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2010-12-15

龍馬伝のその後

「龍馬伝」は龍馬が暗殺されてそのまま終わってしまい、消化不良と感じた人も少なくなかったようだ。

伝記物語をどこで終わらせるかは意外と難しい問題である。普通に考えれば、その人が死んだ時に物語が終わるのだけど、周囲の人は生きて歴史は続いていくので、あれはどうなった? という読者(視聴者)の疑問は残る。その割り切れなさにどこまで答えるか。

時代もある。豊臣秀吉は、死後急速に豊臣政権が瓦解するわけだが、彼の死で話が終わって不満は残らない。その後の話はまた新しい物語である。徳川家康も同様。盤石の徳川政権を築き、思い残すことなく死んで行きましたで終わり。どんな伝記でもそうなっているはず。

龍馬と同じ幕末・維新の人物では、勝海舟は長生きをした部類だが、1974年の大河ドラマでは、最終回が慶応4年4月11日の江戸城の無血開城で、その後の30年にわたる後半生は全く触れられなかった。明治に入っても旧徳川家と新政府の間を奔走し、よく働いたのだが、勝の輝かしい人生は江戸城の無血開城にあったと(その直前の西郷隆盛との歴史的会見も含めて)当時の制作者は考えたのであろう。これはこれで物足りなさが残った。

坂本龍馬は、歴史が大きく動く直前に死んだため、確かに「で、あれはどうなったの?」という思いは残る。ただし、それを語り始めると、それはそれで長い話になってしまうし、主人公が死んだあとで話を続けるというのもドラマツルギー上の問題もある。

小山ゆうの漫画「おーい!龍馬」でうまいなと思ったのは、最終回の直前の回で主要な登場人物の「その後」を簡単に描き、「時代を戻そう」といって最終回に慶応3年11月15日に戻ったことだ。読者の興味に応えると同時に、主人公が死んだあとも物語が続くという間抜けなことになっていない。また、「その後」を描くことで「ああ、これで物語は終わりなんだな」と最終回に向けての雰囲気を盛り上げている点でうまい演出になっている。

しかし、龍馬の物語は、唐突に終わるところが良いのだ。龍馬自身が、今死んじゃうと、あれは? これは? ……と思うところが多々あったに違いないが、彼はそれを見届けること叶わず、旅立っていったわけだ。読者(視聴者)も同じように、さまざまな「その後」に思いを馳せつつ、物語を終わるのである。

2010-11-28

龍馬死す/龍馬伝-48「龍の魂」

雑感

28日の龍馬伝は「龍の魂」。最終回であった。ひとことでいえば「退屈」。最終回につき15分拡大、とのことだったが間延びしているだけ。別に延長する意味はなかった。瀕死の重傷を負った龍馬の長台詞は興をそぐ。何もうまいことを言わせようとしなくて良かったのに。オープニングなしにいきなり始まる手法も唐突だった。

クリタさんとは意見を異にすることが多いのだが、今回は同意同感である。

とにもかくにも最終回の「完」の文字まで見たんだから面白かった方だと思います。

突っ込みを入れるのを楽しみに見るという側面もあったからです。

確かに、突っ込みつつも初回から最終回まで一回も休まず見てしまったのだから、それだけのものはあったのだろう。「天地人」はすぐに見なくなってしまったから。

このドラマは恋愛パートに入ると急にグダグダになります。

歴史の大きな流れを描かずに龍馬の身の回りのことばかりバカ丁寧にやるものだから、幕末というわかりにく時代背景がやたらと省略されてしまって、結局龍馬のやっていることの意味もわかりにくくなってしまったのも残念でした。

グダグダかどうかはさて措き、女性関係(乙女や登勢との関係を含む)はやたらにていねいに描くのに、かんじんの歴史の流れや政治的な動きははしょりにはしょったのは残念だった。大きな意味では、視聴者に対して自国の歴史を学ぶきっかけ作りという使命があるのではないか。あくまでドラマであり、いろいろな点で作り話が入ってくるのは構わないのだが、変えてはいけないこと、こだわってほしいことはある。

