No.285 ロシア軍のチェチェン撤退はエイプリル・フール?

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INDEX

*ロシア軍のチェチェン撤退はエイプリル・フール
*北方領土チェチェン歴史認識ーー3冊の本を通じて
*ヴォルガドンスクの9年後(後編)
*イベント情報

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■ロシア軍のチェチェン撤退はエイプリル・フール


 「チェチェンからロシア軍が撤退を検討中」というニュースが3月下旬に一斉にメディアに流されたのだが、結局それはお流れになった。

 チェチェンにおける対テロ作戦は終わらないーー3月31日に開かれた国家対テロ委員会は、メドベージェフ大統領にあてた対テロ作戦終了の勧告を採択せず、今後の議論に委ねるとした。その一方、作戦体制は緩和されるとされ、チェチェン共和国側には独自の国際空港と通関の設置/運営が許可される見通し。

 対テロ委員会の長、アレクサンドル・ボルトニコフFSB長官はこう言う。「対テロ作戦の終了は、FSB内務省国防省の協議に委ねられる。その上でメドベージェフ大統領に報告が行われる」と。

 ちょうど4月1日のメドベージェフ・オバマ会談があり、それに向けた雰囲気作りだったのではないだろうか。日本語でも、英語でもこの件のニュースはかなり流れていたので、「チェチェンからロシア軍撤退」というのは、これからも多くの人のイメージに残るだろう。

 しかし、それではちょっとまずいのだ。「検討中」という情報は事実としても、「撤退中止」という情報も流れないと、変な常識がはびこりそうだ。関連記事は下記のとおり。


チェチェン駐留軍の撤退はキャンセル コメルサント
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090405/1238881770

米ロ核軍縮方針合意 ロシアの狙いは東欧で失地回復
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009040302000080.html

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北方領土チェチェン歴史認識ーー3冊の本を通じて
 

●「北方領土『特命交渉』」

 政治家の鈴木宗男氏と、元外交官の佐藤優氏の共著で、「北方領土『特命交渉』」(2006 講談社)という本がある。この本の「外務省の暴走」という見出しの下に、鈴木宗男氏のこういう発言があった。


   ちょうど同じ時期(99年9月)、G8外相会議でアメリカやイギリスが中心になって、人権問題でロシアを叩こうという動きがあった。外務省は、河野(洋平)さんという人権派の政治家が外相になったのをいいことに、この動きに同調しようとした。しかし、日本は、橋本龍太郎小渕恵三という二人の内閣総理大臣が、「チェチェン問題はロシアの国内問題であり、ロシアが解決すべき問題だ」と明言しているのです。

 そのような経緯があるにもかかわらず、アメリカ、イギリスのお先棒を担いでロシアを叩くというのは、内閣総理大臣が定めた日本政府の方針を無視した暴走でしかありません。

 ーー私が間違っていたとは思っていません。国際テロの脅威と闘っているというロシアの主張には客観的根拠がありました。(p120)


 ・・・というわけで、鈴木氏はこの動きの張本人であった竹内行夫総合政策局長に「厳しく問いただし」て、米英との協調をやめさせたのだという。

 1999年というのは、チェチェン戦争がもっとも激しかった時、というより、一方的なロシア軍の空爆で一般市民の上に爆弾が落とされていた時期だ。

 その時期に、出所不明の「国際テロの脅威」とチェチェンを勝手に結びつけて、西側諸国としてのロシア非難声明への参加をやめさせたことが、お手柄話として語られるところに、この人たちの恐ろしいところがある。

 チェチェンの人々の受難は、あるいは戦争に巻き込まれて死んでしまうロシアの人々のそれも含めて、みんな私たちーー日本やその他の国で暮らす人々の生活の延長線上にあるのではないかと思うことがある。たとえば、問題に関心をもたず、あるいはその無関心と引きかえに何か成果を得ようとする卑屈な官僚や政治家を許している私たちの生活に。

 この本の中で佐藤氏はこう言う。「チェチェンー国際テロリズム」の関係を理解することが、北方領土交渉には深く関わっていて、それが理解できていなければ「交渉は頓挫する可能性があった」と。

 チェチェン問題を人権問題としてロシアに言い立てれば、島は帰ってこないという意味だろう。そうすると、、、結局日本はその非難声明に加わらなかったわけだが、一つでも島が帰ってきたろうか? チェチェン人20万人の死と引きかえに北方領土が帰ってくることを、私たちは望んでいたのだろうか? 

