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2011-11-27

最終回「希望」

雑感

秀頼が生まれたあたりから、本格的に「どうでもいい」と感じるようになったのだが、話としてはここから面白くなるはず、これから盛り上がるはずと夢のような期待をしつつ、結局最後まで見通してしまった。

細かい部分はともかく、全体を通して一言でいえば、ペース配分が無茶苦茶だった。子供時代が異様に長く、10回を過ぎてもまだ10歳にもならず、24歳の上野樹里が6歳から延々と演じ続けるという異様な事態が序盤の話をおかしくしていたし、市が死ぬあたりから、秀吉が覇権を握り、秀頼が生まれるあたりまでも恐ろしいほどスローペースで、あれ、お江って、来年も続くんだったっけ? と本気で考えたくらいである。

当然のことながら、皺寄せのくる終盤では、粗筋を紹介するようにエピソードが詰め込まれるから、盛り上がりも何もあったものではない。そんな中で江はこれといった役割を与えられず、秀忠のつぶやきに「え……?」とか「××、……でございますか?」と突っ込んで説明を求めるという、狂言回しのような役目だけを果たすことになり、そのためどんどん存在感が希薄になっていった。

大坂の陣が終わったところで、残り3回。こうなったら静も幸松も出てこないかと思ったら、最終回でいきなり幸松登場(静は登場せず)。ようやく大奥作りに着手するも、番組は終了間近。秀忠と「結婚して30年経ちましたねえ」というセリフが唐突に出てきて、してみると顔は若いまま変わらないがもう江も56歳か。調子こいて馬に乗っている場合ではないではないか。

というように、感情移入もできないまま終わったのだった。史実だとその翌年に死ぬのだが、特にそういう暗示もなかった。

僕が思うに、第一回が佐治一成との結婚式でも良かった。まあ、幼い頃から三姉妹仲良く過ごしたということは後半効いてくるだろうから、初回は子役を使って、市存命中の時代を描いてもいいかも知れないが……

江が歴史の表舞台に登場してくるのは、秀忠と結婚してからである。年齢も22歳で役者の年齢とも合ってちょうどいい。そこから先を克明に描くべきだった。

新装版 乱紋 (上) (文春文庫)

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新装版 乱紋 (下) (文春文庫)

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2011-05-22

宮沢お茶々のツンデレ/19「初の縁談」

雑感

忙しくてしばらく(テレビは見ていたが)感想を書いている余裕がなかった。とりあえず本日の分をメモ。

  1. 秀吉は真面目に茶々に付き合いを申し込んでいる。これは前回から。茶々は話は聞くが、きっぱりとこれを断わる。
  2. 初は、京極高次にメロメロ。京極高次も初を憎からず思っている様子。だが、織田の血筋で人質同然の初ら三姉妹は、婚姻の相手も秀吉の政略に利用されるのは必至で、好きな相手と結ばれようはずもない。そのため初は高次に「あなたみたいな人は嫌いです」と心にもないことを言ってしまう。
  3. その様子を見ていた茶々は、あまりにも妹が不憫で、秀吉に高次と結婚させてやってほしいと懇願する。秀吉は「それ相応の見返りを期待しますよ」と不気味な脅し文句を残しつつ、縁組を実現。初は舞い上がる。
  4. 茶々は、見返りとしてわが身を秀吉に捧げることを申し出る。が、秀吉は「力づくであなたをモノにする気はない」という。「あなたがこうして話してくださるだけで十分です」と。その秀吉の潔い態度(?)に、茶々は動揺。あれれ?
  5. 秀吉が新しい側室を迎えた。若い側室にデレデレする秀吉を見て、茶々は怒り心頭。思わず秀吉をひっぱたいてしまう。なんで茶々が怒るの?

秀吉のことを憎んでいる茶々が、いつ心変わりするのかに注目していたが、こうきましたか。ベタといえばあまりにもベタな展開。トヨトミとかキョウゴクとかいう名前が出てきて、お城らしき場所で話が進むのだが、時代劇という感じが全然しない、不思議なドラマである。

いやだいやだと思っていた人が、気づいた時にはなくてはならない存在になっていた、というのは、いかにもありそうである。しかし、戦国時代の武家の娘が、父の仇と思った相手に対して心を動かすというのは、あり得ないだろう。あり得るとすれば……

  1. 浅井長政を死に追いやったのは、現場の指揮官という意味では秀吉だが、指令を出したのは信長であり、秀吉はそれに従っただけ。秀吉を恨むのは筋違いである、と悟る
  2. どこかに嫁に出されてしまえば恨みを晴らす機会はなくなる。秀吉のそばにいて、寝首を掻く機会を待つ
  3. 浅井長政の血を残し、あわよくば秀吉の財産や権力をわが子に(長政の孫に)継がせる。これこそが秀吉へ責任の取らせ方と考えた

