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餞驟窟誌

2017-08-04

【こよみ 平成29年08月01日(火)旧暦六月十日(先負)長潮 晩夏 大暑】 35候 土潤溽暑 大暑次候 八朔 夏土用の間日 水の日 世界母乳の日 観光の日 肺の日 麻雀の日 パインの日 自然環境クリーンデー

2017.08.01(火) 七十二候 大暑次候 35候 土潤溽暑 土潤るおうてむし暑し
 土が湿って蒸し暑くなる 07月28日(金)〜08月01日(火)

省エネルギーの日(毎月)

八朔(新暦)
8月1日は、八月朔日を略して「八朔」と呼ばれる。 元々は旧暦八月の行事で、その年の新しい穀物を取入れたり、贈答をしたりして祝う日。明治以降は新暦でも行われるようになった。

水の日
限りある水資源を大切にしようと1977年(昭和52年)に閣議了解を得て、設けられた記念日。8月は1年でも水の使用量が多い月なので、この日から1週間を「水の週間」として節水を呼びかけている。国土交通省による関連イベントが開催される。

世界母乳の日
世界母乳連盟が1992(平成4)年に、世界保健機関(WHO)とユニセフの援助の元に制定。 子供が母乳で哺乳される権利「母乳権」の普及を図り、母乳による育児を推進する日。

バイキングの日
2008年 4月に株式会社帝国ホテルにより制定された。

夏の省エネ総点検の日
エネルギー問題の観点から、省エネが呼びかけられる。

観光の日、観光の週間
総理府が1965年(昭和40年)に制定した8月1日から7日迄の「観光週間」の初日を特に「観光の日」としたもの。観光道徳の向上、観光地の美化、観光資源の保護、観光旅行の安全の確保などを目的に、観光全般について考え、行動する日。

肺の日
日本呼吸器学会が1999年(平成11年)に制定。「8」「1」と「は」「い」の語呂合せから。呼吸器疾患の予防をよびかける。

麻雀の日
全国麻雀業組合総連合会が「8」「1」を「パ」「イ」と語呂合わせして制定。

島の日
長崎県で実施。 「ハッ(8)ピーアイ(1)ランド」の語呂合せ。

自然環境クリーンデー
環境庁(現在の環境省)が制定。

パインの日
沖縄県農林水産省などが制定。 「パ(8)イ(1)ン」の語呂合せ。

[諸外国の記念日]
スイス連邦創設記念日

1291年のこの日、ウーリ、ウンターヴァルデンシュヴィーツの3つの州によってスイス独立の誓約がかわされた。現在の首都はベルン。

八一中国人民解放軍建軍節
(中華人民共和国) 1927年、江西省南昌で中国共産党が最初の武装暴動(南昌暴動)を起こし、中国共産党が初めて完全に掌握する軍隊を持ちました

スイス独立(1291)
▲家康、江戸城に入る(1590)
▲日本人初の太平洋横断(1610)
▲酸素の単離に成功。空気の成分は主に酸素と窒素であるという推論を (1774)
ロゼッタストーン、発見。象形文字解読の鍵となる(1799)
▲わが国初の海上保険会社(1879)
日清戦争(1894)
▲第1次世界大戦、始まる(1914)
警視庁に無線自動車登場(1935)
ベルリンオリンピック田島直人前畑秀子・葉室鉄夫・寺田登、金メダル(1936)
▲東京市内に「贅沢品は敵だ!」の立看板。東京府も食堂・料理屋等で米食使用禁止、販売時間制限実施(1940)
▲初のハッカ入りたばこ「みどり」(20本50円)発売(1957)
▲初の国産ステレオレコードビクターから(1958)
ダットサンブルーバード(310型)発売。マイカー時代の幕開け(1959)
鉄道弘済会売店をキヨスクと呼称(1973)
▲NTTが電話ファックス営業開始(1973)
▲東京・山手線全駅で終日禁煙(1992)
マイケル・ジャクソンエルビス・プレスリーの娘が結婚(1994)


誕生:メルヴィル(作家1819) 木下杢太郎(医学者・詩人・劇作家1885)
   室生犀星(医学者・詩人・劇作家1889) きんさん、ぎんさん(1892)
   水谷八重子(医学者・詩人・劇作家1905) 中田喜直(作曲家1923)
   金田正一(プロ野球解説者1933) イブ・サンローラン(ファッションデザイナ
ー1936)
   田村正和(俳優1943) つのだひろ(ミュージシャン1949) 頼親美津子(1955)
   森脇和成[猿岩石](タレント1974) ジェニーちゃん

