Hatena::ブログ(Diary)

餞驟窟誌

2018-01-01

【こよみ 平成30年01月01日(月)冬至 旧暦十一月十五日(先勝)大潮 】 66候 雪下出麦 冬至末候 元日、年賀、初詣、四方拝、少年法施行の日 太陽暦施行の日

2018.01.01(月)七十二候 冬至末候 66候 雪下出麦 雪下(わたり)て麦出(のび)る
雪の下で麦が芽を出す 12月31日(日)〜 01月04日(木)

省エネルギーの日(毎月)

祝日・休日
元日

年のはじめを祝う。「新しい希望と決意とを持って新しい年の始めを祝う日」とする国民の祝日のひとつ。最も大切な年中行事であるお正月は、元日に門松で年神様を迎え、井戸から若水を汲んで供え、雑煮やおせち料理を食べて祝う。

四方拝
天皇が、午前5時半(昔は寅の刻)に束帯を着て神嘉殿の南座(昔は清涼殿の東庭)に出御し、皇大神宮豊受大神宮天神地祇・天地四方・山陵を拝し、宝祚の無窮・天下太平・万民安寧を祈る儀式。

太陽暦施行の日
太政官布告により、従来の太陰太陽暦を廃し、太陽暦を採用すると公布された。太陽暦が採用され、明治5年12月3日が明治6年1月1日となる。

少年法施行の日
法務省刑事局が実施。 1949(昭和24)年、昨年7月15日に公布された「少年法」が施行されました。 20歳未満の少年の健全な育成を目的としています。

神戸港記念日
1868年(明治1年)1月1日、神戸港が外国船の停泊地として開港したことを記念して。神戸港は古くは「大輪田の泊」と呼ばれる。

鉄腕アトムの日
1963年(昭和38年)にフジテレビではじめての国産アニメとして「鉄腕アトム」の放映が開始された。作者の手塚治虫さんは大阪・豊中生まれ。

初妙見
一年で最初の妙見の縁日。

初詣
年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝すること。 氏神様やその年の恵方に当る方角の社寺にお参りをして、その年の無事と平安を祈ります。「恵方」とは、その年の福徳を司る神「歳徳神」の所在する方角のことで、何事をするにも最も良いとされる方角のことです。 昔は大晦日の夜に社寺にお参りして一度家に戻り、元日の朝になって再び参詣していましたが、今では大晦日の夜から出かけて行って、社寺の境内で元旦を迎えるという形もみられます。

若水
元日の早朝に井戸から水を汲んで神棚に供えること。またその水のことも「若水」といいます。 朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかないしきたりでした。若水は一年の邪気を除くと信じられ、神に供えた後その水で家族の食事を作ったり、口を漱いだりお茶を立てたりしました。


年賀

新年の挨拶を述べる為、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れます。 現在では年賀状でその代りをするようになっています。

若潮,若潮迎え

元日の早朝、潮水を海から汲んで来て神に供えます。

新年
1948(昭和23)年までは「新年」という祝日で、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていました。

元旦
「旦」は「日の出・朝」の意味で、「元旦」とは1月1日の朝を指します。


[諸外国の記念日]
新年,新正月(New Year's Day)

(各国)


解放記念日

(キューバ) キューバナショナルデー。 1959(昭和34)年、キューバ革命が達成されました。

独立記念日
(スーダン) 1899年以降イギリスエジプト両国の統治下にありましたが、1956年のこの日に独立しました。

大化の改新(646)
イギリスアイルランドと連合(1801)
リンカーン大統領奴隷解放宣言を布告(1863)
太陽暦の実施(1873)
オーストラリア独立(1901)
▲天皇の人間宣言(1946)
▲医学生漫画家手塚治虫が、毎日少国民新聞4コマ漫画 「マアチャンの日記帳」の連載で漫画家としてデビュー(1946)
▲「元日」が年のはじめを祝うことを決定の趣旨として制定(1948)
▲満年齢実施(1950)
▲尺貫法が廃止され、メートル法施行(1959)
手塚治虫作「鉄腕アトムフジテレビから放映される(1963)
▲東京の地下鉄、全面禁煙に(1988)
東京03局内電話で3桁局番の頭に3をつけ4桁に(1991)
欧州連合(EU)の単一通貨「ユーロ」、仏独など11カ国に導入(1999)
▲大阪06局内電話で3桁局番の頭に6をつけ4桁に(1999)
携帯電話、PHSが10桁から11桁に(1999)

