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餞驟窟誌

2015-08-07

【今日は何の日】8月07日(金)旧暦06月23日(仏滅)小潮 下弦 七夕(月遅れ)

二十四節気雑節
下弦
半月。月と太陽の黄経差が270°となる日。

七夕(月遅れ)
新暦となり季節感がずれたため、7月7日から1月遅らせて七夕を祝う地域がある。

花の日
「は(8)な(7)」の語呂合せ。

鼻の日
8月7日の語呂合せから生まれた記念日で、日本耳鼻咽喉科学会1961年(昭和36年)に制定した。鼻の病気予防をよびかける。

バナナの日
「8」「7」と「バ」「ナナ」の語呂合わせから。

[諸外国の記念日]
ボヤカ戦勝記念日

(コロンビア)

江戸火消し、誕生(1720)
▲厚岸にやってきたロシア使節の要求を松前藩が拒否(1779)
ブルボン家に代わり、オルレアン家ルイ・フィリップが王座に。「30年憲章」のもとに立憲君主制を(1830)
非戦論のはじまり(1900)
▲神宮プールで第1回日米対抗水泳競技大会開催(1931)
ガダルカナルの戦闘はじまる(1942)
東京通信工業(現・ソニー)が初のトランジスタラジオ発売(1955)
有珠山噴火(1977)
▲5才ずつの年齢別で競われる”熟年のオリンピック”第1回マスターズ・ゲームズの世界大会開幕(1985)
▲毛利さんら3人が日本人初の宇宙飛行士候補に。毛利さんの飛行は1992年(1985)
▲第10回国際エイズ会議が横浜で開催(1994)

誕生:マタ・ハリ(ドイツのスパイ1876) ニコラス・レイ(映画監督1911) 
   司馬遼太郎(作家1923) 藤田元司(プロ野球解説者1931)
   アベベ・ビキラ(マラソン選手1932) アンリ菅野(歌手1949)
   桑名正博(歌手1953) 内田春菊(漫画家・歌手・女優1958) 千葉美加(1972)

誕生花:ざくろ (Pomegranate)     花言葉:円熟の美



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金言:広島の象徴性=西川恵
毎日新聞 2015年08月07日 東京朝刊

 <kin−gon>

 悲惨な戦争の記憶を深く刻印する世界の激戦地跡や旧施設は戦後、「平和」「人権」「自由」「民族融和」などの普遍的価値の尊さを象徴する場所として、新たな意味合いが与えられてきた。

 欧州でその代表的な場所は二つ。100万人を超えるユダヤ人ガス室に送られたポーランドアウシュビッツ強制収容所と、上陸作戦で連合軍ドイツ軍合わせて1万人近い兵士が戦死したフランスノルマンディーだ。毎年、現地で持たれる追悼式典は普遍的価値を確認し、いまも続く圧政や民族差別を批判する機会となってきた。

 広島核廃絶を訴える。しかし広島とその他の場所が異なるのは、その他の場所の評価はおおむね定まっているのに対し、広島はいまなお相対立する意味合いをもって語られ、政治的論議を引き起こしていることだ。

 日本人にとって広島は戦争と核兵器がもたらす惨禍を象徴する場所である。しかし米国では、少なくない世論が「原爆投下で終戦が早まり、犠牲者を増やさずにすんだ」と正当化している。韓国には「広島は、加害者である日本が被害者意識を持つよりどころ」との批判的見方が根強くある。

 今春の核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、日本政府提案の「世界の政治指導者の被爆地・広島長崎訪問」が中国の反対で最終文書に盛り込まれなかった。中国は日本が広島をテコに外交的な主導権をとることを阻止したかったと思われる。

 もっとも広島自身の重みも時代によって変わってきた。冷戦時代、広島は国際政治の脈絡から事実上切り離されていた。米ソ両超大国の核対立にあって、広島が顧みられる余地はなかった。米国核の傘に守られていた日本政府広島を外交に使うことに消極的だった。

 変化が生まれたのは冷戦が終結し、核の拡散が現実的な問題となった1990年代からだ。広島がNPT再検討会議の各国代表の演説で積極的に取り上げられるようになり、98年には核保有国として初めてインドパキスタン広島の平和記念式典に出席した。これにロシア中国、2010年には米英仏と、全ての国連安保理常任理事国広島に足を運んだ。

