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餞驟窟誌

2017-11-18

【こよみ 平成29年11月16日(木)旧暦九月廿八日(赤口)中潮 立冬 】 56候 地始凍 立冬次候 閻魔縁日 幼稚園記念日 国際寛容デー いいいろ塗装の日 いい色の日 自然薯の日

2017.11.16(木) 七十二候 立冬次候 56候 地始凍 地 始めて凍る
大地が凍り始める 11月12日(日)〜11月16日(木)初冬

幼稚園記念日
1876年(明治9年)に日本で最初の官立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園が東京神田に開園したことによる。

国際寛容デー
1996(平成8)年12月12日の国連総会で制定。国際デーの一つ。 1995(平成7)年、ユネスコ総会で「寛容原則宣言」と「国連寛容年のためのフォローアップ計画」が採択されました。International Day for Tolerance

閻魔縁日
死者の生前の行いを判定して賞罰を与えるといわれる閻魔大王の縁日(毎月16日)

ボージョレヌーボー解禁
(11月第3木曜日)

マージャンの日
(毎月第3木曜)

いいいろ塗装の日
日本塗装工業会が制定した日。「いい(11)いろ(16)」の語呂合わせ。

いい色の日
愛知県の塗装と塗料に関係する業界の団体「愛知昭和会」が1991年に制定。

自然薯の日
自然薯食事処「麦とろ童子」を静岡県熱海市で営む清水元春氏が制定。日付は11月16日を「いいいも」(6=「も」の字に見立てて)と読む語呂合わせと、自然薯の最盛期である時期に合わせたもの。

▲日本最初の木製活字本(1593)
玉川上水完成(1653)
人形浄瑠璃の一つ、義経千本桜、初演(1747)
スエズ運河、開通(1869)
▲初の官立幼稚園。東京女子師範学校付属幼稚園 (現在のお茶の水女子大学付属)が東京神田に開園(1876)
日比谷図書館開館(1908)
▲現代かなづかいと当用漢字表発表(1946)
東京間借人協会発足(1966)
横須賀の米空母ミッドウエーの母港化を政府が承認(1972)
東海地震に備え、6県が初の総合防災訓練(1979)

誕生:北村透谷(詩人1868) 佐藤英夫(俳優1925) 春川ますみ(女優1935)
   渡辺ともこ(タレント1944) 来生たかお(作曲家・歌手1950)
   オール巨人(漫才師1951) 二谷友里恵(1964) 五十嵐いずみ(女優1968)
   内田有紀(女優1975)

誕生花クリスマスローズ (Christmas Rose)     花言葉追憶




季語刻々 <坪内稔典>  初冬 2017.11.16(木)立冬


柘榴哄笑す雌鶏しろき卵を抱けば


毎日新聞 2017年11月16日 東京朝刊

 ◆昔


 柘榴ざくろ)哄笑(こうしょう)す雌鶏(めんどり)しろき卵を抱けば 富沢赤黄男(かきお) 
    

解題


 哄笑は柘榴がぱくりと割れているようす。柘榴の笑い声も聞こえる感じ。その柘榴の哄笑は、雌鶏が卵を抱いたときに始まったというのが今日の句。もっとも、雌鶏の抱卵は当たり前、雄鶏(おんどり)が抱卵する意外な風景のほうがいいのではないか。抱卵する雄鶏のそばの哄笑する柘榴、それは超現実的な575の言葉の絵としてすてきだ。<坪内稔典

 
 
語釈・晦渋語 &出典

もっとも、雌鶏の抱卵は当たり前、雄鶏(おんどり)が抱卵する意外な風景のほうがいいのではないか。抱卵する雄鶏のそばの哄笑する柘榴、それは超現実的な575の言葉の絵としてすてきだ。<坪内稔典
鑑賞