誕生:聖徳太子(574) ロレンツォ・デ・メディチ(フィレンツェ大富豪1449)
   グレゴリウス13世(1502) 豊臣秀吉(武将1536) 
   クーベルタン(教育者・近代オリンピック創始者1863)
   J・D・サリンジャー(作家1919) 細川隆一郎(1919) 田端義夫(1919)
   倉本聰(作家1935) 水野久美(女優1937) 香山美子(女優1944) 
   尾崎紀世彦(歌手1945) 高橋源一郎(作家1951) 夢枕獏(作家1951) 
   沢田亜矢子(女優1953) 大友康平(歌手1956) 役所広司(俳優1956)
   ジミー大西(タレント1964)  増田明美(1964) 堂本光一(タレント1979)
   
誕生花:スノードロップ (Snow Drop)   花言葉:希望
 


季語刻々 <坪内稔典>  仲冬 2018.01.01(月) 冬至


眠る男に女もたれて寝正月


毎日新聞 2018年1月1日 東京朝刊


 ◆今


  眠る男に女もたれて寝正月 金子兜太 
         

解題


 今年もこの片隅のコラムをよろしく。「ゆっくりのんびりへなちょこに」。これは国語学者金田一秀穂さんが4年前の年賀状に書いてくれた言葉。私の目標にしてずっと机の前にその年賀状を張っている。今日の句も私の理想だ。この男女のもたれあい具合がいいなあ。ややだらしない光景だが。句集「日常」にある作者80代の作だ。<坪内稔典


語釈・晦渋語 &出典


今年もこの片隅のコラムをよろしく。「ゆっくりのんびりへなちょこに」。これは国語学者金田一秀穂さんが4年前の年賀状に書いてくれた言葉。私の目標にしてずっと机の前にその年賀状を張っている。

鑑賞

今日の句も私の理想だ。この男女のもたれあい具合がいいなあ。ややだらしない光景だが。句集「日常」にある作者80代の作だ。<坪内稔典

俳人

金子兜太


(かねこ とうた、1919年大正8年)9月23日 - )は、埼玉県出身の俳人。加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論・実作両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動している。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者小林一茶種田山頭火の研究家としても知られる。
1919年9月23日、埼玉県比企郡小川町の母の実家にて、父・元春、母・はるの長男として生まれる。2歳から4歳までその父の勤務地であった上海で、帰国して以降は秩父の地で育つ。父・元春は開業医で、「伊昔紅(いせきこう)」という俳号を持つ俳人。水原秋桜子の「馬酔木」に所属し、1930年に自身の俳誌「若鮎」を創刊している[1]。
旧制熊谷中学、旧制水戸高等学校文科乙類[5]を経て、1943年東京帝国大学経済学部を卒業。高校在学中の1937年、一級上の出澤三太に誘われて同校教授宅の句会に参加し、はじめて句作[1]。最初の句は「白梅や老子無心の旅に出る」であった[6]。以来本格的に句作をはじめ、翌年、全国学生俳誌「成層圏」に参加、竹下しづの女、加藤楸邨、中村草田男らの知遇を得る。1939年、嶋田青峰の「土上」に投句。大学入学後の1941年、加藤楸邨主宰の「寒雷」に投句し、以来楸邨に師事する。
1943年、大学を繰り上げ卒業して日本銀行に入行[1]、面接官は佐々木直だった。海軍経理学校に短期現役士官として入校、海軍主計中尉に任官、トラック島で200人の部下を率いる。餓死者が相次ぐなか、2度にわたり奇跡的に命拾いする。1946年、捕虜として春島(現モエン)アメリカ航空基地建設に従事したのち[6]、11月に最終復員船で帰国。1947年2月、日本銀行に復職。同年4月、塩谷皆子(金子皆子)と結婚[6]。1949年から翌年末にかけて、日本銀行労働組合の専従初代事務局長を務める。その間に浦和から竹沢村に住居を移す。1950年末に福島支店、1953年に神戸支店、1958年に長崎支店に転勤ののち、1960年に東京本店に戻る[7]。支店まわりから「窓際族ではなく、窓奥。1日2-3回開けるだけの本店の金庫番。だから書けた」という仕事で、1974年の55歳定年まで勤めた。
1947年、「寒雷」に復帰し、沢木欣一の「風」創刊に参加。「風」の主唱する社会性俳句運動に共鳴。1951年、福島の藤村多加夫の持ち家に住みながら「波郷と楸邨」を『俳句研究』に執筆。1955年より日本ペンクラブ会員。1957年、西東三鬼の勧めで「俳句の造型について」を『俳句』誌に発表、俳句造型論を展開し、自身の創作方法を理論化する。1958年、新俳句人連盟の中央委員に推薦され[8]、栗林一石路とともに同誌雑詠欄の選者を1年間(1959年10月号まで)担当。1960年頃より前衛俳句の旗手に数えられる[9]。
1962年、隈治人、林田紀音夫、堀葦男らと同人誌「海程」を創刊。1985年より結社誌となり主宰に就任する。
1974年から1979年まで上武大学教授。1983年より現代俳句協会会長、1987年より朝日俳壇選者[6]。1992年、日中文化交流協会常任理事に就任。2000年、現代俳句協会名誉会長に就任。2005年より日本芸術院会員。2006年、妻・皆子が死去。2015年いとうせいこうとともに『中日新聞』『東京新聞』の「平和の俳句」選者。ほかに一ツ橋綜合財団理事などを務める。