などと考えていたが、何のひねりもなかった。

放映された内容に即して好意的に解釈すると、三姉妹の境遇は、何一つ不自由はないが、また何一つ自由もない生活である。幼くして両親とも死別し、係累を次々に失っていく状況下では、特定の誰かを恨み続けることでしか、生きられなかったのかも知れない。秀吉を恨むのは理不尽であると、本人も心のどこかでわかっていたのではないか。

人を恨まなくても、愛があれば生きていかれる。人を恨んで生きるより、人を愛して生きる方がポジティブである――それが今回のメッセージだろうか。戦国時代を舞台に展開される必然性が、1ミリもわからないのだけど。

御台所 江 (光文社時代小説文庫)

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2011-04-24

田渕久美子は下手なのだ/15「猿の正体」

出演

  • 草刈正雄(本多正信)
  • 袴田吉彦(羽柴秀長)←以前から出ていたっけか?

雑感

家康の次男だった於義丸は秀吉の養子になり、羽柴秀康になっていた。羽柴秀長は秀吉の実弟。秀次は甥で、ドラマでは羽柴を名乗っているが、まだ養子にはなっていない(のちに養子となる)。秀康は父・家康には愛されなかったが、優秀な武将だった。が、あまり賢そうには見えない。このドラマでは徳川二代目将軍秀忠をどう描くつもりなのだろう。

今回は、秀吉に対する恨みを募らせた江が、寝首をかくにも相手を知らなければと、秀吉の人物をさぐろうとする。そんなことをして何の役に立つのかさっぱり理解できないけど、悪口でも聞ければ溜飲が下がると考えたのだろうか。が、江の思惑に反し、秀吉の評判は実に良いのだった……

これから先、茶々は秀吉の側室になるのだし、秀吉を嫌っている三姉妹の気持ちを秀吉ラブに(強引に)変えていかなければならない。そのための最初のステップとして作られた話だろう。

この脚本家の、時代劇を作る上でのポリシーとは、恐らく次のようなものではないか。

  1. その時代の設定だけを借り、物事の見方、考え方はあくまで現代人とする(例、戦略結婚はダメ!)
  2. その時その時の社会や政治の動きよりも人間関係や心情を描くことが重要(例、戦国武将を主人公にしても戦は描かない)
  3. 史実にはとらわれずに自由に話を作る(例、明智光秀は織田信長を心底敬いお慕い申し上げていた)

こうしたやり方に対して批判はあるが、それが作家のポリシーであれば、それはそれで認めよう。好き嫌いは別問題。そういう考え方の作家がいてもいい。

結局、田渕久美子は下手なんだと思う。自分のやりたい話を作るだけの技量がないのだ。ナントカのひとつ覚えのような、初と饅頭や、江と信長のイリュージョンだけでなく、今回の、「最初は仇と思った秀吉も、付き合ってみるといい人」という話も、信長の時と全く同じパターン。芸域があまりにも狭い。それに、今回は基本的にコメディをやりたかったのだろうし、出演している役者は一流ばかりなのだから、きっちりコントをやったらさぞ面白いことになっただろうが、実際には全然面白くなかったのは脚本のせいだろう。

下手な人に文句を言っても始まらない。二度と大河で起用されないことを祈る。

それにしても、江がキムスメかどうかにあれほどこだわるなんて、下手なだけではなく品もない。まあ下手だからこそ下ネタにに走るんだろうな。

2011-04-17

秀吉は織田家を乗っ取った極悪人?/14「離縁せよ」

出演

  • 北村有起哉(羽柴秀次)

雑感

脚本がどうにもならないほど駄作なのは今さら言うまでもない。突っ込むのに疲れたので、しばし休止。

この物語では羽柴秀吉が徹底的に悪者に描かれている。悪者というより、陰険でいやらしい小心者……とても後の天下人とも思われない、小物になっている。こういう秀吉は珍しい。

豊臣秀吉といえば、日本史上一、二を争う人気者だ。最下層の農民から知恵と才覚のみで立身出世を果たし、最高位まで登りつめたところに憧れるのか、百数十年にもわたって続いた戦乱の世を終わらせ、天下統一を成し遂げたことに対する畏敬の念か、小柄な体躯と猿に似た容貌で、愛嬌があり、偉くなっても庶民派のように思われているからか。とにかく、たいていの歴史ドラマではそれなりの好人物、大人物に描かれるものである。

