでいたけれど、どっちもわかる部分もわからない部分も(僕の狭い理解の範囲の中で)あって、その立ち位置というか、角度の違いじゃ、かみ合わなくて当然だろうなあ、とも思ったのでした。だったらどうすればいいのか、とは僕はわからないけど、そうした祖語から見えてくるものがあるのかもしれない。

鈴木謙介のものに関しては、僕にはあんまりよくわからなかったなあー。うーん。もっと若さがある物言いでいいんじゃないのかなあ。よくわからないけど、トーンがあんまりピンとこないなあ、という印象だけれど、それは僕がきちんと内容を理解してないからなんだろうと思う。けど、最後のあたりの、世代論に収斂されてしまうロストジェネレーションの、もやもや、って感じは、すごくよくわかった。そこはとてもよかったなー。そういう部分を書くのに、慎重になりすぎたというか、丁寧にやりすぎたのかもしれないけれど、もっとそういう部分を出してほしいなあ、と思った。そのほうが、きちんと、読み物として、おもしろいと思う。まあ、そういうエモーショナルな部分がどうとか、あんまり安っぽく言うのは、こうした論説を書く人に失礼なのかもしれないけれど。

まあ、結局何が何だかわかりません、と3つの新書をまとめて言うのもくだらないと思うのだけれど、続けざまこれらの本を読んで、新書には不思議コードがあるなあ、って思ったので、ちょっとまとめて書いちゃいました。そういうよくわからなさも含めて、てっとり早いっていうのは好きで、そこでわかった気になる気恥ずかしさを感じながら、僕はだらだら読んでしまうのです。読んだそばからぽろぽろ忘れちゃうけど。ルマンドみたいな、ぼろぼろっぷりは、ある意味で、僕の読書感を端的に表していると思います。知識にならない、何か。わからない中での、何か。

多分、教科書もそういう態度で読んでたら、大変なことになるよ! なったよ! オール3の申し子だよ! 

普通が一番。というよくあるう胡散臭い物言いを聞いて、やった、じゃあ、俺一番じゃん! と胸騒ぎの放課後。まあ、胸騒ぎってトイレに行きたいだけだけど。

2008-10-16 お久しぶり、ミリンちゃん

[] O−N−A−R−E−R

最近、僕の周囲で、はてなダイアリー再評価、という感じになっていて、モロにその影響を受けて、受けまくって、僕もはてな書きたい! はてな! はてな! と思った。

今、はてなコールが起こったのかと思われた方もおられるかもしれませんが、完全に、僕の一人芝居です。いや、むしろ僕も完全に無言だった。

で、とりあえず、今、はてなダイアリーを書いてみている。

いろんなタグボタンがあるのだけれど、さっぱり使い方を忘れてしまった。するっと忘れている。

徐々に、思い出すなり、新しい機能について学ぶなりしていこうと思うが、あちこちで始めたブログ三日坊主っぷりを考えると困っちゃう。

困っちゃう。って書いてみてもさほど困ってないけれど、ほんと三日坊主にならないように気をつけよう。だけど、以前、ここを見ていた人たちは見ないんだろうなー。僕も全然人のホームページとかブログを見なくなったし。

と、ぐつぐつ言いながら、ここで書くのは、以前のような漫画とか本とかの感想にするのか、それとも、俺ブログ然として書くのか、迷っています。

次回、どうなるかに期待だぜ。

僕の考えた発明シリーズ(その1 おなら爆弾)とかになったらごめん。

誰に対してのごめんなのかはわからないけれど。ぷすっぷす。

今、あれ、そのおなら爆弾? もうすでに発明したの? と思われた方もおられるかもしれませんが、完全に僕は真顔です。もういやだよ、おならなんて書きたくないよ。おならをおもしろいと思ってたのは、26歳までだよ。

ウィ、晩成タイプ

2005-09-19 やわらかいおにくたちの祭典

いよいよ秋めいてまいりました。すごしやすい季節です。嬉しいです。すでに栗ご飯を食べました。ぎんなんもいれました。なんか、黄色じみていました。ジャーの中が。ジャーの中で。

[]「東京奇譚集村上春樹

東京奇譚集

東京奇譚集

こういう青臭い言い方をいつまで経ってもしてしまうわけだけど、できることならば、ずっとずっと村上春樹小説を読んで過せたらなあ、と思う。新作やら昔のやらどれだけ読んでも読み尽きることがないほどあふれていたらなあ、そんな時間があったらなあ、なんて。わあ、言ったら言ったで思った以上に恥ずかしいよ。

もちろん、読書というのは、その本を読んでいない時間も含めての行為だ、という言い方もできるかもしれない。だからこそ、新作を待ち焦がれて好きな過去の作品を読んだり、ほかの作家小説を読んだり、全く小説から離れてみたり、そういうリズムがあるからこそ、新刊を読む喜び(その後にままある失望も含めて)ってやつは大きいのだ、というのももちろんわかる。だけど、だけど、それでも、読みたいなあ、読み続けたいなあ、という欲張りな気持ちは村上春樹に関しては尽きることはない。

んー、なるべく、好きな気持ちをこめすぎないように書こうとは思うんだけれども、充分に、いわゆるミーハー的な物言いになってしまっているのは、重々承知しておりまする。だいたい、春樹ファンなんかにまともに本読むやつなんているのかよ、というアンチ的な気分もわかる、ような気がする。だからこそ、トーンを抑えて書きたいんだけど、そうできていないのは、多分、読んだすぐにこれを書いているからで、そして、僕にとっては、かなり、新作がおもしろかった、という理由にもよるんじゃないのかなあ、となんとなく思う。