 この前年、オバマ大統領が「核なき世界」を打ち上げたのも、以上の流れと無縁ではない。広島にどのような意味合いを見いだすか国で違いはあるが、その象徴性をどの国も無視できなくなっている。広島は日本外交の大きな武器となる。(客員編集委員



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社説:被爆70年の日本 核廃絶へ世界を動かせ
毎日新聞 2015年08月06日 02時30分

 米国で生まれ広島市で育った据石和(すえいし・かず)さん(88)=米カリフォルニア州在住=は70年前のきょう、B29が飛び去った後の青い空に白い点を見た。近くにいた人に「何だろうね」と言いかけた時、閃光(せんこう)が18歳の彼女を包んだ。白い点は原子爆弾だった。3日後には長崎原爆が落とされた。

 据石さんは一命を取りとめたものの、寝たきりの生活が約7カ月続いた。腰の骨が折れていて、歯茎からの血が止まらない。呼吸が苦しく体が冷えて、朝になると「今日は私が死ぬ番だ」と考えた。

 ◇核軍拡が止まらない

 奇跡的に回復した彼女は1957年、日系2世の男性と結婚するため米ロサンゼルスへ渡る。被爆による体調不良で医者に行っても当時は医療保険が適用されなかった。「敵国人(日本人)に州の金を使うな」と言う米議員もいたという。夫の正行さんも戦時下で米国による日系人強制収容を体験していた。

 だが、据石さんは米国を恨んだことはない。「米国広島長崎原爆被爆者協会」の会長を務めながら、ママ、グランマ(おばあちゃん)として米国人に被爆体験を語ってきた。

 「私の体験を熱心に聞いて『申し訳ない。許してください』と言う人もいる。話せば分かるんです、米国人は。オバマさん(米大統領)の『核兵器のない世界』の呼びかけはなかなか浸透しないし、私の話もその場限りかもしれないけど、愛をもって語り続けるしかないんです」

 だが、世界を見渡せば殺伐たる状況だ。米露の核軍縮交渉は宙に浮き、クリミアを強引に編入したプーチン大統領は核戦力の使用をちらつかせて「腕力で来い」と言いたげだ。中国パキスタンインドの大幅な核軍拡も伝えられる。

 北朝鮮米国を攻撃しうる核ミサイルを開発中といわれ、まさに「核軍拡ドミノ」の趣だ。米国シンクタンク北朝鮮が2020年までに100発の核ミサイルを配備すると予測する。その脅威をまともに受けるのは日本だろう。

 核拡散防止条約(NPT)の空洞化も進んだ。インドパキスタンはNPTに参加せず、北朝鮮は03年に条約脱退を宣言した。イランの核開発には米欧など6カ国が一定の歯止めをかけたとはいえ、NPT未参加のイスラエルが持つとされる核兵器中東の不安要因になっている。

 しかも5年に1度、NPTの達成状況を検証するために開かれる再検討会議は今年5月、最終文書を採択できないまま決裂した。NPTにより核兵器を合法的に持てる国(米英仏露中)とそれ以外の国の温度差が、これほど開いた会議もあるまい。

 この会議では、最終文書で「各国首脳の広島長崎訪問」を呼びかけようとした日本に中国が待ったをかけ、核軍縮歴史認識を絡める展開となった。中国の強引さが目立つとはいえ、日本の根回しと詰めの甘さが露呈したともいえる。

 これが被爆70年のお寒い現実だ。謙虚に考えてみたい。核廃絶を訴えてきた日本の声が世界に正しく届いているか。「唯一の被爆国」と言いつつ米国の「核の傘」に頼る日本の立場を、各国は理解しているか。そして、終わりの見えない核拡散と核軍拡で世界が自滅しないために、日本は何をすればいいのか。

 ◇米大統領は被爆地へ

 これらの問いかけへの答えとして、日本政府はより真剣に、より積極的に核廃絶に取り組むべきだろう。第3の被爆を防ぐべく米国の「傘」に寄るのは、核抑止の上で間違いとは言えない。だが、米国核戦略に遠慮して、言いたいことを言わないなら論外だ。日本はむしろ米国を説得し、世界を動かすことを真剣に考えるべきである。