考えてみると、信長が死んだあとの世の中を、織田家の視点で描いた作品は少ないのではないか。織田家から見れば、秀吉は織田家を乗っ取った天下の極悪人ということになるのだろう。この視点は新鮮で面白い。

織田信長の後を継ぐというのが、単に織田家の中だけの話であれば、信雄だろうが信孝であろうが、好きにすればいい。だが、当時の織田家は、天下統一を果たしたとはとてもいえないが、近畿周辺を掌握し、国内最大の勢力を持つ組織であったことは間違いない。それだけの家臣団の棟梁としてふさわしいのは一体誰か。織田軍をまとめあげ、これから四国、九州、あるいは関東、東北を攻め取っていかなければならない。それができるのは誰か、という話である。

秀吉は、当然、信孝や信雄にそれだけのことができるわけがないと思っていただろう。できる人が立たなければ、十万を超す家臣も、その家族も、そして領民も、みな不幸になるばかりだ。だから秀吉を中心にまとまるのが一番よい……と、大半の織田家臣は考えていたのではないか。正面から対立したのは柴田勝家だけだったことがそれを物語っていると思う(家康は織田の家臣ではないから別とする)。秀吉が頭になることを気に入らない人も少なからずいたと思うが、戦国時代に戻るよりははるかにマシ、と考えたのだろう。実際、この時もし織田家臣団が割れれば、戦国の世を初めから繰り返すことになりかねなかったはず。

面白いと思うのは、この構図は秀吉亡き後の徳川家康の行動とそっくりだということだ。家康も三成も、表面上は秀吉の子、秀頼に忠誠を誓いつつも、互いに対立を深めていく。そして家康は関ヶ原の戦いで石田三成を排除し権力を拡大させていくわけだが、これは賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を討って織田家中のナンバー1となった秀吉とそっくりということになる。

秀吉が死んだあと、大阪城で実権を握るのは茶々こと淀君だが、なにせ女で戦の経験もなく、世間知らずもいいところであり、そのため家康の掌の上でいいように踊らされ、急激に弱体化した……。これが一般的な見方だろう。掌の上で転がされた例として、たとえば、秀頼が幼いために(いったん)家康が政治を司るものの、秀頼が元服したら、征夷大将軍の座は秀頼に譲ってもらえるものと淀はずっと信じ込んでいたといわれる。

しかし、少なくとも本作における茶々は、信長公亡き後の秀吉の行動をこれだけ目の当たりにしていたのだから、秀吉亡き後、家康がどういう行動を取るか、手に取るようにわかったはずだ。となると、関ヶ原のあと、茶々は何を考え、どう行動したのか。興味深い。また、今は何の力もないとはいえ、少なくとも秀吉に批判的という点で茶々、初、江ら三姉妹の見方は一致している。が、秀頼と家康が対立する時には、お江は徳川方である。その時、三姉妹の絆はどのように描かれるのか。実に興味深い。

そもそも、今回でさらに「秀吉キライ」フラグが立ってしまった。ここから茶々がどのような経緯で秀吉の側室になるのか、既に脚本は破綻している気がするのだが、きっと「あっ」と驚くロジックが用意されているに違いない。それを楽しみに、また来週も見ることにしよう。

2011-04-16

初夜の心得を教えるのは乳母の役目/13「花嫁の決意」

出演

  • 平岳大(佐治一成
  • 以前からちらちら出ていた足の悪い作戦参謀は、柴俊夫扮する黒田官兵衛だった

雑感

日曜日に見そびれてしまったが、ようやく再放送を見ることができた。良かった良かった。ま、もしこの再放送を見逃してしまったら、もう今年の大河は見るのをやめただろうから、どちらが良かったのかはわからないが、死ぬ時になって自分の人生を振り返った時、「あの年の大河はひどかったなあ……」と(感慨といくばくかの懐かしさをこめて)思い出すのではないだろうか。僕の好きな言葉に「悪評もまた評なり」というものがあるが、どういう意味でも印象に残るというのは大事かも知れない。

しかし、「あの年の大河はひどかった……」といって思い出すためには、来年以降はまともに戻る必要がある。本当に戻るのだろうか。ファンタジー大河、スイーツ大河が今後のスタンダードになったりして。

さて、今回は、秀吉がお江に佐治一成との嫁入りの話を持ち出し、婚礼を行なう直前までを描いたものである。相変わらず話の展開がトロい。お江が佐治一成と結婚したことには疑問視する文献もあり(今確認したら、NHKのサイトにも「秀吉が政略結婚に使えるカードの1枚を使うほどの人物なのか?という点については、少々気にかかるところ」という記述があった)、時間をかけて語るような話ではないだろうと思う。

