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餞驟窟誌

2018-01-26

【こよみ 平成30年01月25日(木)大寒 旧暦十二月九日(友引)小潮 】 71候 水沢腹堅 大寒次候 上弦 冬土用の間日 初天神 天神縁日(毎月25日)雷記念日 左遷の日 日本最低気温の日 中華まんの日 ホットケーキの日 朝日新聞創刊の日

二十四節気・七十二候・雑節
上弦

半月。月と太陽の黄経差が90°となる日。

水沢あつく堅し(71候)
七十二候の一つ。大寒次候 71候 水沢腹堅 沢水こおりつめる 沢に氷が厚く張りつめる 01月25日(木)〜01月29日(月)

左遷の日
901(延喜元)年、右大臣菅原道真醍醐天皇によって九州大宰府に左遷された。彼の才能を妬む左大臣藤原時平の策略により、醍醐天皇は道真のことを逆臣と思いこむようになり、901年1月25日に菅原道真大宰権帥に左遷した。

お詫びの日
1077年のこの日より3日間、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世が雪の中で裸足で城の前に立ち、教皇グレゴリウス7世に破門の許しを乞う「お詫び」をした。これを「カノッサの屈辱」と呼ぶ。カノッサとはイタリア北部の地名。

日本最低気温の日
1902年(明治35年)、北海道旭川地方気象台で-41.0℃という日本の最低気温を記録したことによる。上空の強い寒気の通過と放射冷却現象によるものと考えられている。記録は午前2時ごろのものと推定。

初天神

天神様の最初の縁日

天神縁日
天神様の縁日(毎月25日)

中華まんの日
寒い日には特に中華まんがおいしい事から、食べてあたたまってもらおうと日本の最低気温の日をあてた。

朝日新聞創刊の日
1879年(明治12年)のこの日、朝日新聞大阪で創刊された。誌面は4ページ、部数は1000部ほどであった。創始者は村山龍平、上野理一。

ホットケーキの日
日本最低気温の日に因み、寒い日にはホットケーキを食べて暖まってもらおうと制定。

雷記念日
菅原道真天神様)が雷神となったという言い伝えから。6月26日の雷記念日もまた、菅原道真にまつわる記念日である。

[諸外国の記念日]
婦人の日

(ホンジュラス)

[著名人の誕生日・命日]
法然上人忌

浄土宗開祖である法然上人の命日。「南無阿弥陀仏」を提唱。岡山県(美作国)出身。
長承2年4月7日 - 建暦2年1月25日(宣明暦)(1133年5月13日 - 1212年2月29日〈ユリウス暦〉)

天皇坂上田村麻呂蝦夷征伐を命令(796)
醍醐天皇菅原道真を太宰権師に左遷(901)
法然、没 (1212)
江戸で、米価高騰のため町人1700人余が米問屋高間伝兵衛宅を襲撃する (江戸で最初の打ち壊し)(1733)
江戸幕府、混浴を禁止(1791)
朝日新聞大阪で創刊(1879)
旭川で零下41度の日本最低気温を記録する(1902)
▲世界最大のダイヤモンド発見(1905)
第一冬季オリンピックフランスで開催(1924)
ソ連東欧5か国が経済相互援助会議を設置(1945)
▲講和使節団のダレス特使らが来日(1951)

誕生:ロバート・ボイル(科学者1627) 御木本幸吉(1858) 徳富蘇峰(評論家1863)
   サマセット・モーム(作家1874) 北原白秋(詩人1885) 
   石坂洋次郎(作家1900) 池波正太郎(作家1923) 西村晃(俳優1923)
   石ノ森章太郎(漫画家1938) 松本零士(漫画家1938) 江守徹(俳優1944)
   森田芳光(映画監督1950) 荒木由美子(1960)
   
誕生花:みみな草 (Cerastium)   花言葉:純真




季語刻々 <坪内稔典> 晩冬 2018.01.25(木) 大寒


誘はれてきしだけのこと探梅行



毎日新聞 2018年1月25日 東京朝刊


 ◆昔

   誘はれてきしだけのこと探梅行(たんばいこう) 波多野爽波       


解題



 「探梅行」とは冬の間に梅を見にゆくこと。要するに、早咲きの梅への吟行だ。それを、誘われてきただけのこと、という今日の句の物言いがおもしろい。いやいやながら参加している感じ。梅よりも、早く居酒屋へ行こうよ、という気配だ。もっとも、わざわざ寒い思いをして探梅するから、その後の酒がいっそううまいのだが。<坪内稔典