という、すげーなげー前置き。

書き下ろしも含め、全部で5つの短編が載っているんだけれども、どれもおもしろかった。まあ、僕は春樹の作品の中でも失敗作じゃないのか、というようなものまでも、というか、ほとんどの作品をおもしろかった、と結構真顔で本気で言うから、こういう言い方もまともじゃないのかもしれないけれど。

まあ、かなりまともな短編を書くなあ、という印象がある。特に今回のは、最初の話は、なんていうか、とても、短編っぽい。うまく言えないけれど、かなりど真ん中、というイメージがある。なんていうか、村上春樹が書かなそうな話だなあ、というか。もちろん、文章も、最初の導入部分だとか、この話は人から聞いた事実だという構造(それが嘘という意味でなく、それをわざわざ説明をする、という意味で)、そういうものは確かに村上春樹っぽいんだけど、なんか、すごく真っ当なことを書いている感じがした。それが悪いんじゃなくて、かなりおもしろかった。意外というか。少しだけ、いつもの村上春樹のものとは手触りが違う印象を受けた。

僕は、2つ目の作品が特に好きだと思った。なんていうか、主人公の女の人のキャラが好きだ。若者との会話がなんかいいなあ、と思う。なんか、いかにも、な会話なんだけど。でも、2つ目の作品の余韻みたいなのは好きだ。

「品川猿」は、なんていうか、これって、どういうことなんだろうなあ、と思って読んでいたら、最後で、普通、説明しないはずのところを説明していて、その説明する存在自体が、かなり象徴的で、なんの説明もなくて、こっちはただ与えられているだけで、距離感がすごく不思議だった。いつもなら、ふんわりと残されていたものが、あえて、説明を与えられたことで、その説明を与える者(この場合猿だったり、カウンセラーの人だったりするんだけど)の地に足のついていなさ、脈略のなさ、いかにも象徴っぽい、メタファーとしての存在ばりばり、というのが、最後まで不思議だった。変な話。おもしろいけど。品川猿、だって。

まあ、どれもがおもしろかったです。読んでいる間は、すごく幸せな気持ちになりました。ああ、また早く読みたい。

[]「ケータイストーリーズ」バリー・ユアグロー

ケータイ・ストーリーズ

ケータイ・ストーリーズ

もうユアグローの小説は読みたくない。そんな気持ちになった。なんていうか、お腹一杯。特にこの本に入っているのは、かなりしんどい。

ユアグローの悪夢的な世界は、本当におもしろいし、すごい刺激的なんだけども、悪夢も同じ者を見続ければ悪夢じゃなくなるように、なんていうか、飽きちゃう。

本当におもしろいからこそ、なんか、もったいないなあ、って思うのだ。なんていうか、手垢のついた世界観は見たくないんだよ、っていう。うーん。

日本だけに、書き下ろし、しかも携帯に配信、という形で書かれたものらしいんだけど、その方法論はおもしろそうだし、将来的には期待がもてるかもしれないけれど、今の形では、なんていうか、中身自体は合わないような気がする。携帯小説なんておもしろいのかなあ。もちろん、短い文章の中で圧倒的な世界を見せてくれるユアグローの作品でもつまんないからこそ、そう思う。ほかの作家なら尚更無理な話なんじゃないかなあ。

だからこそ、ちゃんと、おもしろいのを読みたかったなあ。というすごく贅沢な文句を言いたいのだ。もちろん、中にはおもしろい話もあって、すげーのもあっただけに、外れが大きくて、大きくて、悲しい。

けど、ユアグローのこのフットワークの軽さ、というのはすごいなあ、とは思う。こういうことも糧になって、次の話に活きてくるわけだろうし。だからこそ、この形で、いつもの感じ、ユアグロー節、というのは、僕にとっては、かなり苦しかったです。

お腹一杯になったから、また違ったアプローチのユアグローの作品が読みたいです。かなり。まじで。

[]「奥さまは魔女

まあ、なんていうか、二重構造は単純におもしろいんじゃないのかなあ、と思う。奥さまは魔女リメイク魔女が演じる、という。もちろん、オリジナルが認知されていない状態でも(世代的なことも含めて)、その二重構造がおもしろくないと意味がないわけで、単なる、ドラマを知っている人にはわかるでしょ、だけなノリではつまんない、とは思うけれども。

そういう意味では、よかったんじゃないのかなあ。おもしろかったと思う。

もちろん、どうやったって、話の展開は見えているわけだし、複雑なストーリーを見たいわけでもないので、ひねりも何もいらないわけで、ある意味では、いかにチャーミング(言葉の意味はわからないが)なニコール・キッドマンを見せられるか、というところで、とても良かったと思う。まあ、笑えるわー、とかそういうのはいかにもアメリカンなノリだけども(マイケル・ケインの登場とかさ)、あんまりうざったくは感じなかった。なんていうか、おもしろかったと思う。というか、かわいかった、というか。あの歳でよくやるよなあ、という印象もなかった。ほんとに。

というわけで、まあ、なんていうか、いらいらせずに、ほんわか(言葉の意味はわからないけれど、これこそわからないけど)とした気分で見れるよ、多分。って感じです。

[]「チャーリーとチョコレート工場

公開日に見に行った。何、この期待感。パンフレットも買った。何、この盛り上がり。

わくわくして見たら、おもしろかった。画面が鮮やかでよかった。チョコレート工場内とかは、まさに、って感じ。なんていうか、いかにも、ティム・バートンぽくて、よかった。まあ、自家撞着してなくもない気もするんだけど。

