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2015-01-17

「先輩ROCK YOU」に中井貴一が登場

1月17日、「先輩ROCK YOU」(日本テレビ)

  • 司会:大東駿介、加藤浩次、木南晴夏
  • ゲスト:中井貴一

twitterで、清盛クラスタにとって素晴らしい内容だったというコメントがあったので、見てみた。この辺はタイムシフト予約の威力だ。

中井貴一は平忠盛だが、聞き手の大東が平家盛、加藤浩次が兎丸なんだから、平清盛同窓会みたいなものだ。

役をやる時は必ず自分なりの課題を持って臨む、とか、自分の役がいい役かどうかなんて気にしたことはない、ドラマ全体がどうかということしか興味がない、とか、気になることがあると夜中でもプロデューサーに電話する、とか、一緒に飲みに行ってもその人のことはわからない、演技している時が一番わかる、人間性が出るから、とか、中井貴一の役者としての姿勢は見事で、うなずく、というか、うならされたのだが、加藤浩次が「なるほど」「そうなんですか」と、司会として話を盛り上げようと(逆に言えば、それだけのために)合いの手を入れていた(ように見えた)のに対して、大東駿介が中井貴一のことを心から尊敬し、目をキラキラさせながら、一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けていた(ように見えた)のが興味深かった。

大東は、初めての大河ドラマ出演ということでガチガチに緊張していた時に、中井から声をかけられたことが忘れられないという。

大東:「大東、お前今いくつだ?」「25歳です」「そういえば俺が初めて大河ドラマやったのも25歳の時だった。50歳になって、今25歳で初めて大河をやるヤツの父親役をやってるってのがすごい感慨深いな。役者って面白いな……。現場行こうか」みたいな。その時に役者としての面白さというか、これからの希望も与えてもらいながら、これから親子関係を築くっていうところの気持ちも全部作らせてもらって。

中井:僕は25歳の時に「武田信玄」っていう大河をやったんですけど。自分もやっぱり最初ガチガチになってて。ちょうど大東の時に今の俺の年と同じ先輩方が周りを囲んでくれた。菅原文太さんとか。今、大東から見ると俺はあの頃の文太さんとかに見えてんだなと思って。あの時に俺がどうしたら嬉しかったかなっていうのはちょっと考えましたけど。

収録時の中井の立ち位置。

大東:貴一さんが松山さんに話すことって、役者の先輩でありながらもどこか父親な感じで。現場を円滑に進んで行くことも、全部松山さんが一番気持ちのいい感じで芝居ができるように作って行ってるような感じがして。

加藤:そういう意識はありましたか?

中井:僕はそれだけのためにあの仕事を受けました。松山からは、大河ドラマの話が来たことの相談を受けたんですよ。僕は、勉強になると思う、一人の人間を1年かけて演じ切るってことはすごく勉強になるから、受けた方がいいんじゃないかっていう話をしたことがあって。しばらくして、僕に父親の役をやってもらえないかって話が来たんですよ。ですからもう俺は絶対に松山を支えようって、その一点でその仕事は受けました。だから、俺は松山がやっぱり大事だったし、そこに出てた大東も含めてみんなが大切だった。……よくわかったね。

大東:すごく感じました。

ドラマでは、家盛が忠盛に対して、清盛だけでなく自分にも目をかけてほしいと僻むシーンがあるのだが、大東も中井に対して、松山さんばかりでなく俺のことも見てくださいよと思ったりしたのかな、と思ったり、今回「大東も含めてみんなが大切だった」と名前を出してもらって嬉しかったんじゃないかな、と思ったり。

@azukki_さんのtweet(ハッシュタグ省略・以下同様)。

中井さんの「平清盛」時のエピソードとして知ってはいても、こうして改めてご本人の言葉として聞けるっていう、ね。しかも家盛がそれを聞いているっていう、ね。もう泣くしかない、ね。

https://twitter.com/azukki_/status/556637751307546624

@MamBO666_888さんのtweet。

大河ドラマって現代の役者さんに、鬘かぶったり着物を着たり甲冑つけたり馬に乗ったりっていう時代劇の所作を教える場であるだけじゃないんだな、”役者とは”みたいな根っこの部分を育て伝える場でもあるんだなとしみじみ思いました。

https://twitter.com/MamBO666_888/status/556643970302763008

@sorachiakiraさんのtweet。

中井貴一の話を目を輝かせて聞き入る姿を見るだけで、大東駿介の“芝居もん”としての資質と覚悟が伺えていいね。2012年は大いに学べたんだろうな。

https://twitter.com/sorachiakira/status/556457826994778112

(2015/1/25 記)