 オバマ大統領にも言いたい。広島長崎の式典に、駐日米大使に加え米高官も参列するのは朗報だが、大統領が「核なき世界」をめざすなら、恐ろしい兵器に倒れた市民への鎮魂は欠かせない。日本における来年の主要国首脳会議などの機会を生かし、大統領自身が被爆地を訪問してほしい。原爆をめぐる日米のミゾを越えての首脳訪問は、停滞する核軍縮核廃絶の動きに弾みを与える機会にもなるはずだ。

 被爆者の平均年齢は今や80歳を超えた。70年の歳月は被爆の記憶をいや応なく風化させる。長崎市市民団体「ピースバトン・ナガサキ」を主宰する調仁美(しらべ・ひとみ)さん(53)は、被爆体験を若い世代に引き継ぐ活動を続けている。被爆者がいなくなった時、核廃絶の声をどう上げていくか。それが問題だと彼女は言う。

 「被爆にまつわる生々しい、恐ろしい話を聞きたがらない人も増えています。若い人だけではありません。だから原爆に関する科学的な知識やエピソードを交えて、知ることへの興味を引き出し、基本的な知識を得る手助けをする。言葉では時に限界があるので紙芝居も使います」

 悲惨な現実を突きつければいいというわけではない。被爆直後の惨状を表現した「被爆再現人形」について、広島市原爆資料館常設展示から外す方針を示したのも時代の流れだろうか。被爆体験をどう語り継ぐか。これも「唯一の被爆国」だけが直面する大きな課題である。



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発信箱:聖地も焼けた=二木一夫
毎日新聞 2015年08月06日 大阪朝刊

 1945年6月の神戸大空襲に遭った幼い兄妹を描いた野坂昭如さんの小説「火垂(ほた)るの墓」ゆかりの地を訪ねる「歩く会」が今月あった。「戦争が自分たちと関係のない場所ではなく、普段暮らしている身近なところで起きたことを知ってほしい」と地域史研究グループが99年に始めた夏の恒例行事だ。

 兄妹が住んでいた神戸市東灘区を巡ると、空襲で焼け残った市立御影公会堂が当時のままの姿で現存する。33年に完成した鉄筋コンクリート3階建て。戦災を知る数少ない建造物だ。地下には戦前から営業するレストランがある。

 空襲で焼け出された2人は兵庫県西宮市の池のほとりにある防空壕(ごう)に住みつく。8月に入ると空襲警報が連日発令され、5日の夜中から6日未明にかけて、大規模な空襲に見舞われた。

 妹の節子の栄養失調が進み、兄の清太は警報で住民が避難するのを狙い、無人の家から金目の物を盗み、畑を荒らした。空襲は「清太にとっては稼ぎ時」、米軍機に「ワーイと手でも振りたい気持(きもち)さえある」。だが、節子はやがて衰弱死する。戦争のしわ寄せは子どもら弱者に来る。

 70年前のこの日の大空襲で、阪神甲子園球場のグラウンドに5000〜6000個の焼夷(しょうい)弾が突き刺さった。飛行機用の機械油に引火して軍需工場となっていた球場は火の海になったという。

 そんな無残な光景があったと今では想像しがたいが、100年の歴史を持つ高校野球の聖地も戦争の生き証人である。きょう夏の甲子園が開幕する。1世紀変わらないのは、敗れた球児に送られるスタンドの惜しみない拍手だろう。そういう光景を歴史に刻み続けたい。(論説委員


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======================  (近頃の世情)  ===================


JSC:新国立工事費、「3000億円」設計会社提示無視
毎日新聞 2015年08月07日 10時00分(最終更新 08月07日 12時05分)


リオ主会場設計の2人は言う「外観重視は建築家のエゴ」
 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設問題で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が昨年5月、基本設計の概算工事費を過少に見積もって公表していたことが、関係者の証言で分かった。設計会社側が約3000億円と提示したのに対し、JSCは資材の調達法や単価を操作するなどして1625億円と概算していた。