ジョニー・デップらしいというか、ああいう変な役はすごい合うなあ、と改めて思った。全然気持ち悪くない。かわいいし、かっこよく見えて、味を出せるんだもんなあ。

だからこそ、もっと、ウォンカの個性を出して欲しかったなあ、という感じがする。個性、というか、もっとズレた感じ、ていうか。

最後の父親との関係回復みたいなのも、取って付けた感がして、あまりしっくりはこなかったなあ。もちろん、じゃあ、その親子のエピソードが丸々いらなかったかと言えば、全然そんなことはないんだけども。

でも、原作が子供向けだからといって、そこをさらっと簡単に消化すればいい、ってもんでもないと思うんだよなあ。なんていうか、ウォンカが変人、というか、あの変さを押し出すなら押し出すで、回復の仕方とかは簡単に申し訳程度に入れておけばいい、ってのはなんていうか、もったいなさすぎるし、緩い気がする。

でも、それでも、おもしろかった。感動する場面もあったし、これはこれで充分によかったんじゃないかなあ、と思う。あと、チャーリー役の子がかわいかった。

あと、(原作に忠実なのかもしれないけれど)あれほどのウンパルンパ推しは、結構おなかいっぱいだと思う。なんか、違うかもしれないけど石井克人の我修院推しみたいなのと被る気がした。どや? 感が強くて、ちょっと、辛いです。おもしろくないのと、おもしろいのが麻痺するのとは全然違うと思うし、してやったり、みたいなのは、あんまり個人的には好きじゃないです。たくさん見すぎたせいで、ウンパルンパがなんでんかんでんの人とか目覚ましテレビの大塚さんに見えてきた。

あ。それがおもしろいのか。なら、おもしろいや。

まあ、ウンパルンパ若人あきら問題は置いといて、純粋に楽しめる映画だったと思う。ジョニー・デップもっと見たい。

[]「フルーツバスケット 18巻」高屋奈月

フルーツバスケット (18) (花とゆめCOMICS)

フルーツバスケット (18) (花とゆめCOMICS)

いよいよ佳境、という感じ。んー、続きが非常に気になるぜー。気になるぜ。

でも描かないといけないことがまだまだあるのかなあ、って感じがしないでもない。話はかなり終わりに向かって動き出してはいるけれど、いろいろと描き切らないと、なんか、すっきりしないなあ、ってところは意外と多そうだ。だけど、話の核心が気になるしなあ。うーん。もやもやするぜ。

これだけたくさんの人が出てくると、しかも、重要人物がこんだけ多いと、単に話に出す出さないだけじゃなくて、動き、のようなものを描かないといけないし、人が増えればその分それぞれの関わり合いを描くのがまじで大変だと思う。そこが肝でもあるわけだし。なかなかできないよなあ、普通。破綻しそうだもん。あちらをたてればこちらがたたず、みたいな感じで。どんどん敵が出て、超人が出てきて、それを倒して、とかそういう展開じゃないから。難しいよなあ。そしてその登場人物の中で、恋愛、となるとそれはそれで余計に。だれてきてもよさそうなもんなのに、全然だれないなあ、僕としては、興味が全然なくならないし、同じテンションで、むしろ、どんどん先が気になってきているくらいだし。

だけどまあ、全てをきっちりと描き切れてない、としても、それでも、なんとか興味深そうに話を進めているんだから、それはすごいと思う。そういう登場人物の関わりがおもしろいし、話の進み具合が気になるし。

要するに、ますますもって楽しみで仕方ないぞ、ということです。

[]「HEY HEY MY MY YO YO」JUNIOR SINIOR

Hey Hey My My Yo Yo

Hey Hey My My Yo Yo

思いのほか、ジュニアシニアがおしゃれな感じになっていて、驚いた。見た目がじゃなくて。見た目は相変わらず、なんか、デブがいるけど。ぶーちゃま。ちゃまをつけてみたけれど。

なんていうか、ちょっとさー、これ、前のアルバムみたいなバカっぽさないじゃん、必要以上に弾けてる感じの曲ないじゃん、っていう印象だ。もちろん、楽しいし、いやじゃないんだけど。全然すばらしいんだけど。だけど、これが、いろんな要素を組み合わせて成長した結果だ、といわれれば、ああ、そうなのか、それはすごいね、としか言いようがないんだけど、あのバカっぽさ、もっとあってもいいんじゃないのかなあ。ほんと、それだけが惜しい。ほんと、個人的にはすごい前作のバカっぽさも、入っていて欲しかったなあ。と思う。かなり。

って、さっきから、バカっぽさ、という言い方でしか表現できてない方が、かなりバカっぽいんだけど。なんか、「あの、がりがりしていてソーダ味のアイス!」と必死でガリガリくんの説明をしているみたいな感じがする。もう、完全に、最初の単語で、最大で最強のキーワード、出てるんだけど。むしろ呼び捨てで、出てるんだけど。それくらい、バカっぽいという表現のバカっぽさ。

まあ、バカっぽさが欲しい、なんてのは、それしか言いようがないほどに、このアルバムが素晴らしいものだからなんだけど。前作みたいなアッパーで速いパーティーパーティーな曲が聴きたければ、それは前作のCDを流せばいいじゃん、ってことなんだし。

でも、このアルバムの中にそんなめちゃくちゃ殺傷力の高いやつがあったら、まじで最高なんだけどなー。

でも、そんなバカっぽさが無くても、充分に楽しいアルバムであります。

2005-08-27 カムストック

うおー! 誰もおすすめ漫画をあげてくれていない! 僕の放置っぷりも立派だけれど、見ているみんなの放置っぷりも立派だ! 立派同士! 立派じゃないから!

