赤土の中学校とマインド移動

地元の中学校がすっかり様変わりしている。
どう変わっているかというと、中学校の校舎、地面、周辺一帯見る限りが、赤土製と赤土に変わってしまっているのだ。
足もとの地面から遠くまで視線を伸ばしてみても、随分先まで地質が変わることはなく、どの辺りまでが赤土でできているのかは今のところ見当がつかない。

さてここから家までどう帰ったものか。通常、バスで20分、自転車で45分、徒歩なら2時間、といったところだろうか。在学時に世話になったスクールバスは既に出払ってしまい、おそらく今日の運行はもう見込めないだろう。
巨大な乾いた赤土で出来た校舎の周りには、同じようにバスを逃した人々がちらほら、誰かが呼んだ迎えの車に同乗させてもらったり、それもできない人たちは仕方なく歩いて帰ろうとしたり、誰かと話しながら帰りかたを模索する人もいる。そんななか、一か所に人々が集まって何やらガヤガヤと声を立てている。その中の一人が高く手を上げて、注目するようにとひときわ大きな声を発した。右腕に黒い腕章をした男性だ。乗り合いタクシーか、はたまた臨時のバスでも出るのだろうかと期待して近づいていくと、別のスタッフのような男性に1枚の紙を手渡された。手のひらサイズの紙には”マインド”とカタカナで書いてあり、その下には人の顔のイラストが描いてある。その顔のイラストの表情は特定の感情を表している風ではなく、意味が読み取りにくい。いぶかしげな顔をして不思議がっていると、先ほど紙を渡してきた男性が近づいて来て、「マインド移動ですよ、ご存じないですか?」と聞いてきた。私はマインド移動というものを知らないので「それって、なんですか?」と聞き返した。すると男性は諦めたように「我々のほうでは”マインド”って言葉を出して、わかる人にしか利用させることはできないんですよ。」と言って元の人だかりへと戻って行った。マインド移動というものがどういったものなのか一目見ようと、そのスタッフの戻った先をうかがうと、2~3人組のオバサンのひとりが歓声をあげて跳ねているのが見えた。「登録されててよかったァ~。」と言ってはしゃいでいる。仲間に肩を押され、オバサンが黒い腕章をした男性のもとに1歩踏み出すと、ショッキングピンクの閃光と共にオバサンは消えていった。
それを見てとても驚いたが、オバサンの次に利用しようとする人々が平然と順番を待っている様子を見る限り、ある程度周知された移動方法なのかもしれない。それでも、やはり物理的にも疑わしいので利用するのはやめておいた。そもそもマインド移動の登録とやらが済んでおらず、オバサンが手にしていた会員カードを所持していなかった。踵(きびす)を返して校舎のほうへ戻ると、乾いた赤土で出来た壁に穴を掘って取り付けられたような重い金属の扉が目に入り、テラコッタ色のペンキに塗られたそれは、懐かしく古いマンションの扉を思い起こさせた。その扉のそばの壁には掲示板のようなものがあり、もしかしたらそこに交通手段やバスの時刻表などが貼られてはいまいかと、淡い、ほんとうに淡い期待をもって近づいた。扉の前にはひとりの男性が立っている。顔を見ると、かつての同級生のひとりだった。そのときから充血したギョロ目ではあったけれど、日に焼けて乾いた皮膚と贅肉の削がれた細い腕が、ギョロ目の彼を一層、暑く乾いた異国の民に似せていた。目が合ったので「バスとか、出てないよね?」と聞いてみると、彼は「ないよ」と言ってテラコッタ色の扉の中へ入って行った。
やっぱり歩いて帰るしかなさそうだ。道のりを思い起こしてみても、遠く長く、何時間もかかると思うと、落胆がただでさえ重い身体を一層重くさせた。諦めて、とぼとぼと、だるい足をひきずりながら、仕方なく、赤土の道を、イヤイヤ歩き始めた。家までは、ほんとうに遠い。

まぼろしの喫茶店

信じられない。信じたくない。あんな風に過ごした、あの喫茶店が夢の中での出来事だったなんて。あの店主のおばさんと親睦を深めた時間はなんだったのか…。あの懐かしい感じのするアットホームな雰囲気の店内、透明ビニールカバーのされたメニューを広げ、"絶対に"今の気分にぴったりの一品を選びたくて何度もページを往復した時間は。そこへ出てきた、注文した事をすっかり忘れていた、若干揚げすぎ気味の、塩が利きすぎたフライドポテトの、皿、焦げ具合、味の記憶は。ちなみに皿は、代々続く実家か、ばあちゃん家で出てくるような分厚くて重く、「~ふう(風)」とも位置づけ難いペイントの施された、中くらいの大きさの深皿であった。