================================================================
===============================================================
=========仲冬 2018.01.01(月) 冬至(近頃の世情)) ==========
===============================================================
================================================================

社説 論始め2018 国民国家の揺らぎ 初めから同質の国はない
毎日新聞2018年1月1日 東京朝刊
 2018年が始まった。

 北朝鮮の核・ミサイル危機は越年し、トランプ米政権の振りかざす大国エゴも収まりそうにない。国家が人間の集合体以上の特別な意思を持って摩擦を生み続けている。

 日本にとって今年は1868年の明治維新から150年にあたる。その歩みにも、日本の国家意思と国際社会との衝突が刻まれている。

 あるべき国家像とは。自らを顧みて問いかけが必要な節目である。

 明治を特徴づけるのは、身分制を廃して国民国家を目指したことだ。ただ、人びとが自動的に「国民」になったわけではない。明治政府は国民の「まとまり」を必要とした。
機軸をめぐる試行錯誤
 井上ひさしがテレビドラマ用に書いた戯曲「國語元年」は、国民誕生の物語でもある。舞台は明治7年ごろの東京。文部省に勤める長州出身の主人公はこんなセリフを吐く。

 「この日(ひ)の本(もと)の国に、全国統一話し言葉がノーては、軍隊が、ヘーカラ(それから)御国がひとつにまとまらんチューわけでアリマスヨ」

 明治憲法を起草した伊藤博文は、「国家の機軸」を天皇に求めた。欧州のキリスト教に相応するのは「皇室のみ」と考えたからだ。こうして憲法の施行直前に発せられた教育勅語は天皇を精神的支配者にした。

 三谷太一郎・東京大名誉教授は「一般国民に圧倒的な影響力があったのは憲法ではなく教育勅語だ」と指摘する。昭和期の軍部はそこにつけ込み、日本を破滅に導いた。

 国民国家は、言葉や習俗を共有する人びとで国家を形作る考え方だ。ファシズムを招かないよう、戦後の日本やドイツ民主主義国民国家として再スタートを切った。

 民主主義は、一定の区域内の住人が「自分たちのことは自分たちで決める」ことを目的とする。その意味で民主的な国民国家は、今でも有効な統治モデルだろう。

 ところが、このところ私たちが世界各地で目にするのは、国民国家の揺らぎやほころびである。

 筆頭は米国だ。トランプ大統領が打ち出す移民制限や白人重視策は、建国以来の理念を根底から揺さぶっている。「米国ファースト」に名を借りた多国間合意の軽視も、国論を分裂させたまま進められている。

