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2011-03-05

ノーヴィエ・アルディ村の悲劇

(写真はグローズヌィにあるアルディ追悼記念館より)

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〈記事について〉昨年は、ノーヴィエ・アルディ村での、ロシア軍による村民大量殺害から10年後の年でしたが、このできごとについて取り上げることができませんでした。今年も、事件の起こった2月は過ぎてしまったものの、改めてこの悲劇を思い起こしたいと思います。

 また、文中で紹介されている人権団体「メモリアル」制作のドキュメンタリーフィルム『アルディー時効はない』は、「旅人は見た−チェチェン戦争の歴史と、ふつうのひとびとの暮らし−」(主催:チェチェン連絡会議)、の一環として、4月29日に上映します。

 以下は「メモリアル」のコーカサス人権問題に関するサイト『コーカサスの結び目』より http://www.kavkaz-uzel.ru/articles/165113/

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 今日(2010年2月5日)、グローズヌイ市のノーヴィエ・アルディ村の悲劇の日から10年を迎えます。この日、ロシア連邦軍の「掃討作戦」によって、たった一日で何十人もの一般市民が殺されました。その犯人たちは、今にいたるまで罰せられていません。

 2000年の2月5日の朝、ノーヴィエ・アルディ村に、特別機動隊(サンクト・ペテルブルグとリャザン州の部隊)が入りました。数時間の間に、非合法に処刑されたのは50名以上にのぼり、その中には1歳の赤ん坊1人、女性が9人、老人11人が含まれていました。

 昨日、グローズヌイ市のチェチェン共和国人権代表事務所で、この日を記念した記者会見が開かれました。ヌルジ・ヌハジエフ人権代表は、10年前の悲劇について、「約70人の村民が殺され、100戸あまりの家が破壊された」と述べました。懲罰的な掃討作戦と、無抵抗の村民の殺害が刑事訴追されたのは、その事件の5年も経った、2005年になってからだったと指摘しています。

 ヌハジエフ氏は次のように述べています。

 「この前代未聞の乱暴狼藉に、ペテルブルグとリャザンの民警が関わっていたことは、ロシア最高検察庁からの回答で確認されている。軍検察庁と捜査当局はこの事件の調査にあたって、犯罪のすべての責任を、たった1人の人物に押しつけ、命令した責任者たちの処罰を避けている。おかしなことだ。捜査は行われ、事件の事実も、関与したものたちの名前も明らかなのに、検察庁はその連中の拘束はおろか、尋問さえできないでいる」

 「この犯罪の責任は国家にある。そうである以上、あらゆる法的手段によってノーヴィエ・アルディの人々の大量殺戮調査を再開させ、一般市民に対する犯罪に関わってた者達の処罰を勝ち取らねばならない」


 そのほかにもヌハジエフ氏は、モスクワでノーヴィエ・アルディでの被害者に対する金銭的補償支払いの問題が決まろうとしている、と報告しています。

 「メモリアル」は、すでに2000年に、ノーヴィエ・アルディ村の悲劇についての特別報告書『掃討作戦 2000年2月5日のノーヴィエ・アルディ村』を発表しています。この調査を最初に担ったうちの一人が、有名なチェチェン人権運動家であり、「メモリアル」のメンバーであるナタリア・エステミーロワだったことを、ここに改めて記しておきたいと思います。彼女は2009年の7月に誘拐され、殺害されてしまいました。

 ノーヴィエ・アルディの住民たちによれば、あの掃討作戦に参加した軍人たちは別々の機関に所属していたが、その行動は機関によって異なっていた、とのことです。村人を残忍に殺害したのは、村の北側から進入してきた部隊でした。彼らはサンクト・ペテルブルグとリャザン州の民警だったということが、後に明らかになりました。南側から入った軍人たちは殺害は行っていません。メモリアルによれば、彼らは極めて乱暴に人々を扱いながらも、「家財強奪だけで済ませてくれた」とのことです。

 地元の人々は、大量殺戮の事実についての調査が行われることを期待し、ムスリムの伝統に反してまで、殺された身内を数週間土葬にしないでおきました。最初のうちは地下室に保管し、その後、家の中庭に作った穴に一時的に葬ったのです。しかし軍は死者を速やかに土葬するよう要求し、3月20日過ぎに改葬がはじまりました。

 検察庁の職員がノーヴィエ・アルディに死体を確認しに来たのは2000年4月4日で、悲劇から2カ月もあとでした。そして、殺された村民の遺体30体が掘り出され、検死を受けたのは4月も半ばになってからでした。

 2000年の6月14日に、ズナメンスコエ・ナドレチノエ地区のウラジーミル・クラフチェンコ検事が以下のように言いました。「殺人者は誰だったのかーー軍人か、内務省の警察官か、あるいは強盗か、今のところわからない。犯人のモンタージュ写真を作っているところだ」

 検察庁は、2000年4月に13人の村民に対して以下の証明書を出しています。

 「2000年2月5日、チェチェン共和国グローズヌイ市ザヴァツコイ地区ノーヴィエ・アルディ村で、午前中、ロシア連邦内務省国防省の職員によるパスポート検査の過程で一般市民の大量殺戮が行われた事案に関し、ロシア連邦最高検察庁の北コーカサス総局は捜査を行っている。 ロシア連邦最高検察庁コーカサス総局/特別重要事件捜査官T.A.ムルダーロフ」

