雑読記。

先日、朝日新聞苅部直の写真を見て「野比のび太くんだー!」と叫ぶ。
のび太くんがこんなに立派になって、、」なんて、なんで自分はいつまで経ってもこうなのか、反省。
内田樹は「トミーズの雅そっくり」とか思うし。(これはこの広いネット界でも同じ感想を持った人がいたのでほっとした)
うちのダーリンは小熊英二の写真を見て「きみの好きなゲゲゲの鬼太郎」とか言ってたな、
朝日のポートレート写真の選び方が悪い、と言うことにしよう。
苅部さん、好きなんですけどね。わかりやすく書いてくれるし、共感できる部分があるし。
今回は「新・皇室制度論」のタイトルで「伝統vs批判の二極を超えて」と、その「議論」の在り方にもの申す、で
皇室がこの先どうあるべきか、を提案しているものではないけれど、そのご意見には賛成。
しかし、若く見えるわ、苅部先生、私より二つも上かよ、許せん、苦労が足りん。(なんの?)
なんでこうも同世代のくせに男は若く見えますかね、ぶつぶつ、、とジェンダー問題に抵触する意見を。
それはともかく、ちょうど丸山真男の「自由について」を読みかけていて、天皇制についてふれている部分もあるので参考になる。
やっと「レジティマシー」の概念がぼんやりつかめた。野口武彦を「あっはっは」と読んで、頭が楽になったせいかも。
その言葉をどうとらえているのか、何度も何度も前に戻って読み返したんでかえってよくわからなくなった、
強引に先に進む方がわかることもあるな、とりあえず「第1の問答」は読めた。
以前、丸山真男についての新書を数冊まとめて読んで、苅部直の「丸山真男」が私には一番読みやすかった。
これは他のものと違って、丸山真男、と言う「人」を扱っていたからだろう。
(他のはその「思想」、「言葉」のみを切り取って「オレ節」をうなってる、みたいだった。)
丸山真男はよく話す人だった」とその時読んで(多分、苅部「丸山真男」)、確かに「自由について」の冒頭、
照れ隠しなのか、緊張をほぐすためか、鶴見俊輔をからかうような、挑発するような話し方をしていて、たいそう「かわいい」。
第1問の終わりを読んで、鶴見俊輔の方が難しいな、とちらっと思った。
言葉は簡単でも、ものすごく難しいことを言ってる人だな、丸山真男の方が言葉の使い方が凝っていてもいっそわかりやすい、
この「わかりやすさ」が丸山真男を「危険」にしているのかな。
コミュニズムファシズムの違いなどを宗教の「教典」という存在を示しながらあらわすのは、「おおっ!」って感じだった。
「そうかそうか、なるほど!」と、まさに「蒙を啓かれる」状態、
それに対して、別意見を鶴見俊輔は最後にほんの少し問いかけて、それにも「なるほど」と、
ただ、読めば読むほど、いろんなものがわからなくなるなあ、何も知らないと言うことだけがよくわかってくる。
これはちょっとつらい、何を今までしてたんだろう、と言う気になる。それでも、読むんだな、やっぱり面白いから。
「第1の問答」の中で一番印象に残ったのは、「片隅異端」の例として、
「軍隊でいくらぶん殴られても言うことを聞かない奴がいる、必ず少数いる、「あいつはしょうがない」とあきらめて放っておかれる、
彼らが片隅で勝手なことをや手地手も全体の秩序の維持にそう差し支えがない」とあげたこと。
丸山真男によると「この「片隅異端」は正統になるダイナミズムを持たない」で、この例がまた出てくるかどうか、
私はこういう「異端児」達を丸山真男が個人的にどう見つめたかに興味がある。
この異端児達が消えたとき、正統も、異端も、滅びるように思う。
そうそう、堀米庸三が「正統と異端」という本を書いているそうだ。これも機会があれば読んでみよう。
ところでサルコジ大統領が結婚するそうで、お手軽なもんだ、と感心する。
政治家が私生活を切り売りして目立つことを「ピポリザシオン」と呼ぶそうだ。どこでも同じなんだな、と
でも「丸山真男はおしゃべりだった」とか「のびた君だ!」とか言ってる私も同じだと、「反省」。(なんちゃって)
追記;今見たら、なんだ!前回、間に合ってるじゃないか!!昨日をとばしてしまったー!!!
あぁあぁあぁ、、、(涙)