誕生花:けし(赤) (Papaver)     花言葉:慰め



季語刻々 <坪内稔典>  2017.08.01(火) 大暑


いや白きは南風つよき帆ならむ

 
毎日新聞 2017年8月1日 東京朝刊


 ◆昔

 いや白きは南風(なんぷう)つよき帆ならむ 大野林火 
 

解題


 「いや白き」は「特に白いの」はの意。帆が白く光る沖のヨットを詠んだのか。現代の季語では、夏の南寄りの風をミナミミナミカゼ、ナンプウなどと呼ぶが、昔は(もしかしたら今も)地域によって名前が違っていたらしい。沖縄、九州などではハエ、瀬戸内海などではマジであった。ミナミは関東以北の太平洋沿岸の名だった。<坪内稔典


語釈・晦渋語 &出典

現代の季語では、夏の南寄りの風をミナミミナミカゼ、ナンプウなどと呼ぶが、昔は(もしかしたら今も)地域によって名前が違っていたらしい。沖縄、九州などではハエ、瀬戸内海などではマジであった。ミナミは関東以北の太平洋沿岸の名だった。<坪内稔典

鑑賞

「いや白き」は「特に白いの」はの意。帆が白く光る沖のヨットを詠んだのか。


俳人

大野林火


(おおの りんか、1904年3月25日 - 1982年8月21日)は、俳人。本名は大野正(おおの まさし)。
神奈川県横浜市生まれ。旧制県立横浜第一中学校、旧制第四高等学校を経て、1927年東京帝國大学経済学部を卒業。大学卒業後は日本光機工業に入社。1930年に会社を辞めて県立商工実習学校教諭となる。中学時代より鈴木三重吉佐藤春夫の抒情詩に傾倒。俳句は中学時代の1920年、親友の荻野清(のち俳文学者となる)の父から手ほどきを受け、1921年、荻野の勧めをうけて「石楠」に入会、臼田亞浪に師事する。
1939年、句集『海門』(交蘭社)を上梓、本格的に俳人としての地位を築く。この頃より水原秋櫻子や加藤楸邨らとも積極的に交流を行う。1946年、「濱」を創刊、主宰。同年、『俳句研究』『俳句の国』の編集に携わる。1948年、教職を辞し俳句一筋の生活となる。1953年より角川書店『俳句』編集長を務める(同年11月号から1956年12月号まで)。1956年、横浜俳話会発足に参加(発起人のひとり。のちに幹事長)[2]。
1964年、第13回横浜文化賞、1969年、第三回蛇笏賞(『潺潺集』他)、1973年、第22回神奈川文化賞受賞。1974年愛媛俳壇選者。1978年、俳人協会会長に就任。1980年朝日俳壇選者。同年、俳人協会訪中団団長を務め、日中文化交流にも力を尽くした[1]。代表句は「本買へば表紙が匂ふ雪の暮」「ねむりても旅の花火の胸にひらく」「雪の水車ごつとんことりもう止むか」など。清新な叙情性を持つ句で知られた。優れた指導者でもあり、主宰誌「濱」からは多数の著名俳人を輩出。また草津市の療養所栗生楽泉園でハンセン病患者の句会を指導し村越化石を見出した点でも評価される。




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=========晩夏 2017.08.01(火)大暑 (近頃の世情)) ===========
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火論 「自分史」の夏=玉木研二
毎日新聞 2017年8月1日 東京朝刊
 <ka−ron>

 町と人の記憶は、今引き継がなければ永遠に失われることになる。記録し記憶する責任は、体験のない私たちの側にある。こう唱え、広島県広島商業高校の国語教諭・中川幹朗(もとお)さん(58)らが続ける原爆で消えた町の日常を再現する記録活動。今夏も新たな一冊を重ねた。(「証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主(かこ)町」)

 以前にもこの欄で触れたが、その記録活動の特色は、失われた暮らしの細部にわたる愛惜にある。被爆や戦争の体験継承が年月とともに困難になりつつあるという今、ヒントになりはしないか。

 今回収められたのは12人。例えば、広島県廿日(はつか)市(いち)市に暮らす浜井徳三(とくそう)さんは83歳、元理容師である。原爆孤児であった「自分史」を記し始めて2年になる。初めてだ。書くと次々と過ぎた日々を思い起こし、書き足していく。

 父は中島本町で職人や弟子を抱える理容業を営んでいた。「浜井理容研究所」の看板を掛け、気取ってか、ちょうネクタイ姿で仕事をしたが、宴会が好きで同業仲間をよく集めては飲んだ。