このドラマは、龍馬の女性関係はこだわりにこだわったが(福山の起用の意図もそこにあったのだろう)、それ以外はどうでもいいと思っていた……としか感じられなかった(一番許せなかったのは、勝海舟の存在を平井加尾から教わるくだりだ)。

よかったと思う俳優について:

弥太郎役の香川照之、吉田東洋役の田中ミン、後藤象二郎役の青木宗高、容堂役の近藤正臣、武市役の大森南朋、以蔵役の佐藤健、溝口ヒロノジョー役のピエール瀧、そして唯一女性では武市の妻、冨を演じた奥貫薫が印象に残った。(次点:原田泰造、蒼井優)

今回は脇役に印象的な人が多かった。前半は大森南朋と佐藤健、後半は青木宗高と近藤正臣の存在感がドラマを引っ張っていったのは間違いないところだろう。田中泯も原田泰造も、出番は多くなかったが異彩を放っていた。溝渕広之丞役のピエール瀧はどうだろう、僕はさほど印象には残っていないが名前を挙げるのに反対はしない。

ただし、蒼井優はどうだろう。あまりにも現実離れした役回りだったから、演じる方も大変だったとは思うが、僕はもし奥貫薫のほかにもう一人女優の名を挙げるなら、真木よう子を出したい。最初は龍馬につんけんしながらも、次第に心惹かれていくツンデレぶりは見事だった。寺田屋事件の際に深夜、薩摩藩屋敷まで命懸けで走ったり、朝帰りした龍馬に拳銃を突きつけたり、印象的な場面も多い。

個人的には、陸奥陽之助役の平岡祐太、池内蔵太役の桐谷健太は、重要な役回りだったはずだが、その他大勢の一人として埋没していたのが残念だった。役者の力量の問題か、脚本の問題か……。

第一部では、一回だけ登場したリリー・フランキー(河田小龍)が印象に残る。

ところで、今年の大河ドラマはなぜこんなに早く終わったんだろうか。いつも年末ぎりぎりまでやっていたと思うのだが・・・。『新撰組』以来大河ドラマを見ていなかった私が知らないだけ?

昨年からです。「坂の上の雲」を放映するため。なんでこんなやり方をするのか理解できませんが。

珍しく好意的な感想なのでリンク。北沢かえるさんの「いいところを見ていこう」とする姿勢が好きです。

2010-11-21

後藤象二郎、一世一代の進言/龍馬伝-47「大政奉還」

雑感

後藤象二郎が徳川慶喜に大政奉還の建白書を提出し、大騒ぎになるが、結局、1867年10月14日、大政奉還成る。という話。

前回のワタシの書いたことがNHKのスタッフに届いたのか? 今回は一応、「大政奉還こそが徳川700万石の延命策でございます」と慶喜の側近に言わせていた。また、徳川に延命されては困るからこそ、薩長は大政奉還に不賛成だったわけだ。

とはいえ、政権を返上すれば役人2万人が失業するという。龍馬は「その人たちも百姓をしたり、商売をやったりして暮らせばいい」ととんでもないことを言い出す。で、まあとにかく、慶喜は大政奉還の決意をする。

ドラマとしては見どころはあった。慶喜が二条城に各藩の藩政担当者(薩摩の小松帯刀などもいる)を集め、「大政奉還についてどう思うか」と訊く。大方は「そのようなこと、とても私の一存では答えられませぬ、国元へ帰り、藩論をまとめ、改めて回答させていただきたく……」「私もです」「私も」と、役に立たない回答ばかりの中、土佐の後藤象二郎のみが、大政奉還すべきときっぱり発言する。イライラした慶喜が象二郎に近づき、幕府を終わりにしろと申すか! と怒鳴ると、「今大政奉還を成せば、慶喜公の名は名君として末代まで語り継がれましょう、されど……」と脂汗を流しながら答える。この時、後藤象二郎は死を覚悟していただろう。真っ青になりながらもきっぱりと答えるさまは見事であり、たいへんな存在感があった。