少し空気のうすい、高度のある、バスで時間をかけて出掛けてきた場所にある、親戚のおばさんに似た雰囲気を持つ、あの店主のおばさんの店へ、わたしはこれから少しずつ、照れを捨て、人見知りを克服し、少しずつ、自分の話をしたりおばさんの話を聞いたりしながら、少しずつ、常連になろうと淡い期待を胸に抱いたところだったというのに。

なかなか"コレだ!"という一品を見つけられず、しかし意地になって、あまりに注文までの時間をかけすぎたことで若干気まずい雰囲気のなか、側で軽く会話を交わしながら、好意的に、でも適度に距離をとってラフに見守ってくれている店主のおばさんにフライドポテトを「よかったらご一緒に…」とシェアを持ちかけつつ、そろそろマジで注文する品を決めないとと焦ったあの時間は。

午前中に店に入ったのにもう日が暮れかけているなか、もうどうにもこうにもやけくそになってやっと注文したカツ丼の見た目、器、味。白く結露した店の窓、薄暗くなってきた店内。あまりに長く滞在しすぎて、家で待つ母はなかなか帰ってこないわたしを心配しているだろうかと危惧した瞬間の気持ち。それでもここへ足しげく通って、もっともっと、店主のおばさんと親睦を深めていけたらと思っていたのに…。

目が覚めたとき、え?現実に無いんだっけ?と、わりと長い時間その事実を受け止めきれず、記憶と気持ちを整理しようと努力した。いまでも少し信じていない気持ちがある。え、また行くでしょう、それは。いやいや、行くよ。いや、無いのか…。とっても、とっても、本当にとても残念です。

天保4年4月のこと

ある夕方、おばちゃんと、おばちゃんのことを好きなおじちゃんと3人で、今は持ち主の居ない土蔵の物品を「まだ使えるんじゃないか」と品定めしていた。まだ小さな私は物品に興味がなく、少し離れた場所にいる縄につながれていない1頭の馬を見ていた。おばちゃんは土蔵の物をひとつやふたつ盗ってもかまいやしないだろうと積極的に陶器を見ていて、おじちゃんはおばちゃんの機嫌さえよければ何でもいいので適当に話を合わせているようだ。わたしはおばちゃんをたしなめたいような黙っておきたいような、退屈な気持ちでそばに居た。目を離すたびに、馬が我々に段々近づいて来ているような気がした。次に見たときにはもう向かいの建物の窓に頭を突っ込んでいる馬の尻を見た。おばちゃんとおじちゃんはお喋りと物品に夢中で馬のことなど気が付きやしない。
その時とつぜん、厳しいことで有名な近所の侍のおじさんが大きな声で「立て立て!」と急きたて、小さな木の扉から我々3人を建物の中へ押し込んだ。ほとんど蹴り込むようにして。そのときには寸でのところまで大きな馬が迫って来ていた。
建物の中を移動し外の様子をうかがうと、侍のおじさんが馬を馴らし、引いて連れていくのが見えた。後から聞けば、馬はまれに小さな人間の子を襲うことがあるらしい。わたしは事の発端が子供の自分であったことを申し訳なく思った。同時に「さすがお侍さんは馬に慣れてるな」と侍のおじさんを頼もしく思った。
事が落着したとたん、おばちゃんは向こう戸からひらりと外へ出て、また興味のありそうな事柄を探しに駆け出た。おじちゃんはおばちゃんの尻を追いかけるのが仕事であるかのように後に続いた。2人とも馬のことなど何も気にしていないようだ。