 酔っ払って水たまりに転げて泥まみれになり、腕時計まで台無しにし、母にしかられていたのを忘れない。

 母はハワイで育ち、引き揚げてきた人で、機会があると滑らかな英語を話した。

 原爆投下時、国民学校生の浜井さんは広島の西に疎開していて助かった。父、母、姉、兄を失い、黒ずんだハサミが残っていた。

 投下前日の1945年8月5日、両親と姉が疎開先に訪ねてきた。泊まらず広島に帰る。これが別れになった。ハワイ育ちの母は、その日、当時はとても手に入らない派手な花柄の日傘を差していた。

 戦争が終わった。

 可愛がってくれる叔父夫妻に守られ、浜井さんは戦後の新制高校も出た。理容師を目指した時、あちこちで「浜井の息子か」と声を掛けられ、親切にされた。父が広く愛されていたことを知った。

 また、焼け跡が癒えぬ広島で忘れない光景の一つにカープの結団披露式がある。50年1月15日、西練兵場跡地の原っぱ。弱小球団にあって唯一のスター選手たる元巨人の名遊撃手、白石勝巳は式には参加しなかったが、詰めかけた人々は選手たちのキャッチボールに見入った……。

 原爆で消し去られた町の人々の無数の営みが、語りと活字でよみがえる。原爆、戦争の不条理に抗していく力は、つまるところ、そんな日常へのいとおしさに発するのではないか。(客員編集委員

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経済観測 大学進学費用の高騰のあとに=国際公共政策研究センター理事長・田中直毅
毎日新聞 2017年8月1日 東京朝刊

 大学教育への関心が英米で高まる。論点は三つ。(1)大卒の資格は高賃金に直結するか(2)授業料に住居費を加算した大学進学費用の高騰(3)若年層の減少や頭打ちによる大学の供給サイドの変化。

 英国のオックスフォード大学ケンブリッジ大学(オックスブリッジ)への進学費用は、住居費の高騰もあり、低所得層の子弟の進学を難しくした。英国のグローバルな金融機能は高給人材の吸収を通じて都市部の住居費の高騰に直結し、これが低所得階層の大学進学を困難化させた。そしてオックスブリッジの卒業生でも、期待する職場への就職は難しい。

 経済成長率の鈍化は高い報酬の職場の増大を阻むため、在学中からインターン研修への動機を刺激する。低い社会階層の子弟にはこの機会は限られる。

 米国の私学の場合、住居費を含む年間経費増はこの四半世紀ほど消費者物価上昇率のおよそ2倍だった。米国大学連盟によれば、今年6月で年間経費は平均4万5370ドル(約500万円)という。途中退学者の回答では半分近くが費用倒れが原因という。そして卒業者の借金残高の平均は3万ドル程度まで上昇した。

 こうした高費用のゆえに、大学入学者は2010年にピークをつけ、今年はピーク比で4%以上の減少だ。

 米国労働省によれば、進学費用の年上昇率は、10年にかけては約6%だったが、今年6月は需給の反映もあり1・9%まで落ち着いた。

 高卒時人口の増加率がすでに鈍化し、今後数年は横ばい圏が予想される。地域に根付くコミュニティーカレッジは勤労者の技能向上に寄与したが、今後もその役割は残るのか。奨学金制度を問う声は多いが、日本の「教育国債」のような次世代へのつけ回し論は一切ない。

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ウラから目線 働き方改革と井戸端会議=福本容子
毎日新聞 2017年8月1日 東京夕刊

 アメリカを代表するハイテク超大手のIBM社が、大胆な働き方改革に踏み切った。出社せず自宅で働くテレワークの採用じゃない。逆。

 IBMといえば、テレワークの草分け的存在だ。1980年ごろには取り入れていて、社員の4割が社外で勤務していた時期もあるほど。それがいきなり、会社に戻ろうキャンペーンを始めたのだ。一体なぜ?

 「IBMにとって今もっとも大事なのは、よりよい発想です」。企業の人事管理に詳しいサンフランシスコ州立大のジョン・サリバン教授がネット専用ニュースサイト、米クオーツに語っている。

 ビジネスの大きな飛躍につながる画期的発想は、人と人が同じ場所で顔を合わせて仕事をすることから生まれやすい、と話していた。「ウオータークーラー効果」だ。使うとゴボゴボ鳴る、飲み水用の冷水器がウオータークーラー。社員が水を飲みにそこに集まると、自然に会話が始まる。要は井戸端会議である。