 いいや、それらはまったく別の問題だったのだ。しかしロシア側は対チェチェン軍事侵攻への批判を避けるために、「チェチェン北方領土は関係している」と示唆してきて、それに乗ってしまった人々がいたのだ。ちょうどこの本の著者たちのように。

 しかしこの本にも興味深いことはいろいろ書かれている。

佐藤 外務省にあきれてしまったのは、「これ(モスクワアパート爆破事件)はエリツィン政権を浮揚させるための自作自演だ」という人たちがいたことです。(p228)

 へえ、なかなか見識がある人がいたんだな・・・。

 ロシア政府がチェチェンとの戦争に突入するために自国民を殺したという話は、始めて聞いた人にはショッキングかもしれないが、ありうることだ。傍証として、連続爆破事件が続いていた時期に情報機関が地方都市の集合住宅に爆弾を仕掛けて、それが不発のままで地元の警察に発見され、押収されて数日後、「あれは訓練だった。爆薬ではなくて砂糖だ」と不可解な発表をした「リャザン事件」がある。

 爆薬を鑑定した技師や、逃走する情報機関員の電話連絡を傍受した電話局員の証言も収録された、「ロシア闇の戦争―プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く」絶対に買いだ。( http://www.kobunsha.com/book/detail/96198.html )

 結局、日本政府の見解としては、「チェチェン問題はロシアの国内問題だ」という線に落ち着いたと記憶している。これは、DVなり、児童虐待が起こっていると分かり切っている家庭を知りながら、「その家の問題だから」と何の手出しもしないことにしたご近所や警察、児童相談所があると考えればわかりやすい。

 99年のチェチェンとは、あるいは日本とは、そういう場所だった。もしかしたら、今も。



田原総一朗佐藤優第三次世界大戦 新・帝国主義でこうなる!」

 「インテリを戦略的に優遇し、懐柔するプーチン」という小見出しについで、こういう下りがあった。

 田原 モスクワで殺された女性記者がいたでしょう。

 佐藤 アンナ・ポリトコフスカヤ。私は彼女にあまり同情していません。彼女は日本で言えば実話誌の記者で、マフィア抗争に深入りしすぎた。NHK出版から『プーチニズム 報道されないロシアの現実』という本が出ているけど、タイトルがインチキ。全部ロシアの新聞の翻訳ですからね。プーチンについても、人間のクズで血塗られた男だと、形容詞のいっぱい付いた読むに堪えない文章を書き散らした。あの政権批判は、中核派の『前進』や革マル派の『解放』のトーン。人気もないです。読んでつまらないんだもの。(132p)

 なんて主観的な批判だろう。

 『プーチニズム』は、アンナがロシア各地を歩いて取材したものを、政権・社会の腐敗に対する批判と、時には彼女自身に対しても向けられる厳しい視線も交えてつづられた本で、決して読後感の軽い本ではない。

 この本に所収された文章が、たとえば彼女が所属していたノーヴァヤ・ガゼータ紙で発表されていたとしても、それをもって「すでにロシアの新聞に載ったのだから〈報道されない現実〉ではない」というのは、ためにする議論というものだろう。実際、ノーヴァヤ・ガゼータはモスクワで十万部前後が出ているだけで、サンクトでは販売所すらもないし、この本もロシアでは出版されず、原著が英語版だ。

 その後の中核派革マル派云々は、無関係なものを持ち出したレッテル張り以外の何者でもない。主観的な文章に「主観的だ」と指摘しなければならないのは残念だし、下品な文章を「下品だ」と書くのは、自分をわざわざ低レベルの争いに落とすようで気が引ける。が、読むに堪えないのはこの本の方である。

 さらに佐藤氏は続ける。

 佐藤 (ポリトコフスカヤの死は)マフィア間抗争の犠牲者と私は見ています。プーチンはあの記者を、バカにしていましたけど、大切にもしていました。意図的に彼女に書かせていたんです。こんなめちゃくちゃなことだって書けるから言論の自由がある、と弁解するために。ポリトコフスカヤが有名になったわけは、こんなひどい記事が出たと大統領府が配ったから。それでも自由にさせているよ、と宣伝するためですよ。

 田原 じゃあプーチンは彼女を守らなきゃ。なぜマフィアに殺されるままにしたんですか?