というか、見ている人が少ないのかも、しれないよね。めでたし。

そんなわけで、いろいろ書きたいものがあるものの、最近のだけ、さらっと書く、ことにします。さらさらっと。

[]「nice and nicely done」THE SPINTO BAND

Spinto Band Nice & Nicely Done

Spinto Band Nice & Nicely Done

かなりお気に入りです。ポップです。かなりキラリキラリとしたメロディーでうるさすぎなくて、いつ聴いてもOKです。テンション上がる時は上がるし、しっとりとした気分になりたい時はしっとりとなるし、キュンってなりたい時はキュンってなるから、ある意味、最強です。

今、30を過ぎたおのこが、キュン、って、とか書いたけれど、真顔で書いたけれども、そのことはともかく、なんていうか、まあ、それくらいの魔法がある感じ。魔法がある感じ、とかいう物言いもひどい、とかも言えるし、キリがないんだけど、とにかく、素敵ミュージックです。ジャケはなんか止めた自転車に手をついている女の子の絵が描いてあるんだけれど、その女の子がひどく不細工で、なんだかそれもまた素晴らしいです。逆に、かわいいです。聴いたことがある感じだけど、それでもお腹一杯にならないさじ加減が絶妙だと思います。

[]「阿部和重対談集」阿部和重

阿部和重対談集

阿部和重対談集

タイトル通り阿部ちゃんの対談集。全然、ちゃん付けしたくないし、した意味もわからないけど。まあ、なんていうか、この本を読むと、いかに文学界(もう書いてるだけでさぶい)が、内輪的なのか、閉鎖的なのか、そして死にそうな世界だからこそ、より結束して生き延びましょう、みたいなそんなノリなのか(無意識的にしても)がよくわかる。阿部和重の対談でさえ、そう思ってしまうんだから、よっぽど事態は深刻だろうと思う。というか、深刻だと思っているのは単純にその世界の人達だけであって、周りはなんとも思ってない、興味すらない、というのが実状だ。

そのことをわかってはいるんだろうけれど、なんだか有効な手段もなく、愚痴だったり、ずたぼろのプライドだったり、自分は革新的です、みたいな態度の表明だったりして、痛々しい。

そんな対談ばかりだった。なんていうか、エンタメと文学的なる雰囲気を行き来できるような舞城王太郎一人勝ち(ってわけでもないのかな)、な状態であることが必然のような気がする。

もちろん、僕のこのような見方というか感想ですらすでに古臭くて、何の意味も持たないってのは事実なんだけれど。おまけに、そういう痛々しい対談が僕は好きだったりするので、読んでいておもしろかったんだけれど。そもそも、対談なんて興味ない人以外読まないわけだし、まあ、こういう本はこういう本でありなんだろうなあ、という感じ。

本当に、なんていうか、対談に出てくる文芸評論家胡散臭い読み解きっぷりが、おもしろいといえばおもしろい。もうある意味では、評論は小説以上に自己満足だよなあ、って感じ。それが悪いわけではなくて、そのことに自覚的であって欲しいなあ、とはなんとなく思う。そういう意味でここに出てくる人はまだよかったのではないかなあ、と思うんだけども。

あと基本的に、阿部和重は自己言及しているように、作品について喋りすぎだと思う。しゃべりたがり、というか。言わずにはいられない、というか。それが、候補にあがりながら何年も芥川賞を取れなかったことと関係ないとは言えないんじゃないのかなあ、と思う。それでもまあ、最終的には取っちゃえばいいわけだけど。だけど、取ってしまったことで、散々、自分は距離を置きたい、というポーズを取り続けていた、文壇だとか文学界的なものに、いやがおうにも呑まれてしまっている感じがなくはない、というか、それもまた不可避なものなんだろうけど、そのことに阿部和重が自覚的に、そうじゃないんだ、俺は違うんだ、俺は、それを乗り越えるんだ、というような感じが見られると、またげんなりしちゃうのも事実だったりするのが、僕にとっては、なんだかわけわからんくておもしろいなあ、と思う。まあ、どっちにしろ、結局は作品がおもしろければいいんだ、って思うから、そういうアンビバレントっぷりとかも見てて楽しいし、がんがんやっちゃえば、なんてすごい適当なことを思いながら、こういう対談的なものを楽しむのもありで。

正直、好きな作家や興味のある作家が、作品以外で何を書いていようがどんな対談をしていようが、それはそれでいろんな意味でおもしろく読める。だからこそ、僕にとってはそういう作家ボーダーラインぎりぎりの阿部和重が何か喋りたがったり、その一方である種のポーズを取りたがったりしている様子を見るのは、なかなか、おもしろくもあり歯痒くもあり、いらいらもしてしまうことなのだ。

[]「シガテラ」6巻 古谷実

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

最高で最低の終わり方だった。それが素晴らしい。古谷実はすごいなあ、と最初から最後まで思わされっぱなしだった。古谷実が次にどんな漫画を描くのか、本当に楽しみで仕方がないよ。

