ありがとうの別れ

一番心に残っているのは
またもや、ばあちゃんの姿だった




「よく、がんばりましたよ。」




そう言いながら、涙を流して見つめる
ばあちゃんの姿




4月下旬、母方のじいちゃんが死んだ
入院してから一ヶ月という、
とてつもなく早いスピードで



お正月はいつも通り親戚で集まって
着物の好きなじいちゃんは、大島紬の着物を着ていた
初めて見たけれど、凄く凄く似合っていた





ずっと造園をやってきて、職人気質で頑固なじいちゃんは
入院してから、ばあちゃんや家族のみならず
病院の看護婦さんやお医者さんに我がままを言ったり怒鳴り散らしたり、
点滴を勝手に引っこ抜いてしまったり、
それはそれは困らせたそうだ。


頑張らなあかんよ、というばあちゃんに
「俺はもう十分頑張っとるわ!!!!」と怒り、
呼吸器を付けて会話が出来なくなってからも
怒りのあまり顔を真っ赤にして血圧や心拍数が急上昇するじいちゃんを見て
「おじいさんらしいね」と、みんなで安心していたくらい





ただ、いつも強気で頑固なじいちゃんが
ばあちゃんと一緒のときに涙を流しながら
「うちに帰りたい」と、言ったのだそうだ
じいちゃんは家が大好きだった






私が二度目の大島紬姿を見たのは、
一回目と同じように、母さんの実家でだった。
ただ違ったのは、じいちゃんはもう息を引き取ってしまったということ
誰もが信じられなかったのだと思う
だって、1ヶ月前までは本当に元気だったから


「おじいさんはお洒落やったから」
そう言ってじいちゃんの頭を撫でては、髪の毛をくしゃくしゃっとさせてしまって
「あかん、おじいさんに怒られてまうわ」とまた整えて
ばあちゃんは泣きながらしばらくずっとそうしていたそうだ





初めてじいちゃんの大島紬の着物を見た日、じいちゃんの写真をたくさん撮った
明るいときだったら、じいちゃんの作った庭で撮影したいな。。なんて考えながら
その時の写真を、お葬式の時のスライドショーで使ってもらえる事になって
いい表情しとんさるね。と、みんなに褒めていただいたことを
ばあちゃんがとても喜んでいたと母さんから聞いた



当日
棺の中に、みんなでお花を入れる時は特に、涙が止まらなかったのを覚えている


「おじいさん。。よく、がんばりましたよ」


そう言ってじいちゃんを見つめるばあちゃんの姿
共に生きる、ということを目の当たりにした。そう思った。
本当にそう感じた。
ああ、この二人は「共に生きて」きたんだ。







じいちゃんが生きてるとき、ちょっと不思議な事があったのよーと聞いたのは
少し後になってからだった


じいちゃんが入院中、もう話も反応も出来なくて、目もほとんど開けられない
そんな時、ばあちゃんやおじさんが病室で話をしていて
「でも、こんなこと言ってもおじいさんは分からんかもね。。」
そんなニュアンスのことを言ったら
棚の上に置いてあったコップが、ゴトッと音を立てて床に落ちて
二人ともハッとしたのだそうだ
どう考えても、あれ、おじいさんやわ。ちゃんと聞こえとるぞーってことや。
私も絶対そうだと思う



もう一つ、じいちゃんが帰ってきたときのために、家を奇麗にしておかないと
ということで、家族で掃除をしていたのだけど、予定の日より少しかかってしまい
次の日のお昼前に、よし!終わった!ってなってからすぐ
病院から電話がかかってきた
もしかしたら、もうこのまま危ないかもしれないから、すぐに来て欲しい
そのまま、ばあちゃんたちが病院に到着してまもなく、じいちゃんは息を引き取ったそうだ

家に帰る準備がちゃんと出来るまで、じいちゃん待ってくれていたんだ。


じいちゃん、凄いわ。





母方のじいちゃんだから、一緒には住んでいない
だからなのか、一ヶ月という時間が、実際の時よりももっとずっと早く過ぎ去ったようで
受け入れるまで少し時間がかかった
今でさえ、母さんの実家に遊びに行けばじいちゃんが出てきて、庭を案内してくれるような気がするのだ
あの庭にはきっと、じいちゃんの魂が宿っている
今度、もう一度ゆっくり、庭を散歩しよう




少しの間、お別れですね
ありがとう。
私のじいちゃんでいてくれてありがとう。
あなたの孫でいられて幸せです。
また逢う日まで