少年官学生訓練のこと

俺達は今、訓練をしている。白いワゴン車2台に6:6で分かれ、長距離を移動し、様々な土地での様々な状況に応じた訓練をする。ちょうど今は移動中で、富裕層の作りだしたユートピア(珍しい動物や愛玩動物などを広い土地を使って道路沿いに展示している区域)を通り過ぎているところだ。白い陶器や植物で装飾された広い庭が区切られながら続き、様々な箱庭が景色として流れていく。血統書付きの仔猫たちがリボンなどで飾り立てられ、陶器で出来た装飾皿のようなものの上に一列に並ばせられている。区切られた隣の庭には大きくて白いジュゴンが居て、中央にある噴水と池で水遊びをしているようだ。
ユートピアを過ぎて昼食の時間となった。使われていない学校を間借りし昼休憩となり、各々ガランとした教室で配付された弁当を食べた。ちょうど食べ終える頃、校内放送用のスピーカーから「官学生の皆さん、今からすぐに戻って来なさい。早く戻らない者は“手首から流血する事”になるでしょう。至急、戻ってきなさい。」と通達があった。
手首から流血とはペナルティを意味しているのか?危険を想定し喚起しているのだろうか?
俺はただちに移動を開始した。もたついている仲間を急かして一緒に行ったほうが良いのかとかトイレを済ませてからのほうが後々の車移動が精神的に楽だとかが一瞬頭を過ったが、思った時には既にトイレへ向かって移動していたので仲間に声をかける暇はなかった。急いでトイレへ駆け込み個室へ入ったが、小さな子供用の青い靴が(忘れ物だろうか?)置いてあって扉にひっかかり、閉まりきらないまま急いで用を足し、一目散に走って車へ戻った。至急と言われたのにトイレへ寄る自分は訓練を甘く見ているようだし驕ってもいたようだが、ワゴンへ飛び乗ると一着だった(こんなんだから驕ってしまうのかもしれない)。車には運転手と訓練機関の職員が待っていて、職員の女が助手席から後ろへ身を乗り出して「さっすが!やっぱ2人なんだねえ。」と言った。2人とは俺ともう一人、隣の(もう一台のほうの)ワゴンへ一着した山川のことだろう。山川と俺は他の10人より少し成績が良い。(仲間の中でも一番仲が良く、良きライバルのような相手だ。) 山川も向こうのワゴンの中からこちらを見ていたようで目が合った。だがここで俺はものすごく自分に違和感があることに気が付く。2台のワゴンに次々と到着し乗り込んでくる仲間たちの顔ぶれを見ると、あきらかに先ほど(昼前)のメンツ(同じワゴンへ乗っていた他の5人)と違っている。同乗する仲間たちは別段変わった様子もなく、おかしいのは俺のほうで、さっきまでの俺ではないような感覚に襲われていた。どうやら仲間の中の誰かと身体が交換されてしまったようだ。(山川と俺とが別々のワゴンへ乗り込んでいることでハッとした)
山川!矢口!江島!俺はそっちのメンバーと一緒だったハズだったのに! こちらのワゴンへ乗り込んでくる仲間たちは幼い顔をいっそう幼くさせて不思議そうに慌てる俺を覗きこんでいる。
 
 

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職員の女が “さすが・やっぱり”と言ったということは身体やみてくれは俺のままなのか。ならばこの違和感は何だろう。さっきまでと明らかに違う感覚はどういうことなのか。もしくは“さすが・やっぱり”で山川と並ぶのは俺ではなく入れ替わったほうの仲間のことを指していたのか。
ひっかかるのはトイレで見た小さな2つ(左右)の青い靴だ。あの靴と接したことで何かが狂ってしまったような気がする。