最初に、最高で最低の終わり方というのは、なんていうか、個人的な思い入れで言えば、主人公と南雲さんは別れて欲しくなかったなあ、という、そういう気持ちがあって、だけどそれは全然リアルじゃない、あり得ない馬鹿げたハッピーエンドなわけで、シガテラがおもしろかったのは、そういうリアリティというかストーリーの説得力、のようなものをずっと一貫して描いてきたからなわけで、それが最後の最後でひっくり返る(南雲さんと続いている)となると、シガテラシガテラじゃなくなるし、古谷実古谷実じゃなくなると思う。だからこそ、あの終わり方は、もしあのタイミングで終えるとしたら、シガテラとして、最高の終わり方なんだ、と思う。

シガテラには最後までどきどきしっぱなしだった。ダメさや真面目さや可愛らしさや馬鹿さがいちいちリアルでとてもうねりがあって、本当に気持ちが揺さぶられる漫画だったなあ。

[]「歯ぎしり球団吉田戦車

歯ぎしり球団

歯ぎしり球団

結構前に連載していたのがようやくまとまって出た、ってことらしいんだけど、初めて読んだら、すごいおもしろかった。もう全然野球漫画じゃない。当たり前だけど。

これをシュールと言うのは簡単なことだけど、この人の漫画は不条理だとかシュールだとか、そういう枠組でとらえられないんじゃないかなあ、と思う。別に、今更、吉田戦車って不条理、なんて言うことも思ったりもしないのかもしれないけれど。

自分で言っておいてなんだけど、そんなことは関係なく、この歯ぎしり球団はおもしろいなあ。吉田戦車馬鹿馬鹿しさがよく表れていて、笑った。少し前に「なめこインサマー」というエッセイ集みたいなのも読んだんだけれど、やっぱりこの人が描く文章もおもしろいんだなー、と思った。

さすがだ。

歯ぎしり球団は10年ほど前の連載なのに全然古くないし、今でも充分におもしろいと思う。伝染るんです、とかはなんか、逆に風化して感じやすいんだけど(比較的には、ってことで)、それでもおもしろいなあ。初見だから、とかそういうんじゃなくて、なんか、このアンチストーリー的な感じと、いわゆるわけのわからない馬鹿馬鹿しさ、みたいなのが相俟って、ある意味では最高の野球漫画になっている。

2005-07-20 ミリンが切れていた

[]効果無し

すっかり、放置してしまっていた。なんだか、いろいろとあった気がしたけれど、まあいいや。

とりあえず、少しずつ書いていこうかと思います。

更新していなかった間に、すでに完全にブームが過ぎ去った、おそるべしミュージックバトンみたいなものを回していただいた方もおられましたが、今更感、というのと、本家ページ「よかれと思って」(とかいうところ、全然よかれじゃないところ)で、アップしましたので(それももう消しちゃったけれど)、それでご勘弁願いたい、と思います。本当に、回した下さったみなさん、ありがとうございました。そしてごめんなさい。今更、という感じもしますが。

まあ、ちょくちょく、気になったものを更新していこうかと思います。長く書きたいことを書こうとすると、めんどくさくなっちゃう、だめだめっぷりですので、短いながらにも、ちょくちょく書いていくように、したいと思います。思うばかりで、実際どうなるのかわかりません。

いよいよ、おもしろ漫画を読みたいです。何か、これは! というのがありましたら、教えてください。むっちりと。夏はむっちりと読みたいと思います。

あと、音楽も! 新譜じゃなくても、これいいよ、というのがあったら教えて欲しいです。

では! さらば!

2005-04-11 もっちりしたよ、魔人ちゃん。

なんか、まただらだらと書いちゃった。

[]「象の消滅」村上春樹

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

村上春樹短編をまとめた本なのだけれど、元々、海外で出版されているらしくて、それを逆輸入、みたいな形で出版したやつだ。日本で既に売られている様々な短編集でそれぞれの短編を読んだことがあったのだけれど、いくつかの出版社が入り混じって、日本で売られている短編集が入り混じって、ランダムに一つになったのを読む、という感覚が、新鮮でおもしろかった。なんか、シャッフルっぽくて。

80年代、90年代に書かれた村上春樹短編が17つ載っているのだけれど、こうやって、いつもと違うランダムな形で読むと、短編の印象、手触り、というのが幾分違って感じられた。もちろん、優れた小説短編がそうであるように、どういう形であれ、読むたびに違った印象を受けたりするものだけれど、やはり、新しい本、というフォーマットはそうした印象を変えるなあ、って思った。装丁がすごく素敵で、既刊の本と違って本当に新刊っぽい、という理由もあるのだけれど、基本的に、これまで日本で出された短編集は、いつも最初から順番に読むので、本の中における、文字通りの位置、というものが、どうしても違った印象を与えるのだ。

だからって、内容そのものに対しての感想や感慨がまるきり大きな変化を与える、というわけでもなくて、んー、なんていうんだろう、うまくいえないけれど、読書、というのがあくまで個人的な行為である以上、その読む方の意識、というものが、常に読書というものに大きな影響を与えるし(時には内容そのものと同等なほどに)、どうしても、その、少しの変化、というのが気になるのだ。もちろん、それは悪いことじゃなくて、新鮮で嬉しい刺激だ。ほんのちょっと角度が違っただけで、景色そのものの本質は変わらないけれど、見た目は少し違う、みたいなことだ。でも、景色(目の前に山があって、少し右側が欠けていて、というようなこと)は、同じだ。