 ◇過少見積もり1625億円

 正確な額が公表されていれば、計画見直しが早まった可能性がある。1625億円の根拠は7日に始まる文部科学省検証委員会でも議題となる。

 JSCは昨年5月、基本設計を発表した。8万人収容で開閉式屋根を持つ新競技場は地上6階、地下2階の鉄骨造りで延べ床面積は約21万平方メートル。概算工事費は1625億円とした。

 関係者によると、昨年1月から本格化した基本設計の作業で、設計会社側は概算工事費を約3000億円と試算した。

 しかし、JSCは「国家プロジェクトだから予算は後で何とかなる」と取り合わなかった。

 JSCは1625億円を「13年7月時点の単価。消費税5%」の条件で試算した。さらに実際には調達できないような資材単価を用いるなどして概算工事費を過少に見積もったという。

 基本設計発表の半年前の13年末、財務省文科省は総工費を1625億円とすることで合意しており、JSCはこの「上限」に合わせた可能性がある。ある文科省幹部は「文科省の担当者が上限内で収まるよう指示したのではないか」と指摘している。

 今年2月、施工するゼネコンが総工費3000億円との見通しを示したことでJSCと文科省は総工費縮減の検討を重ね、下村博文文科相が6月29日、総工費2520億円と公表した。しかし、膨大な総工費に批判が集まり、政府は7月17日に計画を白紙撤回した。

 JSCは「政府部内の調整を経た結果、13年12月27日に示された概算工事費を超えないよう基本設計を進めた。基本設計に記載した1625億円は、設計JV(共同企業体)側とも確認のうえ算出した」と文書で回答した。【山本浩資、三木陽介】


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安保論戦・ポイント:核ミサイル輸送 民主「可能性高まる」
毎日新聞 2015年08月06日 東京朝刊

 「こんな危険な法案は廃案にしないといけない」。民主党白真勲氏は5日の参院平和安全法制特別委員会で、自衛隊による核ミサイルの輸送について政府が「法律上は可能」と明言したことに強く反発した。

 米軍を支援するために行う弾薬などの物品輸送は、日本の安全に重要な影響を与える「周辺事態」への対応を定めた現行の周辺事態法に盛り込まれているが、同法では輸送活動の実施場所を、日本の領域内▽公海▽公海の上空−−に限定してきた。これに対し、今回の法整備では他国領域での輸送も解禁される。そのため自衛隊核ミサイルの輸送を迫られる可能性が高まるのではないか、というのが民主党の指摘だ。

 政府側は、自衛隊による核ミサイル輸送は「あり得ない」(中谷元防衛相)との立場を強調。日本は「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を掲げているうえ、同盟国の米国は冷戦終結後の1991年、戦場での使用を想定した「戦術核」を太平洋地域には配備しないことを表明しているためだ。

 中谷氏はこうした点から「米国の政策、安全性などを考えても、米軍核兵器の輸送を他国に依頼することはない」と説明。広島出身の岸田文雄外相も「わが国の政策、姿勢を考えれば、核ミサイルを運ぶことはあり得ないと思う」と強調した。

 ただ、民主党政権下での日米の「密約」検証で、日本政府米軍の核搭載艦船の「寄港・通過」を黙認していた実態が明らかになるなど、三原則の「空洞化」の懸念が指摘されてきた。「核兵器なき世界」を掲げる米オバマ政権が2010年に公表した「核態勢の見直しに関する報告書」でも、有事の際に東アジア核兵器を再配備する能力を米国が保有していることが明記されている。

 日本周辺で有事が起きた場合、戦闘機爆撃機に搭載する核ミサイル自衛隊が運ぶ可能性を完全に排除することは困難だ。白氏は「(法案に)『大量破壊兵器は除く』とか『非人道兵器は除く』と書いておくべきだった」と批判した。【青木純】



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経済観測:成長の基盤としての安心社会=第一生命経済研究所特別顧問・松元崇
毎日新聞 2015年08月06日 東京朝刊

 長らく3万人の大台にあったわが国の自殺者数は、昨年2万5427人と、ピーク時から9000人の減となった。あともう少しで1997年の金融危機前の水準である。ところが、先日、内閣府の担当者に聞いたところでは、若者の自殺は相変わらず高水準、全体に比べて緩やかな減少にとどまっている。若者の死因で普通考えられるのは交通事故。西欧諸国では、若者の死因の第1位は事故である。ところが、日本では、それが自殺になっている。なんと、20歳代で亡くなる若者の2人に1人が自殺なのである。