 哄笑は柘榴がぱくりと割れているようす。柘榴の笑い声も聞こえる感じ。その柘榴の哄笑は、雌鶏が卵を抱いたときに始まったというのが今日の句。

俳人

富沢赤黄男


(とみざわ かきお、1902年7月14日 - 1962年3月7日)は愛媛県出身の俳人。本名富澤正三(とみざわ しょうぞう)。新興俳句の担い手として、現代詩の一分野としてのモダニズム俳句を追求した。代表句に「蝶墜ちて大音響の結氷期」がある。
1902年、愛媛県西宇和郡川之石村(現八幡浜市保内町琴平)に開業医長男として生まれる。 1920年宇和島中学校卒、1926年早稲田大学政経学部を卒業。在学中、松根東洋城の門人に勧められ松根の主宰誌「渋柿」に投句するも、熱心に打ち込むことはなかった。同4月、国際通運(現在の日本通運東京本社に入社1928年国際通運大阪支社に転勤。 同年、同郷の菊池清と結婚、大阪市東成区生野町(現大阪市生野区)に新居を構える。1930年、父が眼疾により医師を廃業して材木会社の経営に携わることになったため帰郷し父を助け、その後国立第二十九銀行(現在の伊予銀行)に勤める。このころより郷土の俳句同好会「美名瀬吟社」に参加し作句を始めた。「蕉左右」の俳号で「ホトトギス」にも投句を続けるが一句も入選しなかったという。
1932年、俳号を「赤黄男」として山本梅史主宰の「泉」に投句、1935年まで60句ほど入選する。1933年、父が先の木材会社経営に失敗したため、家財を整理して移住、銀行も辞去する。翌1934年に妻の母とセメント重紙袋製造合資会社を起こし、単身で大阪に向かい堺市に工場を持つが、室戸台風のために工場が再起不能となる。1935年、日野草城の俳誌『旗艦』創刊。同誌の同人となり新興俳句の作り手として頭角をあらわす。先人として高屋窓秋に傾倒を示し、また「俳句は詩である」と宣言し新興俳句の理論的展開も担った。一方私生活は不安定な状態が続き、1936年2月に妻の実家が経営する酒造会社に入社、12月に退社し、大阪に出て水谷砕壺の世話を受けながら浪人暮らしをする。
1937年、召集され神奈川県の工兵態に入隊、将校として中国各地を転戦。1939年以降の「旗艦」には、軍事郵便で送られてきた赤黄男の前線俳句が毎月のように掲載された。この時期の句に「鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり」がある。1940年マラリアに罹り帰国、この間中尉に昇進するも召集解除。1941年再度召集を受け、1942年 北千島の守備に着く。1944年召集解除。この間、 1941年に代表句「蝶墜ちて大音響の結氷期」をふくむ処女句集『天の狼』刊行し、京大俳句事件によって終息していった新興俳句運動の掉尾を飾る。1945年4月四谷区箪笥町空襲により罹災。吉祥寺の借家に移る。
終戦後、1946年太陽系」創刊。また栗林一石路、石橋辰之助東京三(秋元不死男)、湊楊一郎らとともに新俳句連盟を結成するが、内部分裂し翌年現代俳句協会設立、会員となる。1948年、詩、短歌俳句の総合誌「詩歌殿」を水谷砕壺とともに創刊、「太陽系」終刊し後継誌として「火山系」創刊(いずれも1950年まで)。またこの年、砕壺が社長を務める関西タール製品株式会社入社東京事務所長となる。1951年 句集『天の狼』改版発行。1952年、高柳重信、本島高弓とともに「薔薇」創刊。 同年末に句集『蛇の声』。収録句に「切株は じいんじいんと ひびくなり」「寒い月 ああ貌がない 貌がない」など。作品は大戦中からのものも含むが、いずれも一字アキを用い、また句の象徴性・抽象性をいっそう深めており、この傾向は第三句集『黙示』(1961年)にいたって極度に突き詰められる。
1958年、高柳が「俳句評論」を創刊し所属、後進の指導にあたる。同年大和化成社長となる。 1961年、句集『黙示』。1962年、肺ガンにより自宅療養中に死去。享年60。




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=========初冬 2017.11.16(木)  (近頃の世情)) ==========
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木語 中国傾斜の時代か=坂東賢治
毎日新聞2017年11月16日 東京朝刊
 <moku−go>

