昔、「宗教」、今、「ベンチャー」

ディエヌエー騒動の一部である「メリー」の関係者インタビューをネットで読んで、
いまだネット上の「盗作」がそれほど悪い認識がないのに驚かされた。
インタビューの内容は「自分たちはウェルクほどの悪事はしていない」で、確かに医療系の誤情報ほど美容系に害はないんだろう。
ただ、ネット上の記事剽窃へのクレーム対応はそれをするのが「心外」かのような口ぶりで、
いまだ「ペロリ」創業者を信望している。
そのほぼ「狂信」的な考え方は、まるで「カルト」にはまった人間を思わせて、
かつて私が若いころ、優秀でまじめな努力家が簡単に「オウム真理教」のようなカルト宗教を信仰してしまったのと同じ問題が、
彼らにはあるんじゃないか。
のめりこむ先が「ベンチャー企業」であれ「新興宗教」であれ、「カリスマ」のことばが「絶対」であると信じる人間に、
「常識」は届かない。この問題は根が深い、としみじみ感じる。
今から30年前、私が二十歳だったころ、真面目な人間ほど「宗教」にはまる素地はあったように思う。
「カリスマ」のことばは、純真な人間ほどしみこむようだ。
現在、20代の私の娘たちの周囲にも「ベンチャー企業の経営者」から直接「スタートアップ参加」を熱烈に求められて
ふらついている真面目な学生はいるようだ。たぶん、新規に経営に着手するような人間は魅力的なんだろう。
しかし、上の娘から聞いた「ベンチャー企業参加」を求められた学生は実家が有名な資産家で、
「融資目的か?」と思っていたら、ご実家が抜かりなく海外留学に出して引き離すという誠にすばらしい手法をとられ、感心した。
下の娘の場合、高校時代の同級生がその筋では有名らしい「ベンチャー」経営者にすっかりはまっているようで「おやおや」と見ている。
いずれ親が引き離すだろうが。
かつての「カルト宗教」では親族が引き剥がす、の手段では対抗できなかったぶん、今はまだ「マシ」といえるのか、
思えば、おそらく私の親世代では「宗教」「ベンチャー」と同じ存在に「政治活動」があったんだろう。
その後がどうなったか、「政治活動」でも「宗教」でも残るものも、残らないものもあったりして、
ただ、あまりに「はまり」過ぎると、確実に自分自身を失う結果になるのではないか、
「政治」でも「宗教」でもその「カリスマ」の言葉が「絶対」になってしまうと、危ないことだけは覚えておいて欲しいと思う。
ある程度優秀で真面目な人間ほど、カリスマのことばに依存しがちなのはなぜか、わたしにはわからない。
幸か不幸か「ベンチャー」に誘われた経験のない娘を持つ私もまた「宗教」に勧誘されたことがほとんどない。
「カリスマ」は人を選んでいるようだ。「人を見る目がある」が「カリスマ」の条件か。少々笑える。