 井戸端会議のできる研究チーム、つまり研究者が同じ場所にいて、しょっちゅう顔を合わせるチームほど論文の引用回数が多い。そんなハーバード大の調査結果もあるほどだ。

 井戸端会議の力を世界一、信じていたのはスティーブ・ジョブズさんだったかも。アイフォーンで有名なアップル社を作った一人である。

 カリフォルニア州クパチーノ市に5000億円以上をかけて造られたアップルの新社屋は、ジョブズさんが掲げた理想を形にしたと言われている。銀色に輝く巨大な輪っか状の建物は近未来的で、「宇宙船」のあだ名も。年末までに1万2000人が引っ越しを終えるそうだ。

 宇宙船の設計で最重視されたポイントの一つが、働く人同士の会話を起きやすくすること。自然と始まるミーティングを今は亡きジョブズさんは大事にしていた。世界を驚かせる商品の芽は予定された会議からは生まれにくいと考えていたみたい。

 育児など、働く人の事情に合わせるテレワークは大いに結構。でも東京五輪の開会式予定日を「テレワーク・デー」に定め、国民運動にしよう、と政府が旗をふるのってどう?

 先のサリバン教授はこうも述べている。「テレワークは80年代、90年代の戦略で、2015年の戦略ではない」。あらー! (論説委員

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一点張り・論説室から 幸せをつくる福祉の仕事とは=野沢和弘
毎日新聞 2017年8月1日 東京朝刊

 リゾートホテルはたまに行くから快適なのだ。どんなに素晴らしいホテルでも、この先ずっとホテル内だけで生きることを強いられたら、監獄のように感じ始めるのではないか。

 19人の障害者が殺害された「津久井やまゆり園」(相模原市)の建て替え問題で、町中に小規模施設を分散して建設する神奈川県の方針に家族会や職員らは反対している。「施設規模を小さくしないでほしい」「自分の仕事が否定されたと思う」「やまゆり園は私たちがやっとたどりついたかけがえのない家だ」

 離れたところにいる親には素晴らしい施設に思えても、そこでずっと暮らしている障害者はどうなのだろう。嫌ならいつでも辞められる職員と違い、障害者は嫌になっても言えず、ストレスで行動障害を起こすようになれば、ますます施設内に閉じ込められる。ただ現状に慣れるか、あきらめることしか許されないのである。

 親の不安はよくわかる。地域福祉など何もないころの辛苦を味わってきた世代にとっては特にそうだ。殺伐とした社会に自らの老いを重ねて恐怖を感じる人も多いだろう。

 米国で1980年代に障害者の施設収容が人権侵害とされ、「施設解体訴訟」が提起されたとき、最も強く反対したのは親たちだった。ところが、地域に生活の場を移した障害者の様子を見て価値観が最も変わったのも親たちだったという。「まるで改宗したかのようだった」と訴訟を担当した弁護士から聞いた。

 日本でも親の「改宗」は珍しくない。福祉職員が丁寧に説得し、障害者の地域での暮らしを手厚く支援し、障害者の幸せをそこにつくりだしたとき、親は劇的に変わる。福祉職員の仕事とはそういうものではないのか。

 都会で忙しく働く人にとってのリゾートホテルのように、病気を治すための病院のように、入所施設が必要なときもある。しかし、閉鎖的な環境の中で単調な集団生活をずっと続けることが、人間にとってふさわしいものとは思えない。少なくとも障害者本人の意思を時間をかけて確かめてからにしてほしい。

 施設経営者や職員には自覚がないかもしれないが、自らのやりがいや生活のため、親の不安を盾に取るようなことはやめるべきだ。

 「一点張り」は論説委員が交代で執筆します。


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憂楽帳 デスカフェ
毎日新聞 2017年8月1日 大阪夕刊 【玉木達也】

 「死んだらどうなるの?」

 誰もが疑問に思う、究極の問い。「死」はすべての人に平等に訪れるが、正面から「死」について考える機会はそう多くない。

 夜に入っても全く暑さが衰えない古都・京都。7月中旬、ある寺に約20人の男女が集まっていた。多くは20代から30代の若者のように見えた。

 死をタブー視せず、身近に考えようというイベント「デスカフェ」。欧米を中心に開かれ、最近は国内でも開催されている。この日は若手僧侶が企画した。

 三つのグループに分かれ、死を取り上げた本の感想をまとめたり、「生きていく中で大切にしたいもの」をテーマに話し合ったりした。

 最後は全員で車座に。「死は当たり前のことで、身の回りに無数にあることを改めて気づかされた」「死について自分だけが考えているのではないことを知り、少し安心した」「死が身近にある中で、これからどう生きればいいかを考えた」。感想の一言、一言が胸に響く。

 死ぬからこそ生きる。顔をなでた、外の風。気持ちがよかった。【玉木達也】

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