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餞驟窟誌

2018-01-13

【こよみ 平成30年01月13日(土)小寒 旧暦十一月廿七日(先勝)中潮 】 68候 水泉動 小寒次候 初虚空蔵 寒九 ピース記念日

2018.01.13(土) 七十二候 小寒次候 68候 水泉動 しみずあたたかをふくむ 
地中で凍った泉が動き始める 01月10日(水)〜01月14日(日)


寒九(かんく)
寒に入って9日目。冬の季語 寒入りは二十四節気小寒の日からです。
小寒は1/5か1/6頃ですから 寒九というと1/13か1/14頃と云うことになります。
寒は寒さがことのほか厳しい時期と云うことで辛い時期ですが、寒くて辛い だけの時期ではありません。 寒の時期には寒さと乾燥のために、雑菌の繁殖が抑えられるため、この時期 に汲んだ水は質がよく腐りにくいといわれます。ことに寒九の水は薬になる とまで云われたそうです。

咸臨丸出航記念日
1860年のこの日、江戸幕府軍艦咸臨丸」が日米修好通商条約を批准するために品川沖を出航したことにちなんで。勝海舟福沢諭吉ジョン万次郎らが乗船し、サンフランシスコへ。

初虚空蔵 虚空蔵縁日
毎月13日は虚空蔵菩薩の縁日で、一年最初の縁日は初虚空蔵と呼ばれる。

たばこの日,ピース記念日
1946(昭和21)年、高級たばこ「ピース」が発売されました。 当時、10本入りで7円で、日曜・祝日に1人1箱だけに限られていました。

[諸外国の記念日]
聖ケンティガーン(St. Kentigern)の祝日

イギリス・スコットランド中部の都市グラスゴー守護聖人

源頼朝死去。53歳(1199)
日本兵慶長の役の遠征軍)が朝鮮に上陸(1597)
玉川上水の工事開始(1653)
咸臨丸アメリカへ向けて品川から出航(1860)
東京で気温、マイナス9.2度を記録。ちなみに日本の最低気温は1902年1月25日、 旭川市でマイナス41度を観測(1876)
▲作家エミール・ゾラドレフュス事件についてフランス大統領に宛てた公開状を 新聞に発表(1898)
▲第1回国勢調査の結果が発表(1921)
ジャズなど英米曲のレコード発売、演奏禁止(1943)
三河地震M7.1。死者1180人(1945)
▲ピース(たばこ)発売。紙巻きタイプの第1号。10本入り7円(1946)
日劇ダンシングチーム初公演(1954)
美空ひばり塩酸をかけられる(1957)
国公立大学共通一次試験スタート(1979)
山形で中学1年生がいじめによるマット窒息死(1993)
東京多摩地区で、長男に「悪魔」という名前をつけて届けたが市役所
 受け付けられなかった父親が、東京家裁八王子支部に不服申し立て(1994)
▲初の女性判事誕生(1994)

誕生:狩野永徳(画家1543) シャルル・ペロー(作家1628) 
   ベルツ(内科医師1849) 阿刀田高(作家1935) 野沢那智(声優1938)
   相米慎二(映画監督1948) 伊藤蘭(女優1955) 太川陽介(タレント1959)
   SAM [TRF](1962) 秋本奈緒美(歌手・女優1963) 設楽りさ子(1968) 
   CHARA[YEN TOWN BAND](歌手1968) 長山洋子(歌手1968) 
   
誕生花水仙 (Narcissus)     花言葉:神秘




季語刻々 <坪内稔典>  晩冬 2018.01.13(土) 小寒


汐曇り鯨の妻のなく夜かな 


毎日新聞 2018年1月13日 東京朝刊


 ◆昔


  汐(しお)曇り鯨の妻のなく夜かな  大島蓼太 
        

解題



 汐曇りは、潮がさして来るときの水蒸気で空が曇ること。または、潮気のために海上が曇って見えること。以上、「日本国語大辞典」にある説明。謡曲などに用例があるようだが、この言葉、私はまだ使ったことがない。ともあれ、汐曇りの夜、鯨の妻が鳴いているというのが今日の句。夫を捜しているのだろうか。「鯨」が冬の季語だ。<坪内稔典


語釈・晦渋語 &出典

汐曇りは、潮がさして来るときの水蒸気で空が曇ること。または、潮気のために海上が曇って見えること。以上、「日本国語大辞典」にある説明。謡曲などに用例があるようだが、この言葉、私はまだ使ったことがない。「鯨」が冬の季語だ。<坪内稔典


鑑賞

ともあれ、汐曇りの夜、鯨の妻が鳴いているというのが今日の句。夫を捜しているのだろうか。

俳人

大島蓼太


(おおしま りょうた、享保3年(1718年) - 天明7年9月7日(1787年10月17日))は、江戸時代俳人。本姓は吉川。諱は陽喬、通称は平助、雅号は雪中庵、里席、宜来、老鳥、豊来、空摩など多数。与謝蕪村、加舎白雄などと共に中興五傑の一人。
信濃国伊那郡本郷村(現長野県上伊那郡飯島町)生まれ。幼時に一家江戸に出て、幕府の御用縫物師を務めた。
元文5年(1740年)雪中庵二世桜井吏登の門人となり俳諧を学ぶ。松尾芭蕉追慕の念から、寛保2年(1742年)『奥の細道』を吟行するため奥羽行脚に旅立ち、その翌年、郷里の飯島に立ち寄り、与田切川の河畔に現地の門人らと「雪塚」を建立した。
延享4年(1747年)雪中庵を継承し三世となる。芭蕉への回帰を唱えてその研究と顕彰に努め、三千余人の門人を有した。また江戸宗匠の旧態を批判し、一大勢力を築いた。