 佐藤 守れないような抗争に巻き込まれたんでしょう。彼女はチェチェン独立派寄りの記事を書いていたけど、チェチェンの人権報道はマフィア利権とからむんです。軍が関与できない地域はマフィアが仕切って、石油の輸出とかやりたい放題。その場所で取材するわけですからね。ロシア人もそこはわかって記事を読む。もちろんマフィアが記者を殺すことはよくないし、彼女のようなもの書きも出てこないといけないと思っている。しかし、プーチンが殺したという点に関しては、ほとんどみんな懐疑的です。

 佐藤氏の言説の中でチェチェンの背景が説明されるとき、ロシアによるチェチェン侵略の長い歴史は省略される代わりに、なんの典拠もなくチェチェンマフィアや、国際テロとのつながりなどが語られる。

 ここでは、「アンナはプーチン政権ではなく、マフィアに殺された」という説明になるのだが、ではどんなマフィアに殺されたか、その情報源は何かというような説明はない。おなじように根拠なく「プーチンはアンナを大切にしていた」とまで言い、あくまで政権は暗殺に関与していないという印象を読者に持たせようとする。

 けれどもこのレトリックは自己撞着している。ソ連時代にも、「ノーヴォエ・ブレーミヤ(新時代)」誌では比較的自由な論陣が張られ、外国でも読むことができたのだが、これこそ「自由な報道もある」という弁解のためだった。そのソ連時代に言論の自由があったなら、アンナが「大切にされていた」新生ロシアにも言論の自由はあったことになるのだろう。

 すべてはアンナの死によって空しい言葉遊びになった。

 2000年代、チェチェン戦争を進めるプーチン体制のもとで数十人のジャーナリストが殺害され、当局がおざなりな捜査しかしないために、犯人は一人も検挙されていない。ロシア政府が殺害に関与した証拠はまだ立証されていないかもしれないが、事態を放置していることだけでも、十分に重い責任がロシア政府にはある。

 佐藤氏は、リトヴィネンコ暗殺にロシアは関わっていないという見解を披露した上で、こう言う。

 そのあたりの話は、リトビネンコ事件の1年ほど前にロシアで封切られた映画『大統領のカウントダウン』に全部描かれています。ロシアでは700〜800万人が見たアクション映画で、日本でも公開され、DVDになっている。ポクロフスキーという名のベレゾフスキーらしき金融資本家、リトビネンコなんかに該  当するチェチェン系とつながった元情報機関員、連邦保安庁のヒーローなんかが出てきて、ロシアの政治の構造はこうなっているとよくわかる。2時間ぐらいで観ますと、ロシア側から見たチェチェン問題、財閥問題、マフィア問題などがだいたいわかります。ロシアに興味がある人にはお勧めのDVDですよ。(134p)

 ・・・よりによって、あのトンデモ映画がここで持ち出される。くわしい解説は、以前チェチェンニュースで試みたので、そちらを読んで欲しいのだが、ロシア政府、とくに軍や連邦保安庁チェチェン問題をどうプロパガンダしたいかは伝わってくる作品ではある。チェチェン人の描き方の粗雑さをはじめとして、実に手前勝手な作品である。

 映画「大統領のカウントダウン」 または、笑えるプロパガンダ
 http://chechennews.org/chn/0608.htm

 とりあえずこの「第三次世界大戦」の中では、ロシアのまわりで反抗すれば、すべて「バカなことを」する国ということになる。そういうことが書かれている本だ。


大前研一「ロシア・ショック」

 著者によると「ロシア・ショック」というのは、「プーチンが2020年までロシアの権力者として、〈強いロシア〉の復権を目指して君臨する」ことによる大きな衝撃だという。定義からしてわかりにくいがそこはいじらない。

 また、「せっかくプーチンが日本大好きと言ってくれているのに、日本がそのチャンスをフイにしている」とも言う。北方領土返還にこだわりすぎて平和条約を結んでいないのが問題なのだそうである。それって日本側だけの問題だったか。

 チェチェンについては、こう書かれている。


 ほとんどの日本人は「チェチェンみたいな小さなところは独立させてやって  もいいじゃないか」と思っているかもしれない。だが、プーチンチェチェン  の独立を認めないのは、そこに多くのロシア人が入植しているという複雑な事  情があるからだ。チェチェンが独立すれば、そこにいるロシア人が虐殺された  りひどい目にあうかもしれない。チェチェンを押さえ込んでいるがゆえに、時  々テロ事件が起こり、ロシア人は恐ろしい目にあう。しかしチェチェンの独立  を簡単に認めてしまえば、チェチェンにいるロシア人を守る気もないのかと思  われ、「プーチンはロシア人を見殺しにした」と国民に言われてしまう。  
  (194p)