 この書類には、殺された人々の名前が記入されていました。そして少し後に、ムルダ−ロフは突然他の部署に飛ばされ、捜査は事実上中止されてしまいました。


 2010年2月4日、モスクワとサンクト・ペテルブルグで『アルディー時効はない』という、30分のドキュメンタリーフィルムが上映されました。映画は2000年2月9日にノーヴィエ・アルディ村の住民によって撮影された記録と、2009年1月から2月にかけてメモリアルのメンバーが、事件の目撃者に聞いたインタビューから構成されています。この映画の製作には殺害される前の人権運動家のナタリア・エステミーロワが関わっており、インタビューする彼女の姿も見られます。 

 住民たちはこの事件をヨーロッパ人権裁判所に訴え、2007年、ロシア政府は敗訴しました。同裁判所ロシア政府の責任を認め、被害者側に約15万ユーロ(1500万円程度)を支払うよう命じました。

 この殺戮に関して唯一人、容疑者とされているのは、サンクト・ペテルブルグ民警のセルゲイ・バービンです。しかし、彼は姿をくらまし、その他の容疑者たちも拘束されないばかりか、今だに名前も明らかになっていません。

<アルディの悲劇 >というタイトルで グローズヌィにある記念館に飾られていた詩

ウマル ヤリーチェフ(チェチェン詩人、作家。1941−)

俺の身にもなってくれ

2002年5月9日、 カスピイスク市で、正体不明の犯罪者どもが、対独戦勝記念日の催しの間に地雷を爆発させた。死者は40人以上、100人以上が負傷した。テレビは1時間おきにこのニュースを報じている。俺は思った。「これはケダモノだ。人間のやることじゃない」

そしてこうも思った。なんてこった! いまだにテレビは、2つの戦争で死んでいった

20万人のチェチェン人のことを言わない。 たぶん、公表するには多すぎるんだろう! おお、アラーよ! すべてはあなたのご意志だ! だとすればこれも、なるべくして起きたことなのか?!・・・

テロで、何十人というひとたちが死んでいく…

その場所に、犠牲者のために追悼のローソクが立てられる。 いくつもの死が、死の小川へと流れ込んでいく…

それに合わせて、途切れることのない弔いの歌が流れる。

どれだけの死者が…チェチェンニューヨークモスクワ…そして今度はカスピイスク…5月9日の爆破事件。

このおぞましさは並みの言葉じゃいえない。 この哀しみには果てがない。

罪もない血を流させた殺人者どもが、銃殺されようが、焼かれようが、拷問台に吊るされようが、哀れとも思わない…

どんなに怒ったとて、地響きを立てる爆弾の塊では、血まみれのゲームによっては、失われたものは取り戻せないのだ…

だがこんどは、俺の身にもなってくれ!

俺の体はガタガタ、 心はボロボロなんだ。

20万人のチェチェン人が、20世紀の終わりに戦火で死んだ…

兵隊じゃない、普通のひとたちだ。

逃げ道のないワナにかかってしまったのは、このひとたちのせいなのか?

自分の国によって運命を踏みにじられ、その上を死の波のように戦車のキャタピラがカタカタとかけ抜けた・・・誰かの利益のために。

だが誰に問い質せばいいのか、教えてくれ

皇帝(ツァーリ)”は遠く、神も近くはない。 神に忘れられ、運命に貶められたなら、俺たちの命の灯なんぞたちまち消えてしまう。

20万人のチェチェン人・・・それと同じ数のローソク(ムスリムの慣わしには関係ないが)。 

ほの暗い夜の、破壊され尽された路上を、殺されてしまった希望が照らすことはない。

20万の花束! どこにおけばいいんだ?

挽きつぶされた家々の廃墟に?

そこでは石ころさえも苦痛で固まっている。

それとも地下の迷路のような坑道に、防空壕の一つ一つに花を供えるのか?

何のために、なぜ、誰がチェチェンの地にこの死をもたらしたのか知らぬ振りをする。

どん欲な本能と獰猛さで耳をそばだて、いくつもの師団が闇の中で動き出す!

未亡人たちや孤児たちのため…焼き尽くされた大地のため、「秩序回復」のために自動小銃(アフタマート)を取り、

カルーガ*1の“イワン”も、シャリ*2の“マホメド”も死にもの狂いの戦闘など始めたくはなかった。

俺がその場にいようといまいと同じこと。

それが運命だとしても、同胞が

レオニード皇帝とともに全滅した300人のスパルタ人のように、跡形も残さず消えてほしくはない。

決して、どこでも、兵士たちを責めないでくれ。

彼らは命令されれば、何でもするんだ。

裁きの神よ!「では誰の罪なのか?」ときいてくれ! 

俺が答えよう、血で金もうけしようとする奴らのせいだ。

アラーの神よ、恐るべき生け贄を要求するこのモレク神*3を裁きたまえ、奴らのせいで、希望も悲しみで盲しいてしまった。

わが祖国は前にも増して美しく、不死鳥のように灰のなかから蘇る。

疲れ果てた世界は優しい眠りの中で忘れられ、夢は陽光の川の流れの中で輝くだろう…

だが、今は、俺の身にもなってくれ!

俺は罪もないのに傷だらけで、心はボロボロだ。

訳注)*1ロシアの地名 *2チェチェンの地名 *セム人の神。人身供犠を伴う祭儀で知られている。

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