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=========仲冬 2018.01.13(土) 冬至(近頃の世情)) ==========
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土記 犬研究の今=青野由利
毎日新聞 2018年1月13日 東京朝刊
 <do−ki>

 今年は戌(いぬ)年。そこで今回は最近の犬研究の動向から。安直というなかれ。なにしろ進展著しい分野なのだ。

 たとえば「犬の起源」。「オオカミ祖先が飼い慣らされたんでしょ」というのが一般的な答えだが、問題はいつ、どこで、どんなふうに?

 科学者の間にも諸説ある。化石からみて1万5000年前なのか、3万5000年前なのか。人の残飯を食べるようになったのが始まりなのか、別の理由か。誕生したのは欧州か、アジアか−−。研究ライバル同士が「停戦」を宣言し、協力することにしたという話さえあったから、競争の激しさがうかがえる。

 そこに一石を投じたのが一昨年、英国チームが論文発表した「二つのルーツ」説だ。古代の犬と現代の犬、それにアイルランド遺跡から見つかった約5000年前の犬の骨のDNAを比較し、犬は1万4000年以上前に、東アジア欧州の2カ所で、別のオオカミ集団から生まれたのではないかと結論づけた。

 人類の「単一起源説」と「多地域進化説」のようで興味深かったが、昨年、今度は米国チームが犬やオオカミのデータを増やして「やっぱりルーツは一つで、2万〜4万年前」と反撃。論争は続いている。

 伴侶動物学が専門の麻布獣医学部菊水健史さんは、ここに日本犬の出番があるかもしれない、とみる。

 秋田犬や柴犬に代表される日本犬は大陸で生まれ、縄文人とともに日本列島に渡ってきた。彼らのDNAは洋犬に比べオオカミに近いことがわかっている。そこで、人とのコミュニケーション力の高さなどオオカミと犬を分かつ行動にかかわる遺伝子日本犬を使って見つけようとしている。犬を犬にした遺伝子がわかれば大きな前進だ。

 それにしても人と犬はどう出合ったのか。菊水さんが支持する仮説はこれだ。

 ある時、オオカミの中から社会的に寛容で他者を受け入れやすく、不安感や攻撃性が低い集団が草原に出てきて犬となった。怖がりで攻撃性の高いオオカミは森に残った。

 そして、同じ要素は人とチンパンジーの進化の分かれ道でも働いた。怖がりで攻撃性の高いチンパンジーは森に残り、社会的寛容性の高い人の祖先が草原に出てきた。そして、偶然犬と出合う−−。

 検証はこれからだが、見知らぬ他者をも受け入れる、寛容で楽観的な生き物同士が仲良く歩み、繁栄してきた道のりが浮かぶ。そして今、人間社会に必要なのも、こうした寛容性の高さではないかと思うのだ。(専門編集委員


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経済観測 現実を見据え歴史を振り返る=ベトナム簿記普及推進協議会理事長・大武健一郎
毎日新聞 2018年1月13日 東京朝刊
 東京証券取引所大発会で、株価が700円超値上がりし、日本経済は「バブル期以来の好景気」と浮かれたニュースが流れ始めている。しかし、そんな今こそ、少子高齢化が進む日本の現実を見据えて、もう一度歴史を振り返る必要があると思う。

 今年は明治維新から150年に当たる。私の祖母は1879年に商家の娘として東京で生まれ、96年に17歳で彰義隊の生き残りである武士の息子と結婚した。その頃、日本は日清戦争勝利し、社会が安定してきたように歴史には書かれているが、祖母の話では、不満を持つ元武士階級が毎晩のように集まり、刀を振り回して打倒明治政府を叫んでいたという。大正時代第一次世界大戦勝利したことで好景気に沸き、大正デモクラシーの時代と言われているが、祖母によると、庶民が好景気を実感したのはごく短い期間で、関東大震災経済恐慌生活どん底になり、庶民の側から景気回復のために大陸進出や軍需産業への期待が高まり、戦争への道を進んでいったと語っていた。

 ベトナムでは、1000年以上にわたり中国フランス米国と戦った経験から「歴史は戦いに勝った者が作る」と言われている。日本の明治以降の歴史も、太平洋戦争後の占領軍など戦争に勝った人たちが作った可能性がある。軍部が独走して戦争になったかのように歴史では語られているが、むしろ祖母の話のように、庶民が戦争へと導いた側面もあるように思われる。

 経済を優先する日本国民経済回復に踊り、人口減少と超高齢化の現実を見失っていないかが気になる。経済が減速した時に戦前の歴史を繰り返すことのないようにすることが重要だ。明治維新から150年の今こそ、中長期的に何をすべきか、歴史を改めて見直すことが必要だと思う。

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