まあ、ある意味、読む側は、環境であったり心境であったり、常に変化しているわけで、つまり、いつだって、見える角度は、ほんのちょっと違う、というのが、実際のところなんだけど。でも、明確に、目に見える形(収録されているのがランダムに見える)で、おなじみの短編を読む、という行為は、なかなかおもしろいなあ、ということを言いたかっただけなのだ。そして、そういう感触を得られる、というのは、結構、嬉しい。幸せなことだ。

この「象の消滅」に収録されている短編は、だいたいが好きな作品だ。ほとんどが、何度読み返してもおもしろくて、いろんな気持ちになる。相変わらず、読後感は独特だ。短編だけを取ってみても、村上春樹は、随分と余白を残す書き方をするなあ、と思う。それは、なんていうか、説明し過ぎない、ということだったりするんだろうけれど、絶望的だったり、パセティックだったり、何故か、ほんわりとした気分になったり、そうした気持ちが入り混じったよくわからない気分になったり、そうしうた気持ちが入り混じった、良く分かった気分になったリ、とにかくそうした気持ちを抱かせる余白をきっちりと取った作品を書くなあ、と思う。

だいたい、どんな作品にでも、読後感はあるのだけれど、それでも、やはり、村上春樹のは、その読後感を与える、作品の余白、というようなものが多いように思える。これは僕が、盲目的に、村上春樹の作品のことを見ているからかもしれないけれど、まあ、僕にとっては、そういう作品なのだ。だから、僕には、そうした読後感も含めて、彼の作品、というものをしっかりと味わう、ということは随分素敵なことなのだ。

今回も、17の短編を読み直してみて、やはりおもしろかった。なんていうか、何度読んでもがっかりすることがなくって、本当に好きなんだなあ、と実感して、そういう思いが何だかくすぐったかった。

この中で好きな特に作品は、「ファミリーアフェア」と「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「納屋を焼く」、そして、「パン屋再襲撃」だ。もちろん、他のも好きだけれど、今挙げたものは、大学生の時に本当に好きだった。何度も読んで、何度もいろんな気持ちになった。あ、やっぱり、午後の最後の芝生、もいいな。うーん、好きなのが多いな。昔ほど、村上春樹小説に対して、情熱というか、思い入れは無くなったと思っているんだけれど、それでも、やっぱり、こうして読み返す時は、いつも、様々な気持ちになり、感想もまたその時その時で微妙に違ってくる。書いてて思うけど、やっぱり、かなりのファンなんだなあ。自分でもびっくりするくらいに。あー、ほんと、村上春樹については、くだんないことばっかりを、きもいくらいに延々と話してしまうから、これで終わり。恥ずかしい。

えーと、というわけで、これはプレゼントにぴったりの本じゃないかな、と思う。ほんと、装丁が素敵だ。

[]「デスノート」6巻 大橋つぐみ 小畑健

DEATH NOTE (6) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (6) (ジャンプ・コミックス)

あっという間に6巻だ。

だというのに、すでに、ものすごいいろんなことが起こった、気がする。って、文字量半端じゃないもんなあ。これだけ1巻を読み終わるのに時間がかかるジャンプコミックがあっただろうか。

ある意味、やるっきゃナイトは、時間かかったけど。いや、時間かかってないけどさ。などと。言うて。みた。

ということで、前巻で、ライトの記憶がなくなって、どうなったんだ、どうなってもうたんだ、という新たな展開にやたらと驚いていたし、がっかりもしていたんだけど、本誌を読んでいないため、今はどうなってるのか分からないんだけど、なんていうか、もう、これ、どうやってオチをつけるんだ、というところが本当に気になって、そこだけに興味、といった状態だったんだけど、それってのは、結局ライトが再び死神が見えるようになるのか、そして、その方法とはどうなんだ、っていう、その、ネタばらし、というところのみ、気になっている状態で、もう話自体は、ヨツバがどうなろうとしったこっちゃねえよ、というか、随分しょぼいデスノート使いだよなあ、という印象だったんだけど、それがこの巻は、またもや、僕の頭では、ややこしくて、うおー、読んでてめんどくさい(だけど、それがおもしろい)、って状況になってきた。ミサがレムのことを知っていて、知らないふりをして、L側のために動いているように見せる、という対立構造が、複雑になってきて、そういうのは、いやじゃない。めんどくさいけど。これ、ほんとに、小学生とか読んでて、分かるのかなあ。すげえなあ。ほんと、すごい情報量だよ。僕、いちいち、デスノートのルール、覚えてない、っていうか、気にしてないもん。

だって、気にしてても、あとづけで、どんどん、ルールが追加されるし、解釈の問題、みたいな、憲法っぽい! っていう感じで、すげー、なんとでもなる感があるから、把握してられないよな。まあ、でも、大前提のルール、ってのがありきで、そこが覆るわけじゃないから、その範囲内で知恵比べ、みたいなことになっているのは、おもしろいんだけど。

なんていうか、日本は戦争しちゃいけないけど、軍隊は持たないけど、自衛隊です、えーと、じゃあ、後方支援なら問題ないんじゃない、その際の自衛のための武器は持つよ、最低限、みたいな、流れによって、どんどん新ルール、みたいなのが、加わっていく、この感じ。この、何ノートかわかんないけど、そういう感じ。よくわかんないけど、そんな感じ。