語釈・晦渋語 &出典


梅よりも、早く居酒屋へ行こうよ、という気配だ。もっとも、わざわざ寒い思いをして探梅するから、その後の酒がいっそううまいのだが。<坪内稔典
 
鑑賞

「探梅行」とは冬の間に梅を見にゆくこと。要するに、早咲きの梅への吟行だ。それを、誘われてきただけのこと、という今日の句の物言いがおもしろい。いやいやながら参加している感じ。

俳人

波多野爽波


(はたの そうは、1923年1月21日 - 1991年10月18日)は、東京出身の俳人高浜虚子に師事、俳誌『青』を創刊・主宰。本名敬栄(よしひで)。
父・敬三、母・辰子の長男として東京府生まれる。祖父は元宮内大臣の波多野敬直。生まれた年に鎌倉の母の実家の別荘で関東大震災に遭い家屋の下敷きとなるも、叔父に庇われて助けられた。なおこの別荘は星野立子の隣家であり、爽波が助けられる場面に立子の姿もあったという。1939年、健康を害し鎌倉で療養中に『ホトトギス』を読みふけり、翌年より同誌に投句をはじめる。1940年学習院高等科文科甲類入学。岩田九郎教授(俳号・水鳥)に指導を仰ぎ、岩田の主宰する俳句会「木犀会」に参加し会員の学生リーダーとなる[1]。同会には2級下の平岡公威(三島由紀夫)も「青城」の号で参加していた[1]。学習院の先輩である京極杞陽からも指導をうけたほか、『玉藻』の句会に出席し高浜虚子星野立子と会った。1942年、京都大学経済学部入学、松尾いはほの「蜻蛉会」入会。1943年12月召集を受け、1945年に見習士官として中国北部に赴いた。
1947年、結婚し京都市左京区田中春菜町に新居を構える。同3月大学卒業、6月に京大生らと「春菜会」を結成。1948年三和銀行に就職。1949年、最年少で『ホトトギス同人となる。当時は野見山朱鳥、上野泰とともに若手三羽烏と呼ばれた。1953年、「春菜会」をもとに『青』を創刊、主宰。1957年、「かつらぎ」青年大会の講演で『ホトトギス批判ともとれる発言をし物議をかもす。1958年、『年輪』『菜殻火』『山火』と四誌連合会発足(1965年まで)。1963年、三和俳句会を再興し前衛俳人と交流を深める。1977年藤沢薬品工業監査役に転出(1983年退任)。1987年より俳壇賞選者。1991年11月逝去し、同12月号をもって『青』終刊。句集に『鋪道の花』(1956年)、『湯呑』(1981年)、『骰子』(1986年)、『一筆』(1990年)がある。






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=========晩冬 2018.01.25(木) 大寒 (近頃の世情)) ==========
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木語 サラミ戦術の限界=坂東賢治
毎日新聞 2018年1月25日 東京朝刊
 <moku−go>

 ピザのトッピングなどに使われるサラミはイタリア発祥とされるが、ハンガリーのサラミも古い歴史を持つそうだ。白カビで覆われたウインターサラミは日本を含め世界各国に輸出されている。

 第二次大戦後ソ連占領下で影響力を拡大したハンガリー共産党の第1書記、ラーコンの言葉として残るのが「サラミ戦術」だ。サラミを薄く切るように少しずつ状況を変えていけば抵抗は少ないという意味を持つ。

 ラーコンは権力掌握後、銀行の国有化を例に「最初は控えめに要求し、そのあと、要求を増やした」「つまり反動分子を挫折させてくれるサラミ戦術なのだ」と語っている(「ハンガリー革命 1956」=白水社)。

 中国も海洋進出で「サラミ戦術」を用いてきたといわれる。南シナ海では漁船や海警局の公船、軍艦と徐々に活動を活発化させ、既成事実を積み重ねながら権益確保を図ってきた。

 フィリピンベトナムなど関係国は反発したが、紛争に発展するほどではなかった。しかし、気がつけば中国実効支配する岩礁が埋め立てられ、軍事力展開も可能な巨大な人工島が造成された。