 実は、この話は、昨年5月にもこのコラムに書かせていただいた。デフレの時代に、若者の就職難となり、それが若者の自殺の背景にあったのではと書いた。ところが、今や世は人手不足の時代になったのに、若者の自殺は相変わらず。その原因も、以前と同じく勤務問題とするものが多いという。

 思うに、将来の日本の行く末に強い感受性を持っているのが若者である。アベノミクスで、企業が最高益を出すようになり、景気が良くなったが、わが国の経済・財政の行く末、および国民生活の将来像は不明確。若者が夢を描ける状況になっていない。

 そこで思い出したのが、かつての麻生内閣の下での安心社会実現会議報告書子育て、教育、健康、介護など五つの分野の安心が安定した経済成長の基盤であり、安定と繁栄への道だとした報告書である。意欲のあるものには働く場があること、能力を発揮する機会があることが大切で、雇用の安心こそが要であり活力への起点だとしていた。そして、一生チャレンジし続けることができる条件づくりを促していた。若者が夢のもてる社会を作り上げていくために、早急にそういった観点からの政策議論が望まれる。



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訃報:阿川弘之さん 94歳=作家、文化勲章
毎日新聞 2015年08月06日 西部朝刊

 ◇海軍体験「山本五十六

 海軍体験を通して戦争を描いた「暗い波濤」や「山本五十六」などの作品で知られる作家の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)さんが3日、老衰のため東京都内の病院で死去した。94歳。葬儀は近親者のみで営む。しのぶ会は後日開く予定。

 広島市生まれ。東大国文科を繰り上げ卒業後、予備学生として海軍入隊。士官として通信・諜報(ちょうほう)の任務に就き、敗戦を中国・漢口で迎えた。復員した1946年、第1作「年年歳歳」を発表。以後、3年半の海軍体験をもとにした52年「春の城」(読売文学賞)や56年「雲の墓標」で頭角を現した。

 海軍予備学生を描いた74年「暗い波濤」や75年「軍艦長門の生涯」で注目される一方、65年「山本五十六」、78年「米内光政」、86年「井上成美」など従来の評伝とは一線を画す等身大の提督像を作り上げて、伝記小説に新境地を開いた。

 また、旧制高校時代から志賀直哉に傾倒。復員後すぐに門下に入った。1700枚の評伝「志賀直哉」(94年、毎日出版文化賞野間文芸賞)では師の肖像を慈しむように浮き彫りにした。

 旅の醍醐味(だいごみ)をつづった77年「南蛮阿房列車」など随筆も定評がある。2001年「食味風々録」(読売文学賞)は食への探求心と人生の考察が溶け合った秀作。また、保守派論客として知られ、97年からは雑誌「文芸春秋」の巻頭随筆を担当していた。05〜07年に「阿川弘之全集」(全20巻、新潮社)を刊行。絵本「きかんしゃ やえもん」(59年)の文も手がけ、ロングセラーとなった。

 エッセイスト小説家阿川佐和子さんは長女。長男は元駐米公使で慶応大教授の尚之(なおゆき)さん。79年日本芸術院会員。99年に文化勲章を受けた。



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訃報:花紀京さん78歳=タレント、吉本新喜劇
毎日新聞 2015年08月06日 13時53分(最終更新 08月06日 14時27分)

 吉本新喜劇のボケ役で人気を集めたタレントの花紀京(はなき・きょう、本名・石田京三=いしだ・きょうぞう)さんが5日夜、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。78歳だった。葬儀は近親者のみで営む。

 花菱アチャコとのコンビで昭和漫才の全盛期を築いた横山エンタツの次男として大阪市で生まれた。関西大学文学部仏文科中退後に芸能界入り。脚本家花登筐(はなと・こばこ)が大村崑さん、芦屋雁之助芦屋小雁さんらと結成した劇団「笑いの王国」に参加。「花紀京」という芸名は花登が付けた。