でも、ほんと、ミサがレムという存在(ライトが、わざと記憶を無くして、デスノートを一旦手放した、ということと、全てはライトの狙い通り、という話)を知ることによって、一気に話のスピードが上がった、感じがする。ヨツバが、まあ、元からの予定通りなんだろうけど、ただの脇役、というか雑魚になって、再び、ライト対Lという構図になる方向へ進みながらも、ライト自身の意図というか、仕掛けが明らかになっておらず、未だ、記憶が戻ってない(デスノートを手にしていない)という状況が非常に、どうなるのだろう、とわくわくさせられるので、楽しみだ。

いい加減、面倒なんだけど、楽しみだ。こんな漫画、今までないよなあ。どんどんあとづけ出来て、それ、なんか、ずるい、とか思いながらも、先が楽しみなんだもん。

ということを書いていたら、今、ネットで、何気に、連載でのことを知ってしまった。読んでないし、全くどういう中身なのか(あと、6巻の終わりと、そこからすでに連載している部分の空白がどんなないようなのか)知らないのだけれど、知ってしまった。

第二部??

4年後?

えー。

ますます、どういうことなのか、楽しみ、というか、気になる! 松田くん、元気なの?

んー、でも、やっぱり連載は、読まないぞ。

[]「バカ姉弟」4巻 安達哲

バカ姉弟 (4)     ヤンマガKCデラックス

バカ姉弟 (4) ヤンマガKCデラックス

わー。オールカラーでとにかくかわいい。

普段、ヤンマガパラパラと立ち読みするか、人から見せてもらうかしているんだけど(全く読まない週もあるし、あと、関係ないけど、シガテラだけは絶対読まないようにしているんだけけども)、このバカ姉弟の連載がある週だと、すごい嬉しい。ほんとかわいいぜ。

って、3巻まで持ってないんだけど、おもしろいから、いきなり4巻買っちゃった。もう待てない、って感じで。というか、3巻までも欲しい。全部欲しい。

お姉ちゃんがすごいかわいい。

なんかね、基本的には、読んでいて和むんだけど、すごい切なくなったりもする。なんだろうなあ、この感じ。

安達哲といえば、「お天気お姉さん」が連載中は、ずっとヤンマガを読んでいた時期だったので、結構ちゃんと読んでいた。なんか、ちょっと生々しいなあ、きついなあ、と思いながら、当時の僕には、ある部分、エロの部分で、すごいひかれていたんだけど。なんか、何年も前、「さくらの唄」を電気の瀧がすごい誉めてたので、安達哲ってどういう人なんだろうなあ、と思っていたんだけど、さくらの唄、は当時の僕には、あまりにもきつそうで、なんか、結局、1度も手に取ることがなかった。お天気お姉さんも、コミックを買うこともなかった。

安っぽい言い方をすれば、安達哲は奇才(変態)、っていう印象があって、その奇の部分が、僕には合うようには思えなかったのだ、ずっと。

だけど、久しぶりにヤンマガを見たら、バカ姉弟が連載されていて、それが安達哲だったので、びっくりした。全然、そんな連載してるの知らなかった。でも、読んでみて、なんだこれは、と思った。初めて読んだ時は、ん? っていう感じだった。なんていうか、意味がわかんない、っていう感じじゃなくて、んー、なんだ、これ、なんだなんだこれは、っていう。懐かしい、というわけでもないんだけど、新鮮ってわけでもなくて、ん? ん? っていう感じ。全然伝える気ないな、この文章。この言い方。

でもまあ、なんていうか、最初読んで、すごい気になった。さっき、和む、って書いたけど、ぽわーん、っていう感じでもない。姉弟が純粋な存在として、描かれているんだけど、だからこそ、漫画全体に、毒がある、っていうか。そういう感じ。んーと、なんていうか、純なものって、自分が純だったら、純、ってわかんないし、描けないわけで、読む側だって、うわー、これってすごい純粋、って思うことは、何が純粋じゃないか、わかっている、ってことじゃん。だから、すごいその構造自体が(誰もが和む、癒される、バカ姉弟)、とても不思議な感じなのだ。うーん、うまく言えないけど、癒しキャラ、みたいなのがいるとして、それを描く時、って、その癒しキャラが出ている世界のなかで、癒しキャラに、わー、かわいい、癒されるー、って具合に癒される、という存在が、普通出てこない、と思うのだ。だからこそ、その世界内での、「原存在的で癒されている」存在、というのを描くと、どこか、不思議な感じがする。読んでいて、かわいい、と思いながらも、変な感じがする。なんだろ、自分も、バカ姉弟、に癒されながらも、漫画内で、癒されている人を見る、という同時性みたいなのが、ちょっとおもしろいなあ、と思う。その、ちょっとおもしろい、というのが、毒なのか(どういうところが毒だ、とは断言できないんだけど)、とも思うのだ。でも、それがおもしろい。そういう意味で、以前の作品の、きつい部分、絶対、純粋じゃないような、エグイような、生々しいような部分があってこそ、今、こういうものを書けるのかなあ、と思う。さっきも似たようなこと言ったけど、究極的なピュアネスを描くには、その分、究極的な卑猥さ、っていうのが、必要だと思うから。

あと、基本的に、漫画内での言葉も少なくて、変な感じ。そういうのが、時々、連載を読んでいくにつれて、なんだか、どんどんおもしろくなってきた。好きになってきた。ほんと、安達哲すげーなあ。って思う。

今なら、その、お天気お姉さんを含めて、そう思う。これから、さくらの唄お天気お姉さんを集めよう、と思う。今なら、エローい、とかだけじゃなくて、ぐちゃぐちゃした、えぐいものもおもしろく、読めるんじゃないか、そんな気がする。それと並行して、バカ姉弟、むちゃくちゃ楽しみにしている。