 現代の国家は、国家主権民主主義グローバル化のうち、どれか一つを犠牲にせざるを得ないと言われる。相互に矛盾が生じるためだ。国際政治のトリレンマという。

 だが、グローバル化に背を向けて国家主権に固執するトランプ政権下の米国は、自国の民主主義をも傷つけているように見える。

 欧州に目を向けると、スペインカタルーニャの独立宣言が国家論に一石を投じた。英国はスコットランドの、ベルギーフランデレンの独立問題をそれぞれ抱える。

 そこから浮き出るのは、近代化の過程で国民国家の枠内に押し込まれていた民族や地域の違和感だ。

 日本も例外ではない。沖縄は明治初期の琉球処分で日本に統合された歴史を持つ。今も重い基地負担に苦しむ沖縄を追い立てるような風潮は、本土との一体感をむしばむ。
民主主義の統合機能を
 世界の民族数は2000から3000に及ぶという。国家の数は200弱だから、国民=単一民族ということはあり得ない。1民族1国家を目指すのも現実的ではなかろう。

 経済のグローバル化に伴う所得格差の拡大や、欧州での移民の流入などが、国民国家の枠組みにマイナスの影響を与えているのは確かだ。

 しかし、ここで私たちが再認識すべきなのは、民主主義の持つ統合機能ではないだろうか。

 人間の考え方は一様ではない。階層や生い立ち、地域、年代、性差によって意見は異なる。そして違いがあるからこそ、民主主義が必要とされる。互いに異論を認め合い、最終的には全体の結論を受け入れていくプロセスに値打ちがある。

 トランプ流で民主主義の参加者に過剰な同質性を求めていけば、国の土台は揺らぐ一方だろう。

 今年は平成の幕切れに向けたカウントダウンも本格化する。「国民統合の象徴」であり続ける道を天皇陛下が熟慮された結果として、来年4月末の退位が決まった。

 初めから同質の国家はない。だから政府も国民も努力が要る。違いがあっても共同体のメンバーとして手をつなぐことの大切さを、昨今の国際情勢が教えている

【こよみ 平成29年12月31日(日)冬至 旧暦十一月十四日(赤口)大潮 】 66候 雪下出麦 冬至末候 大晦日 大祓い シンデレラデー New Year's Eve NHK紅白歌合戦 寅彦忌,冬彦忌 一碧楼忌

そばの日(毎月)

二十四節気・七十二候・雑節等
雪下りて麦のびる(66候)

七十二候の一つ。冬至末候 66候 雪下出麦 雪下(わたり)て麦出(のび)る 雪の下で麦が芽を出す 12月31日(日)〜 01月04日(木)

大晦日(大晦)
1年の終りの日。
年越し蕎麦を食べる習慣は江戸時代中期から始ったもの。元々月末に蕎麦を食べる習慣があり、大晦日のみにその習慣が残ったものである。
金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉を使ったことから、年越し蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないと言われる。除夜とは 大晦日の夜のこと。かつては一年の神「歳神」を迎えるために朝まで眠らずに過ごす習慣があった。
除夜の鐘は108回撞かれる。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類、この18類それぞれに浄・染があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされている。また、月の数12、二十四節気の数24、七十二候の数72を足した数が108となり、1年間を表しているとの説もある。

大祓
大祓は罪と穢れを祓い清める神事で、6月と12月の末日に行われる。

シンデレラデー
1年最後日、最もあわただしくて夜の12時までに帰らなければならない「シンデレラ」のような日という意味を込めている。夜の時間が気になる日であることから。

ニューイヤーズ・イヴ 
1年の終わりの日は、新しい年が明ける前日でもある。New Year's Eve

NHK紅白歌合戦
1951年昭和26年)正月のラジオ番組としてスタートしたが、第4回(1953年 昭和28年)から テレビの本放開始にともない NHK紅白歌合戦は大みそかの番組としてスタートした。
女性陣はテレビ放送を意識して華やかな衣装で登場し、この回で初めて紅組が優勝した。男性陣は「テレビは怖い、衣装に負けた」と悔しがったという。

[諸外国の記念日]
大晦日

(ベネズエラ)