 アジアにおける米中のパワーバランスが中国に傾いた年。いずれそんな評価が出るのではないか。約10日間のトランプ米大統領アジア歴訪を通じて感じたことだ。

 日本ではトランプ氏訪問への評価が高い。日米の緊密な関係の演出北朝鮮の脅威を警戒する国民に一定の安心感を与えたのだろう。

 しかし、マニラでの東南アジア諸国連合(ASEAN)との一連の会議などではアジア各国の対応が過去数年と様変わりした。

 中国南シナ海で抑制的な対応を示していることもあり、中国との融和を優先し、南シナ海問題への「懸念」が表に出なかった。トランプ氏が東アジアサミットに欠席するというオチもついた。

 典型的なのがシンガポールの対応だ。一時は中国批判急先鋒(せんぽう)に立ち、中国との関係が悪化した。リー・シェンロン首相は5月の「一帯一路」国際会議に招かれなかった。

 リー首相中国批判を封印し、急きょ決まった9月の訪中で関係改善を果たした。頼りにした米国の政策がトランプ政権誕生で180度転換し、中国圧力に抗しきれなくなったわけだ。

 米国シンガポールが提唱者である環太平洋パートナーシップ協定(TPP)から離脱し、オバマ政権アジアへのリバランス(再均衡)政策も消えた。リー首相は米メディアに「小国が二つの大国の間で生きるのは容易でない」と漏らした。

 トランプ氏は安倍晋三首相と共に「自由で開かれたインド太平洋戦略」を訴えたが、ビジネス中心で安全保障理念は二の次のようにみえる。

 米政治学者のイアン・ブレマー氏は最近の米タイム誌への寄稿で、トランプ氏の米国より習近平(しゅうきんぺい)国家主席が率いる中国の未来に分があるとの見解を示した。同誌の表紙には英語と中国語で「中国が勝った」という見出しが躍った。

 習氏が28兆円にのぼる商談でトランプ氏の顔を立てたとはいえ、故宮を訪れた2人の姿から米国と対等な立場に立つ中国存在感を印象付けられた人は少なくなかろう。

 終末高高度防衛(THAAD)ミサイル配備中国対立していた韓国が和解に動いたのも大きな流れの一部と見ることもできる。

 安倍首相中国との関係改善に意欲を示しているのも時宜にかなったことなのかもしれない。

 良くも悪くも中国の台頭に備える一方、米国の退潮にも保険を掛けなければならない時代に入ったのではないか。(専門編集委員

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経済観測 日本経済の柔軟性=三菱商事調査部長・武居秀典
毎日新聞2017年11月16日 東京朝刊

 この半年ほど、今はやりのパーソナルトレーニングに通っている。指摘されたのは体の硬さ。疲れやすく、けがもしやすく、回復力も弱くなっているらしい。柔軟性向上を目標にトレーニングを続けているが、体の「硬さ」と「柔軟性」と言われ、ふと、日本経済の現状を思い浮かべた。

 日本経済の話をしていると、よく「硬直化」という言葉が出る。流動性の低い労働市場、新規事業を生み出しにくい企業体質、なかなか見直しが進まない規制など、例は枚挙にいとまがない。更に今は、いざという時に頼りにすべき財政・金融政策にも余力がない。正に、日本経済自体が硬直化している。

 1990年代前半、日本の国際競争力は世界トップだったが、今は、先進国の最下位グループにまで落ちた。これは、労働力減少、技術革新グローバル化の一層の進展など、外部環境が大きく変化する中、日本経済日本企業が柔軟性を欠き、変化に対応できていない証左だ。政府も成長戦略、構造改革としてさまざまな施策を打ち出しているが、残念ながら、バラバラ感は否めず、効果も見えてこない。経済もヒトの体同様、見えないところで連動している。あっちが悪い、こっちが悪いといったパッチワーク対応では、なかなかよくならない。

