who is without sin among you

ある村が焼かれた。
ジャングルの中にある、先住民の小さな村
そこを陥したところで戦略上の何のメリットも無いような
小さな村――ただ一つ、見せしめ以外に。
その村は反政府ゲリラに協力的だった
――彼らの掲げる理想に共鳴してだったのか
それとも、ただ彼らの勢力圏内にあって
村の平穏を守るためだけに渋々従っていたのかは
もはや確かめる術は無いし、そんなことは
“奴ら”にとってはどちらも同じことだったのだろう。
ただ「我々」ではなく「奴ら」を選んだ
それだけで充分だったのだ、そこに住む人々を
村ごと焼き尽くす理由としては。

男たちは皆殺しにされた。女たちもだ
ただその前に、死んだ方がマシという目に遭わされてから。
灰となった粗末な家の中では赤ん坊が
何発もの銃弾を浴びせられていた。その戸口で
まだあどけなさの残る少女は見るも無残な姿で横たわっていた。
あんなにも愛らしかった笑顔は悪鬼の所業の前に凍りつき
もはや何の表情も感情も遺さず
くりくりとよく動く大きな目も見開かれたまま濁り
何も映すことは無く――あの澄んだ鳶色の瞳も――

――鳶色……

「りょおっ!」

うわぁっ――
「――かお……り……?」
「……そう、だけど」

見開いた瞼の前に、くりくりとよく動く鳶色の瞳
――かつての、記憶の奥底に眠る惨劇の中の
少女の顔が、みるみるうちに相棒の顔へと重なっていったのだ。
無論、そのくらいの齢の香を俺は知らない
せいぜいアルバムで盗み見たくらいだ。

どうやら夢を見ていたようだ
時間にしてはほんの数分というのに。

「コーヒー、買ってきたけど飲むでしょ」
「あ、ああ」

東京から遠く離れた、田舎道のサービスエリア。

「疲れてるんだったら、運転代わろっか?」
「いやいい、おまぁにハンドル握らしたら
クーパーが傷だらけになる」
「あー、ひどー。そりゃこないだフィアット擦っちゃったけど
あれだって修理に出すまでもなかったじゃないの」

そうぶーぶー言いながら、自分の分の缶コーヒー(砂糖・ミルク入り)
を手に、香はクーパーの助手席に納まった。

「だいたい、全部撩のせいなんだからね
わざわざこんなとこまで来る羽目になったのも
あんたが美人の依頼にほいほい乗せられるから――」

そう、こればっかりは香の言うとおりだった
あいつがツケ返済のためのアルバイトに勤しんでいる間
鬼の居ぬ間にと俺が引き受けたXYZ、それが総ての発端。

「怪しいと思わなかったの? 女からの依頼で
他の女の子と仲良くなってほしいだなんて」

女を口説き落とすなんて朝飯前、それがまだ初心な
箱入りのお嬢さんならなおさらのこと。
ようやくツケを完済し、香がこの内緒の依頼に
気づいたときには、もうとっくにその娘とは好い仲になっていた。
それは、すでにその策略からは逃れられなくなっていたということ。

次に来た指示は、彼女をとある場所に連れ出してほしいとのこと
そこは数年前に廃業になった町工場の跡だった。

「ねぇ撩、聞いてるの!?」
「はいはい、聞いてますよぉ」

車もまばらな高速道路を軽快に飛ばしながら
相棒の小言を適当に聞き流す。

「じゃあなんで誘拐の片棒を担いだりしたのよ!」

そう、総ては仕組まれた犯罪計画だったのだ。
もちろんそれを察知していない冴羽撩ではない
判っていたさ、ターゲットのお嬢さんの父親が
東日本一円の闇金融の上に君臨する“帝王”だってことは。
そもそも依頼人の女からして怪しかったのだ
彼女が素人じゃないなんてことは一目で判った。
堅気じゃないわけではないが、いわゆる商売女
それでも一応は合法からモグリまでピンきりだが――

町工場は、彼女のかつての家だった。
夫はそこの若き跡取りだったが
資金繰りに困った挙句、街金に泣きついて
結果、工場は巻き上げられ彼はそこで首を吊った。
借金はすでに保険金だけではどうにもならないほど
膨れ上がっていた。それゆえ
うら若き未亡人は――風俗に「沈められた」

誘拐計画に関わっていたのは、彼女だけではない
同じように闇金に身ぐるみはがされた被害者たち。
そこまで歯車が動き出してしまっていたなら
流れに乗って、内側からぶち壊してやる方が早い。
だから香を別働隊にして、そのお嬢さんと一緒に
廃工場からさらに人里離れた彼らのアジトへと
大人しく拉致られてやったのだ。
それを片棒担ぎとは言いがかりも甚だしい。