[著名人の誕生日・命日]
寅彦忌,冬彦忌

物理学者随筆家寺田寅彦(吉村冬彦)の1935(昭和10)年の忌日。

一碧楼忌
俳人・中塚一碧楼の1946(昭和21)年の忌日。

イギリスの商人が東インド会社設立(1600)
東京丸の内を一大オフィスビル街に、と開発中だった三菱では、三菱1号館が 完成(1894)
▲NHK、除夜の鐘を放送(1927)
▲新宿にムーラン・ルージュ開場(1931)
大本営ガダルカナル島撤退を決定(1942)
▲GHQが修身・日本歴史・地理の授業停止(1945)
内務省、GHQの命令で廃止に(1947)
▲NHK紅白歌合戦 初の公開放送(1953)
永六輔作詞・中村八大作曲・梓みちよ歌の「こんにちは赤ちゃん」が 第6回レコード大賞を受賞(1963)
▲テレビアニメ鉄腕アトム」がアトムの壮列な死で4年間の放送を終了(1966)
レコード大賞は初めてTBSにより帝国劇場で発表される(1969)
▲NHK、「刑事コロンボ」の放送を開始(1972)
▲横綱双羽黒、親方と対立して廃業(1987)
▲今給黎教子、女性初の単独太平洋往復成功(1989)

誕生:マティス(画家1869) マーシャル(軍人・政治家1880)林芙美子(作家1903)
   ニーノ・ロータ(作曲家1911) 中村扇雀(2代目)(歌舞伎俳優1931)
   アンソニー・ホプキンズ(俳優1937) ジョン・デンバー(歌手1943)
   ドナ・サマー(歌手1948) 高樹澪(女優1960) 俵万智(歌人1962) 
   KONISHIKI(タレント・元力士1963) 江口洋介(俳優1967) 
   まこと[シャ乱Q](1968) 大黒摩季(歌手1969)

誕生花:ひのき (Chamaecyparis)   花言葉:不滅


季語刻々 <坪内稔典>  仲冬 2017.12.31(日) 冬至


漱石が来て虚子が来て大三十日


毎日新聞 2017年12月31日 東京朝刊


 ◆昔


  漱石が来て虚子が来て大(おお)三十日(みそか) 正岡子規 
        

解題


 1895年の作。当時、夏目漱石は四国・松山の中学校の英語教師だったが、冬休みで東京に戻っていた。高浜虚子フリーターだった。まだほとんど無名の彼らは、子規を囲む文学仲間であった。その年の大みそか、子規の家では母と妹が正月の用意に余念がなかった。そのそばで、3人は火鉢に手をかざし、文学談議にふけったのだろう。<坪内稔典

語釈・晦渋語 &出典

当時、夏目漱石は四国・松山の中学校の英語教師だったが、冬休みで東京に戻っていた。高浜虚子フリーターだった。まだほとんど無名の彼らは、子規を囲む文学仲間であった。


鑑賞

1895年の作。その年の大みそか、子規の家では母と妹が正月の用意に余念がなかった。そのそばで、3人は火鉢に手をかざし、文学談議にふけったのだろう。<坪内稔典

俳人

正岡子規


(まさおか しき、1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。1895年(明治28年)4月、近衛師団つきの従軍記者として遼東半島に渡ったものの、上陸した2日後に下関条約が調印されたため、同年5月、第2軍兵站部軍医部長の森林太郎(鴎外)等に挨拶をして帰国の途についた[1]。 その船中で喀血して重態に陥り、神戸病院に入院。7月、須磨保養院で療養したのち、松山に帰郷した。喀血した(血を吐いた)ことから、「鳴いて血を吐く」[2]と言われているホトトギスと自分を重ね合わせ、ホトトギスの漢字表記の「子規」を自分の俳号とした。1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』(ほとゝぎす)を創刊し、俳句分類や与謝蕪村などを研究し、俳句の世界に大きく貢献した。


================================================================
===============================================================
=========仲冬 2017.12.31(日) 冬至(近頃の世情)) ==========
===============================================================
================================================================

社説 回顧・トランプ政治元年 国際政治の地軸が動いた
毎日新聞 2017年12月31日 東京朝刊

 千葉県で見つかった地層が地球の磁場逆転の時代(チバニアン)を物語るように、後世の歴史書は2017年を起点とする国際政治の特異さを記すだろう。トランプ政治。今年はその元年だった。

