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閑居六尺

2016-11-28

老いの楽しみを早く知るべし

“お前最近ブログ書いてないんだって?”

f:id:chichi7:20161128190140j:image:left クム

最近我が家の上下秩序に変化がみられ、どうも最上権力が若頭に奪われつつある。主導権を渡すまいと頑張ってはいるが、かみさんを従えているので旗色が悪い。

そういえば 3か月近く遠ざかってしまった。時々覗いていただく読者様にはお詫びいたします。





なぜと言えば 6月に古希の同窓会があったが、これを境にいろいろと思うところがあったせいかもしれない?













 附中古希同窓会

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仏教の世界に四住期という思想があります。

人生には四つの時期があるという考え方で、20歳までを勉学に励む学生期(がくしょうき)、40歳までを家庭で家族と過ごす家住期、60歳までを林の中で自己を見つめて暮らす林住期、それ以降を家を捨て放浪の旅にでる遊行期、という考え方です。

齢(よわい)70を数える現在なら、とうに今までの価値感もすべて捨て去り また一から新しい出直す旅に出ていなければ・・・という人生感を持たねばと思う

このブログテーマの「閑居六尺」も、四書の一つ「大学」にある有名な言葉、"小人閑居して不善を為す"から引用したもので、凡人凡夫は仕事がなく暇でいるとろくなことをしない、だから時を惜しんで働け(人の役に立て)という意味に依っている。

62歳でリタイヤした後、合唱やウクレレやウォーキングや自分史の編集などなどいろいろ取り組み、暇つぶしに励んでいるが、 一方、かみさんがしぶとく仕事をしているので、そのアッシー君と家事、お袋が軽度の認知症なのでその介護 等々 が一日の主な仕事である。 所詮凡人のやることは知れてる。人の役に立てているかというと否だし、前述のような出直し旅に出ることもない8年間を過ごしてきた。

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この表を見ると、どうも約70歳が男の健康年齢の上限のようだ。 先日ニュースか何かで、他人の何らかの世話が必要になってくるのが、大分県の平均で76歳ぐらいからとか言っていたが、ぼちぼちそんなことも考えなければならない。 終活などまだまだ先と思ってきたが そろそろか? なーんか暗いなー



まだまだやれるとこを見せねば



f:id:chichi7:20161128190147j:image さわやか演奏会

演奏会の舞台は右欄の「豊声会」HPでご参照したうえで、その後の懇親会です。流石別府の皆さんは別府音頭が踊れる。

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12年前は平均年齢を下げる方だったが、今年は数名ではあるが還暦前後のグループが入団して平均値を下げていただいた。歓迎を込めての懇親飲み会、高齢化の中で‘飲み’が少なくなってきたので久々に盛り上がった。



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"フラとじぃばあず"とは失礼な話ではあるが、打上でヒットパレードクラブに繰り出し踊り出したのを見ると、ここでも別府の女性達の凄さを感じざるを得なかった。 動画はアップするのも恥ずかしいものではありますが、頑張ってるとこだけでもご笑覧いただければ・・・



ある狂歌をご紹介します。原作は、尾張藩士で俳文集「鶉衣」の著者として知られる横井也有(1702〜83)です

「皺はよるほくろはできる背はかがむあたまははげる毛は白うなる」(これ人の見ぐるしき知るべし)

 何の説明も不要で、実に端的に老人の外見を捉えているではありませんか。

「手は震う足はよろつく歯はぬける耳は聞こえず目はうとうなる」(これ人の数ならぬを知るべし)

 もはや一人前には通用しないことを覚れと戒めます。

「よだれたらす目しるはたえず鼻たらすとりはずしては小便もする」(これ人のむさがる所を恥ずべし)

 <とりはずす>は放屁のこと、<小便もする>は老人性尿失禁のことです。ともに老人の機能面での衰えを的確に表現しています。

「又しても同じ噂に孫じまん達者じまんに若きしゃれ言」(これ人のかたはらいたく聞きにくきを知るべし)

 随分と耳の痛い指摘をしています。<若きしゃれ言>は流行語のことです。

「くどうなる気短になる愚痴になる思いつく事皆古うなる」(これ人のあざけるを知るべし)

 精神活動も当然ながら衰えますが、自分では自覚できないでいるのです。

 

「身にそうは頭巾襟巻杖眼鏡たんぽ温石(おんじゃく)しゅびん孫の手」(かかる身の上をも弁えずして)

「聞きたがる死にともながる淋しがる出しゃばりたがる世話やきたがる」

以上を総括して根岸鎮衛は、(これを常に姿見として己れが老いたるほどをかえり見たしなみてよろし。しからば何をかくるしからずとしてゆるすぞと)と結んでいます。

最後に、自分の時間を好きなように使って生きられることこそ老人の特権だという彼自身の感想を歌に託して一首ものしています。

   宵寝朝寝昼寝ものぐさ物わすれそれこそよけれ世にあらぬ身は

まさに江戸時代の文化人、名奉行、根岸鎮衛の洒脱の極致ではないでしょうか。 あなたのご感想は?

老人などと呼ばれてもいない読者の皆様には大変不愉快なご紹介と察してはおりますが、近い将来到来する私目の戒めとしての本拙文であります。

ご容赦くだされば幸いです


「楽は是人のうまれつきたる天地の生理なり。楽まずして天地の道理にそむくべからず。つねに道を以て欲を制して、楽を失ふべからず。楽を失はざるは養生の本なり」貝原益軒『楽訓』

  

いくつになろうとも、毎日が楽しければそれに越したことはない (六尺)

まあまあこんなとこです ではまた