 ええと、それはない。

 まず、1989年の統計では、チェチェン・イングーシの人口127万人中、29万人(23%)がロシア人とされているが、その後ほとんどのロシア人はチェチェンを去った。

 自分の意志でチェチェンに残ったロシア人もいた。しかしエリツィン時代の1994年にロシア軍が侵攻したとき、ロシアの爆撃機はロシア人の上にも平等に爆弾を落とし、同じように銃で脅した。チェチェンにいるロシア人をひどい目にあわせていたのは、当のロシア政府・軍である。この構図は1999年からの第二次チェチェン戦争でも変わらない。

 89年以降、信頼できる統計はない。だからといって20年前の統計で現在を語るのは無理だ。チェチェン関係の資料を少しあたってみれば、こういう記述にはならないだろう。


 プーチンが苦しんだのは、その昔、ソ連が入植という誤った政策によって歪  んだ構造を作ってしまったからだ。この問題はそのまま、今、メドヴェージェ  フに引き継がれている。ロシア人をシベリアに永住させ、さらに「ここが重要  だ」という場所が出てくると、今度はシベリアからオセチアに、あるいはチェ  チェンに入植させた。カザフスタンにも、ウクライナにも、エストニアにもロ  シア人を入植させた。ーープーチンはいわばスターリン以降のソ連時代のツケ  を支払わされていたわけで、同情したくなる点もないわけではない。(195p)


 これもおかしい。チェチェンに対するロシアの支配は帝政時代に遡る。ロシアによって完全に支配されたのは19世紀の話なので、まだソ連はない。

 大前氏の頭の中ではプーチンがこの問題の解決に悩まされたように見えているようだが、チェチェン人もロシア人も同時に空爆で殺していき、モスクワ劇場占拠事件では人質が建物内にいるにも関わらず毒ガスを注入して数百人を殺害した彼が、民族問題の解決のために苦悩したり、努力したとは言いにくいだろう。あえて言うなら、ユダヤ人を抹殺することを「最終的解決」としたナチスの方が近い。

 しかしこういうタイプの記述は、なぜか軍事侵攻の命令を下した人物を過去の既成事実を使って免罪するばかりか、「悩める指導者」にまで持ち上げてしまうのだからたちが悪い。

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■ヴォルガドンスクの9年後(後編)


【記事について】 あのテロ事件、99年のロシア各地での集合住宅爆破事件に
よってチェチェンへの敵意が焚き付けられ、犯人が不明のまま戦争が始められ
た。それから9年後、ノーヴァヤ・ガゼータ記者のエレーナ・コスチェンコ
は、友人ニーナとともに、事件のあったヴォルガドンスクを取材する。小さな
街の人々は今も傷つき、おびえていた。


〈後編〉

3/18 ノーヴァヤ・ガゼータ エレーナ・コスチェンコ記者
承前 http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090331/1238508935



 ほかにも、こんな話を聞いた。

 住宅の壁にはひびが入っていて、風が吹く時には建物全体が揺れる。

 ヴォルガドンスクには、ロシアのほかの地域より早く住宅協同組合が入っている。爆発の直後にヴォルガドンスク市当局がV−YとV−16地区の住民たちに住宅委員会をつくって建物責任者を選ぶよう要請した。その人たちが被災者リストを作り、修復を管理し、人道支援の分配をしなければならなかった。

 39人の被災者うち、誰も自分に割り当てられた住民を見捨てなかった。今は、そのうちの9人が住宅委員会のセンターに集まっている。おそろしくやつれた、若くない女性がいる。

 住宅委員会は、数え切れないほど多くのことをやってくれる。食料品のセットをつくったり、薬品の至急を申請する書類書きを手伝ってくれたり、葬儀をしたり。葬儀はだいたい、3万ルーブル以上かかる。そのうち、福祉の資金では千ルーブルしか出してくれないから、残りは各戸から集めなければならない。

 葬儀はよくある。住宅委員は数え上げる。

「ミール通り12、父親が首つり」

「オクチャブリスカヤ15、女性が窓から身を投げた」

「世帯主が飛び降り自殺。オクチャブリスク大通り、35a」

ガガーリン54、二人が身投げ、二人首つり」

「こちらも キーロフ大通り、1番 若い男性が首つり自殺」

「オクチャブリスカヤ31番、自殺未遂」

「オクチャブリスカヤ35番、二人」


 被災者全体について公式の医療関係者の診断。

 「日常の事故による外傷」この診断は、被災者が失ったのが手だろうが、足だろうが、視力だろうが一律で、「一般的な疾患による身障者証明」。この診断を下した医療審査委員会の説明は釘をうつように単純そのものだ。「身障者登録で身障者となった原因にテロ事件という項目はない」の一言。