夢追い人

やたらと眠い日、あまりの睡魔に耐えかねて時間を決めて仮眠をとることにした。いつも明るい画面を長時間見ているせいで頭痛を起こすので部屋の明かりを全て消して横になった。暗闇は怖いが仕方がない。
夢はすぐに始まった。いつもの道路の右側の歩道を歩いている。いつものスーパーへ、ひとりで行こうと意気込んでいた。まだ陽がある午後、前を歩いているおばちゃんが対向車線側に居る知り合いに気づき、世間話の入口になる挨拶を投げかけた。「どうだ、元気にしているか?」相手も返事を返す。「おまえさんはどうだ、元気にしているか?」おばちゃん達は立ち止まって会話を始める。私も足が止まる。すると歩道の前方から人が来て、おばちゃんと私とで詰まった道ですれ違えないことに気づき「(まったく、)なにをしてるんだ」と独り言を漏らして無理やりすれ違おうとする。その人を見ると、高校の頃の化学の先生だった。先生はエベレスト登頂を果たすなど、山登りを頑張っている人だ。以前一度、東京で偶然先生を見かけたことがあった。また来て何かを頑張っているのかなと思い、「あっ先生!がんばってね!」とつい声をかけ、先生の背中を見送った。(先生は細かい事を気にしないであろう人なので声をかけられて立ち止まるような人ではない(はず。))前を向き直すと、辺りは真っ暗で、街灯の周辺以外はまるで明るくなく、息も詰まるような暗闇だった。もういちど振り返って先生の背中を見るが先生もどんどん暗闇の中へ行ってしまった。私はスーパーへひとりで行こうと意気込んでいたはずなのに、この先何メートルも続く暗闇を進むことができるだろうか。暗闇はひたすら怖く不気味で、嫌な予感しかしなかった。不穏を察知した私の身体は、夢から覚めた。
真っ暗闇の布団の上で私の身体は強張っていた。明かりが欲しくて携帯電話を開くと、まだ眠ってから20分しか経っていなかった。相変わらずの眠気が、またあの怖い場所へと私を引き戻そうとする。寝るまい、寝るまいと思いながらもついうとうととしてしまう。半分寝かけたとき、ある映像が頭の中に映し出された。私は1本の白い道を歩こうとしていて、それはさっきまで見ていた夢のストーリーが道になったものだった。私はその道(夢のストーリー)をこれ以上辿りたくなくて躊躇していると、なにやら人の気配がした。さりげなく後ろを窺うと、3人の虚無僧(こむそう)が私に見つからないようにあとをつけて来ていた。3人は私にバレていないつもりのようだが丸わかりだった。この3人が私を眠らせ、夢を見させ、この道(この夢のストーリー)を辿らせようとしているのか。ますます私は従うまい、と奮い立ち、その映像を振りきって目を覚ました。
眠い目をこすり、開きっぱなしになっていた携帯でカードゲームのアプリを開始させた。頭を使って眠気を振り払う作戦だった。私のすきなカードゲーム。いつものようにプレイしてみたら、何故だか一度も勝てない。いつもの戦績から考えてもおかしいほど連敗していた。8連敗ほどしたとき、「もういい!」と怒りが込み上げて、完全に眠気が覚めた。私は部屋の電気を点けて完全に起床した。
虚無僧たちはまだあの道で私が戻ってくるのを待っているのだろうか。ターゲットに夢を見させ、夢見人の後を追い、ストーリーに干渉するのが彼らの仕事なのだろうか。
しかし私の夜は長い。まだまだそこへ行くつもりは無い。何時間でも待つといい。

情景

家から数歩のところ、隣の家の前の路上で(いつのまにか)眠っていたところを何者かによって揺すり起こされた。(どのくらい長いこと眠ったのだろう)
そこから見える駄菓子屋は、もう何年も前に店をやめてしまっていたはずなのに、真っ白いロングジャケットのような服を身に纏った男によって再開されていた。
歩いて家へ戻る途中、見知らぬ子供たちが敷地内の庭を駆け回っていた。様子を伺いつつ何か申そうかと思案していると、その子供たちの、どこか心此処に有らずの空気に気がつく。あの白服の男も、私を揺すり起こした男も、この子供たちも、この国の者ではないのだと心のどこかで勘付いた。
家につくと、1歳であったはずの甥が3、4歳の少年に育っていて私に話しかけてくるではないか。「覚えてるよ」と。
甥と一緒に居た女の子は7、8歳くらいで、甥よりもしっかりしたもの言いで驚き顔の私に説明をしてくれる。
 ―いま、西暦何年なの?
 わからない。暦のよみかたが変わったの。
 ―なにがあったの?
 芋から感染が始まって、今ではもうこうなっちゃったの。
芋(いも)から感染が始まって、世界はこんなことになってしまったのか。空の色は赤黒く、空気もおかしい。それにあの人たちは・・・。
家の中にかけてあるカレンダーを見てみると、従来の並びとは異なり、上半期は16、7そこらで一ヶ月が終わっており、下半期は1ヶ月が百何十日も続いている。それらは、どこかかから訪れた者たちによって変えられてしまったらしい。
 甥の育ち具合からみても3年程度しか経っていないようだが、世界は微妙に嫌な感じを含みながら大きく変わったように思える。
 
 若者たちが映画か、またはプロモーションビデオの撮影か、集団で自転車を走らせ、そこへ水しぶきをかけたり手作りのノイズを画面に収めようとして失敗し、四苦八苦している。新しき来訪者たちはCGというものを知らないらしい。

sk8erboy

午後の日差しで山吹色に光るレンガ道を、スケボーに乗って移動している。
街の人々は皆、スケボーで道を走っている。
杖をついた高齢の老紳士も、おもむろにスケボー貸しから(タクシーを拾うように)スケボーを拾い、杖でスケボーを漕いで走り去った。
時代はもう、スケボーで移動するのが常識のようだ。