2013-01-04

箱盛〜特典映像

しばらく前に入手していたのだが、最終回を見てからと思って見るのを封印していた。ようやく落ち着いたので、まず特典映像を見ることにする。

主要な役者のインタビューの中で、山本耕史氏と藤木直人氏のものが印象的だった。以下、セリフは記憶で引用。

山本耕史

僕がやる役って、みんな35歳で死ぬんですよね。土方歳三しかり、藤原頼長しかり。で、僕、今年35歳になるんですけど……

山本耕史から芝居を取ったら何も残らないですね。天職かどうかって、結局、本人がどう思うかだと思うんです。本当はもっと別の世界が向いているとしても、本人がそれは天職だと思っていたら天職だろうし、周囲から見たら天職に思えても、本人が、もっと別の仕事があるんじゃないかと疑問を持っていたら、天職ではないだろうし。そういう意味で、自分にとって役者は天職ですね。それ以外ないと思い込んでいますから。

藤木直人

イケメン役は苦手です。10年くらい前にもイケメンというか、もてる男の役をやったことがあるんですが、その時私生活で会ったある人に、なーんだ藤木君って実際に会うとこんな感じなのね、ってがっかりされたことがあって……

もともと人前で何かをしたり、目立ったりするのはすごく苦手だったんですよ。だから性格的には役者みたいな仕事は、一番自分に向いていないような気がするんですよ。ただ、負けず嫌いのところもあるんで、いざやることになったら、ようしやってやるぞという気持ちでやるんですけどね。

もう40歳にもなって、今さらこんなことを言うのも何なんですが、本当にこの仕事は自分に向いているのかと、今でも思うことはありますよ。


山本耕史と藤木直人、正反対のことを言っているようだが、どちらの言うこともわかる気がする。僕は藤木よりさらに一回り上になるが、今でも自分の仕事に対して、この年になって今さら他の分野の仕事ができるわけじゃないし、これが自分の天職なんだろう、と思うこともあれば、資質もないし、もしかしたらもっと別の分野があったかも知れないな、と思うこともありで、揺れているのである。そんなものじゃないかなあ、という気がするのだ。

2013-01-02

結論ありきの思考

正月に親戚(主に自分より上の年代の人たち)と会う機会があった。いとこに、僕と同年代(少し歳下)で独身の男性がいる。「あいつにもいい加減、嫁さんを見つけてやらなきゃな」と言い出す人がいて、ひとしきり彼の話題になった。そのうちに、「いい子なんだけどちょっと×××なところがあるからねえ〜」「まあこの年まで結婚できないんだから、そりゃあ△△△だわな〜」などと誹謗中傷大会に発展。

彼が「お願いですから嫁さんを見つけてください」と親戚中に頼んでまわっているわけではない。男やもめに蛆がわいて近所迷惑というわけでもなく、きちんと生活しているようである。本人が結婚したいのか、別に独りでいいやと思っているのか、籍は入れていないけれど彼女がいるのか、そのあたりも全くわからないままの、勝手な物言いである。ひどい話だが、聞いていて、あ、これってなんかデジャブ……と思った。

平清盛だ。

大河ドラマの話題も出て、どうも、その場にいた人のほとんどは、それなりには見ていたようであった。もちろん僕のように毎週欠かさず正座して見る、という人は他にはいなかったが、毎週ではないにしても見たとか、しみじみとは見ていないがテレビはつけていたとかいう人は多かった。真剣ではなくても見ていればその面白さが多少はわかっただろうといろいろ訊いてみると、「確かに、面白いと思ったシーンもあったけど、でも……」と、昨年の大河のどこがダメだったかを滔々(とうとう)と語り出す。最初はイライラしながら聞いていたのだが、だんだん飲み込めてきた。

要するに、結論ありきなのだ。視聴率が悪いからダメ。新聞にダメと書いてあったからダメ。自分で実際に見て、自分がどう感じたかは関係なし。面白いと思ってしまったとしても、これはダメな作品なんだから、ダメだと思えなければダメだ、と思って見る。そしてどこがダメかを探す。ダメな理由が分析できる自分はカシコイ、というわけだ。