 「一般的疾患による身障者」つまり一番手当が低い身障者証明(1500−2500ルーブル)で、これには特別医療サービスもない。被災者の検診に、爆風による負傷の専門家が加わったことは一度もない。「爆風による障害」がカルテに書き込まれる診断もほんのわずかだが。

 「被災者の多くが、心臓疾患、精神疾患、糖尿病、高血圧症などで聴覚や視覚の異常がある」と、第三病院のドロホフ医師長は認めている。「しかし、疾患とテロ事件の関連を明確に追跡する方法がない。それで〈爆風による障害〉という診断は下さなかった」という。その上、事件後に生まれた子どもたちは被災者と認められていない。

 しかし、第三産院の産婦人科医ネズナヒナさんは、爆破された住宅に住んでいた女性たちで出産した人たちを全員知っている。「その子どもたちは異常に落ちつきがなく、自分がコントロールできない。制止しても無駄で、4歳で卒中を起こします。多くが精神病院に登録されているのです」と言う。

 

 ヴォルガドンスク市の保健局次長シャリネワさんとは、会話が成り立たなかった。彼女はどんな質問に対しても「すべて順調」の一言で答えたのだ。

 彼女の話では、テロの犠牲者たちに対しては確かに特別扱いで、とても好意的で気配りがされていると。ヴォルゴドンスクでは、医学的なリハビリプログラムが実施されていて、それは充実した内容で5年を期限としている。ただし、そのようなリハビリ計画の存在を証明する文書は、一つも保健局に見つからなかった。

 精神病院ー―今やこれが、市民が感謝の気持ちを込めて語る唯一の医療施設だ。

 テロ事件の直後に精神科の関係者は被災者のための緊急支援を組織し、昼夜を分かたず働いた。2千人が診察を受けた。これは被害者の10パーセントだ。今でも、この病院の職員たちはできる限りのことをやってくれている。

 精神病院医師長のガルキン医師はおしゃれで、ピンクのワイシャツに紫のネクタイ。誰に対しても丁寧で、にこやか、皆のことを気にかけてくれて、ヴォルガドンスクで恐れられているあの言葉「テロ事件の後遺症」という言い方を恐れない。

 ガルキン医師はテロ事件のあとで市民の精神状態がどう変わったか話してくれた。

「爆破の直後にショック症状が出て、それは三日間続きました。人々はショックから攻撃的になり、家のそばで見張っていたり、喧嘩早くなったり、あるいは逃亡しようとして、街を出て行ったりするかと思えば、戸棚の中に隠れるような人もいました」

 その後、激しいストレス症状が2−3ヶ月続いた。食欲がない、生気がまったくなく、感情もなし。その後、外傷のあとのストレス症状があって、それは1−2年続いた。説明のつかない発作的恐怖心、よくあるのは重度の鬱状態。被災者は、起こったことのすべてを、頭のなかで繰り返し思い起こしている、あるいはかってに想念が渦巻いてくる。

 誰とも話したくない。すべてが自分に敵対的だという思いが強まり、すべてがまた繰り返されると思いこむ。フラッシュ・バックが起きる。過去の幻覚がきわめて現実的に現れる。それから人格変貌が起きる。性格に不安症の翳がきざす。

 常になにか悪いことが起こると思っている。生活は止まってしまい、未来が信じられなくなり、将来という言葉さえ避けるようになる。何に対しても裏があると思って傷つきやすい。役人が不注意に漏らした一言で傷つき、無関心にはがっくりしてしまう。その後人々は沈黙に沈む。「これが今のヴォルガドンスクです」と、医師は語る。

 ガルキン医師によれば、今数万人の人々が経験している、こういったことを避けることはできたはずだ、という。

ロシアではブジョノフスク(チェチェン独立派による病院占拠事件)、連続住宅爆破、モスクワ劇場占拠事件、ベスラン学校占拠事件という体験をしている国なのに、研究センターは一つもなく、テロ事件の被害者を支援する国家プログラムもない。ヴォルガドンスクを思い出すのは年に一度、それが起きた日の朝のニュースの3分間だけだ。ブイナクスク、カスピスク、キズリャルなどはまったく思い出しもしない。

毎朝、7時15分前に サーシャ・シャリモフは家の近くのバス停に行く。最初に来たバスに乗って、30分後に家に戻ってくる、誰も彼がどこに何のために通っているのか知らない。