番組的には、秀吉がこの縁談を画策したのは、三姉妹の中でも特に気が強く、時に信長の顔がチラつくお江を嫁に出し、三姉妹を分裂させること、ついでに政治的に対立している織田信雄の家臣である佐治一成の切り崩しを図ること、が目的ということらしい。そしてお江は、自分が秀吉の言うことをきくことで、茶々に手を出さずにいくてくれるならそれでオッケー、ついでに母の血につながる従兄弟の佐治一成が相手なら文句はない、というところらしい。

しかし、番組の中でも茶々に突っ込まれていたが、嫁に出すなら長女からが自然であり、なぜ末娘が真っ先に候補に上がったのか、理解に苦しむ。嫁にいったのを1584年とするならお江11歳の時で、当時としても早い。上に姉がいるならなおさらだ。佐治一成は茶々とは同い年だから、茶々や初でも、年齢的に不釣り合いということはないはず。秀吉がお江を苦手としていただけでは説明にならないだろう。ファンタジーならファンタジーとして、筋は通してほしい。つまり、田渕史観における納得の行く説明がほしいということだ。説明ができないなら、いじるな。

さて、表向きは佐治一成を取り込むための戦略結婚ということになる。それを決めた途端、秀吉の正妻おねから激しく責められる。お前様は、お江様を戦の手駒にするのか……と。

申し訳ないけどおね様が何を怒っているのか、ワタシにはさっぱり理解できません*1。秀吉にとっては、お江であれ、石田三成であれ、織田三法師であれ、戦のための駒としか思っていないはず。武家社会とは、とりわけ戦国時代の武家社会とはそうしたものだろう。四国には長宗我部がおり、九州には大友・島津らがいて群雄割拠状態であり、中国の毛利とは一応和睦したとはいえいつ寝首を掻かれるかわからず、関東の北条、北陸の上杉、東北の伊達も安閑とはしていられず……この物語の中では何か忘れられている気がするのだが、戦国時代はまだ全然終わっていないのだ。

三姉妹は、何かというと、「戦は嫌でございます。戦を起こせば大勢が死にまする」などと口にするが、戦はこれから起こすのではない。依然として各地で起こっており、今後とも続くのだ。それが嫌なら、誰かが天下統一を果たし、長らく続いた戦乱の世の中を終わらせるしか手はない。幼い姫たちはともかく、周囲の大人たちにそれがわからぬわけはあるまい。浅井の父が死んだのも、柴田の養父が死んだのも、母お市が死んだのも、そうした流れの中での出来事である。秀吉一人が悪いわけではないことを、ちゃんと教えていない周囲も問題だ。織田信包とかは、どこへ行ったんだろう。

嫁ぐためにお江たち一行が尾張・大野城に入った時、環境のよいところで一同は喜び、侍従たちは「これで佐治一成様がいい人だったらいうことはないですね」と言う。これも納得しかねる。

家族から見た場合、なにより大切なことは、この戦乱の世を生き延びられるかどうかではないだろうか。当時の価値観として、単に長生きすればいいわけではなく、しかるべき働きをし、しかるべく死んでいくことも名誉だという考え方があったかも知れない(なんとなくこれは江戸時代にできた価値観のような気もするのだが)。浅井長政や柴田勝家が取り立てて不幸だったとは言えないだろう。しかし、そのために残された家族、お江たちが苦労したことを考えると、夫たる武将にはまず第一に長生きしてほしい、と考えるのが自然ではないだろうか。いい人であってほしい……というのは、生き死にの心配をしなくていい現代の考え方だと思うのだ。まあ、それが田渕的価値観なのかも知れないのだが。

それにしても乳母がお江にお床入りの心得を教える場面にはぶっとんだ。そりゃそういう躾も実際にはするのかも知れないが、それは大河でやる場面じゃないだろう。

前回、お江は田渕久美子に説教をしろと書いた。上野樹里や水川あさみは、初の大河出演で主役クラスの役が与えられ、名誉の反面責任もあり、文句の言える心境ではないかも知れない。が、大竹しのぶなどはどう思っているのだろうか。彼女が日本のドラマ史上屈指の名女優であることは言を俟たない。こんなくだらないセリフをあれこれ言わされて、イヤじゃないのかなー。

彼女あたりが「こんな馬鹿げた役を演じるのは、これ以上は嫌でござりまする」とでも言えば、聞いてもらえるんじゃないかと思うけど……。

*1:おねと秀吉は、いわゆる今日でいう恋愛結婚だったらしい。しかし、それは当時としては極めて珍しいことであり、そんなことはおねだってわかっていたはずだ。