 「日本再興」「未来投資」戦略も重要だが、まず、目指すべきは「日本経済全体の柔軟性回復」だろう。優先すべきは、変革の主役となるべき企業に大胆な行動を促す規制緩和や、経済の基盤たる財政の再建だ。経済の柔軟性が回復すれば、その後の環境変化にも適応できる。成長戦略と言って、これまでと違った方向に体を動かそうにも、基盤となる体が硬ければ動きも鈍くなる。ここはまずしっかりと柔軟性回復に注力すべきではないだろうか。

      ◇

 今回から三菱商事調査部長の武居秀典さんが経済観測の筆者として参加します。
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メディア時評 国民の負託議席数乖離福間良明立命館大産業社会学部教授
毎日新聞 2017年11月16日 東京朝刊

 先月の第48回衆議院議員総選挙から、3週間あまりが過ぎた。自民党衆院過半数ラインを上回る284議席を獲得し、公明党を合わせた与党議席は3分の2を超える313議席に達した。毎日新聞をはじめ各紙でも大きく報じられた。

 だが、個人的には、一連の選挙結果報道にやや引っかかるものもあった。獲得議席数はむろん重要だが、実際の得票数や得票率はどうだったのか。獲得議席数は、与党への国民の支持を直接的に示すものなのか。

 総務省はすでに「衆議院議員総選挙結果調」をネット公開している。それによれば、自民党小選挙区での得票率は47・82%、比例代表に至っては33・28%にとどまる。小選挙区(定数289)と比例代表(定数176)の定数比を考慮すれば、双方を合算した得票率は42・32%。同様に公明党の得票率を足しても、与党への明確な支持票は47・99%に過ぎない。

 そう考えると、議席数と得票数(率)の乖離(かいり)は明らかである。小選挙区制の是非も問われるべきだろう。もっとも、この点は毎日新聞の10月25日朝刊内政面「自公計『87』半数届かず 比例議席 大勝、小選挙区の恩恵」でも指摘されている。だが、もっと掘り下げたり、大きく扱ったりしてもよかったとも思う。そもそも投票行動議席数に十分に反映されないことが、投票率低下を招いたことも考えられるのではないか。

 ちなみに、「衆議院議員総選挙結果調」の公開は10月27日である。翌日の毎日朝刊の1面トップは「スバル無資格検査」だった。これもむろん重要だが、前記の国政選挙の問題といずれが1面にふさわしかったのか。

 安倍晋三首相は11月1日の記者会見で、「自民党を力強く信任」した国民の「負託」に「しっかりと応えてい」く意志を語っている。自民党内では、国会での質疑時間を獲得議席数に合わせようとする議論も見られる。だが、「国民の負託」と議席数は大きく乖離していることにも目を向けるべきだし、メディアもこの点をもっと深掘りすべきではないだろうか。(大阪本社発行紙面を基に論評)

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憂楽帳 「五代さま」の鉱山
毎日新聞2017年11月16日 大阪夕刊 【新宮達】

 大阪商工会議所の初代会頭で、幕末から明治にかけて活躍した実業家、五代友厚ゆかりの鉱山跡が奈良県天川村にある。明治初期に五代が経営に乗り出し、盛時は3000人ほどが従事英国などへ輸出したという。村おこしに取り組む地元住民らに案内してもらった。

 ふもとから登ること約30分。銅を精錬したとみられる石造りの跡や焼けた赤土、住居跡などが次々と現れ、往時をしのばせる。さらに進むと坑道もあった。約45年前の試掘が最後というが、比較的良好な状態で残っていて驚いた。

 一方で、郷土の歴史は風化し、地元でも五代の活躍はほとんど伝わっていない。一昨年度のNHK連続テレビ小説が関心を呼び起こした面もあり、中心メンバーで住民の森紀美雄さん(66)は「忘れられていた五代の功績を紹介し、村の活性化につなげたい」と話す。

 言い伝えでは、坑道は他にも数カ所あったという。来春の一般公開に向け、住民らは山道の整備や文献の解明を進めると共に坑道も探している。「五代さま」の足跡をたどるロマンに、これからも関わっていきたい。【新宮達】

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