 サーシャは、そのあとずっと窓辺に座っている。そばには電話。爆弾を積んだ車が来るのを見張っているのだ。窓枠の下をのぞき込み、車のナンバーを見ている。そのほか、サーシャは一番大事なときに電話回線を連邦保安局(FSB)が切ってしまって、またもや住宅が爆破され、サーシャがすべての責任を負わされるのを恐れている。それでサーシャは始終、受話器を取り上げて信号音を確かめている。

 サーシャ・シャリーモフは35歳。10年前の彼は、タービン技師だった。家族は両親と兄。爆破事件の時、彼は壁に頭を打ち付けられた。頭蓋外傷、8日間の人事不省、手術、精神分裂症。今はサーシャはもっと責任ある仕事をしていて、家族全員が彼を助けている。家族はみんな白黒写真の中にいて、その額は窓からできるだけ遠ざけられている。というのもサーシャは皆がまたガラスの破片で傷つけられたり、皆のあの葬儀のすべてをまた体験することになるのを恐れているのだ。

 あのとき(「最後には」とサーシャは言う)父親のヴィタリーさんががれきの下から見つかったのは10月5日になってからで、19人の死者の最後だった。被害者リストはすでに受付が終わっており、シャリモフ家には慈善援助は届かなかった。

 兄は、テロ事件の前から足が悪かったが、硬化症で事件のあとは車いすでしか移動できなくなった。酒におぼれるようになり2006年の3月、父の後を追った。

 母親は誰よりも持ちこたえたが、息子を亡くしてから心臓肥大となって、ついに心臓は破裂した。

 サーシャのつらい仕事の報酬は2700ルーブルの年金だけなので、ときどき持ち場を離れておばあさんたちが畑仕事をするのを手伝うアルバイトをする。雑役夫になれと勧められたが、それはどうしてもできない。

 「頭に血がのぼって、何もかも放り出してどこか分からない方向に向かって一目散に走ってしまうんだ。倒れるまで」

 それにおばあさんたちは、雑役夫の雇い主よりも理解がある。それに、「持ち場」を長く離れるわけにはいかない。

 サーシャはとても落ちつきがない。必死に手を振り回して語る。「絶対もう爆破はおきないからね、僕が見張っているから」

 テロ事件の被害者の精神的物質的損失を誰一人償ってくれていない。ヴォルガドンスクのテロ事件があったとき有効だった「テロ取り締まり」法では、被害者の損失は国が賠償することになっていた。国は当初地元当局を通して、法人に対する賠償を行い、個人に対しては、1万6000人の損害賠償は裁判所の判決によって(逮捕された?)テロリストが賠償することになっていた。だがテロリストはそれだけの財力がなかった。

 もっとも、裁判がおわった数年後に、被害者の数名のところに18ルーブルが振り込まれた。これは本来は犯人たちの家族がタバコ代として差し入れたもので、それを執達吏が被害者に分配したというものだった。

 そんなものよりはと、市民たちは支払いのできる犯人を見つけ出そうとした。たとえば、交通巡査のリュビチェフは、爆発物を積んだテロリストの車を砂糖の袋としてどの検問所も通過させた。しかし、裁判ではリュビチェフの行動とテロ事件の関連を確証できなかった。

 しかし、何より不思議なことがおきたのは国の基金だ。テロ事件の直後にこの地域に巨額の資金が送り込まれた。それは国から、そして民間の寄付や国際機関からの寄付だ。ただちに国と州の基金が作られた。しかし、その基金がどのように使われたのか、分配に関する報告書は結局見ることができなかった。

まもなく、ヴォルガドンスク市当局がこの基金から無期限に600万ルーブルを借りたという証文が見つかった・・・そして 基金は解体された。

 ヴォルガドンスク市長、ヴィクトル・フィルソフ氏は実に愛想がよい。ロシア南部のなまりがあり、素朴な笑顔でおどろくほど率直だ。

 「住宅がバイブレーションを起こしている? まあそういうのは簡単ですな。まさに被害者の住宅の状況は恐るべき状態です。悪夢としかいいようがない」と言いつつ、まるでそれに満足気な様子だ。

 フィルソフ市長は2004年に任期についた。それはテロ事件から5年目のことだ。しかし、被害者の困難は完全に理解している。

「人間的に考えて申し上げましょう。被害者を家に戻したのは間違っていました。しかし、貧しい時代で 家があるところに入れるしかなかった」

「そう、医療は・・・街全体の医者の普及率は50%で専門によっては30%です。半日仕事で2カ所のかけもちをしていたり、もう力を出し切ってしまって、いい加減にやっているものもあるでしょう。医者についての不平も伝わってきます。わたしが医者を呼びつけて〈よく恥ずかしくないな〉と言うと〈さっさと私を引退させてくださいよ、もう62歳なんですよ、代わりを見つけてください、もう我慢できません!〉と言われました」