あと、この、4巻、初回版には、シールが付いていて、それがすごいかわいくて、嬉しかった。こういうシールってもったいなくて貼りたくないけど、貼りたいくらい。それくらい、なんか、嬉しい。

[]「<反>哲学教科書 君はどこまでサルか?」ミシェル・オンフレ

<反>哲学教科書

<反>哲学教科書

なんか、フランスで、哲学教科書、として実際に使われているやつらしい。しかも、かなり異色の内容らしい。

って、まあ、それはページをめくってみたら、それはすぐにわかる。トピックスのタイトルが「君たちはなぜ、校庭でオナニーしないのだろう?」、「いつの時点から小便器は芸術品になる?」、「試験に受かるかどうかは星占いでわかるだろうか?」などなど、これを見ただけで、読みたくなる。興味があるよ。こうした、現実と照らし合わせたような哲学だったら、本当に興味がわくし、意味があると思う。意味、ってなに、とかそういうことは置いておいて、現実にフィードバックできない学問なんて、専門家じゃない限り(専門家であったとしても、そうじゃないのかなあ、と僕は思うんだけど、そうじゃない人もいるかもしれないし、それもこの際置いておく、って、置いておいてばかりだけども、置いておく)、必要ない。何の意味があるというのだろうか。ましてや、ほんとは、哲学って、学問、じゃない。はずだ。生きること、そのものであるはずなのに、哲学コール哲学史、になっているのが現状だ(これは本書の中でも言っているけれど、ほんと、その通りだと思う)。

もちろん、学校で学ぶ以上は、がっちりみっちりとした系統的な「学習」ってやつが必要なのかもしれないけれど、でも、だってさ、哲学だよ。哲学哲学なんかに限らず何でもそうだと思うんだけれど、何かについて知ろうと思った時に、そして実際にその何か、というのに取り組んだ時に、自分の生き方、もっと言えば自分自身、に重なることがなかったら、自分にフィードバックできないのなら、そうしたことに何の価値があるのだろう、って思う。本気で思う。もちろん、学んでいることが、目的に、になってしまうのは、もっと違うんじゃないのかな、と思う。

だから、少なくとも、僕は、誰がどんなことを唱えた、とかは、ほとんどどうでもいい。と思う。知りたくない、というのではなくて、そういう先人の(優れた、もしくは過去には機能した)考え、というものに触れて、それを通過させた後に、肯定でも否定でもなく、自分はどう考えるか、ということだけにしか興味が無い。そして、そのどう考えるか、というのは、読み終わった直後に、こうした問題は、どうなんだろう、というのではなくて、普段、自分が生活してく中で、自分の生身の考え、そういうのが、自然に出てきた時に初めて、本で読んだもの、とかが、生きてくる、しかも、自分というフィルターを通しているので、それは、受け売りでもなく、自分自身のものであるし、これは誰々の意見に被るな、誰かが言ってたな、と自覚してないくらいに、自然と浮き出てくる、というくらいまでに完全に自分自身に還元できている、という状態でなかったなら、本当に、それはただのお勉強なんじゃないか、と思う。

ここで言っているのは、立派な人間になるために、というわけじゃなくて、どう濃密な時間を過すか(書いてて恥ずかしい)、というための方法でしかない。えらくなりたいわけじゃない。自分が、どうなりたいのか、何が楽しいのか、それを考えながら実践していくための手段でしかない。哲学の本を読むということが目的なわけじゃないし、そんなものには興味が無いのだ。僕が言いたいのは、単に、自分で楽しく、充実した時間を過していく、ということだけを求めているわけで、そのために、この本を読むことと、他の漫画小説を読むことに、何の違いも無いのだ。そこで意味があろうがあるまいが、何かを感じること、こうしたことが、自分に還元できるんじゃないか、できたらいいな、まあできなくてもしょうがないよな、また別の何かをしよう、というだけのことだ。

というわけで、この本は、先ほどの、トピックス名からも分かるように、非常に身近な話題で、興味がそそられる。そういう面からアプローチしていて、そこで展開されている話も、決して押しつけじゃないし、各ブロックの終わりには、古いものから新しいものから、様々な角度から述べられた書物の引用がされていて、それもおもしろい。そこにあるのた、ただの系統的な哲学史、ではなくて、並列な、引用でしかない。

相対が正しいわけではなくて、相対的なものを前にして、それをどう受け取るか、が1番大事なんじゃないか、と思うわけなのだ。

まあ、ほんとは、これを読みながら、そんなことを考えていたわけじゃなくて、うーん、夕飯手巻き寿しがいいなあ、とかそういうことばっかり考えていたんだけど。そして、それでいい、と思う。なんていうか、そのことでさえ、本を読みながら、多分、読んで感じたことを実践している、わけだから。

なんていうか、手巻き寿しと、誰でもいいけど、例えば、プラトンの距離、って全然遠くないんじゃないか、って思うよ。僕にしたら。プラトン本人にしたら、あまりに遠いんだろうけれど。でも、プラトン本人と、果物の距離は、近いんじゃないのかな。そういうことなんじゃないかな。

言ってて、全く意味わかんなくなってるけど! 

そして、手巻き寿しはおいしかったんだけど。それでいいじゃないか。フィードバックできているかどうかなんて、誰にもわからないんだから。だからこそ、僕は、常に、求めるのだ。