雑談。

朝日新聞中日新聞社の「貧困・捏造」問題が取り上げられて、「お前が言うな」ではあるものの、危惧として出すべき内容に思った。
最近の「はてな」の傾向として「弱者を救うためならデマを飛ばしてもかまわない」に同意しているかのようなブコメが多くて、
先日「面倒かもしれないが前年の所得にかかる税金の控除手続きはこんなブログを書いている暇があれば出来るだろうに」と思う記事には
「自分が同じ立場に立ったら、いえるか?」などと、
昔、悲惨の犯罪事件の折、「自分の子供が殺されたら同じことが言えるか?」などの意見があったな。
あの声をはてなでは「わかってない奴!」と糾弾していたように見えたが、同じことを「説得技術」として使うのに「貧困問題」ではためらいがない。
「貧困問題」は「正義!」だから。
はてなではパターン化されたものが多くて「底辺育ち」「毒親」「レイプ経験」「派遣切り」「ブラック企業で働いた」などなど、
私は最近のこうした「ネタ」を集めた人気ブログは、ほぼ「自称」がついてもおかしくないだろうと思っているが、
それを指摘したら批判の嵐、って感じで、なんだろうなあ、この考えのなさ。
「文学的によく出来ていても、真実ではありませんよ」と書くのは確かに「野暮」だが、これを書いている連中は相当怪しい集団なので、
あなた方のその引けない直情傾向からして、どこに持って行かれるか、わからないですよ、はとりあえず書いておきたい。
あなた方の「数」が必ず利用されていく、でもそれに途中で気がついて自分の間違いを認められるほど、はてなの人間は強くないのだよなあ。
どこかしら病んでいる人が多いので。
それはともかく、先日の「国に殺される!」の人の場合、あれだけネットで発信する技術を持つ人が、
煩雑であってもとりあえず救済処置としてある控除手続きを知らないわけではないだろうから、「ちょっと待て」と指摘するのは「あり」だと私は思うし
それに批判的なはてな独自の「良識派」が「かわいそう!」を前面に押し立てている怪しい人間を「無条件で支えるのが俺たちの使命!」
とするのは支持しない。
「かわいそう」も十分審査するべきが「科学」ではないかな。
かつて「放射能」問題で右往左往した人たちに「リテラシー」を叫んでいた人が「貧困問題」ではま逆の立場となる。
なんとも皮肉なことだ。
はてなはここ2年ほどで「仕掛けや」が跳梁跋扈する場所になっている。
こういう貧困問題で「めしうま」になる人は、実際は貧困などとは程遠い恵まれた環境の、実は専業主婦だったりして、
投げ銭する側のほうがよほど貧乏だったりして、なんだか泣けるわ、人はどこまでも「夢」に無駄遣いする。
「かわいそう!」の言葉で脳死することは必ずしもよいとは言えない、と書いておく。
「装う悲惨さの問題」はどこまで理解されるか、この先も見ていこう。