「わたしはテロ被害者法に賛成です」と言うと市長はまた効果をねらって間を置く。

「しかし幻想は持ちません。1962年のノヴォチェルカスク事件の被害者に対する賠償法が採択されたのは つい5年前ですよ。あのときの被害者で生き残っている人たちはもう70歳を超えてます・・・わたしは州の立法機関に手紙を送ります、それ以外に何ができるって言うんです?」

 翌日、ヴォルガドンスクの市民が希望を託している人に会えた。

 ポトーギン氏はヴォルガドンスク選出のロストフ州の議会議員で、部屋の気をよくするために香をたいている。統一ロシア党員だ。テロ事件被害者法を真剣に推進する覚悟のある唯一の議員だ。

 「2009年の5月1日までに、我々は連邦レベルにまで働きかけなければなりません」

 ポトーギン氏はどのように問題を解決するか説明してくれた。

 「チェルノブイリ原子力発電所の事故処理作業員たちは昨年訴え出ました。この5年間年金の支払いがない、と。党の会議が招集され、知事と大統領に公式にアピールを出した。その後プーチン首相がロストフに来て、州知事は我々の頼みで再びこの文書一式をもって陳情しました。首相は直ちに指示を出し、その結果6億ルーブルが支払われました。成果をあげるにはシステマティックに働きかけなければだめです」

 ポトーギンはシステマティックという言葉が好きだ。そして、彼はどうしていまだに法がないのかが理解できない。

 1995年4月19日、オクラホマシティで狂った者がアメリ連邦政府ビルを爆破した。アメリカ人はテロ事件の影響調査のための「ハートランド」プログラムを作った。市内には境界精神科研究所が作られた。

 911事件のあと11日後にアメリカ議会は航空システム安定化法を採択した。テロ事件の被害者に対する補償基金を創設することを見込んだものだった。特徴的だったのは、基金が納税者の資金で作られたことだった。

就労能力を失った者に対する賠償は、アメリカ人の平均寿命に被災者の賃金を掛けた額に等しかった。死者の一人一人に対し、アメリカは約200万ドルを支払った。

 2005年の7月にロンドンで一連のテロ事件があったが、その死者達に対しては1万1000ポンドが基本賠償額となった。残された孤児には18歳になるまで毎年2万ポンドが支払われる。

 それなのに、ロシアでは「テロ事件による被害者」という法的な概念すらない。

 「ヴォルガードン」という社会団体の議長、赤毛のイリーナ・ハライ女史は、長いこと、世界に恥ずべきこのロシアの欠陥を正そうと努力してきた。

 まず、下院が注意を向けるように促した。送った手紙は何キログラムにもなり、それを相手にしない議員を裁判で訴えもした。裁判所の答えは立法は権利であり、義務ではないという。それで、下院にとってテロの犠牲者などどうでもよく、いくらそういう人が居ても構わないのだと悟った。

 そこでヴォルガドンスクの市民は自分たち自身で法律を作った。チェルノブイリセミパラチンスク、ヨーロッパのテロ事件犠牲者保護法などをモデルにした。彼らの要求は多くない。身障者年金を出すこと、住宅手当、医師の処方があれば医薬品が無料になること。そしてテロの被害者をテロ被害者と認めること。

 「権力は私たちに対して良心のとがめは感じていません。ただ恥ずかしいだけ」

 ハライ女史は英語を教え、テロ事件の被害者支援の国際標準の策定をテーマとす会議に通っている。通常そうした会議にロシアから参加しているのは彼女だけだ。2007年の9月にOSCEの国際会議がテロ事件の被害者をテーマに開かれたとき、ロシア外務省の代表が来ていた。

彼はヴォルガドンスク市やベスラン、モスクワ劇場占拠事件に関わる社会団体の代表者たちが会場にいるのに気づいた。そして 壇上からヨーロッパの人たちに「このようなレベルの会合に参加する団体はもっと慎重に選ぶべきだ」と助言した。

 なぜならテロ事件の被害者たちは「ディスカッションの能力がなく、国家に反対するからだ」と。それを聴いた被害者たちは立ち上がって会場を後にした。一騒ぎになるかと思われたが、何事も起きなかった。

2009年3月18日 http://www.novayagazeta.ru/data/2009/027/ (TK訳)