だいたい、俺が手のひらを返さなかったら
あのお嬢さんの末路はどうなっていただろうか――
仲間の男たちの、ぎらぎらと滾った眼
欲望、といってもむしろ支配欲、それも
屈辱の裏返しの典型的なルサンチマンというやつ。
きっとあの女は、自分がされたことを同じように
あの娘にしてやろうとしていたのだ、男たちの玩具に
彼女自身には何の罪もないにもかかわらず。

「――あんたたち、自分が
何をしようとしてたか、判ってるの!?」

奴らに止めを刺したのは、香の舌鋒だった。

「自分も、あいつらと同じ人間の屑に
成り下がるところだったのよ!!」

それは、俺も思ったことだった
だがそれを口に出せなかった。

「――Venganza(復讐だ)」

あの、残煙未だ燻るかつての村で
同志の一人がそう口にした。

――復讐だ
――復讐だ!
――復讐だ!!

それはいつしか、声高な叫びとなって
焼け跡に谺した。そして谺のように
それと全く同じ地獄が、再び目の前に広がった。
違いはそこが、かつては政府側に与する村だったということ
そして、その村を地獄と化したのは俺たちだったということ。
村の女たちをあの少女と同じ目に遭わせるのに
俺も加わったかというのは、全く記憶に無い
それは自分にとって消してしまいたい過去だったのだから
――そう、俺も同じ「人間の屑」、それ以下なのだ。
香の言葉が鋭くこの胸を抉る。そして――

「――なんで、もっと前に
あたしたちに言ってくれなかったのよ!」

そうあいつは涙ながらに叫んだ。
言ってくれれば――こっちにはジャーナリストも
警察のお偉いさんもいる、伝手を頼れば
腕のいい弁護士も紹介できただろう。
こんな犯罪まがい――犯罪そのものの方法を冒さなくても
いくらでも連中を糾弾する手はあったはずだ
そのために俺たちがいるようなものなのに。

「――ねぇ撩」
「ん?」
「あの人たち、これからどうするのかしら」

上り線はすでに夕闇が迫ろうとしていた
すでにクーパーのヘッドライトは点灯済みだ。

「さぁな」

香は敢えて、警察を巻き込ませなかった。
そうなればあの元・弱者は犯罪者の側に回るし
被害者側も被害者側だ、その判断は正しい。
攫われたお嬢さんは、お迎えに上がった
パパの部下たちにすでに引き渡した。その際奴らに
今回の加害者に今後一切手出しはしないよう
釘を刺しておくのは俺の役目。
シティーハンターにそう凄まれ、その言を翻す
命知らずはこの街にはいないはずだ。

「ただ少なくとも、あいつらに
あの街金連中を責める資格はもう無くなったな」

――キリストは言った。姦淫の罪を犯した女を
責めようとする律法学者たちに
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が
まず石を投げよ」と。
それゆえ、彼らはもう石を投げられない
俺も、とっくの昔に。
この中で石を投げられるのは攫われた娘と、香だけ。

俺の手荒なお仕置きで、奴らを挫くことはもちろんできた。
だが奴らの心を完全に武装解除したのは
他でもない、香の真っ直ぐな言葉だった。
もしあいつが罪を犯せば、その言葉は
もう誰の胸にも届かなくなる
だからその手だけは絶対に穢させない
そのためにどれだけこの手が罪に塗れても――

「そう――」

香の眼が翳ったのは、夕日が山の端に
沈みかかったからだけではなかった。

「心配すんなよ、手は打ってある。
あの闇金グループも近いうちに手入れが入るさ」

それはすでに冴子に打診済みだ。だが、

「じゃあ、今度はあの娘が路頭に迷っちゃうわね……」

あっちを立てればこちらが立たず
美人を苦境に立たすのは俺だって忍びない。

「でも、それでよかったのかもしれない
彼女だって、泡銭で何不自由ない暮らしを送るより
たとえ苦しくても、真っ当な稼ぎで生きた方が
幸福だと思うもの」

確かに、あの娘は闇金の帝王のご令嬢にしては
真っ直ぐな娘だった。自分の父親のしたことのせいで
これだけの人々が苦しんでいることに
素直に胸を痛めていたのだから。

「ま、何かあったら新宿駅の伝言板に
XYZって言っといたしな」
「だからって撩、親切ごかしで
あの娘に変な真似したら承知しないからねっ」

そう香は運転席の俺にきっと向き直った。
その大きく見開かれた鳶色の瞳は生気に満ち満ちていた。