ダメな理由としてもろもろ挙げた中には、どこかで散々聞いたような話もあったが、一応見ていなければ言えないような観点もあり、その意味ではこうした話をする人は頭は悪くないのだ。観察力も分析力もある。しかし、知性ある社会人として最も大切な「自分で判断する」ということだけができない。世間がダメだというものはダメ。その線に沿って考える姿勢が、もう何十年もしみついているのだろう。

独身の彼氏の話と同じだ。本人は結婚をどう考えているのか、そもそも結婚は必ずしないといけないものか、といった点は一切考慮せず、結婚しないのはダメ人間、という結論だけがある。個別の事情は斟酌しない。その結論に基づいて、どこがどうダメなのか、という方向のみに頭が働くのだ。

「平清盛」で繰り返し語られた「心の軸を持つ」というのは、こうした生き方の対極にあるものだろう。そして、このような主張に拒絶反応を示した人によって「平清盛」というドラマが否定された、というのが昨年の大河ドラマの構図だったのではあるまいか。

2013-01-01

ドラマの評価軸

種々の事情があって感想を書く手がぱったり止まってしまったが、平清盛は最後まで休むことなく見たし、最後の4〜5回は、まずBSで「早盛」をし、twitterをチェックし、今度は地上波で改めてじっくりと「本盛」。その後再びtwitterのハッシュタグで「平清盛」「盛絵」などを検索、TLを眺めたり自分でもつぶやいたりする……という濃厚な日曜日の夜を送っていた。

楽しみに見ている人が全国に大勢いる、ということが感じられ、実際にメッセージのやりとりなどができたことはありがたく、楽しい体験だったが、それにつけても平清盛の見当外れの批判には辟易させられた。

ドラマを見た上で、この内容はおかしい、この部分がつまらない、というのであればわかる。人によっていろいろな感じ方があるだろうし、指摘に筋が通っていれば、たとえ意見が異なっても不愉快にはならないものだ。しかし、そのようなまっとうな批判はほとんど目にした覚えがない。

批判の根拠はなんといっても視聴率である。大河ドラマ史上、最低の数字だったそうで、そのために大騒ぎされたのだ。しかしこれは、何重もの意味で不当な批判だと思う。

第一に、たとえば文学作品を評する時に、その本がどのくらい売れたかを基準にする人はいない。書評に取り上げるか否かは売れ行きで決まるのかも知れないが、少なくともそこで、この本は売れてないからダメな作品である、などと書く間抜けな評論家はいない。国語の授業で夏目漱石の「吾輩は猫である」について習うけれども、「この本は何冊売れました」と教わることはないし、文学史の本を読んでも、夏目漱石・森鴎外・志賀直哉・谷崎潤一郎らの本がどのくらい売れたのか、書いてあるものはない。

エンターテイメント性に優れ、多くの人の話題になる本がある一方、あまり知られていないが、文学的価値の高い作品もあること。一時的に話題になってベストセラーになっても、数年後には忘れ去られる作品もあれば、20年後、30年後もずっと評価され続ける本もあること。それを僕たちは知っている。そして、おおむね後者の方が価値が高い、とも思っている。出版社や作家自身は、売れてほしいと思っているだろうし、売れないものはダメだと本音では考えているかも知れないが、少なくとも文化の担い手として、表向きはそういうことは言わない。

しかるに、テレビドラマだけは視聴率、視聴率、視聴率。すべてが視聴率で語られる。内容は二の次、三の次である。これはあまりにもおかしくないか。視聴率もひとつの現象を捉えたものかも知れないが、それが評価のすべてではあり得ないだろう。「平清盛」のドラマ風に言えば、それは「軸」が欠けているのではないか。

民間放送は視聴率によって広告費、すなわち売り上げが決まるから、それを気にするのは、わからないでもない(もちろん、テレビ局員が気にするのは理解できるということであって、一般の視聴者やマスコミが、テレビ局の懐具合を慮る必要は露ほどもないとは思うが)。しかし、NHKまでもが一緒になって大騒ぎするのは奇妙である。

そもそも悪いとされる視聴率は地上波の放送分であるが、大河ドラマの場合、BSでも放映され、再放送もある。昔はBSを契約している人は少なかったから対象外でも良かっただろうが、今では大半の人は地上波もBSも同じように見られるはずで、そうであれば殊更に地上波放送にこだわる意味はなく、BSで見る人は増えているはずである。視聴率をいうならBSや再放送の分も明らかにしてもらわなければ間尺に合わない。調査していないはずはないと思うが、隠蔽されているのは納得のいかない話である。