 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や地球温暖化対策のパリ協定からの離脱宣言。そして今月は世界の反対と懸念をよそにエルサレムイスラエルの首都と認定した。

 1月に就任したトランプ米大統領の矢継ぎ早の変革。その根底には既成の権威への嫌悪感がある。とにかく破壊する。あとは閣僚や官僚たちが考えればいいと言わんばかりの政治姿勢はいかにも乱暴だった。
「こわもて」には限界も
 前政権との違いは明らかである。

 理知的なイメージのオバマ前大統領は「核なき世界」の理想をうたい、イランとの核合意をまとめた。

 半面、争いごとに弱い体質に乗じるように、ロシアクリミア半島を奪い、過激派組織「イスラム国」(IS)は国家樹立を宣言。中国は南シナ海の軍事拠点化を進め、北朝鮮核実験を続けた。

 その意味では学級崩壊の趣もあった。騒ぐ生徒をよそに格調高い話を続けた「オバマ先生」は去り、こわもての新たな担任、「トランプ先生」が登場。「問題児」たちもしばし緊張して見守っている−−。

 そんなふうに例えても、あながち的外れではあるまい。

 「こわもて」にはそれなりの長所がある。トランプ氏の11月のアジア歴訪で日本や中国、韓国は皇帝を迎えるような厚遇ぶりだった。米国が北朝鮮問題と貿易不均衡問題で強気の姿勢を見せ、特に軍事力を前面に押し出したからだ。

 「米国は必要なら本当に軍事力を使う。そう人々に知らしめれば、米国の待遇は変わる。尊敬をもって処遇されるようになる」

 トランプ氏は著書(「グレート・アゲイン」)にそう書いた。

 単純なまでの軍事力信仰。史上最強の軍事力を現実的な利得に変えようという姿勢は一貫している。

 だが、軍事圧力を強めても北朝鮮問題はほぼ進展がなかった。中国の対米協調が進んだのは「力の外交」の成果とはいえ、仮に米国が妥協して北朝鮮の核廃棄を実現できなければ、「こわもて」は限界を露呈し米国への不信が広がるだろう。

 また、ロシアとの癒着疑惑「ロシアゲート」の捜査が、仮に娘婿のクシュナー氏ら身内に及べばトランプ氏は窮地に立たされる。1970年代に当時のニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーターゲート事件のような展開も想定外ではない。

 だが、現時点で重要なのは「議会の共和党議員がトランプ氏に逆らえなくなっている。共和党はトランプ党になりつつある」(渡辺靖・慶応大教授)という現実だ。税制改革法の成立は与党の協力を物語る。

 その一因は、反トランプ派の議員に対してトランプ氏の盟友・バノン前大統領首席戦略官らが対立候補を立てて落選させようとするからだという。米国版「刺客」である。

 エルサレムの首都宣言も再選への布石だろう。イスラエルと強い絆を持つキリスト教右派を取り込めば共和党内での発言力が強まり大統領再選への環境も整備されるからだ。
リベラル疲れ」日本にも
 だが、失われたものも大きい。

 理想を追い求め、よりよい社会をめざすのは米国政治の伝統でありリベラリズムの特長でもある。

 トランプ氏はそんな伝統に背を向け、社会に不満を持つ白人労働者層の支持を集めた。逆に言えば、きれいごとはたくさんだと「本音」を声高に語る人々が台頭したのだ。

 そんな「リベラル疲れ」は日本を含む先進国でも見られるのではないかと渡辺教授は指摘する。

 国会議員の相次ぐ問題発言、インターネット上の外国非難も「リベラル疲れ」の一種だろうか。そうした現象の背後にある感情は、トランプ氏を擁護する感情と親和性を持っているのではないかというのだ。

 だが、国際的枠組みからの離脱やイスラム教徒の入国規制などは「自由の国・米国」のソフトパワーを損ない、その分野での米国の利益も失わせる。結局はトランプ氏の支持層にもツケが回る可能性がある。

 トランプ政治を米国民と世界がどう評価するか。その答えが出るのは来年以降だが、破壊に終始すれば豊かな社会も本当に安全な世界も築けない。それだけは確かである。


=======