 東シナ海も似た状況だ。中国公船が尖閣諸島周辺の領海に初めて侵入したのは2008年。10年に巡視船中国漁船が衝突した事件を機に公船の接続水域への進入が増え、12年の尖閣国有化」以降は公船の領海侵入常態化した。

 今年は新年早々、中国の新型原子力潜水艦尖閣諸島接続水域に進入した。国際法違反ではないが、これが常態化されてはたまらない。政府の抗議は中国の「サラミ戦術」を意識してのことだろう。

 16年の蔡英文総統就任以降、台湾への圧力もじわじわと強化されている。昨年は海軍空母遼寧」や空軍の編隊が台湾周辺を頻繁に行き来した。今年も年初から「遼寧」が台湾海峡を往復した。

 台湾海峡中間線付近に新たな民間航空路線を設定したことも台湾の反発を生んでいる。15年に台湾側の抗議でいったん取り下げた路線だ。一歩下がったように見えてもあきらめていないのが中国だ。

 米国に次ぐ世界第2の経済大国になった中国の活動範囲が外へと広がっていくことは止められまい。しかし、中国側に周囲への配慮がなければ摩擦は高まるばかりだ。

 「サラミ戦術」も食べたことがわからないほど薄く切ってこそ有効に働くものだ。無神経に分厚く切りすぎては意図が見え見えだ。(専門編集委員

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経済観測 働き方改革と医療国家公務員共済組合連合会理事長・松元崇
毎日新聞 2018年1月25日 東京朝刊

 この正月、大阪府医師会の新春互礼会で会長が「働き方改革を突き詰めると、医療ができなくなる」と話したと報じられていた。「医師には応招義務(患者を診る義務)があり、研究や診療の時間など、いろいろな時間がある。その中で自分で勉強しながら医療医学を学ぶ仕事だ」。働き方改革の議論にも、その理解が不可欠というのだ。

 私が勤めている国家公務員共済組合連合会も、年金事業などと並んで全国33カ所で病院経営を行っている。霞が関近くの虎の門病院などで、国家公務員に限らず地域の人々に頼られる医療を提供すべく、約1万8000人の職員が日夜励んでいる。医師たちは、研究熱心で、高度で良質な医療を提供するとの使命感にあふれている。まさに「自分で勉強しながら医療医学」を実践している。

 そんな医師の働き方改革で悩ましいことの一つが、救急医療対応の宿日直だ。病気やけがは時を選ばない。そこで、夜間や休日にも医師が宿日直している。ところが、働き方改革ということで、宿日直の時間もすべて勤務時間にするようにといった指導が行われることがある。それでは、医師の勤務時間はすぐに時間外労働の限度を超えてしまう。また、残業代を支払うと病院経営は大幅なコスト増から赤字になりかねない。勤務医給与開業医より少ないとはいえ、年収で1000万円から2000万円なのだ。

 そんなこともあり、厚生労働省も「医師の働き方改革に関する検討会」を設置して2年後をめどに結論を出すことにしている。もちろん、医師のワーク・ライフ・バランスも大切だ。そういったことを踏まえたバランスの取れた議論によって、患者にとっても医師にとっても病院にとってもより良い医療の実現を期待したい。

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憂楽帳 所変われば
毎日新聞 2018年1月25日 大阪夕刊 【岡田功】

 「大丈夫? テロがあったみたいだけど」。昨年3月、留学先のロンドンで、日本の両親から安否を気遣うメールを受け取った。テレビをつけて、初めて様子が分かった。英国会議事堂近くの観光名所「ウェストミンスター橋」で、男が運転する乗用車が通行人を次々とはね、警官を刃物で刺殺する事件が起きていた。

 自宅は現場から西へ5キロ離れている。テレビ画面の緊迫した雰囲気と打って変わって、自宅の周りは平穏。英国人の隣人や知人の反応も冷静そのものだった。6月にロンドン橋でテロ事件が起きた時も同じような状況だった。

 欧州ではテロが頻発するが、日本での心配が拍子抜けするほど普段通りの生活が現地で営まれている。「アイルランド共和軍(IRA)のテロが頻発していた時に比べたらまだ安全」とある知人。対処の仕方を知っているということか。

 8月末に帰国する際、何人もの知人から「日本に帰って大丈夫か?」と本気で心配された。その理由は北朝鮮ミサイル実験。まるで戦争前夜のようにとらえていたのだ。所変われば「危険の認識」も変わる、だ。【岡田功】

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