”ゲーム世代の先制攻撃”『エンダーのゲーム』(ネタバレあり)


 オーソン・スコット・カード原作小説の映画化。


 五十年前の戦乱において、地球は昆虫型生命体フォーミニックにより大打撃を受けた。次なる侵攻に備え、地球は天才児たちに英才教育を施し指揮官へと育て上げるスクールを創設。その中にアンドルー”エンダー”ウィッギンはいた。あまりの才能に早くから頭角を現す彼を、密かにマークする訓練長官のグラッフ大佐。エンダーに、フォーミニックを打ち破るある資質があるか見極めるべく……。


 原作は確か高校生ぐらいの頃に読んで、非常に印象深かったのだが、初の映画化となった。正直、傑作であるだけに、映画の出来に関してはかなり不安視していたものである。
 果たして、長編一冊の分量はかなり凝縮されていたが、オチを知っているため、そこから逆算して各描写も楽しむことができた。二回目の鑑賞の感覚に近いが、映像のイメージも思い描いていたものとかけ離れてはいなかったのが好印象。


 主人公である「エンダー」のキャラクターの描写に多くの尺を割き、チームを統率するコミニュケーション能力と、「敵」になるものに対して先制攻撃をかけ、確実に仕留めることの合理性を追求できる頭の良さを描く。これこそが上層部が彼に求める資質であり、これから始まる「虫」たちとの第二次戦争において基調となるイズムであることが、その訓練の過程において繰り返し語られる。
 隊の中でのいじめに対し、先手を取ってボスを叩きのめし強い痛みを与えることで繰り返させないようにする……というのがエンダーの取った戦略であるのだが、彼自身がそれを最良の選択としつつも、その暴力に対して、粗暴な兄を己の内に見出して葛藤を抱えているあたりがポイントで、ハリソン・フォード演ずる司令官はそれを肯定し、引き出そうとしていく。
 葛藤を抱えたまま訓練は進み、その暴力は迫る「戦争」に向けて幾度も肯定され、ついには殺人さえも許されるようになる。全てはタイトル通りの「ゲーム」感覚で糊塗されているのだが、そこからじわじわと生のリアル、死の生々しさが噴き出てくるあたりも、結末に向けた伏線だ。
 少年たちの所属する軍隊は、まさにアメリカの軍隊の露骨なパロディになっていて、この辺り、同じく「虫」と戦うSF映画である『スターシップ・トゥルーパーズ』程の毒はないものの、米軍と戦争に対する風刺になっている。途中に出てくる「虫は下」という言葉は、「いい虫は死んだ虫だけだ」という『スターシップ・トゥルーパーズ』の風刺を思い起こさせるところ。


 展開が早くダイジェスト的になっているところと、基本的にはソフトな描写も合わせて、強烈なインパクトを与えるものにはなっていないが、原作の基本精神を失わずに、現代社会への批判もきちっと盛り込んで、上手くまとめたな、という印象。




<ここからネタバレ>








 原作は古い小説だけに、クライマックスはこんなCGバリバリなものではなく、インベーダーゲームのような無機質さを想像させる描写だったのだが、攻撃開始の一瞬前に、千対一の戦力比を示す俯瞰映像を入れたのが、まさにその小説版の描写のイメージ通りで、ちょっと興奮してしまったわ。さらに、他の戦力を楔にしての強行突破なども再現して見せていて、そこも良かったですね。

 オチに向けて集約した一発ネタとしての側面も持った作品で、勝った瞬間にどうだと思って振り返ると、後ろで偉いさんたちが狂喜乱舞していて「えっ!? 訓練なのに何で……?」と思うあたりの描写が好きだったのだが、映画版はその後に来るラストの印象をぼかさないようにバランスを取った感じか、割と淡々としていて、ちょっと食い足りなかったところでもある。
 まあでも、ほんと手放しで喜ぶような話じゃないんだよな。ラストを考えると。主人公が訓練中に常に肯定され続け、育てる事を要求されてきた、対話せずにひねり潰すだけの価値観が殲滅と言う結果を生み、それへの疑問がついに頂点に達する。「虫は下」に違和感や不快感を覚えたならば、その感覚を大事にしたい。ハリソン・フォードベン・キングズレーは、まさにその「人間」の価値観の代表で、そこを突き詰めた挙句に結局は一歩も出られない人として描かれている。「虫」という異人種を敵とみなしただ滅ぼす行為は、人間の歴史でも延々と繰り返されてきた大虐殺、今も続く偏見と重なるが、それらは結局、いじめに怯える子供の過剰反応と似たり寄ったりなのだ。
 それら全てを、子供に背負わせ引き金を引かせた大人の弱々しさに、『ホワット・ライズ・ビニース』の時のようなハリソン・フォードのしょーもなさがいい感じに重なったなあ。まあ本人はいつもと一緒で、そこまで考えて演技してないかもですが!


 壮大過ぎる話なために、その「対話」の部分が少々唐突な描き方になったのもったいないが、エンダーはラストでは違う選択をする。その名の通り「終わらせる」ため、引き金を引いて全てを滅ぼすために作られた少年が、そうではなく「続ける」ことを選び、「虫」たちのため、女王の繭を抱え一人宇宙へと去る結末。それは与えられた役割と作られた生を振り捨て、怯えた卑小な大人のさもしい価値観すべてを蹴飛ばして、自ら生き直すことに他ならない。


 主役エンダーを演じたエイサ・バターフィールド君の演技は素晴らしく、『ヒューゴの不思議な発明』(http://d.hatena.ne.jp/chateaudif/20120308/1331207290)よりも手足が伸びてぐっと大人びたものの、まだまだ線の細い感じが見事にハマっていたね。で、クロエちゃんでもアビ姉ちゃんでもトゥルー・グリッ子でもなく、虫の女王をヒロインに選んじゃうこの純粋さがまさにこの年頃という感じで熱いじゃないですか!


 たぶん『マクロスF』なんかも、今作の影響が大きいんではないかと思いますよ。この映画自体は傑作と呼ぶにはもう一歩及ばなかったが、映画化としては及第だと思うし、心配していたよりもずっと良かった。

エンダーズ・シャドウ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

エンダーズ・シャドウ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

エンダーズ・シャドウ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

エンダーズ・シャドウ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

死者の代弁者〈上〉

死者の代弁者〈上〉

死者の代弁者〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

死者の代弁者〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)