象二郎は、直前に龍馬から「もし大政奉還がなされなければ自分は慶喜公を斬ります。あの世でお会いしましょう」との手紙を受け取っていた。「あの世でお会いしましょう」とは、「その時はアンタも切腹しろよ」という脅しと思われる。もちろん、龍馬に脅されなくても、失敗したら容堂公に合わせる顔がなく、象二郎としては腹を切るしかないだろう。そういう決死の発言であったことは間違いない。

大政奉還を主張すれば、慶喜は面白くない。他の各藩も「なにを余計なことを……」と、何も言わないが雰囲気で圧迫してくる。もちろん薩摩・長州は大政奉還には反対である。そうした中、象二郎はたった一人で闘っていたのだ。建白書の内容より、この時の象二郎の覚悟が慶喜を動かしたのかも知れない。そのくらい、青木崇高の演技が光っていた。

しかし実際には、容堂公はともかく、単なる家老に過ぎない象二郎は、将軍と直接口が利ける立場ではなかったのではないか。内々であればともかく、公式の場で面と向かって話をするなんて、あまりにも歪め過ぎではないかなあ。そうしないと話が進まないと言われればそれまでだが、そういう世の中だからこそ変えなければいけないわけで。

新撰組が坂本龍馬を斬ろうとした瞬間に勝海舟が姿を現わした、というのも、でき過ぎ。ドラマじゃないんだから。ドラマだけど。もうちょっと話をうまく作ろうよ。

勝海舟が龍馬に言う。「慶喜公が大政奉還を決意するのに、どれほどの勇気と覚悟が必要だったか……。その慶喜公を敗軍の将とすることは、おいらが許さねえ。龍馬、薩長を抑えられるか」。これに対して龍馬はYESと答えるのだが、これは来週への重要なリンクだな。

ラストで、薩摩藩では西郷隆盛が、「坂本龍馬は生かしておくべきではなかった」とあっさり呟くし、(旧)幕臣は幕臣で、坂本のおかげで幕府がなくなってしまった……と恨みを募らせる場面がちょっと映った。これは明らかに来週への伏線。

予告編を見ると、「龍馬伝」においては龍馬暗殺の下手人は見回り組ということにするらしいけど、僕は黒幕は薩摩藩だと思っている。

リンク

2010-11-14

大政奉還の建白/龍馬伝-46「土佐の大勝負」

雑感

龍馬が土佐へ行き、山内容堂と面会して大政奉還の建白書を書いてもらうよう進言するという話。前田敦子久々の登場。

大政奉還は幕末の一大イベント。それをここまで史実から離れた話にするかなぁ……と、驚くやら、しらけるやら。

大政奉還は、後藤象二郎が山内容堂に進言し、容堂が徳川慶喜に建白して成立させたもの。後藤がこうした考えを持つに到ったのは龍馬の影響というのが定説だが、龍馬が直接容堂公に進言したわけではない。いくら幕末の動乱期だとはいえ、まだ徳川幕藩体制が続いている中、下士・脱藩浪士の龍馬が、藩政を司る容堂に直接会って話をすること自体、あまりにも現実離れしている。龍馬が象二郎と親しげに話をしたり並んで歩いたりしていたのも、長崎だからこそであって、土佐に戻ったらそんなことはできないだろう。ましてや……容堂公は依然として雲の上の人である。

大政奉還の意味合いについてもかなりおかしな説明がなされている。これはずっとこのドラマを見ていて気になっていたことなのだが。

今の徳川の政治には将来がない、天皇陛下が徳川に預けてある政権を取り上げ、天皇の御代に戻し、民主的で先進的、西欧列強とも対等に渡り合える「日本」という国家を作っていかなければいけない……という思いから多くの志士は立ち上がった。が、その思惑は様々である。

次代の権力者になるであろう薩摩・長州は、武力で徳川を制圧し、力づくで政権を奪い取ろうとしている。一方、龍馬らは、戦が起きれば日本中がそれに巻き込まれることを危惧した。日本が二つに分かれて騒動を繰り広げれば外国に付け込まれるだけだというわけだ。だから、戦をせずに徳川から自主的に政権を返上させる。これが大政奉還だ。ここまではいい。

大政奉還したあとの世の中はどうなる? 最高権力者は天皇陛下だとしても、これまで現実に政治を行なったことはなく、実務能力はない。そこで全国の有力大名の公議で動くことになるだろう。では、その有力大名とは具体的に誰だろうか?