 脱退後、吉本新喜劇で座長を務めた。「番頭はんと丁稚(でっち)どん」「てなもんや二刀流」などテレビのお笑い番組にも出演し、関西お笑い界のトップスターとなった。1973年には上方お笑い大賞金賞を受賞、80年から約1年間、同じ新喜劇の看板スターだった岡八朗と漫才コンビを組んだこともあった。89年、新喜劇の「若返り化」を機に、岡らとともに退団、活動の場を舞台やテレビに移した。

 2001年、ダウンタウンココリコなど吉本所属のタレントとともにユニット「Re:Japan」に参加し、NHK紅白歌合戦に出場。02年には映画「明日があるさTHEMOVIE」にも出演した。03年4月には、急病で降板した雁之助の代役として、喜劇「とんてんかんとんちんかん」に出演したが、翌月、低酸素脳症で倒れ、入院していた。


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花紀京さん死去:絶妙の「味」と「間」 寛平さんら通夜に
毎日新聞 2015年08月07日 大阪朝刊

 5日に78歳で亡くなったタレントの花紀京(はなき・きょう、本名・石田京三=いしだ・きょうぞう)さんの通夜が6日、大阪市内で営まれた。新人時代に付き人をしていた間寛平さんや吉本新喜劇のタレントたちが参列し、新喜劇の黄金時代を支えた希代の役者の冥福を祈った。

 花紀さんは2003年に低酸素脳症で倒れて以降、病院で療養生活を送っていたが、今月2日に容体が悪化。5日夜、妻にみとられて亡くなったという。

 通夜に参列した桂文枝さんは「(横山)エンタツ師匠のお子さんだからお笑い界ではエリートだったが、えらそぶったところが全くなかった。倒れられるちょっと前に新幹線で『また一緒に仕事しよな』って言っていただいた時の笑顔が忘れられない」と肩を落とした。花紀さんがエンタツ、文枝さんが花菱アチャコにふんして漫才をしたことがあるといい、「声も間(ま)もお父さんそっくりで、それが昨日のことのようです」と声を詰まらせた。

 寛平さんは「新喜劇の芝居をするんやったら味やで、間やで、と教えてくれた」と付き人時代を振り返った。闘病中も年に2、3回は見舞いに行っていたといい、「もう一度花紀兄さんの芝居が見たかった。すごい味のある芝居で、ぼくなんか足元にも及ばない」と悔しがった。

 吉本興業100周年の記念舞台で花紀さん役を演じた吉本新喜劇内場勝則さんは「ずっと背中を目標に歩いてきたということを改めて感じた。歴史をつぶさないように頑張っていきたい」と話した。

 内場さんの妻の未知やすえさんは新人時代、新喜劇の本番中にセリフを忘れて大泣きしてしまった時に、花紀さんから「お前のセリフは誰も取れへんからしっかりしゃべれよ」と優しく声をかけられたことを明かし、「いてくださることが心強かった」と別れを惜しんだ。【山田夢留】


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憂楽帳:未来を見つめる
毎日新聞 2015年08月06日 大阪夕刊

 阪神高速湾岸線の高架を南側にくぐると、海の手前に見渡す限りの更地が広がっていた。兵庫県尼崎市扇町の一角。かつて、ここを含む臨海部には重化学工業などの工場が建ち並び、経済発展をけん引する一方で、公害を生み出した。

 負の歴史を教訓に、戦後の象徴ともいえる臨海部を100年かけて森にする構想を県が公表したのは13年前のことだ。工場が撤退したこの一角を含む約29ヘクタールが先導地区と位置づけられた。市民らが地元の木の実約220万粒を拾い集めて苗に育て、植樹数は約6万1000本になった。最初に取り組んだ高速北側では約5メートルに成長し、林らしくなってきた。

 真夏の陽光で乾いた更地に足を延ばすと、大人の背丈ぐらいまで育ちつつある場所がポツポツとあった。「次の世代に残すため、森を育てています」「人も会社もこの森とともに成長していけたら」。木のそばに設置された看板に、学校や市民団体、企業などがこう記していた。

 70年前の非戦の誓いが遠くなったと思わせる言動も散見される中、自分が恐らく生きてはいない未来を地道に見つめようとする人たちもいるのだ。【堀雅充】


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