さらに、ワンセグや録画しての視聴は視聴率のカウント外である。昨今の人々の生活スタイルからしたら、明らかにおかしな話である。一昨年のアナログ放映の終了に伴い、テレビの買い替え需要が進む中で、録画機材も急速に普及した。多チャンネル化も進んだ。大河に限らないが、今ではドラマを見る時、その時間に必ず自宅に戻ってテレビの前に座る(よう努力する)より、とりあえず録画しておいて暇な時に見る、という人は多いはずである。それが視聴率に反映されないなら、視聴率にどんな意味があるのだろうか。*1

最終回は、普通なら30分拡大して75分となるところである。しかし45分の枠に押し込められ延長させてもらえなかったのは、視聴率が低迷したゆえだろう〔本件は追記を参照のこと〕。清盛が主人公だから、最終回より前に死なせるわけにはいかない。が、平家物語は清盛が死んだところで終わるわけにもいかない。そこで、その後の源平の争いは超特急で話を進めるしかなかった。最終回は「単に粗筋を紹介しているだけのようだった」「壇ノ浦があまりにもお粗末」などの感想も目にしたが、それはあまりにも尺が足りなかったからじゃー、あと30分あればじっくり書き込めたのじゃー、と残念で仕方がなかった。

何より腹が立ったのは紅白歌合戦での扱いである。ゲスト審査員には、まず翌年の大河ドラマの主役が呼ばれる。今回は綾瀬はるかが選ばれていた。これはいい。松山ケンイチは昨年審査員を務めている。それとは別に、その年の大河の関係者から1〜2名選ばれるもので、一年前は大竹しのぶ、その前の年は寺島しのぶ・伊勢谷友介が選出されていた。が、今回は誰も選ばれず。

もっとも出演者の中にAAAの西島隆弘君がいたから、当然紹介の際に司会者から何かあると思ったが、一切そのような話はなかった。とにかく紅白歌合戦でその年の大河ドラマの話題に一切触れないというのは異様である。一方、福山雅治は自曲を歌う前に「龍馬伝」のテーマ曲を演奏した。NHKは、2年も前の「龍馬伝」を引っ張り出してまで、今年の「平清盛」をなかったことにしたかったのか。

こうした方々に対してはただひとつ、「あなたの心の軸はどこにあるのですか」とお尋ねしてみたい。

【追記】

磯プロデューサーのtwitterでの発言(1月7日)によると、最終回が拡大なしの45分だったのは「オリンピックの影響で放送が1回休止になり、最終回が年末編成に食い込んだためです。その時、全49回にして最終回を延長する案もあったのですが、全50回を優先しました。結果的に言えば、第49回放送の12月16日は総選挙になったので、この選択で良かったと思っています。余談ですが、オリンピックと言うのは直前にならないとどの放送局が、どの競技を中継するか決まらないのです」とのことである。

12月16日が最終回であれば、選挙で慌ただしく余韻にふけるどころではなかっただろうと思うので、その点は僥倖だったと言うべきか。視聴率が悪かったために拡大させてもらえなかった、というのは穿った見方だったようだ。

しかしそれでも、もし視聴率が20%以上で推移していたら(無理をしてでも)やはり75分にしてもらえたのではないかという気持ちを捨て切れない。とにかく、清盛の死から始まる最終回の流れは良いのだが、あまりにも尺が足りなさ過ぎた。箱盛(DVD BOX)ではディレクターズカット版を収録してもらえないだろうか。撮影がされていればだが。

*1:今年の大河ドラマ「八重の桜」はみんなが大好きな幕末である。主役は現在好感度No.1の女優・綾瀬はるかである。その上舞台は福島で、被災地復興の願いも込められている。これだけ重なれば視聴率は大幅に上向くであろう……と関係者は大いに期待しているだろうが、予言すると、たいした数字にはならないだろうと思う。上で述べたように、BSや録画で見る人は今後ますます増え、数字に反映されないだろうと思うからだ。

2012-06-24

NHK大河第25話「見果てぬ夢」

平治の乱に向けて大きなフラグが立った回。今回も神回と言いたい。

公式サイト

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/story/25.html

粗筋

統子内親王が上西門(じょうさいもんいん)という院号を授かり、頼朝は蔵人に取り立てられる。上西門院の殿上始の儀で、頼朝は清盛と対面。酒を供するのだが、緊張して思わずこぼしてしまう。と、清盛は「最も強き武士は平氏じゃ。そなたのような弱き者を抱えた源氏とは違う」と居並ぶ面々の前で罵る。悔しさと怒りで清盛を睨むと、清盛はふっと微笑む。