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■イベント

4/14 渋谷:『冬の兵士』緊急上映会

かつてヴェトナム戦争時に、
帰還兵たちが戦場の現実をアメリカ国民に訴えた伝説の集会「冬の兵士」が、
イラクとアフガンの帰還兵たちによって復活した。
極端な人種差別や交戦ルールの無視など、
いままさに起きている戦場と軍隊の現実をあからさまに証言した、
80分のドキュメンタリー映画に。

http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090405/1238940343


4/16 渋谷:アジア記者クラブ4月定例会
「経済恐慌下、日本の貧困はここまできている」

高校生の10人に1人が学費を滞納するなど、
貧困が日本社会に加速度的に広がっている。
10年にわたって貧困の現場を取材した
毎日新聞の東海林智記者からの緊急報告。

http://apc.cup.com/


4/18 大崎:ユーラシア研究所20周年記念シンポジウム
「よみがえるユーラシアーその光と影」

  亀山郁夫「黙過-ドストエフスキーと現代」、
  月出皎司「露呈したメドベージェフ・プーチン『タンデム』政権の弱点」
  前田弘毅「グルジア問題(仮)」

http://www.t3.rim.or.jp/~yuken/


4/20 文京:広河隆一 最新チェルノブイリ報告会 in東京

ジャーナリスト広河隆一さんによる、3年振りのチェルノブイリ被災地取材。
詩人の石川逸子さんとピアニストの須山真怜さんが朗読とピアノ曲で出演。
写真展も開催。

http://homepage2.nifty.com/chernobyl_children/index.html


4/25 文京:連続セミナー<ナクバ60年>を問う【最終回】
パレスチナ難民の法的地位と選択権─ 現実をふまえた展望を考える

パレスチナ難民の地位、国籍取得の可能性、移動する際に起こる問題を、
一人一人の自己決定権の観点から検討する。
パレスチナ人にひたすら後退を強いるような「現実的思考」とは違う
〈現実〉を把握する可能性について考えたい。

http://midan.exblog.jp/11224866/


4/29-5/8 鎌倉:「米原万里、そしてロシア」展

幅広い文筆活動のなかでチェチェンの悲劇を訴えた、
ロシア語通訳・作家の米原万里さんの回顧展。
原稿や愛用品などとともに在りし日の米原さんを偲ぶ。
井上ひさしさんらによる講演、シンポジウムも(一部要予約)。

http://www.kamashun.co.jp/topics/2009/03/post.html


5/1,5/2 横浜,都内:自由と生存のメーデー 09---六十億のプレカリアート

不安定な生を強いられる
60億の仲間<プレカリアート>たちの想像/創造はすでに始まっている
私たちは、あなたに呼びかける
生きることはよい まともに暮らすために、全てをよこせ
さあメーデーをはじめよう

http://mayday2009.alt-server.org/article.php/20090407044851263


5/23 経堂:講演会 アンナ・ポリトコーフスカヤとロシアの陪審裁判

ポリトコーフスカヤ殺害事件の容疑者に無罪を言い渡した
ロシア陪審法廷。ロシアの陪審制の背景と将来は?
小森田秋夫氏(東京大学社会科学研究所所長)による発表。

http://www.t3.rim.or.jp/%7Eyuken/sub4.html


5/30 水道橋:広瀬隆講演会
二酸化炭素温暖化説はなぜ崩壊したか エネルギー消費の正しい解決のために」

揺らぐ二酸化炭素温暖化説を科学的に議論する。

http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20090412


5/31 御茶ノ水:スピークアウト for アクション:イスラエルを変えるために

イスラエル製品/関連企業をボイコットするーー
イスラエルの武器生産・取引・使用の実態を明らかにするーー
指導者たちの戦争犯罪を裁かせるーー「歴史事実」の確認からはじめよう。
占領をやめさせ、共生するためのシンポジウムと分科会。

http://midan.exblog.jp/

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■映画・写真展など

●『チェチェンへ アレクサンドラの旅』

孫へのまなざし 平和への祈り ロシアの見たチェチェン

http://www.chechen.jp/


● 『★CHEチェ 28歳の革命 39歳別れの手紙』

カストロとともにキューバ革命を成功に導いた、
チェ・ゲバラの生涯をソダーバーグ監督が映画化

http://che.gyao.jp/


 ●『ビリン・闘いの村』

パレスチナ暫定自治区ヨルダン川西岸のビリン村。
若者たちは非暴力の闘いに立ち上がった。

http://www.hamsafilms.com/bilin/

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  発行部数:1481部 発行人:大富亮

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