徳川を武力を以て叩き潰してしまえば、それは薩長になる。西郷隆盛や桂小五郎が狙っているのはこの線である。一方、大政奉還した場合、徳川は将軍家ではなくなるが、家も領土もそのまま残る。さてそうなると勢力図は? 薩摩は77万石、長州は37万石、徳川家はざっと700万石である。そうなれば新しい世でもイニシアチブを取るのが誰になるかは明らかであろう。

薩摩も長州も関ヶ原の戦いで西軍だった外様大名である。江戸時代を通じて様々な差別も受けた。彼らにしてみれば徳川を倒して自分たちの支配する世にすることは当然である。長年にわたる怨みつらみを爆発させる機会がようやくめぐってきたのだ。これは龍馬や武市半平太など土佐の下士にとっても同じ。一方、山内家は関ヶ原では東軍につき、戦後、徳川の御恩をもって土佐を賜ったのである。徳川家があってこその山内家である。討幕に加担するような真似ができるわけがない。

だから、大政奉還なのである。ことここに至っては、これまで通りの幕藩体制を今後も維持して行くのは至難の業。いずれ薩長をはじめとする討幕勢力とぶつかる。そうなった時に幕府側に勝ち目があるか。時代の流れは薩長に傾きかけている。それなら形式的に政権を返上してしまった方がいい。そうすれば薩長側は討幕の必要がなくなり、振り上げた拳を下ろさざるを得なくなる。そうしておいて、次の政権下でも大きな影響力を持ち続けることが、結局は徳川家安堵につながる……というのが土佐藩の建白書の主旨だったはずだ。

もちろんこんなことをされてしまっては、薩長にとってはたいへんに都合が悪いことになる(この時点では、薩長側にとって坂本龍馬は非常に困った存在だった)。いくら徳川家にもメリットがあるとはいえ、そうそう簡単に決意できることではない。それまでの間になんとか討幕の密勅をもらおうと必死で朝廷側に働きかけていた。討幕の密勅が薩長に下るのが先か、徳川慶喜が大政奉還するのが先か。必死のレースをやっていたのである。

話を少し先取りするが、討幕の密勅が下りたのは1967年(慶応3年)10月14日。だが同日徳川慶喜は大政奉還を上奏し、朝廷側がこれを受理。これによって討幕の密勅は紙切れになってしまった。もっとも、結局は薩長側が徳川を挑発して鳥羽・伏見の戦いを起こし、朝敵の汚名を着せ、徳川を武力で追いつめていくわけだが、それは龍馬の死後の話だ。

さて、次回はどのような話になることやら。

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2010-11-07

おりょうとの別れ/龍馬伝-45「龍馬の休日」

雑感

タイトルは「ローマの休日」との語呂合わせか。

おりょうと過ごす最後の日々である。これがおりょうとの最後であると、当人たちは知らないわけだが、視聴者はみなわかっている。そういうドラマである。

「おばちゃーん」といって寄ってくる子どもたちに「おばちゃんちゃうわ!」と怒鳴りつけたり、龍馬に「一緒に風呂に入ろう」と言われて赤くなったり、飲んで朝帰りした龍馬に拳銃を突きつけたり、出発が一日延びたと聞いて急に機嫌がよくなったり……とギャグ満載で、史実もへったくれもないが、ドラマとしてこういう話を作ってみたかったのだろう。

ドラマを見た時は、特に何も感じることはなかったのだが、ヒマラヤスギさんのエピガイを読んだらなぜか泣けてきた。