頼朝に、清盛はどういう人かと問われた義朝は、かつて比べ馬をした時のことを思い出していた。あの時は義朝が勝ったのだが、「最も強き武士は源氏じゃ。そなたのような弱き者を抱えた平氏とは違う」と言い放つ義朝に、怒り狂う清盛が嬉しかったと。そして、いつの日か二人で武士の世を……と思ったことを語った。「それで、清盛のあの微笑の意味がわかりました」と頼朝は頷く。

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先週病に倒れた由良は、ついにみまかることに。清盛に頼んで宋の薬を分けてもらおうとした義朝に、由良は虫の息で「平氏に頭を下げてはいけませぬ」

義朝「なにを言うておるのだ、かような時に」

由良「いついかなる時も、源氏の御曹司として、誇りをお持ちになり生きてこられた殿を、由良は心よりお敬い申し上げておりまする。かようなことで、お志を曲げないで下さりませ」

義朝「たわけ! そなたの命に代えられるか!」

由良「あれ……殿らしゅうもない。されど……嬉しや……」

義朝「……」

頼朝「……」

政清「……」

由良「どうか私を、誇り高き源氏の妻として、死なせて下さりませ」

義朝「由良……」

由良「……と父が……」

義朝が一世一代のデレを見せたら、由良姫は最後の最後にツンをかましてくれました。ここは泣くところですか、笑うところですか。

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後白河上皇は、信西に、藤原信頼を近衛大将の地位に任じるよう指示する。信西は「近衛大将は特に際立った働きもないお方にやすやすと与えられる官職にあらず」と抵抗するが、「何とかせい」とばっさり。信頼は信西を睨み据える。

信西は白楽天の「長恨歌」の絵巻を後白河上皇に届ける。信頼を寵愛するあまり、周りが見えなくなっている後白河院を諌めるためだが、「上皇は喜ぶばかりで真意にまったく気づかなかった」と公式サイトにあるけど、信西の言いたいことは十分わかっていて、敢えて無視した、のではないか。松田翔太はそういう演技をしたと思う。

信西の自分勝手なやり口に不満を持つのは信頼だけではなかった。藤原惟方、藤原経宗らと語って、打倒信西の密談を。そして信頼は義朝を呼びつけ、信西を殺すよう持ちかける。義朝は一度は断わるが、今のままでは埒が明かないことを悟り、立ち上がることを決意。

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信西が木工頭(もくのかみ)・左京大夫の罷免を決めたのは、大学再建の費用をひねり出すため。大学再建を早急に進めるのは、才ある者の育成は急を要するから。さらに、何とかして遣唐使を再開し、宋の進んだ文化や政治を導入し、この国をもっとよくしたいと切望していた。そのためには一にも二にも予算。というわけで日々、算木を睨みつけ、やりくりに苦労する信西だが、ようやく遣唐使再開の目処が立った。そこで大願成就のため、清盛に熊野詣を命ずる。

感想

今回は回想シーンが多かった。過去をいったん整理し、次に向かうためだろう。それにしても、第4話の「殿上の闇討ち」は(出てくると思ったから)まだしも、第3話の比べ馬のシーンがここにリンクされているとは……。この脚本は神としかいいようがないではないか。

由良の最期も厚手のタオルが必要だった。「叔父を斬る」での為義パパの最期のシーンも目から汗が大量に出たものだったが、今回はそれを上回ると言いたいくらいの出来。あの義朝が「そなたの命に代えられるか!」と最初で最後の愛の告白。それでも「平氏に頭を下げるな」と気丈に言い張ったあと、生涯最後のセリフが「と、父が」なのだから……

田中麗奈という役者は、それほど好きではないのだが、義朝と出会った頃のわがまま娘、ここ数回の気高く、気丈な棟梁の妻、そして今回の最期と、こんなすごい役者だったっけ、と唖然とするほど。

というか、玉木宏にしても阿部サダヲにしても松雪泰子にしても山本耕史にしても井浦新にしても、この作品が代表作と言ってもいいのでは? というほど、嵌まり役になっている。これは、もちろん役者本人の努力もあるだろうけど、脚本や演出がうまいことの証左なのではないか。

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